ハイスクール・ロックンロール
一刺し、一刺し、細いレース糸をかぎ針で引き抜いては、左手の人差し指で引き締める。基本は同じ作業の繰り返し。興味のない人間にとっては、実につまらない単純作業であろうレース編みは、有羽にとっては他に類を見ないほどに心落ち着く作業だった。鎖編み、
出来上がったレースを机に置き、ふうっと息を吐いて伸びをする。極限まで集中力を高めて熱中したものが、完成してふっと息が切れた瞬間。有羽は、その瞬間の快感が好きだった。余韻を味わうように机に腕を伸ばして突っ伏する。腕時計を見ると、十六時半。部活動終了まではまだ三十分ほどある。もう少しくらい編めそうだな、と有羽がレース糸の玉に手を伸ばした瞬間、ガラガラと音を立てて扉が開く。入ってきたのは、宵莉だった。
「おっ、良かった〜。まだやってた」
ズカズカと入ってきて、当たり前のように有羽の隣に腰掛ける。教室の窓側、1番後ろの机。そこが、二人の定位置だった。
ジジっと音を立ててバッグを開く。宵莉が取り出したポーチに入っていたのは、花びらのような形をした小さなプラスチック製のタティングシャトル。
「あ、有羽のはそれか〜、可愛いと思ってたんだよ〜」
「買ってきたのよっちゃんでしょ。良いセンスしてるじゃない」
二人が見ているのは、淡いピンク色にシルバーのラメが織り込まれた糸。儚く繊細で、それでいて華やかさも同居する春の桜のような雰囲気の糸。有羽が先程まで編んでいたドイリーの柄も、この糸を見て思いついた物だった。
「じゃあ私もそれにしようかな」
ざらりとした手触り、それでいて滑りのいい糸を摘まみ、先程バッグから取り出したシャトルに結びつける。中央の芯に糸を巻き付けるたびにカシャリ、カシャリ、とそれは軽快な音を鳴らす。
「あ〜、この音好き〜」
「有羽もやりなよ、楽しいよ?タティングレース」
「じゃあよっちゃんが教えてよ。昔かぎ編み教えてくれたみたいに」
「今はインターネッツって物があるからな、私よりよっぽど優秀な先生が世界中に居るぞ」
「あたしはよっちゃんが教えてくれた物がやりたいの」
「そのうち気が向いたらな」
「そう言ってるうちに10年後くらいになりそう」
シャトルを指でつまみ、左手でピンと張った糸の上下を潜らせる。カチャカチャと小気味良い音が一定のリズムを刻みながら、糸の結び目が美しい曲線の形を描いていく。網目模様の美しいかぎ針編みのクロッシェレースとは違った趣の、美しい曲線が特徴的な繊細なレース。宵莉の手の中で、それはみるみるうちに形を成し、あっという間に小さな5枚弁の花の形になる。
「ほら可愛い、いっぱい作って紫陽花みたいにしたいね」
「梅雨が明けるまでに完成させなきゃ」
「そういや今年あんまり降ってないな」
窓の外を見ると、透き通るような青空。
「もう6月も終わりだよ」
「そうこうしてる間に体育祭シーズンが始まって秋の文化祭を最後に私はようやく生徒会長の荷が降りるわけだ」
「そっかぁ、よっちゃん三年生だもんね」
有羽と宵莉は生まれたのは一月違いで、実家同士の繋がりが深かったこともあり家族同然に育ってきた幼馴染である。が、三月生まれの宵莉と四月生まれの有羽では学年が一学年違う。宵莉は現在二年の有羽の一学年上になるのだ。
「有羽、私の後釜やってくんないの?」
「生徒会長?やだよ、向いてないもん」
「けど、お家の仕事では部下まとめる仕事してるんだろ?」
「部下って言ってもほとんど身内よ。あたしがもし緋田の当主になったら配下に着くであろう人達だもの」
「当主はやる気あるんだ」
宵莉がわざと意地悪な顔でツッコミを入れる。有羽は「もう」とため息をつくと、遠くを見つめるように顔を上げて続ける。
「あたし個人としてはあんまり乗り気じゃないんだけどね、父さんはそのつもりみたい。あたしは兄さんの方が向いてると思うんだけど」
「そういや気になってたんだけど、櫂兄って長男だろ?なんで有羽なんだ?」
「うちの家が重視するのは固有魔術の出力なのよ。兄さんはその出力が低かった、ただそれだけ。けど兄さんはそれが低い代わりに、状況に応じて色々な魔術を使い分ける戦い方がすごく上手いの。あたしも喧嘩で兄さんに勝てたことは一度も無いわ」
有羽の語調が熱を持つ。緋田の固有魔術である重力操作、空間にまるごと重力をかけることのできる有羽の範囲魔術は、緋田の家でも扱える者の少ない稀有な魔術である。有羽がその魔術を習得した瞬間、一族は手を叩いて喜んだ。後継者が生まれたと。兄である櫂もまた、肩の荷が降りたように穏やかな顔で喜んだ。有羽だけが、その様子に複雑な感情を抱いていた。
「父さんや緋田の家が求める物を、たまたまあたしが持ってただけ。それがあるとわかった瞬間、それまで兄さんに向いてたはずの周囲の期待の目が、全部あたしに向いたの。兄さんの居場所を、後から生まれたあたしが奪い取ったみたいなものよ」
「おうおう、持てるものならではの悩みだねぇ」
「そうね、贅沢な悩みよね」
口から溢れた愚痴を振り落とすように、有羽がブンブンと頭を振る。
「けど、私は有羽が当主になってくれたら嬉しいぞ」
「どうして?」
「うちは一人っ子だから、次の火撫はほぼ間違いなく私だ。お前が緋田の当主になるってことは、私の守り人になるってことだろ?お前の父さんや櫂兄じゃ気を使いそうだからな、お前だと気が楽だ」
有羽の悩みを吹き飛ばすように、宵莉はそう言って軽やかに笑う。
「ええ、それは少し楽しそうな気がする。ありがと、ちょっと気が楽になった」
「それは良かった」
部活動終了のチャイムが鳴る。
「さて、帰ろうか」
机の上に散らばった糸を片付け荷物をまとめながら、宵莉が立ち上がりそう言った。
「そうだ、忘れてないと思うけど、明日の委員長会はちゃんと顔出せよ」
「ちゃんと覚えてるわよ。行かないと米汰がうるさいもの」
そういって笑って有羽が肩をすぼめる。
「よっちゃん、駄菓子屋寄って帰ろうよ」
「良いね、お腹減ってたんだ」
家庭科室の後方、ロッカーの中のバスケットに乱雑にレース糸を放り込むと、二人は教室を後にする。パチン、と音を立てて明かりの落ちた教室に、傾きかけた綺麗なオレンジ色の夕陽が差し込んでいた。
♢♢♢
「さて、それじゃあ始めるぞ」
前方の黒板に、大きく「委員長会議」と書き起こすと、
「と言っても、僕はただの書記だからな、進行はいつも通り火撫に任せるぞ」
「はいはい、進行任せられました生徒会長の火撫です。早速、各委員会から簡易的に活動報告をお願いします」
稜生が宵莉に丸投げして席に座る。肘をつきだらしなく座る稜生の目の前で、ボールペンがひとりでに動き出しノートにメモを書き起こす。テープレコーダー並みの精度で議事録を残す、稜生の記録魔術である。
形だけの報告会。学生の委員会なんてそんなものではあるが、ここでの報告内容で何かが変わることなんてほとんど無い。皆それをわかっているので、毎度似たような決まり文句で滞りなく報告が終わる。今回も、そのはずだった。
「あの……」
手を挙げたのは、美化委員長だった。
「うちの委員会では、週一回全ての教室の美化点検を行っているんですけど、ここ数回、未使用のはずの教室に使用したような形跡があるんです」
「利用履歴の記入漏れや確認ミスではないのか?」
「はじめはそう思ったんですけど、最近続けて起こってることなので、誰かが無断で使用しているのではないかと」
美化委員長は淡々と説明を続ける。
「うちの委員会は放課後は校舎の清掃を受け持っているので、調査の方は他の委員会にお任せできれば、と思っているのですが」
「ならあいつらで良いんじゃねえの?ほら、名前ばっかデカくて大した活動実績のないフーキイインとか」
煽るようにそう言ったのは体育委員長。ムッとした表情を向ける有羽を宥めるように宵莉が続く。
「まあ、こればかりは活動報告をろくに提出してないお前が悪いな、頼めるか?」
「よっちゃんが言うなら。そこの坊っちゃんの言う通り、あたしら風紀委員は張り合いのない生徒達のおかげでとても暇なので」
「こらこら、それ以上煽らないの」
丸めたコピー用紙で宵莉が有羽の頭を軽く叩く。ポカっと良い音が響く。
「なら、風紀委員には放課後のパトロールをお願いするとして、他に特に報告がなければ今日の委員長会はお開きとするけど、どうかな?」
シン、と教室が静まる。
「じゃあ、今日はここまでということで。お忙しい中集まっていただきありがとうございました」
お疲れ〜、と口々に言いながら、各委員長達は去っていく。
「悪いな有羽、押し付けるような形になって」
「よっちゃんが謝ることじゃないでしょ。それに、教室の無断利用は校内の風紀に関わるもの、どちらにせよあたし達の管轄よ」
「そう言ってくれると助かるよ。事実、放課後となると相手が生徒とは限らんからな。他の奴らじゃ心配だ」
荷物をまとめ教室を出ようとする二人の後ろから、「あの……」と誰かが声をかける。振り返ると、美化委員長だった。
「ごめんなさい、緋田さんに押し付けるつもりなんて無かったの」
「ああ、美化委員の……」
「児玉です、
ふんわりと緩く巻かれたロングヘアの、おっとりとした雰囲気の少女がもじもじと自身の名前を名乗る。
「児玉さんね。良いのよ、貴方は職務を全うしただけでしょ」
「けど、緋田さん忙しいのに」
環は申し訳なさそうに俯いてそう言った。
「あら、学生の本分は学校生活よ。私が学校の外で何をやっていようと委員会の仕事をおろそかにする理由にはならないわ」
「ほう、有羽がこれまで活動報告を出さなかったのは仕事のせいじゃなく単なる職務怠慢だったわけだな」
「もう!よっちゃんは今は黙ってて!」
有羽に叱責され、宵莉は指先で作ったばつ印を口元に当てる。
「あたしはね、家とか立場だけで勝手に特別扱いをされるのは嫌なの。同じ学校の生徒である限り、あたしも貴方も平等なはずよ。だから、勝手に気に病むのもやめて」
「そうよね。ありがとう、緋田さん」
「有羽でいいわよ」
「はい!では、放課後のパトロールはよろしくお願いします、有羽ちゃん」
「了解!じゃあね、環ちゃん」
「あ、はい、じゃあね〜」
環は手を振り2人を見送る。教室に1人残された後、ほっとしたように「ふぅ」と息を吐く。その顔に浮かぶのはなんだか複雑な表情。
「私、3年生なんだけどなぁ……」
まあいっか、と振り返った環が、教室の床に右手を充てる。
「
広い教室の中に青白い光が広がる。と、浮かび上がった光の粒が教室の中の椅子や机を包み込み、一つ一つ綺麗に整頓する。魔術師達の間では掃除屋とも呼ばれる、環の家系の固有魔術である。
「よし、私も帰ろう」
パンっと手を叩いて環が教室を後にする。残ったのは、寸分の違いもなく椅子と机が整列された、埃ひとつない綺麗な教室だった。