ハイスクール・ロックンロール






 ここ、彩紋さもん高校は魔術を扱う家系の者が、魔術についての教養を養うための高校である。というのが、一般的な建前だ。
 東京湾に浮かぶ埋立地。校舎はおろか、購買施設や学生、職員の寮まで完備された閉鎖的な学園都市は、まるで彼らの存在を秘匿するための流刑地のようでもある。学生達は学内での実技成績に応じてランク分けされ、一定のランクに達しない者は敷地を出ることすら許されない。実のところ、魔術が未完成で不安定な若者を一箇所に集めて監視する、という目的も兼ねているため、流刑地というよりも殆ど監獄要塞である。そこに通う生徒からすれば、その環境にストレスを感じるのは当然だ。
 御門みかど隆二りゅうじもそんな生徒の一人である。地属性魔術の名家に生まれながらも、彼自身の魔術の適性はさほど高くはなかった。能力を活かして工芸の仕事をしている父や兄と違い、彼に出来ることは既にある地面に干渉することだけ。ついでにその出力にもムラがあるため、学内でのランクは最低ランクのEだった。
 一向に上がらないランクへの焦燥に苛まれる最中、分家である土門家の次男、隆二とは兄弟のように一緒に育った土門どもん晴彦はるひこが、外出を許可されるランクDに上がったという一報が届いた。自分のことのように嬉しかった。素直におめでとうと言いに行くつもりだった。しかし、聞いてしまったのだ。晴彦が、教師と話していた会話の内容を。

 「僕のランクを、隆二に譲渡してもらえませんか」

 その瞬間、隆二の胸に渦巻いた感情はうまく言葉にできなかった。怒り?違う。悔しさ?違う。複雑な感情を抱えたまま立ちすくむ隆二に、先に声をかけてきたのは晴彦だった。

 「あれ、リュウ?こんなところでどうしたの?」

 優しげな垂れ目と泣きぼくろが印象的な穏やかそうな顔の少年。その口元に浮かべる笑顔が、なんだか急に作り物のように不自然な物に見えてきた。

 「ハル……」

 絞り出すように晴彦の名を呼ぶ。が、それ以上言葉が続かなかった。おめでとう、と、そう言って笑って抱きしめてでもやるつもりだった。そのつもりで来たはずだった。そう思い直し無理やり笑顔を作る。

 「ランク、上がったんだってな!おめ……」
 「リュウ、少し話さない?」

 隆二の言葉を遮って、晴彦が中庭を指差しながらそう言った。そのにこやかな口角が、ピクリと少し震えたような気がした。

 「ハル、聞いたよ」
 「その事なんだけどさ」

 聞いたことのない声だった。普段穏やかな晴彦からは想像できないほどの、大きく、強い声だった。隆二が驚いて振り向くと、目を伏せたまま俯いている晴彦が居た。

 「降格、してもらおうと思ってる」
 「……は?」

 コウカクシテモラオウトオモッテル。意味のわからない字列が鼓膜を振るわせる。隆二は唖然として口を開けたまま晴彦を見る。春彦は、俯いたままだった。

 「はじめは、僕の取った点をリュウに譲渡できないかって頼んだんだけど、それはダメだって言われて……。けどやっぱり、分家の僕がリュウより先に上がるのは良くないと思うから」
 「お前、何言ってるんだ?」

 よく知っているはずの晴彦が、何故かとても遠い生き物のように見える。分家の僕が、だと?分家だとか本家だとか、そんなこと関係なく対等な友達だと思っていた。晴彦がそんなことを気にしているだなんて、考えたこともなかった。対等な友人だと、兄弟同然の関係だと、そう思っていたのは俺だけだったんだろうか?

 「僕、もう一度リュウと一緒に上がれるように頑張るからさ、だからリュウも」
 「やめろよ」

 思いがけず強い声が出る。ハッとして晴彦を見ると、彼もまた驚いた顔をしていた。

 「そんなつもりはなかったんだ、君より先に行こうなんてつもりは、全然なかったんだ。だから、そんな風に怒らないでよ」

 晴彦の謝罪は、隆二の思いとは随分ズレた物だった。そもそも隆二は怒ってなどいない。いや、怒ってなどいなかった、先程までは。ここまでのやり取りの中で、隆二の心に沸々と湧き上がってきたものは、確かに怒りだった。

 「ね、大丈夫だから。僕ももう一度君と一緒に頑張るから。だから、また一緒に昇格目指そうよ」
 「違うだろ!」

 地面が、少しだけ揺れる。隆二が万年ランクEたる所以。感情が昂ると、魔術の抑制が効かない。自身の存在を秘匿したがる魔術師達にとっては、彼のような存在は危険因子でしかない。だから閉じ込めて、隠す。この彩紋高校という監獄要塞の中に。
 またやってしまった、という思いはあった。隆二は自身の感情を鎮めるためにギュッと強く拳を握る。爪の先が手のひらに食い込む痛みを感じながら、訥々とつとつと言葉を続ける。

 「やめてくれよ、ハル。俺はただ、お前におめでとうって言いたかっただけなんだ。ずっと一緒に頑張ってきたから、自分のことのように嬉しかったんだ。それなのに……」
 「リュウ……?」
 「ランクの譲渡だ?降格してもらうだ?また一緒に頑張ろうだ?そうやってお前に情けをかけられる度に、俺は、どうしようもなく惨めな気持ちになるんだ」

 そうだ、ようやくわかった。はじめに感じた複雑な感情の名前が。晴彦の言葉を聞く度に、胸の奥底をチクチクと刺したその感情は、惨めさだった。

 「俺は、お前に情けをかけられるような存在なのか?対等だと思ってたのは、友達だと思ってたのは俺だけだったのかよ」

 真っ直ぐに晴彦の目を見据える。晴彦の肩が少し震えていた。

 「本家と分家が対等な関係なわけないじゃん」

 晴彦は、さも当然のようにそう言った。表面張力のようにギリギリで踏みとどまっていた隆二の怒りが、その瞬間溢れ出した。
 ズドン、と大きな音を立てて地面が揺れる。隆二の足を通じて地面に流れ込んだ魔力が、周囲の土を隆起させる。

 「お前は……!お前は今までずっとそう思ってたのかよ……!」
 「そうやって力任せに暴れるところが、昔からずっと怖かったんだ!対等だって?冗談じゃない!生まれてこの方ずっと君の世話係だ!そういう風に教えられたから!君と同じ年に生まれたその瞬間から、僕の人生は決まってたんだ!」
 「嫌なら離れればよかった!それをしなかったのはお前だろ!」

 蛇のように隆起した土が、ウネウネと隆二の周囲を暴れ回る。そのうちの一本が、晴彦に向かって真っ直ぐに伸びる。

 「君にはわからないよ。自由に生きることを許された君に、将来を強いられる僕の気持ちなんて」

 晴彦の足元に魔法陣。次の瞬間、巻き上げられた砂が晴彦の周囲に球状の膜を作り、隆二の土蛇を止める。

 「僕は!ずっと君が!」

 嫌いだった、そう言いかけた瞬間だった。二人の間を割るように、少女が降ってくる。

 「双方止まりなさい、風紀委員よ」

 鮮やかな赤い髪。左腕には、風紀委員の腕章。ふわりと制服の赤いスカートをなびかせながら現れた少女は、凜とした表情でそう言った。

 「え〜っと、そっちのプライド高そうなのが御門隆二くんで、こっちの気弱そうなのが土門晴彦くんっすね〜」

 赤髪の少女の腕の中、カタカタとパソコンを触りながらふんわりとウェーブのかかったボブカットの少女はそう言うと、くるんと猫のように地面に飛び降りタタタッと中庭の端へと走っていく。

 「緋田……有羽……」

 大きくうねる土蛇の中央で、隆二が呟く。
 
 「あんた達一年でしょ、先輩をつけなさい」

 澄ました表情のまま有羽が言う。その口調に嫌味は無い。

 「どけよ、緋田先輩。これは、俺たちの喧嘩だ」
 「良いわね、血気盛んなのは嫌いじゃないわよ。けど、見ちゃった以上無視するわけにもいかないのよ」
 「じゃああんたも巻き添えだ……!あいにく俺はランクEだ、あんたを気にしながら力を振るえるほど優秀じゃない!」

 再び地面が揺れる。轟々と音を立て、四方から鋭利な先端の土の柱が飛び出す。再び砂の防御膜を作る晴彦の手前で、ピョンっとそれを軽々と飛んで避ける有羽。

 「無詠唱、出力も申し分ない。これでランクEとは厳しいわね」
 「有羽さん〜、その子の担任ダン先生なんすよ〜」

 顎に手を当て隆二を観察する有羽に、央乃が遠くから呼びかける。

 「どうりで、それは運が悪かったわね」

 そう言って央乃の方を振り返った有羽の視線の端に、宵莉の姿。

 「残念、時間切れか」

 有羽が着地と同時に地面を踏み鳴らす。その瞬間、周囲を強大な重力が襲う。土の柱が崩れ、隆二と晴彦が膝から崩れ落ちる。

 「クソッ……重っ……!」

 地面に這いつくばるような形の隆二が呻き声に近い声をあげる。

 「もうちょっと遊んであげたかったけど、怖〜いお迎えが来ちゃったから。大丈夫、そうして這いつくばってればすぐに終わるわよ」

 足元に転がる隆二を見下ろし、有羽が意地の悪い笑みを浮かべて言う。

 「ちく……しょう……!どいつもこいつも……俺を見下しやがって……!!!」

 重たい身体を引き摺りながら隆二が手のひらでで地面を叩く。指の間から放射状に隆起した地面は隆二の視線の先で束になり、そのまま細く長い槍のように有羽の顔面に向かって伸びる。それは、先ほどまでの力任せの魔力放出ではなく、意志を持った魔術だった。

 「そう、これが魔術の制御よ」

 小さな防御術式で隆二の魔術を受け止めながら、有羽は穏やかな笑顔でそう言った。空間に満ちていた重力が消えていく。

 「工芸のお家に生まれた貴方が教えられてきたのは、多分常に微量の魔力を放出し続ける繊細な技。けど、貴方の力はその使い方に向いていない。単純に魔力量が多いのよ。だから持て余した魔力が暴走して自分の魔術に振り回される」

 有羽は話しながら隆二に歩み寄り、彼の目の前でしゃがみ込み目線を合わせる。

 「魔力量が多いなら、多いなりの扱い方があるの。気が向いたら風紀委員に顔を出しなさい、力の使い方を教えてあげる」
 「あ……ありがとう……ございます……」

 唖然としたまま頭を下げる隆二に、有羽が再び笑顔を向ける。

 「それと貴方」

 振り返って晴彦の方を見る有羽の顔は、打って変わって厳しい表情だった。

 「何を気にしているのか知らないけど、遠慮して力を抑えるのは相手に対して1番失礼な行為よ」
 「……ッ!」
 「あと、最後の一言は謝っておいた方が良いわ、後悔したくないならね」

 それだけ言うと有羽はくるりと踵を返す。

 「央乃、行くわよ」
 「はいっす〜」

 トコトコと小走りで有羽についていく央乃と入れ違いになる形で、中庭に宵莉が入ってくる。

 「意外だろ?」

 去っていく有羽を見送りながら、宵莉が隆二に声をかける。

 「傍若無人なだけかと思いきや、あれでいて結構面倒見が良いんだ」
 「は……はぁ、そうですね」
 「土門くんにキツい言い方をしたのは、まあ、あれだ。あいつ自身にもそういう経験が無いわけじゃないから。なあ、米汰べーた
 「なんで俺に言うんですか」

 宵莉の後ろを歩く、神経質そうな表情の赤髪の少年。米汰と呼ばれた少年が、不機嫌そうに目を細める。

 「心当たりありまくるんじゃないかと」

 爽やかな笑顔でそう言う宵莉の言葉に、米汰が俯きがちに舌打ちをする。

 「会長も、姉さんも、俺を買い被りすぎなんですよ。力を抑えてなんていない、単に俺がこの程度ってだけです」
 「そういうところだと思うぞ、有羽がお前に突っかかるのは」

 有羽と同じ赤い髪、赤い瞳。緋田米汰。有羽の、血を分けた弟である。

 「やめてください。俺は兄さんや姉さんとはちがう。
凡人なんですよ、根っからの。それに、今は俺のことより彼らでしょう。指導室の鍵借りてきます」

 眉間に深い溝を刻みながらそう言うと、米汰は逃げるようにその場を去っていく。

 「そうだな、話の続きは生徒指導室で聞かせてもらおう。大人しくついてきてくれ」

 宵莉に言われ、隆二と晴彦が顔を見合わせる。どこかぎこちない距離感のまま、宵莉の後を追う形で中庭を後にする。

 「ごめん、後処理は頼んだ」

 入り口付近で待機していた生徒たちに宵莉が声を掛けると、彼らは口々に「はい」「了解」などと口にして中庭へと入っていく。土が隆起し荒れたままの中庭で、彼らは魔法陣を展開する。青白い魔力の光が、土埃に反射してキラキラと神秘的な光を演出する。まるでクリスマスのイルミネーションのように光が中庭全体を包み、彼らが去った後に残ったのは、きれいに整備された、元の中庭の姿だった。
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