絵皿と子守歌
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05-ソードボール島
イルミネ市の東の端には小さな港が1つあった。ここは主に都内の学校が臨海学校として利用する港だった。
ギャラリー主人が運転する車で真夜中の高速道路を飛ばし、怪盗はこの港に行くよう指示した。港の波止場に静かに車を止める。
「こんな小さな港から、本当にソードボール島へ上陸できるのか…?」心配そうに旦那さんは尋ねる。
「ああ、この港は都市と島の最短距離にあるし、国交が途絶えてるとはいえ地元の港同士の交流はまだつながってるから。ここから水上バイクで島へ行く」
「水上バイクって…お前、運転できるのか!?」
「驚いたかい…?ソードボール島じゃあ、15歳になる前に無免許運転したことない子どもは、ひとりもいなかったぜ…☆」怪盗はニヤリ笑うと車をそっと降りた。
「どうか、気をつけてくれ…」声をかけたが次の瞬間は、もう闇に紛れてしまい姿が消えていたのだった…。
学生たちに貸し出し用のボートが並んで浮かべられたヨットハーバーで、怪盗はガソリンが多めに入った水上バイクを1台拝借した。15分毎に鳴らされる港の灯台の霧笛(きりぶえ)に、エンジン音を紛らわせ発動させると、怪盗は沖合の島を目指し出発した。
*
水上バイクをスピードを緩めず走り続けると徐々に島の海岸が目の前に迫って来た。少し手前の沖合でエンジンを止め、海上に漂いながら陸を見る。夜は紫外線レベルが下がるのでUVマスクを外し、島を観察した。遮るものが無くなった途端、4原色の視力を持った怪盗の目の前に真っ黒な影から形が浮かび上がり、月明かりでも黒、紫、紺、深緑の輪郭を識別できた。島の1番高い山の影に紛れていたのは1基の大きな灯台で、怪盗が幼かった頃には見覚えのないものだった。あれがミサイル防御施設「黒い灯台」なのだろう。また山の頂上にはいくつか光が星のように瞬(またた)いてる。空爆が酷い時は隠れるように山の中腹に据えられてた城は、今は堂々と山頂に居を構えている。いつか新聞で読んだ、ソードボール島のリーダー「クロワッサン妃」の居城だろう。
*
再びエンジンを発動させ、島の港から少し陰になっている潮の満ち引きが穏やかな砂浜に上陸し、水上バイクを落ちていた枝や大きな葉で隠した。そこから岩場を登り切って、陸に上がると海岸沿いに道路が通っている。夜中に輸送する1台のトラックに目をつけると、その荷台に飛び乗り荷物に紛れて市街地を目指した。
トラックはどこかの倉庫に辿り着いた。荷物を運び出す人々の目を盗んで、怪盗はトラックからそっと降りた。街の中は明るく真夜中だが時々、人も歩いてる。
怪盗は近くでコンビニを見つけると島の地図と新聞を買った。新聞には、クロワッサン妃が老朽化の進んだ黒い灯台を改修する現場を訪問してる様子を報じていた。写真は黒い灯台の袂(たもと)で、ショートヘアで白スーツ姿のクロワッサン妃と灯台の責任者らしき人が向かい合って話してる様を写している。
イートインスペースでコーヒーを飲み、休憩するふりをしながら改めてカードを見た。文面の1番上にソードボール島の国章が刻印されている。それはよく見ると“剣玉”をデザイン化したものだった。赤い玉の下には2本のリボンが垂れ下がり、剣の部分がそれを支えてる図案だった。ふと…怪盗は国章の一部分をコインで擦る…すると2本ある左のリボンの下から単語が出てきた。
そこには“城”と記されていた…。
*
怪盗が、クロワッサン妃の居城のある頂上に着く頃には、朝が近づいていて地平線が明るくなり始めていた。夜中は城への道路が封鎖されていて通る車やトラックもなく、歩くしか手段がなかったのだ。イルミネ市と同じ様に、ソードボール島でも昼間は(空は相変わらず星空だが…)UVマスクをしなければ、数分で眼球が痛くなってくる。裸眼の方が視力が利く怪盗にとっては昼間は、ほぼ動けないため今は体力を温存し夜を待つことにした。朝日が昇ると、ソードボール島の市街地を明るく照らした。もっとも1時間もすれば星空に太陽が隠れてしまい、再び薄暗くなってしまうが…。山の麓にある港の「黒い灯台」が光り始めた。
もう何年もこの島を守ってきた灯台…しかし、あの灯台が光り続ける限り、この島に本当の平和は訪れないのだ…幼い頃から何も変わらない自分の故郷を、怪盗はしばらくの間、哀しい気持ちで眺めていたのだった…。
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06-生き別れた姉
クロワッサン妃の居城はソードボール島で最も高い(…と言っても、ほとんどが1000mも満たない山々が多い)山の頂上にそびえている。昔…空爆が酷い時期は恰好(かっこう)の標的となるため、山の中腹に仮の居城が設けられた時期があった。怪盗は夜まで身を隠すため、1度山の中腹まで降りてその古城を目指した。
頂上に行く途中で道が二手に分かれているところがあった。今、使われてる道は、きれいな舗装となって現在の城へと続く。怪盗は砂利道の方へ向かった。10分ほど歩くと道が広くなり砂利道は雑草で荒れたレンガ道となった。更に進むと大きな柵でできた正門が現れた。一応、定期的に手入れはしてるようだが柵には蔦があちこちに絡まり、人の出入りはあまり無いようだった。頑丈そうなツタを選んでロープ代わりにして怪盗は敷地内に侵入した。前に広い庭が広がり、いくつかの薄汚れた石膏像が並んでる。庭の端には樹木が間隔を空けてきれいに植えてある。庭の端の木々に隠れながら進み、屋敷の様子をうかがう。建物は幅60mほどある2階建ての広い屋敷だった。どの窓もレースのカーテンがかかり中の様子はよく分からないが、人の気配もしなかった。屋敷の端まで来ると正面の玄関よりもひと回り小さな玄関があり、使用人用の出入り口のようだった。試しに鍵をこじ開けると簡単に開いたので怪盗はそこから屋敷に忍び込んだ。
屋敷内には家具や調度品など、これといったものはほとんどなかった。どの部屋も古びた椅子やソファ、壊れて不用品と判断された家具が点在してるだけだった。山頂の城が出来てからは向こうに引っ越して、こちらは空き家になったらしい。屋敷の北側に来ると、窓にはホコリを被ったカーテンが垂れていて舞踏会でも開けそうな広間になっていた。2階に据え付けられたオーケストラボックスに身を潜めると、古びた長椅子に横になり怪盗は仮眠を取ることにしたのだった…。
*
……
その眠りを破ったのは微かな人の気配だった。窓の方を見ると木々の間から見える空はオレンジ色に薄く染まっていて、もうすぐ日が暮れそうだった。オーケストラボックスの下には広間が広がっていて向こうの壁に出入り口のドアがある。そのドアの廊下から靴音が聞こえてきた。軽やかな感じでハイヒールようだ。怪盗は長椅子からそっと身を起こし、床をはうように移動すると壁に張り付いてかがんだ。
ドアがそっと開く…入ってきたのは頭に覆面を被り、高価なUVマスクをかけ、黒いライダースーツを身に着けた女性だった。
「いるんでしょう…?出て来なさいよ。分かってるのよ、私もあなたと同じ“特殊な感覚を”持っているんだから。安心しなさいよ、ここには私しかいないわ。もっとも…あなた1人を相手にするくらいなら他の者の手伝いなんかいらないけど」
ちょっと考えてから、怪盗は返答した。
「ご招待ありがとう。しかし、私は貴方を何と呼べばいいのだろうな。なにせ招待状には差出人の名前が記されてないんでね…!」
「私はブレッセル。子どもを拉致して身代金を奪いイルミネ市を騒がせてる女怪盗よ。今日、ここまであなたを呼んだのは取引をするためよ。
久しぶりね、何年ぶりかしら……私のことなんて忘れちゃったんじゃない…?それともまだ覚えているのかしら…
ねぇ…“モントスティル”…?」
怪盗は微笑した「その名前を知ってるのは僕の唯一の血縁だった“あの人”だけだよ。
…久しぶりだね…“姉さん…!”」
*
怪盗はオーケストラボックスから降りて姿を見せた。広間の真ん中で少し距離を取り2人は向かい合った。ブレッセルは女性では背が高いほうだろうが、怪盗よりやや小柄で覆面の瞳は微笑んでいるが警戒心が見て取れた。
「良くここまでたどり着いたわねー…あの刻印の秘密に気づけただけでも誉(ほ)めてあげる。でも惜しかったわねー、私が指示したのは“新館”のつもりだったけど。あなたが迷子になってると思ったから“迎え”に来てあげたのよ」
怪盗はブレッセルの周りをゆっくり歩きながら話しかける。
「そりゃどうも。でも迷子になっていたわけじゃないけど…徹夜だったから休憩しただけさ。カードを見た時から、あなたの仕業だと思ったよ。僕の本名を知ってるならこの島の出身者だ。亡命後は“クレセント”に改名せざるを得なかったのさ。向こうの国じゃ“モントスティル”の発音が通じないからね。刻印については…むずかしくも何とも無いよ。デザインは若干、変更したみたいだけどソードボール島の国章は“剣玉”だ、剣玉に糸は1本しか無いんだから」
怪盗はブレッセルの真後ろに来たが彼女は振り向きもせず話を続ける。
「さてと…本題に入りましょうか。私があなたを呼び寄せたのは他でもないわ、あなたの“特技”を生かして私の仕事を手伝ってもらおうと思ってね。あなたのことは何年も前から知っていたわ。けれど…ある時、1人のお嬢さんを盗んでから行方が全く分からなかったわ…再び見つけたのは、あなたの描いた絵が評判になった時よ。そろそろあなたも平和な生活に退屈してきたんじゃない…?近年…私たちのソードボール島リーダー“クロワッサン妃”は長年続く紛争に終止符を打つために独立資金を集めているの。私は単なる泥棒の1人だったけど、妃は私の能力を高く買ってくれたわ。だから計画に加担する事にしたの。けれどもっと効率よくできないかしらと思ってあなたに思い至ったの。
ねぇ〜モントスティル、あなたもどう?もう1度、怪盗に戻りましょうよ。少なくとも今の小さな町で平凡に暮らすよりは、もっと退屈せず楽して稼いで暮らせると思うけど」ブレッセルは誘惑するように語りかけた。
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07-怯える国は灯台を振る
怪盗は…目の前にいるこの女性が、本当に自分の姉なのか…疑ってしまった。お互いに長年離れて暮し、生きて行くためとはいえ誰かを恐喝してまで巻き上げる金銭を、ためらいなく得るような性格になってしまうとは…正直、信じられなかった。それとも…やはり自分が何年も平凡な環境で暮らした事で平和ボケしてしまったのだろうか…?自分も盗みで食いつないだ過去があったと言うのに…でも平穏な生活が、その過去を和らげ薄れさせていった。平凡に暮らす自分たちにとっては驚くような事も、姉にとっては当たり前で日常なのだ。“紛争”の影響力が陰を落としている姉の人生を、怪盗は哀れに思った…。
「それでダリアは人質、というわけか…赤ちゃんと彼女は無事だろうな…!?もし彼らに危害を加えるなら僕は、ゆるさないよ…例えそれが生き別れた姉でもな…!!」怪盗はブレッセルを睨みつける。
「人聞き悪い事、言わないで頂戴!大切なお客様として丁重に扱ってるわ。それにしても…あの赤ちゃん本当にあなたたちの子どもじゃないの…?最初に見た時、赤ちゃんを連れ去る私に向けた眼差しのダリアさん、親そのものだったわよ…てっきり彼女が母親かと思ったわ。あなたも“父親”になったのね…って感心してたのにガッカリしちゃったじゃない。まあこの先ソードボール島で3人、本当の親子みたいに暮らすっていう手もあるけど」
「それは申し訳なかったね。でも僕はもう怪盗に戻るつもりはない、ダリアとも約束してる。あなたを手伝うつもりもない。それに僕の大事なパトロン夫婦が自分たちの子どもの帰りを待っているんだ。解放してもらおうか…!?」
ブレッセルは軽くため息をついた。
「あら残念、交渉決裂ね。いいわ、返してあげる。ただし…」言葉を切ると、ブレッセルは自分の顔の前に1本の鍵をチラつかせ怪盗に挑発するように言った。
「これは、新館のダリアさんと赤ちゃんを監禁してる部屋の鍵よ。彼らを返して欲しいなら…私からこの鍵を奪ってごらんなさい…!」
*
その言葉を言い終わらないうちに怪盗はブレッセルに突進した…!スルリと、かわされ怪盗は床に逆立ちになり脚で蹴り上げ手から鍵をはじこうとして失敗。今度は後ろから奪おうとするがブレッセルは素早くしゃがみ込んで怪盗の脇をすり抜ける。怪盗は一定の距離を取ってブレッセルの周りを歩く…全く動かないので真後ろに来たところで、再び後ろから鍵を奪おうとするが余裕でかわされる。何度も鍵を奪おうと試みるが、まるで手応えがなく動きも不規則で、何よりブレッセルは、こちらの動きを完全に見透かしてるようだった。部屋に隠しカメラでも仕込んであるのかと思い、部屋中に目を走らせるが、この古城にそんなものは全く無い。
“これが姉の実力か…!?”怪盗は段々、焦り始めた。昔…自分が怪盗をしていた時には、様々な厄介な相手…骨のある警備員たち、腕力自慢の用心棒、巧妙な罠を仕掛ける屋敷の主などいたが、これ程厄介な相手に会ったことがない。思い切って正々堂々と正面から立ち向かい、鍵はまたしても奪えず手のひらが顔をかすめブレッセルのUVマスクをはたき落とした。その勢いで思わずバストに触れてしまった。
「ちょっと、どこ触ってんのよ!!」
顔を思い切り張り飛ばされ怪盗もマスクがはたき落とされた。部屋には丁度、窓からオレンジ色に夕陽が差し込んでいた。夕陽に照らされたブレッセルの瞳がこちらを睨みつけてる。しかしその顔は気のせいか…あのホテルの隣で会った白スーツの女性とは別人のように見えた。怪盗は少しスピードを緩める。
「あ~ら、もうギブアップ…?ほらほら〜、もう少し元気出して。この鍵さえあれば、大事な友人の赤ちゃんとダリアさんを取り戻して、楽しい我が家に帰れるのよ。でもね…この私から“奪えたら”の話だけど。そしてめでたく帰れた後は、これから先あなたたちは自分の故郷の島の事なんか忘れて、島の苦しむ人々をどうにもならないと諦めて、島の子どもたちの未来を見て見ぬふりして、幸せに暮らして行くんでしょうね…本当、妬(や)けて来る…赦せないわ…!」
息を切らしながら怪盗は言った。
「じゃあ、クロワッサン妃に伝えてくれ…大国との紛争を解決したいなら、自国だけで解決せず周りの国の協力も得るべきだと。どんな歴史にも小国が一発逆転、運良く大国に勝てた例(ためし)はない。このままでは、ソードボール島そのものまで抹殺されてしまう…とね。世界で生産される兵器はそれが使われる時はいつだって兵器とは無縁の何の関係もない人々が犠牲になるんだ。今はこっちが折れる形で敗北したとしても構わない。未来を担う子どもたちがいれば良い。未来で勝てばいいんだから…!」
「ふ…平凡な生活者らしい、もっともなご意見ね。どうもありがとう、伝えておくわ。さてと…私もそんな暇じゃないのよね。この辺で決着をつけましょうか」
そう言うと、ブレッセルは怪盗を目がけて走って来た…!と思った途端、消えた。素早く周りを見渡すと部屋の離れた所にいて、また消えた。怪盗が視界をずらす度に、ブレッセルは表れては消えて行く。
(“盲点”か…!?僕の盲点に素早く滑り込んで姿を消してる…!!)
突然、ブレッセルが目の前に表れる!
怪盗の顔にレースのハンカチがフワリと被さり視界が奪われる…
「あら…結構ハンサムね…♡」
その言葉を聞いた途端、唇に電流が走り心臓を貫く。視界は暗転した……
薄れる意識で怪盗は思った。
(…キス…された……)
その後の記憶は……まったく無い…………
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08-覆われた目…塞がれた口…
……ダリアは夢を見ていた。
そこは自分が何年か前まで住んでいた自宅の屋敷で、音楽室でピアノ演奏の練習していた。将来は世界で活躍するピアニストになりたいと思いながら……すると、突然ドアが開いて侍女が告げる“お嬢様、結婚式の時間ですよ”……気がつくとダリアは、いつの間にかウェディングドレス姿で向こうの祭壇の前には見知らぬ男がダリアを待っている。怖くなったダリアは出口のドアへ駆け出した……するとドアの向こうは大きなグラウンドピアノが置いてある広いステージになっていて、観客席から一斉に拍手が湧いた。ダリアは、ためらわずグラウンドピアノに腰掛けて演奏を始めた……ところがピアノを弾き始めると観客はぞろぞろと帰り始めてしまう。皆、あくびをしながら眠そうにしている。ステージの真ん中に1人取り残されたダリア。
…ふと、ステージの端から赤ちゃんの鳴き声が聞こえる。側に行くとラジオがあり、楽しそうな会話や笑い声が流れてる。やがてステージは華やかな雰囲気の宮殿の大広間に変化して……
……うたた寝していたダリアは、ふかふかの上等なソファの上で目が覚めた。耳元には付けっぱなしのラジオから陽気な曲が流れていて、寝室のベビーベッドから赤ちゃんの鳴き声が聞こえてくる。ダリアは起き上がった。
*
赤ちゃんはお腹が空いたらしい。ダリアはキッチンスペースへと向かい粉ミルクをこしらえながら、この状況になった経緯を思い返した。ダリアは、未だに自分が人質なのかよくわからなかった。
……ギャラリーの夫人が入浴するというので、その間に赤ちゃんを見ながら居間にいると電話がかかって来た。内線だったのでクレセントだろうと思い受話器を取ると、知らない女性からで、彼女は自分はダリアたちの部屋の隣にいる者だが(あの白スーツの女性だ…とダリアは思った)部屋から変な音がするからすぐに見に来てくれないかと言う。丁度、赤ちゃんが昼寝してたので数分あれば戻れるだろうと考えて、ダリアは部屋を出た。すると玄関前に全身黒ずくめのライダースーツの女性がいた。驚いたダリアは思わず悲鳴をあげそうになるが口を塞がれ、部屋の中に戻されてしまった…!
「おとなしくしてれば何もしないわ…!」
そう言うとソファにダリアを押し倒し、ベビーベッドに素早く近づくと赤ちゃんを抱え上げ連れ去ろうとした。
「ま、待って…!何するの。あなた、自分のしてる事が分かってるの!?」しかしダリアはすごい力で絨毯(じゅうたん)に突き飛ばされた。
とっさにダリアは歌を歌い始めた。それは赤ちゃんを寝かせるための文字通り“子守歌”だった。
(この人が人間なら…私の歌が効くはず…眠くなって…!!)
拉致の犯人はフラフラとしたが…
「…あなた、ひょっとして…!」そうつぶやくと犯人はサッとハンカチを取り出し、ダリアの顔に被せた。ダリアはハンカチを取り去る間もないまま、唇に電流を感じ、そのまま気を失ってしまった……
気がつくと、この部屋の寝室のベッドに寝かされていた。赤ちゃんはベッドの隣にあるベビーベッドに寝かされていたのだった。
そこは壁などは華やかで輝くような宮殿の大広間だが、その1つの空間にキッチン、居間、風呂、トイレ、寝室など生活空間が凝縮されていて、あのホテルの部屋の数倍以上の広さがあった。この部屋の唯一の出入り口は、居間の目の前にあるドアのようだが外から鍵がかけられて出られなかった。
その内に赤ちゃんが泣き出してしまった。おむつを替えなくては…と思い、寝室の引き出しを何気なく開けてみると、おむつだけでなく着替え、服、リネン類がたっぷり揃っていた。赤ちゃんの分だけでなくダリアが着用できる大人向けのものも揃っていた。
とりあえずおむつを替える。しばらくするとまた赤ちゃんは泣き始めた。今度はお腹が空いたらしい。寝室の隣には、ミニキッチンが据え付けられていて、棚に小さなものから大きな食器類、カトラリーはもちろん、電化製品、食器洗い乾燥機や冷蔵庫まで揃っている。冷蔵庫には数日間は充分食べていける食料や保存食、赤ちゃん用の食料も揃っていた。
赤ちゃんが昼寝したのでダリアは少し休んだ。居間には大型テレビがあって、通常の放送局だけでなく、衛星チャンネル、自分の国だけでなく外国の番組も翻訳付きで観ることが出来て、ドラマも見放題だった。居間の端にはデスクがあって、最新型パソコンでネット閲覧やゲームで遊ぶ事ができた(ただし…テレビもパソコンもショッピング類ができなかった…)
テレビに飽きたので音楽を聴く事にした。ラジオも自国や外国の番組が聞くことができた。またオンラインで好きな曲を好きなだけダウンロードできた。
少し疲れたダリアはソファに寝そべった。うとうとしながらダリアは思った。
(ここには、何でも揃っているのね…)
…ただ1つ、“自由”を除いて……
*
突然、寝室の奥からゴトゴトと音がした。ダリアは驚いて見に行くと、カーテンで隠れている壁に取り付けられた2枚の全身鏡が大きく開いた(やけに大きな全身鏡だと思ったが、今見るとそれは全面が鏡になっている隠し扉だった)呆然と眺めてると、1人の黒い服の男が2人の衛兵らしき人に担架で運ばれて来た。ベッドに男を寝かせると、そのまま何事もなかったかのように鏡のドアを素早く閉めて鍵をかけて去ってしまった。ダリアは逃げる発想も浮かぶ間もないまま、数秒立ち尽くしていたがすぐにハッとした。
「怪盗さん…!」
ベッドに寝かされてたのはクレセントだった。久しぶりにその姿を目の当たりして、ダリアは思わず昔の呼び名で叫んでしまった…。
*
……暗闇でクレセントは子守歌を聞いていた。昔…怖がりだった自分を慰(なぐさ)めるために、姉が子守歌を歌ってくれた事を思い出した。しかし歌は途切れクレセントは暗闇を探る…
「…どこなの…姉さん…」
「…気がついた…?」
子守歌の主はダリアだった。しかしクレセントは眼の前が真っ暗で何も見えない。
「ダリア、どこにいる…!?」
「目の前よ、あなた目を…」
「どうなってるんだ…!?どうしようダリア、僕は目が見えない!!」腕を振るが空を切るだけだった。
「落ち着いて、あなた目隠しされてるのよ!」
顔に触れると目の部分に覆いがされている。毟(むし)り取ろうとするが頭の後ろの方で小さな鍵がついていて外せないようになっている。
「ここはどこだ…?そうだダリア、君は無事か。乱暴されたりしてないか!?」
「私は大丈夫よ。あなたこそ、どうやってここに…?」
2人は、お互いに起こった出来事を話した。
*
話してる途中で、クレセントのお腹がなった。島に辿り着いた時のコンビニで軽食を口にしたきりで、もう丸1日何も食べてなかった。ダリアはすぐに胃にやさしいスープを作った。赤ちゃんも起きて泣き出したので粉ミルクも用意する。
赤ちゃんにミルクを与えながらダリアがクレセントを見ると、出されたスープを食べるが皿が見えてないので顔にゆっくりスプーンを運びなかなか食事が進まない。見かねたダリアは手助けした。
「はい、あなた。あ〜んして」
「い、いいよ…自分で食べれるから!」クレセントは照れくさくなり顔を赤くした。
「だってあなた、こぼしてるから服が汚れちゃってるわよ」
「ごめん…お願いする…」
…本当は別に服は汚れてなかったが新婚気分でお世話をしたいダリアはクレセントに嘘を言った。
赤ちゃんをお風呂に入れ、クレセントとダリアも入浴を済ませた(ダリアは入浴も手伝うわ、と言ったがクレセントもさすがにそれは拒否した…)
赤ちゃんは眠ってしまい、クレセントとダリアは居間でくつろいでいた。クレセントはテレビを見れないので(もっとも彼は普段から絵を描いてばかりいて、テレビや映画をほぼ見ない…)ラジオをつけていた。ニュースでは、ソードボール島を貫(つらぬ)いてる海底地盤の活動が最近、活発になっていて微弱の群発地震が起きてることを伝えていた。
そろそろ寝る時間になり、ダリアはベッドに行こうとするが、クレセントはソファで寝ると言った。ベッドは1つしかなかった。ダリアは言った。
「私は一緒でも別に構わないけど…」
「あーほら、居間の方が洗面所とかも近いし…」
「そう…。ねぇあなたも、あのブレッセルって女怪盗に気絶させられたんでしょ…?」
「うん、そうだよ。手強い相手だったよ…でも気のせいかな…彼女は僕の姉とは何だか雰囲気が違ってた気がする。ひょっとしたら別人じゃないかって思ってるんだけど…」
言ってから“しまった…!”と思った。ハンカチを挟んでいたとはいえ、自分の夫が見知らぬ女から間接キスをされたのだ。顔こそ見えないが雰囲気でダリアが嫉妬してるのが伝わってくる。
「…やっぱり、一緒にさせてもらおうかな…?」手を軽く前へ出すと、ダリアは何も言わずクレセントの手を取って寝室へ連れて行った。スリッパの音がやけにうるさく感じる…。
ダリアはクレセントがパジャマへ着替えるのを手伝い、布団をそっとかけた。
「おやすみなさい…」そう言うとダリアはベッドの反対側へ回り込んで座った。布ずれの音がするので着替えてるらしい…クレセントは、かけられた布団をはねのけて、ダリアがいる辺りにそっと腕を伸ばした。丁度、背中に触れたので後ろから抱きしめた。
「どうしたの…!?」
驚いたダリアを布団の中へ包み込む…
ベッドに寝かせたダリアの顔を、指先でやさしくなでて、唇を探り当てる…その部分を見つけると、夢中になってキスを浴びせた。しかしダリアは拒否せず、クレセントの、されるがままになっていた…ダリアもゆっくりと、腕をクレセントの首に回してきた…
甘い雰囲気に包まれた2人は…
そのまま…眠りに落ちていった………
(第2章-太陽の皿 -終-)
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05-ソードボール島
イルミネ市の東の端には小さな港が1つあった。ここは主に都内の学校が臨海学校として利用する港だった。
ギャラリー主人が運転する車で真夜中の高速道路を飛ばし、怪盗はこの港に行くよう指示した。港の波止場に静かに車を止める。
「こんな小さな港から、本当にソードボール島へ上陸できるのか…?」心配そうに旦那さんは尋ねる。
「ああ、この港は都市と島の最短距離にあるし、国交が途絶えてるとはいえ地元の港同士の交流はまだつながってるから。ここから水上バイクで島へ行く」
「水上バイクって…お前、運転できるのか!?」
「驚いたかい…?ソードボール島じゃあ、15歳になる前に無免許運転したことない子どもは、ひとりもいなかったぜ…☆」怪盗はニヤリ笑うと車をそっと降りた。
「どうか、気をつけてくれ…」声をかけたが次の瞬間は、もう闇に紛れてしまい姿が消えていたのだった…。
学生たちに貸し出し用のボートが並んで浮かべられたヨットハーバーで、怪盗はガソリンが多めに入った水上バイクを1台拝借した。15分毎に鳴らされる港の灯台の霧笛(きりぶえ)に、エンジン音を紛らわせ発動させると、怪盗は沖合の島を目指し出発した。
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水上バイクをスピードを緩めず走り続けると徐々に島の海岸が目の前に迫って来た。少し手前の沖合でエンジンを止め、海上に漂いながら陸を見る。夜は紫外線レベルが下がるのでUVマスクを外し、島を観察した。遮るものが無くなった途端、4原色の視力を持った怪盗の目の前に真っ黒な影から形が浮かび上がり、月明かりでも黒、紫、紺、深緑の輪郭を識別できた。島の1番高い山の影に紛れていたのは1基の大きな灯台で、怪盗が幼かった頃には見覚えのないものだった。あれがミサイル防御施設「黒い灯台」なのだろう。また山の頂上にはいくつか光が星のように瞬(またた)いてる。空爆が酷い時は隠れるように山の中腹に据えられてた城は、今は堂々と山頂に居を構えている。いつか新聞で読んだ、ソードボール島のリーダー「クロワッサン妃」の居城だろう。
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再びエンジンを発動させ、島の港から少し陰になっている潮の満ち引きが穏やかな砂浜に上陸し、水上バイクを落ちていた枝や大きな葉で隠した。そこから岩場を登り切って、陸に上がると海岸沿いに道路が通っている。夜中に輸送する1台のトラックに目をつけると、その荷台に飛び乗り荷物に紛れて市街地を目指した。
トラックはどこかの倉庫に辿り着いた。荷物を運び出す人々の目を盗んで、怪盗はトラックからそっと降りた。街の中は明るく真夜中だが時々、人も歩いてる。
怪盗は近くでコンビニを見つけると島の地図と新聞を買った。新聞には、クロワッサン妃が老朽化の進んだ黒い灯台を改修する現場を訪問してる様子を報じていた。写真は黒い灯台の袂(たもと)で、ショートヘアで白スーツ姿のクロワッサン妃と灯台の責任者らしき人が向かい合って話してる様を写している。
イートインスペースでコーヒーを飲み、休憩するふりをしながら改めてカードを見た。文面の1番上にソードボール島の国章が刻印されている。それはよく見ると“剣玉”をデザイン化したものだった。赤い玉の下には2本のリボンが垂れ下がり、剣の部分がそれを支えてる図案だった。ふと…怪盗は国章の一部分をコインで擦る…すると2本ある左のリボンの下から単語が出てきた。
そこには“城”と記されていた…。
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怪盗が、クロワッサン妃の居城のある頂上に着く頃には、朝が近づいていて地平線が明るくなり始めていた。夜中は城への道路が封鎖されていて通る車やトラックもなく、歩くしか手段がなかったのだ。イルミネ市と同じ様に、ソードボール島でも昼間は(空は相変わらず星空だが…)UVマスクをしなければ、数分で眼球が痛くなってくる。裸眼の方が視力が利く怪盗にとっては昼間は、ほぼ動けないため今は体力を温存し夜を待つことにした。朝日が昇ると、ソードボール島の市街地を明るく照らした。もっとも1時間もすれば星空に太陽が隠れてしまい、再び薄暗くなってしまうが…。山の麓にある港の「黒い灯台」が光り始めた。
もう何年もこの島を守ってきた灯台…しかし、あの灯台が光り続ける限り、この島に本当の平和は訪れないのだ…幼い頃から何も変わらない自分の故郷を、怪盗はしばらくの間、哀しい気持ちで眺めていたのだった…。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
06-生き別れた姉
クロワッサン妃の居城はソードボール島で最も高い(…と言っても、ほとんどが1000mも満たない山々が多い)山の頂上にそびえている。昔…空爆が酷い時期は恰好(かっこう)の標的となるため、山の中腹に仮の居城が設けられた時期があった。怪盗は夜まで身を隠すため、1度山の中腹まで降りてその古城を目指した。
頂上に行く途中で道が二手に分かれているところがあった。今、使われてる道は、きれいな舗装となって現在の城へと続く。怪盗は砂利道の方へ向かった。10分ほど歩くと道が広くなり砂利道は雑草で荒れたレンガ道となった。更に進むと大きな柵でできた正門が現れた。一応、定期的に手入れはしてるようだが柵には蔦があちこちに絡まり、人の出入りはあまり無いようだった。頑丈そうなツタを選んでロープ代わりにして怪盗は敷地内に侵入した。前に広い庭が広がり、いくつかの薄汚れた石膏像が並んでる。庭の端には樹木が間隔を空けてきれいに植えてある。庭の端の木々に隠れながら進み、屋敷の様子をうかがう。建物は幅60mほどある2階建ての広い屋敷だった。どの窓もレースのカーテンがかかり中の様子はよく分からないが、人の気配もしなかった。屋敷の端まで来ると正面の玄関よりもひと回り小さな玄関があり、使用人用の出入り口のようだった。試しに鍵をこじ開けると簡単に開いたので怪盗はそこから屋敷に忍び込んだ。
屋敷内には家具や調度品など、これといったものはほとんどなかった。どの部屋も古びた椅子やソファ、壊れて不用品と判断された家具が点在してるだけだった。山頂の城が出来てからは向こうに引っ越して、こちらは空き家になったらしい。屋敷の北側に来ると、窓にはホコリを被ったカーテンが垂れていて舞踏会でも開けそうな広間になっていた。2階に据え付けられたオーケストラボックスに身を潜めると、古びた長椅子に横になり怪盗は仮眠を取ることにしたのだった…。
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その眠りを破ったのは微かな人の気配だった。窓の方を見ると木々の間から見える空はオレンジ色に薄く染まっていて、もうすぐ日が暮れそうだった。オーケストラボックスの下には広間が広がっていて向こうの壁に出入り口のドアがある。そのドアの廊下から靴音が聞こえてきた。軽やかな感じでハイヒールようだ。怪盗は長椅子からそっと身を起こし、床をはうように移動すると壁に張り付いてかがんだ。
ドアがそっと開く…入ってきたのは頭に覆面を被り、高価なUVマスクをかけ、黒いライダースーツを身に着けた女性だった。
「いるんでしょう…?出て来なさいよ。分かってるのよ、私もあなたと同じ“特殊な感覚を”持っているんだから。安心しなさいよ、ここには私しかいないわ。もっとも…あなた1人を相手にするくらいなら他の者の手伝いなんかいらないけど」
ちょっと考えてから、怪盗は返答した。
「ご招待ありがとう。しかし、私は貴方を何と呼べばいいのだろうな。なにせ招待状には差出人の名前が記されてないんでね…!」
「私はブレッセル。子どもを拉致して身代金を奪いイルミネ市を騒がせてる女怪盗よ。今日、ここまであなたを呼んだのは取引をするためよ。
久しぶりね、何年ぶりかしら……私のことなんて忘れちゃったんじゃない…?それともまだ覚えているのかしら…
ねぇ…“モントスティル”…?」
怪盗は微笑した「その名前を知ってるのは僕の唯一の血縁だった“あの人”だけだよ。
…久しぶりだね…“姉さん…!”」
*
怪盗はオーケストラボックスから降りて姿を見せた。広間の真ん中で少し距離を取り2人は向かい合った。ブレッセルは女性では背が高いほうだろうが、怪盗よりやや小柄で覆面の瞳は微笑んでいるが警戒心が見て取れた。
「良くここまでたどり着いたわねー…あの刻印の秘密に気づけただけでも誉(ほ)めてあげる。でも惜しかったわねー、私が指示したのは“新館”のつもりだったけど。あなたが迷子になってると思ったから“迎え”に来てあげたのよ」
怪盗はブレッセルの周りをゆっくり歩きながら話しかける。
「そりゃどうも。でも迷子になっていたわけじゃないけど…徹夜だったから休憩しただけさ。カードを見た時から、あなたの仕業だと思ったよ。僕の本名を知ってるならこの島の出身者だ。亡命後は“クレセント”に改名せざるを得なかったのさ。向こうの国じゃ“モントスティル”の発音が通じないからね。刻印については…むずかしくも何とも無いよ。デザインは若干、変更したみたいだけどソードボール島の国章は“剣玉”だ、剣玉に糸は1本しか無いんだから」
怪盗はブレッセルの真後ろに来たが彼女は振り向きもせず話を続ける。
「さてと…本題に入りましょうか。私があなたを呼び寄せたのは他でもないわ、あなたの“特技”を生かして私の仕事を手伝ってもらおうと思ってね。あなたのことは何年も前から知っていたわ。けれど…ある時、1人のお嬢さんを盗んでから行方が全く分からなかったわ…再び見つけたのは、あなたの描いた絵が評判になった時よ。そろそろあなたも平和な生活に退屈してきたんじゃない…?近年…私たちのソードボール島リーダー“クロワッサン妃”は長年続く紛争に終止符を打つために独立資金を集めているの。私は単なる泥棒の1人だったけど、妃は私の能力を高く買ってくれたわ。だから計画に加担する事にしたの。けれどもっと効率よくできないかしらと思ってあなたに思い至ったの。
ねぇ〜モントスティル、あなたもどう?もう1度、怪盗に戻りましょうよ。少なくとも今の小さな町で平凡に暮らすよりは、もっと退屈せず楽して稼いで暮らせると思うけど」ブレッセルは誘惑するように語りかけた。
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07-怯える国は灯台を振る
怪盗は…目の前にいるこの女性が、本当に自分の姉なのか…疑ってしまった。お互いに長年離れて暮し、生きて行くためとはいえ誰かを恐喝してまで巻き上げる金銭を、ためらいなく得るような性格になってしまうとは…正直、信じられなかった。それとも…やはり自分が何年も平凡な環境で暮らした事で平和ボケしてしまったのだろうか…?自分も盗みで食いつないだ過去があったと言うのに…でも平穏な生活が、その過去を和らげ薄れさせていった。平凡に暮らす自分たちにとっては驚くような事も、姉にとっては当たり前で日常なのだ。“紛争”の影響力が陰を落としている姉の人生を、怪盗は哀れに思った…。
「それでダリアは人質、というわけか…赤ちゃんと彼女は無事だろうな…!?もし彼らに危害を加えるなら僕は、ゆるさないよ…例えそれが生き別れた姉でもな…!!」怪盗はブレッセルを睨みつける。
「人聞き悪い事、言わないで頂戴!大切なお客様として丁重に扱ってるわ。それにしても…あの赤ちゃん本当にあなたたちの子どもじゃないの…?最初に見た時、赤ちゃんを連れ去る私に向けた眼差しのダリアさん、親そのものだったわよ…てっきり彼女が母親かと思ったわ。あなたも“父親”になったのね…って感心してたのにガッカリしちゃったじゃない。まあこの先ソードボール島で3人、本当の親子みたいに暮らすっていう手もあるけど」
「それは申し訳なかったね。でも僕はもう怪盗に戻るつもりはない、ダリアとも約束してる。あなたを手伝うつもりもない。それに僕の大事なパトロン夫婦が自分たちの子どもの帰りを待っているんだ。解放してもらおうか…!?」
ブレッセルは軽くため息をついた。
「あら残念、交渉決裂ね。いいわ、返してあげる。ただし…」言葉を切ると、ブレッセルは自分の顔の前に1本の鍵をチラつかせ怪盗に挑発するように言った。
「これは、新館のダリアさんと赤ちゃんを監禁してる部屋の鍵よ。彼らを返して欲しいなら…私からこの鍵を奪ってごらんなさい…!」
*
その言葉を言い終わらないうちに怪盗はブレッセルに突進した…!スルリと、かわされ怪盗は床に逆立ちになり脚で蹴り上げ手から鍵をはじこうとして失敗。今度は後ろから奪おうとするがブレッセルは素早くしゃがみ込んで怪盗の脇をすり抜ける。怪盗は一定の距離を取ってブレッセルの周りを歩く…全く動かないので真後ろに来たところで、再び後ろから鍵を奪おうとするが余裕でかわされる。何度も鍵を奪おうと試みるが、まるで手応えがなく動きも不規則で、何よりブレッセルは、こちらの動きを完全に見透かしてるようだった。部屋に隠しカメラでも仕込んであるのかと思い、部屋中に目を走らせるが、この古城にそんなものは全く無い。
“これが姉の実力か…!?”怪盗は段々、焦り始めた。昔…自分が怪盗をしていた時には、様々な厄介な相手…骨のある警備員たち、腕力自慢の用心棒、巧妙な罠を仕掛ける屋敷の主などいたが、これ程厄介な相手に会ったことがない。思い切って正々堂々と正面から立ち向かい、鍵はまたしても奪えず手のひらが顔をかすめブレッセルのUVマスクをはたき落とした。その勢いで思わずバストに触れてしまった。
「ちょっと、どこ触ってんのよ!!」
顔を思い切り張り飛ばされ怪盗もマスクがはたき落とされた。部屋には丁度、窓からオレンジ色に夕陽が差し込んでいた。夕陽に照らされたブレッセルの瞳がこちらを睨みつけてる。しかしその顔は気のせいか…あのホテルの隣で会った白スーツの女性とは別人のように見えた。怪盗は少しスピードを緩める。
「あ~ら、もうギブアップ…?ほらほら〜、もう少し元気出して。この鍵さえあれば、大事な友人の赤ちゃんとダリアさんを取り戻して、楽しい我が家に帰れるのよ。でもね…この私から“奪えたら”の話だけど。そしてめでたく帰れた後は、これから先あなたたちは自分の故郷の島の事なんか忘れて、島の苦しむ人々をどうにもならないと諦めて、島の子どもたちの未来を見て見ぬふりして、幸せに暮らして行くんでしょうね…本当、妬(や)けて来る…赦せないわ…!」
息を切らしながら怪盗は言った。
「じゃあ、クロワッサン妃に伝えてくれ…大国との紛争を解決したいなら、自国だけで解決せず周りの国の協力も得るべきだと。どんな歴史にも小国が一発逆転、運良く大国に勝てた例(ためし)はない。このままでは、ソードボール島そのものまで抹殺されてしまう…とね。世界で生産される兵器はそれが使われる時はいつだって兵器とは無縁の何の関係もない人々が犠牲になるんだ。今はこっちが折れる形で敗北したとしても構わない。未来を担う子どもたちがいれば良い。未来で勝てばいいんだから…!」
「ふ…平凡な生活者らしい、もっともなご意見ね。どうもありがとう、伝えておくわ。さてと…私もそんな暇じゃないのよね。この辺で決着をつけましょうか」
そう言うと、ブレッセルは怪盗を目がけて走って来た…!と思った途端、消えた。素早く周りを見渡すと部屋の離れた所にいて、また消えた。怪盗が視界をずらす度に、ブレッセルは表れては消えて行く。
(“盲点”か…!?僕の盲点に素早く滑り込んで姿を消してる…!!)
突然、ブレッセルが目の前に表れる!
怪盗の顔にレースのハンカチがフワリと被さり視界が奪われる…
「あら…結構ハンサムね…♡」
その言葉を聞いた途端、唇に電流が走り心臓を貫く。視界は暗転した……
薄れる意識で怪盗は思った。
(…キス…された……)
その後の記憶は……まったく無い…………
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08-覆われた目…塞がれた口…
……ダリアは夢を見ていた。
そこは自分が何年か前まで住んでいた自宅の屋敷で、音楽室でピアノ演奏の練習していた。将来は世界で活躍するピアニストになりたいと思いながら……すると、突然ドアが開いて侍女が告げる“お嬢様、結婚式の時間ですよ”……気がつくとダリアは、いつの間にかウェディングドレス姿で向こうの祭壇の前には見知らぬ男がダリアを待っている。怖くなったダリアは出口のドアへ駆け出した……するとドアの向こうは大きなグラウンドピアノが置いてある広いステージになっていて、観客席から一斉に拍手が湧いた。ダリアは、ためらわずグラウンドピアノに腰掛けて演奏を始めた……ところがピアノを弾き始めると観客はぞろぞろと帰り始めてしまう。皆、あくびをしながら眠そうにしている。ステージの真ん中に1人取り残されたダリア。
…ふと、ステージの端から赤ちゃんの鳴き声が聞こえる。側に行くとラジオがあり、楽しそうな会話や笑い声が流れてる。やがてステージは華やかな雰囲気の宮殿の大広間に変化して……
……うたた寝していたダリアは、ふかふかの上等なソファの上で目が覚めた。耳元には付けっぱなしのラジオから陽気な曲が流れていて、寝室のベビーベッドから赤ちゃんの鳴き声が聞こえてくる。ダリアは起き上がった。
*
赤ちゃんはお腹が空いたらしい。ダリアはキッチンスペースへと向かい粉ミルクをこしらえながら、この状況になった経緯を思い返した。ダリアは、未だに自分が人質なのかよくわからなかった。
……ギャラリーの夫人が入浴するというので、その間に赤ちゃんを見ながら居間にいると電話がかかって来た。内線だったのでクレセントだろうと思い受話器を取ると、知らない女性からで、彼女は自分はダリアたちの部屋の隣にいる者だが(あの白スーツの女性だ…とダリアは思った)部屋から変な音がするからすぐに見に来てくれないかと言う。丁度、赤ちゃんが昼寝してたので数分あれば戻れるだろうと考えて、ダリアは部屋を出た。すると玄関前に全身黒ずくめのライダースーツの女性がいた。驚いたダリアは思わず悲鳴をあげそうになるが口を塞がれ、部屋の中に戻されてしまった…!
「おとなしくしてれば何もしないわ…!」
そう言うとソファにダリアを押し倒し、ベビーベッドに素早く近づくと赤ちゃんを抱え上げ連れ去ろうとした。
「ま、待って…!何するの。あなた、自分のしてる事が分かってるの!?」しかしダリアはすごい力で絨毯(じゅうたん)に突き飛ばされた。
とっさにダリアは歌を歌い始めた。それは赤ちゃんを寝かせるための文字通り“子守歌”だった。
(この人が人間なら…私の歌が効くはず…眠くなって…!!)
拉致の犯人はフラフラとしたが…
「…あなた、ひょっとして…!」そうつぶやくと犯人はサッとハンカチを取り出し、ダリアの顔に被せた。ダリアはハンカチを取り去る間もないまま、唇に電流を感じ、そのまま気を失ってしまった……
気がつくと、この部屋の寝室のベッドに寝かされていた。赤ちゃんはベッドの隣にあるベビーベッドに寝かされていたのだった。
そこは壁などは華やかで輝くような宮殿の大広間だが、その1つの空間にキッチン、居間、風呂、トイレ、寝室など生活空間が凝縮されていて、あのホテルの部屋の数倍以上の広さがあった。この部屋の唯一の出入り口は、居間の目の前にあるドアのようだが外から鍵がかけられて出られなかった。
その内に赤ちゃんが泣き出してしまった。おむつを替えなくては…と思い、寝室の引き出しを何気なく開けてみると、おむつだけでなく着替え、服、リネン類がたっぷり揃っていた。赤ちゃんの分だけでなくダリアが着用できる大人向けのものも揃っていた。
とりあえずおむつを替える。しばらくするとまた赤ちゃんは泣き始めた。今度はお腹が空いたらしい。寝室の隣には、ミニキッチンが据え付けられていて、棚に小さなものから大きな食器類、カトラリーはもちろん、電化製品、食器洗い乾燥機や冷蔵庫まで揃っている。冷蔵庫には数日間は充分食べていける食料や保存食、赤ちゃん用の食料も揃っていた。
赤ちゃんが昼寝したのでダリアは少し休んだ。居間には大型テレビがあって、通常の放送局だけでなく、衛星チャンネル、自分の国だけでなく外国の番組も翻訳付きで観ることが出来て、ドラマも見放題だった。居間の端にはデスクがあって、最新型パソコンでネット閲覧やゲームで遊ぶ事ができた(ただし…テレビもパソコンもショッピング類ができなかった…)
テレビに飽きたので音楽を聴く事にした。ラジオも自国や外国の番組が聞くことができた。またオンラインで好きな曲を好きなだけダウンロードできた。
少し疲れたダリアはソファに寝そべった。うとうとしながらダリアは思った。
(ここには、何でも揃っているのね…)
…ただ1つ、“自由”を除いて……
*
突然、寝室の奥からゴトゴトと音がした。ダリアは驚いて見に行くと、カーテンで隠れている壁に取り付けられた2枚の全身鏡が大きく開いた(やけに大きな全身鏡だと思ったが、今見るとそれは全面が鏡になっている隠し扉だった)呆然と眺めてると、1人の黒い服の男が2人の衛兵らしき人に担架で運ばれて来た。ベッドに男を寝かせると、そのまま何事もなかったかのように鏡のドアを素早く閉めて鍵をかけて去ってしまった。ダリアは逃げる発想も浮かぶ間もないまま、数秒立ち尽くしていたがすぐにハッとした。
「怪盗さん…!」
ベッドに寝かされてたのはクレセントだった。久しぶりにその姿を目の当たりして、ダリアは思わず昔の呼び名で叫んでしまった…。
*
……暗闇でクレセントは子守歌を聞いていた。昔…怖がりだった自分を慰(なぐさ)めるために、姉が子守歌を歌ってくれた事を思い出した。しかし歌は途切れクレセントは暗闇を探る…
「…どこなの…姉さん…」
「…気がついた…?」
子守歌の主はダリアだった。しかしクレセントは眼の前が真っ暗で何も見えない。
「ダリア、どこにいる…!?」
「目の前よ、あなた目を…」
「どうなってるんだ…!?どうしようダリア、僕は目が見えない!!」腕を振るが空を切るだけだった。
「落ち着いて、あなた目隠しされてるのよ!」
顔に触れると目の部分に覆いがされている。毟(むし)り取ろうとするが頭の後ろの方で小さな鍵がついていて外せないようになっている。
「ここはどこだ…?そうだダリア、君は無事か。乱暴されたりしてないか!?」
「私は大丈夫よ。あなたこそ、どうやってここに…?」
2人は、お互いに起こった出来事を話した。
*
話してる途中で、クレセントのお腹がなった。島に辿り着いた時のコンビニで軽食を口にしたきりで、もう丸1日何も食べてなかった。ダリアはすぐに胃にやさしいスープを作った。赤ちゃんも起きて泣き出したので粉ミルクも用意する。
赤ちゃんにミルクを与えながらダリアがクレセントを見ると、出されたスープを食べるが皿が見えてないので顔にゆっくりスプーンを運びなかなか食事が進まない。見かねたダリアは手助けした。
「はい、あなた。あ〜んして」
「い、いいよ…自分で食べれるから!」クレセントは照れくさくなり顔を赤くした。
「だってあなた、こぼしてるから服が汚れちゃってるわよ」
「ごめん…お願いする…」
…本当は別に服は汚れてなかったが新婚気分でお世話をしたいダリアはクレセントに嘘を言った。
赤ちゃんをお風呂に入れ、クレセントとダリアも入浴を済ませた(ダリアは入浴も手伝うわ、と言ったがクレセントもさすがにそれは拒否した…)
赤ちゃんは眠ってしまい、クレセントとダリアは居間でくつろいでいた。クレセントはテレビを見れないので(もっとも彼は普段から絵を描いてばかりいて、テレビや映画をほぼ見ない…)ラジオをつけていた。ニュースでは、ソードボール島を貫(つらぬ)いてる海底地盤の活動が最近、活発になっていて微弱の群発地震が起きてることを伝えていた。
そろそろ寝る時間になり、ダリアはベッドに行こうとするが、クレセントはソファで寝ると言った。ベッドは1つしかなかった。ダリアは言った。
「私は一緒でも別に構わないけど…」
「あーほら、居間の方が洗面所とかも近いし…」
「そう…。ねぇあなたも、あのブレッセルって女怪盗に気絶させられたんでしょ…?」
「うん、そうだよ。手強い相手だったよ…でも気のせいかな…彼女は僕の姉とは何だか雰囲気が違ってた気がする。ひょっとしたら別人じゃないかって思ってるんだけど…」
言ってから“しまった…!”と思った。ハンカチを挟んでいたとはいえ、自分の夫が見知らぬ女から間接キスをされたのだ。顔こそ見えないが雰囲気でダリアが嫉妬してるのが伝わってくる。
「…やっぱり、一緒にさせてもらおうかな…?」手を軽く前へ出すと、ダリアは何も言わずクレセントの手を取って寝室へ連れて行った。スリッパの音がやけにうるさく感じる…。
ダリアはクレセントがパジャマへ着替えるのを手伝い、布団をそっとかけた。
「おやすみなさい…」そう言うとダリアはベッドの反対側へ回り込んで座った。布ずれの音がするので着替えてるらしい…クレセントは、かけられた布団をはねのけて、ダリアがいる辺りにそっと腕を伸ばした。丁度、背中に触れたので後ろから抱きしめた。
「どうしたの…!?」
驚いたダリアを布団の中へ包み込む…
ベッドに寝かせたダリアの顔を、指先でやさしくなでて、唇を探り当てる…その部分を見つけると、夢中になってキスを浴びせた。しかしダリアは拒否せず、クレセントの、されるがままになっていた…ダリアもゆっくりと、腕をクレセントの首に回してきた…
甘い雰囲気に包まれた2人は…
そのまま…眠りに落ちていった………
(第2章-太陽の皿 -終-)
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