△ 贋作(がんさく)とフルート〜re:make
■■■14-夫は元,怪盗
明け方…まだ日が昇る前の空が白み始めた頃、ダリアは隣に寝ているクレセントの、うなされる声で目が覚めた。彼は何やら恐ろしい光景を見せられているようで、両手で目を覆う仕草をしてつぶやいた…
「…やめろ…にげろ…おじょうさん……!!」
ダリアは、そっとクレセントの頭に触れた…優しく髪を撫(な)でる…すると落ち着いて、また穏やかな寝息を立て始めた…
自分たちは夫婦になってから、もう1年経とうとしてる。でもクレセントは、未だダリアを「お嬢さん」と呼ぶ。いい加減、名前で呼んでくれてもいい頃なのに…その癖(くせ)が、なかなか抜けないのは、今もクレセントがダリアを「富裕層の人」と心で思ってるせいだろう。それか、正式な夫婦となっていないからか…自分たちは世間で言う「夫婦になるための事」例えば、式を挙げたり、神様の前で赦されたり、指輪を作ったり…を1つもせず夫婦になった(男女の営みだけは除いて…けれどそれも、彼の正体を知った時の一夜だけだった…)なぜなら、ダリアは怪盗が「結婚式から盗んで来た女」だからだ。夫は元、怪盗だ…そのせいか彼は時々、怪盗だった頃のトラウマを夢に見てる。
こうして時々、クレセントがうなされてるのを見ると、もしかしたら私たちは、本当は一緒にいてはいけないのでは…と考えてしまう。自分のせいで夫に精神的な負担が大きくかかっている様にダリアには思われた。もし、その重荷が原因で、彼の心が私から離れたらどうしよう…自分は温室育ちの貴族で、世渡り出来る力量はあまり持ち合わせていない。彼に愛想を尽かされたら…そう思うと、不安に駆られるのだった。以前、約束した裸婦のモデルをダリアの方から申し出たのも、彼を惹(ひ)きつけておきたい心の表れだったのかもしれない…。
また時々、仕事に見合わない給料を手渡されるのも気がかりだった。彼は、「親方が気前が良い」とか、「偶然、小品の絵が売れた」とか言うが、嘘をついてるように見えてしまい、今も内緒で危険な怪盗をしてるのでは…と疑ってしまうのだった。1度だけ冗談で「ねえ、もしかして今でも怪盗をしてるんじゃないの?」と尋ねた事があったが、彼は優しくこう言うのだった。
「君は何も心配しなくていいんだよ…」
でもその時、ダリアにはこう言われたようにも感じた。
(…何も知らなくていい…)
*
…そして、その不安が的中してたかの様な事がついに起きる。彼が大粒のダイヤモンドを2粒も隠し持っていたのだ。彼は昔、返そうとしたが、できなかった物と言っていたが、信じられなかった。この町に来るまでに、自分たちの貴金属や宝石類は全て手放したはずなのに。どうして今更、宝石が出て来るの…?でも何より、夫婦で隠し事をされていたことがダリアにはショックだった。遠くの町で知り合いもない彼女は耐えられず、遂には集会所で「告解」してしまったのだった。クレセントにとってはダリアから裏切られた気分だったに違いない。それでも1度目は、集会所の先生に諭(さと)され、奥様からも説得されて、ダリアはアパートに戻ったが…そこで目の当たりにしたのは、画商の女性と抱き合うクレセントの姿だった…ダリアは、もうクレセントの事が分からなくなった。
「いいえ、もしかしたら最初から分かってなかったのかもしれないわ…」
■■■15-貴方に平穏を…
……
…気がつくと怪盗はベッドの上にいた。質素で清潔な白いシーツがひかれたマットの上で、かすかに石けんの香りがした。その香りを嗅いだ時…怪盗はなぜか、いつか晴れた日に、窓辺で洗濯物を干していたダリアを思い出した。ベッドは古い木製で、少し体を動かすと、キシ…と音をたてた。横たわったまま目を走らせ、辺りを伺う。枕元にはランプが置かれ、屋根裏部屋なのか斜めの天井が近く、立ち上がれば木の梁(はり)に手が届きそうだった。小さな窓からは夜明け前の薄明るい空が見えた。
(…そうだっ絵は!?)
何とか体を起こす。川の中でぶつけたのか背中が少し痛む。見ると足元の近くのドアの横に絵が立てかけてある。その側の梁には、彼の服が丁寧に吊るして干してあった。怪盗は何も身につけてない。その時、ドアがそっと開いた。
「良かった、気がついたのね…」
修道女服を着たダリアだった。
*
運んで来た温かいスープを側の台に乗せるとダリアはベッドのふちに腰を下ろした。
「昨日の夜、外が騒がしいから様子を見に来たの。そうしたら、あなたがプラチナと警備の人たちに追われてて…あなたが川に飛び込んで、溺れたのを見て、先生とまだ集会所に残ってた兄2人(先生の弟子の事)に応援を求めたの。あなたの事は兄2人が引き揚げてくれたのよ。大丈夫、兄たちはあなたの事を密告したりしないから…」
「そして君が僕の息を吹き返してくれたのかい?」
「ど、どうしてそれを!?」ダリアはみるみる顔が真っ赤になった。
「僕の口に口紅が付いてたから…ありがとう。また君に助けられたね」
「この絵を取り戻すためだったの?どうして、こんな無茶を…!」ダリアは微かに震(ふる)え涙声になった。
「この絵を売ったり譲(ゆず)ったりしない約束だっただろう…?ごめん、こうなったのは僕の落ち度なんだ。危うく君の事まで危険に晒(さら)すところだった」
「死んじゃたらどうするの…!」ダリアの目から涙が溢(あふ)れた。
「ごめん、本当にごめん…」
ベッドのふちに座ってたダリアに近づくと怪盗はそっと抱き締めた。ダリアは彼の腕の中で肩を小刻みに震わせ、嗚咽を漏(も)らしてた。
「…寒いな…」彼は呟いた。
ダリア顔をあげて涙を拭(ぬぐ)いながら言った。
「そうよ。秋とはいえ川に飛び込んだんだもの。さあ、スープを冷めないうちにどうぞ」
「こっちの方が温まる…」
そう言うと怪盗はダリアを抱き締めたままベッドに寝そべった。古いベッドが、ギシ…と音を立てた。
「ちょ…ちょっと!?ここは神様へのお祈りの場所よ!ダメよ、こんな事…!」ダリアは慌てて怪盗を押しのけようとする。
「でもここは屋根裏部屋だ。ここまでは神様の目も届かないさ…」ダリアにゆっくり覆い被さり、ベッドへ抑え込む。優しく…ゆっくり…腕を腰に回して抱き締めて行く…。
「…君は温かい…」
「…ダメよ…スープが…冷めちゃうわ…」
……
抗(あらが)う彼女をよそに彼は、ゆっくり服を脱がしていく。
頭のベール…
お祈りのアクセサリー…
背中のファスナー…
ランジェリーの鈎爪(かぎつめ)…
彼が下着の紐に指をからめる頃には、ダリアはもう抗うのを止めて身を任せていた。彼の掌(てのひら)が彼女の髪…バスト…腰…脚…と、滑っていく…お互い、もう触れ合ってない部分がどこにも無くなるくらい肌を重ね…唇(くちびる)を重ね…やがてダリアは怪盗の三日月が自分の中へ忍び込んで来たのを感じた……
「…あぁ…私、またあなたに「盗まれて」しまったのね……ねえ、一体いつになったら私は「クレセント」と結ばれる事が出来るのかしら…?」
「君は僕の正体を知ってるし、同じだろ…?」彼は彼女のバストにうずめていた顔を上げると苦笑しながらたずねた。
「怪盗の僕は嫌いかい…?」
「いいえ、どちらも好きよ。ただ、私この頃あなたの事が分からなくなるの…あなたは、まだ私に隠し事をしてない?お願い。もう私に隠し事や嘘はしないで。楽しい時も…もちろん辛い事や悲しい事も、1人で背負い込もうとしないで…私たちは夫婦でしょう…?」
ダリアの細い人差し指が怪盗の唇に触れて、顎(あご)を伝(つた)い、首筋へ流れ、優しく撫でた。
「何も隠してないし、嘘だってついてないよ」
「信じていいのね…?」
「もちろんさ」
安心したダリアは怪盗の顔を優しく手で包み込み、頬(ほお)に唇を寄せて来た。心を込めて…何度も口づけして…。
「ど、どうしたのさ…!?」急にダリアの情熱的なキスを浴びて怪盗はドギマギした。
「ごめんなさい…痛かったでしょう…?」
それから再び口づけを始め、ダリアの熱烈なキスを浴びて怪盗は、すっかりのぼせてしまった。
「大丈夫、もう充分温まったよ…!」
と言ったのだが、
「だめよ。まだ買い物に付き合ってくれなかった分と、ダイヤモンドを隠してた事と、それからサンドイッチを一緒に食べれなかった事と…それから…」
……
こうして結局…朝日が昇って、雀(すずめ)たちが屋根裏部屋の小窓で、さえずり出す頃まで、こんな感じで……
2人は愛し合った…
……
■■■16-「何も知らなくていい…」
怪盗が追手を振り切った後、川で溺(おぼ)れていたのを助け出されてる頃、プラチナと警備の者たちはギャラリーへ戻っていた。
招待客たちは皆、驚いたり絵を見る事が出来ず、がっかりしながら帰った後だった。ゼラは居間のソファーに腰を降ろし頭を抱えていた。プラチナは励ます様に言った。
「すぐに警察へ届けを。大丈夫、きっと絵も取り戻せるし、怪盗も捕まるさ」
「あの絵を盗んだのは、やっぱり「怪盗モントスティル」なのね。いいのよ、もう…あの怪盗が関わる時、私に良い事なんか起きないもの…しかも決まってあなたとの間柄に響(ひび)くの。もう沢山よ…」
「そんな事ないさ。今度こそ、あの怪盗を俺が捕まえてやる!怪盗には心当たりがあるんだ。君は警察に届けて待ってさえいれば良いんだよ」
するとゼラはサッと顔を上げてプラチナにすがった。
「お願い…!どうかまだ警察には知らせないで。絵の事は、いいの。詳しくは話せないけど…何とかなるから。ありがとう心配してくれて。でも本当に…大丈夫だから…!」
「しかし…」プラチナは言いかけたが、ゼラがあまりに必死にお願いするので、それ以上追求は出来なかった。
今夜はこれでパーティはお開きとなった。歩いて近くのホテルに戻りながらプラチナは考えた。
(一体どう言う事だ…?怪盗は間違い無く、クレセントだろう。自分の絵とは言え、契約書を交わしてる間は、一時的に所有権がゼラだから絵を盗んだのだろう…しかし、なぜクレセントは、いずれ手元に戻ると判ってる絵を早急(さっきゅう)に盗む真似を…?公開されたら、まずいことでもあったのか…?モデルが、ダリアだから自分の正体が判明するのを恐れたか…でも絵だけでは怪盗だという証拠にならない…あるいは自分の絵を出し惜しみして…ひょっとして、クレセントはゼラが俺の元恋人だと知って、彼女を利用しようと気を惹こうとしてる…?
でも、まさかゼラに限ってクレセントに「なびく」わけがないだろ…)
しかし昔、ゼラが自分の家には素晴らしい腕を持つ画家がいるのだと誇(ほこ)らしげに話してるのを聞いた事があった。その画家がクレセントだった…ゼラは彼を気に入っていた。俺との婚約が破談になった傷心でクレセントに惹かれたのだとしたら……その考えに至った時、プラチナは、フッと鼻で笑った。
(…アイツは俺からゼラも盗もうとしてる、と言う事か…いいだろう、ならば俺もクレセントから奪ってやろう…お前の大事な妻ダリアを…力尽くで……!)
*
プラチナが帰って行った後、1人きりになったギャラリーの屋敷でゼラは2階の寝室に向かった。ベッドの脇には特大サイズのピザの箱が拡げられていた。
そのピザの箱はゼラが1階のパーティを少し抜け、休憩(きゅうけい)した際に、寝室前の廊下に立てかけられていた物だった。何かしらと寝室で開けた時は驚いた。それはまさしく『まどろむ裸婦』の複製だった。ただ1つ違うとすれば額が付いてない剥(む)き出しの絵で、怪盗に盗まれた方が本物であるのは明らかだった。偽の絵にはメモが添えられていた。
【この絵は私が、ある画家から依頼を受けて貴女へ届けた次第である。本物は私が頂いた。
私腹を肥やす者は偽物芸術が相応しい…
怪盗モントスティル】
このメモを読んだゼラは震えた。メモは恐ろしく、思わずマッチを擦ると大きな硝子の灰皿の上で燃やしてしまった。
ピザの箱の油絵は見た感じでは本物と同じだが、色の深みや人を惹きつけるような魅力はその絵からは全く感じられなかった。クレセントが言った通り、この偽物は市販の油彩絵具を使用してるせいで、色がくすんでいるのだろう。本物を目にした事があるゼラにはその違いが明らかだった。でもまだ『まどろむ裸婦』の本物を見たことがなければおそらく騙(だま)されるだろう。
しかしゼラは、もう偽物を売りたいとは微塵(みじん)も思わなかった。もし、この絵が売約済みになった後で、怪盗に本物の『まどろむ裸婦』を公開されてしまったら、自分は本当に贋作売買をした事になってしまう。そう考えると恐ろしく、もうこの絵を売りたいとは思わなかった。
(この偽物を隠さなくては…!でもどこへ…?)
するとゼラは、ある場所を思いついた。ピザの箱は処分し、絵はギャラリーにあった搬出用の別の段ボール箱に詰めると、明日の朝1番に「あの場所」へ行こうと決心した。
■■■17-ダリア、囲われる!!
女心と秋の空、とはよく言ったもので今の状況はまさにその言葉がぴったりだとクレセントは思った。
今日は日曜日。先週の火曜からギャラリーで展示が始まり、クレセントは、朝からわくわくしながら集会所に向かった。あの夜、絵を取り戻し、集会所の屋根裏部屋で互いの気持ちを確かめ合い…その後、忙しくて会えなかったが、展覧会は無事開催に至った(『まどろむ裸婦』の公開は未定のままだ。しかし画家は一向に構わなかった。むしろ清々した)
今日こそギャラリーへ、ダリアをデートに誘(さそ)うのだ…2人で絵を見て回り…楽しくお喋りして…そして仲直りして…また前の様に楽しく暮らせるのだ…と想像しながら…
しかしその日、彼に待ち受けていたのは、想像してたそれとは、かけ離れた状況だった…。
「一体、どう言う事だ!?きちんと説明してくれ!」
狼狽(うろた)えるクレセントにダリアはきっぱり言った。
「だから何度も言ってるでしょ。私は彼の元に行く事にしたの…」
3人しかいない集会所の建物の中でダリアの硬い意志が感じられる声が響いた。彼女は借りていたシスター服と、小さな旅行の鞄(かばん)を脇(わき)に抱えながら隣の男に寄り添うように言った。鞄はもちろん、プラチナの用意したものだった。(クレセントの今の稼ぎでは旅行どころか鞄も買えない)
「ダリアは自分で決めた。もう貴様が口を出せる事じゃない」
「こんなこと納得できるか!そうか…お前がダリアを脅(おど)したんだな。大方、僕が怪盗だと言う証拠を掴(つか)んだ。バラされたくなければ言うことを聞け、とな!どこまで卑劣(ひれつ)な…!!」
するとプラチナは声高らかに笑うと「俺はそんな事一言も行った覚えはないよ」と嘲(あざけ)り手を振った。
「そうよ、私が彼に頭を下げてお願いしたのよ」
クレセントは、もう悪い夢を見てるとしか思えなかった。いつかの夢のように、そろそろ覚めないだろうかと期待した。だが何も起きなかった。これは現実だった。ダリアは言った。
「私、もうあなたにはうんざりなの…妻に隠し事をするし…貧乏生活だし…このまま一生あなたの妻として暮らすなんて、考えただけで疲れるわ…もう沢山よ…」ゆっくり、人差し指で頬(ほお)を突(つ)つきながらダリアは、ため息をついた。
そう言うとダリアは、手を胸の辺りに近づけ、親指を折り、滑(なめ)らかに手を閉じ親指を包む仕草をした。
「じゃあね、さよなら、あなた」
「そう言う事だ。最後に何か言いたい事はあるかな、クレセント画伯…?」
プラチナは馴れなれしくダリアの肩に手をかけて寄り添う。ダリアは無表情で、顔が石のように強張り、拒否もせず、クレセントと目を合わせず、はるか遠くを眺めてる様な、ぼんやりした目をしていた。胸の前では拳を作ったままだ…。
「………!!」
(その手をどけろ!!)クレセントは叫びたかったが敢(あ)えて黙(だま)っていた。
「やれやれ、君の彼女への愛はその程度だったのか。それじゃあ行こうか」
そう言うと肩を組んだまま2人は集会所を出て行った。
臙脂色(えんじいろ)の絨毯(じゅうたん)を歩いて扉を出て行く2人の姿を見ていたクレセントは、拳を握り締めて「今だけは」追いかけない様に自分を抑えてるのが精一杯だった…。
■■■18-ひょっとして心変わり!?
それはまるで、チタンのアイスピックでダイヤモンドを粉々に砕かれるような、恐ろしい想像だった。ダイヤモンドは世界一硬いと言われるが、集中的な打撃(だげき)にはとても弱く、あっさり砕けてしまう物なのだ。ダリアのダイヤモンドの貞操は今まさに最大の危機を迎えていた…!
*
クレセントと集会所で別れてから、プラチナとダリアは夕食を共にするため、予約してあったレストランへ行った。その店はこの町で1番美味しくて高価な料理で有名な店だった。プラチナと今日、その店に入るまでダリアは、この店が町の通りにあった事さえ知らなかった。あの小さなアパートでクレセントとの食事だけで彼女は満足で幸せだった。その店の料理は美しい盛り付けで美味しかったが、夕食後、プラチナが滞在するホテルに一緒に行き、一夜を共にしなければならないと思うと急に料理の味がしなくなってしまった。
夕食後に2人はホテルに行った。それでもプラチナは久しぶりに再会したダリアに気を使って、バスルームに入ろうとした時「ちょっと地下のバーに行って来る」と言うと部屋を出て行ってしまった。その間にダリアは入浴を済ませた。
1時間後、プラチナは戻って来た。本当にお酒を飲んだらしく、ほんのり顔がピンク色をしていた。彼は自分も入浴すると言い、「あなたはバーに行かなくてもいいのさ」と、いらない台詞を言って立ち上がろうとするが、足はふらつき、ふざけてるのではないかと思うほど酔っていた。
「ダメよ!それでバスルームに入ったら危ないわ」
ダリアはプラチナに肩をかして、引きずるようにベッドに運び、彼を寝かせた。サイドテーブルのサーバーからミネラルウォーターを取り出し、栓を開けるとコップに注ぎ、差し出した。プラチナは、グッと一気飲みした。
「…俺は昔、君にひどい事をしようとしたのに、君は優しいな…クレセントが君を攫(さら)いたくなるのも分かる気がするよ。画家の彼とは俺より、もっとたくさん会っていたのだろう?判るよ…君は俺に全く関心がなかったからな…でも君も気づいただろ?俺にも恋人がいた事に。そうさ、俺にも想い人はいた…ギャラリーの画商を知ってるか?ゼラがそうなのさ…本当なら俺たちは結婚するはずだったんだ…でも出来なかった…怪盗がダイヤモンドを盗んでしまったからさ…俺にはもう君しかいない…なあ、もう1度やり直してくれるか…?」
そう言うとプラチナは眠り込んでしまった…。
■■■19-騙(だま)し討(う)ち!
……
真夜中だった。ダリアがベッドで寝ていると耳元で荒い息遣いがして突然、誰かが体の上に馬乗りになった…!それがプラチナだと気づくのに数秒かかった。彼はダリアの薄絹のネグリジェを胸元から引き裂いた!微(かす)かな照明の中で艶(つや)のある肌とレース編みのランジェリーが露(あら)わになる…!!
「何なさるの…!酔ってるの!?」ダリアは叫んだ!
「俺は酒が強いのさ…軽く飲んだだけで、さっきは演技だ…俺はまだ君を信用してるわけじゃない…!婚前交渉は怪盗に邪魔されたし、式まで夫婦の営みがお預けだった…君は俺と通じる前に怪盗に攫われてしまったしな…明日、屋敷に帰ってから…と考えたが…帰る前に心変わりされても困るんでね!」
彼はネグリジェを毟(むし)る様に脱がし、ベッドから逃げようとするダリアを力尽くで抑えつけた。千切(ちぎ)れそうな勢いで下着を脱がされダリアは叫んだ!
「馬鹿なことやめて!あなたは、今もゼラさんを愛してるのでしょう!?」
「そうだ…でも、もうその未来は手に入らない…モントスティル、アイツが赦せない…!だから俺も、アイツが盗まれて1番悔しがる大事な物を奪ってやる!君を俺の妻にする事で…!そして君は、これから表向きは俺の妻として、実際は側室として人生を送るがいい…!」
プラチナはダリアを逃さない様、馬乗りになったまま、服を脱ぎ捨てた。暗闇で彼の腰から鈍(にぶ)く光を放ったような漆黒のナイフが現れているのがダリアの視界の端(はし)に映った。
心が…凍りついた…!
「やめて…!クレセント!早くきてぇ!!
…いやぁ!!」
………
■■■20-お門違い
「……ま、間に合わなかったか…!?」
ホテルの寝室でランプに顔を照らされてる怪盗とダリア。ベッドの上でプラチナは、何も身につけない姿で寝息を立ててる。怪盗は微かな明かりを頼りにダリアの顔を覗き込んだ。ダリアはベッドの上でプラチナの脇に座り込み、震えていた…腕や脚は力強く押さえられたせいで数か所、痣(あざ)になっていた。
ダリアは呟く…
「…おそいかったじゃない…」
次の瞬間、怪盗は素早くベッド脇のランプを掴(つか)むとプラチナの頭めがけて振り下ろそうとした!
「何してるの!?大丈夫、私は無事よ!!」
ダリアは、なりふり構わず怪盗に飛びついた!!
妻の裸を目の当たりにした怪盗は我に返った!
「あ…なんだ…てっきり……
まったく!紛(まぎ)らわしい返事しないでくれよ。危うく殺人まで犯すところだったじゃんか!!」
ダリアが慌てて叫んだ。
「ごめんなさい、心配させて!
でも私もびっくりして混乱してるの。ありがとう。私の「ハンドサイン」に気づいてくれて…!」
ダリアは昼間、集会所でやって見せた親指を包み込む仕草を再現した。
怪盗は先程ホテルの窓から侵入した。レースのカーテンの向こうから目の前に飛び込んだのは、まさにダリアとプラチナの「男女の営む」だった。
怪盗は吐き気がした!
…しかしよく見ると、プラチナは気絶していて、ダリアは彼の重たい体を退(のけ)けようとしていた、だけだった。怪盗が手伝ってダリアは解放された。その愛する妻の第一声が「おそかったじゃない…」では理性が吹っ飛ぶだろう。
「最初は驚いた…と言うよりショックだったよ。でも途中から君は話ながら頬に指を突付いてたし、さよならを言った時の仕草で確信したんだ。君は音楽の先生だし、聾唖(ろうあ)の子のために手話を勉強してたしね」
「あなたなら気付いてくれると思ったわ。頬を突(つつ)くのは「嘘です」、親指を包む仕草は「私を助けて」って意味よ。良く出来ました…☆」
「さあ、急いで帰ろう。君としてはすぐにでもシャワーを浴びたいだろうけどね。プラチナがいつ目を覚ますかは分からないから」
プラチナは穏やかな顔で眠りこけていた。飲酒した上に、ミネラルウォーターを差し出した際の「睡眠導入剤」が効いていた。
ダリアは急いで支度をして荷物をまとめた(鞄は置いていくつもりなので怪盗が持って来たリュックに荷物を詰めた)
怪盗はベッドのサイドテーブルの上に、ある物を置いて2人はホテルの部屋を後にした。
サイドテーブルの上には黒いヴェルヴェットの小袋。その中には、あの2粒のダイヤモンドが入ってた…。
■■■21-不協和音
ダリアが何故こんな茶番をする事になったのか。それは先週、展覧会が始まる火曜の事だった。
朝、ダリアが集会所の周囲を掃除してると、やけに大きな荷物を持った女性がやって来た。ダリアはそれが画商のゼラだと気づいたが、ゼラはシスターが絵のモデルであるダリアだという事には気づかなかった。ベールで顔と髪型が隠れてたせいだ。ゼラは話しかけて来た。
「おはようございます。あの…「告解」をしたいのですが…」
「分かりました、どうぞこちらへ…」
ダリアはゼラを告解室に案内すると、ゼラはゆっくりと話し出した。
【どこからお話すればいいかしら…そう…私は町のギャラリーで画商をしてますの。先日、今まで見たことのない美しい絵に出会いまして…私は昔、その絵を描いた画家の方にお会いしたことがあって…その画家は私の遠い親戚の依頼で「贋作画家」をしてましたの。
(それを聞いた時、ダリアはその画家がクレセントの事だと気づいた。昔…遠い町に住んでた頃、クレセントは富裕層からの注文で、大量の絵画を描かされていた。その頃、偽の絵画が出回る事件が多く、出処《でどころ》もはっきりせず首謀者は分からないままだった。しかし、時々クレセントの作業場を見ていたダリアは彼が描かされてた絵こそ「贋作では…?」と推測していた。しばらくしてクレセントには、その仕事が来なくなった。首謀者が捕まったのはその直後だった)
ゼラは続けた。
最初は画家の方から「絵を貸して頂く」だけでした。ですが私はきっとあの絵の魅惑に酔ってしまったんですわ。この絵を手に入れたい、売ればきっとギャラリーで過去最高額の絵画になるという確信がありました。私はその画家の方に借りた絵の贋作を描くよう言いました。(作者は同じなので複製と言うべきでしょうけど)その画家は同一の物は描けない事と、モデルの奥様と絵を決して売らないと約束してる、だから描けないのだ、とはっきりお断りされました。けれどその画家が昔、贋作画家と言う事を知っていた私は彼に無理に描かせました。正確には脅した、と言っても過言ではありません…それがこの絵なのです。勿論、絵だけがきっかけではありません。先日私、久しぶりに婚約者の彼と再会しましたの。それで考えてしまったんです…もしあの時、ダイヤが盗まれてなかったら今頃は彼と結婚できたはずだと…シスターはご存知ないと思いますが…昔、私が住んでた町には「怪盗」がいましたのよ…そう、小説にしか出てこないような泥棒。実際に人様の屋敷に忍び込んで物を盗むんです。怪盗はある時、私と婚約者の2粒のダイヤを盗みました。でも時期が悪過ぎました。その後、遠い親戚の者が贋作売買をしていた事が発覚して…私の家は信用を失って…婚約まで破棄になって…婚約者の彼とは引き離された上に、彼は別の女性を婚約者としてあてがわれましたわ。挙句の果てにその女性は、どうなったと思いますか…?…怪盗に、さらわれてしまいましたのよ…!】
そしてダリアは全てを悟った。ゼラの婚約者が、昔の自分の婚約者「プラチナ」だと言う事、怪盗が盗んだダイヤが2人を引き裂き、クレセントがそのダイヤで指輪を作ろうとしてしまった事…
何とかダイヤを返さなくては…そう思ったものの、ダイヤはクレセントが持ってるし、相談したところで彼がすんなり聞き入れると思えなかった。怪盗はプラチナを毛嫌いしてた。ダリアを手籠(てご)めにしようとした事を根に持って、今でも「赦せない」と言ってる。ダリアは一計を案じた。自分は敢えてプラチナの元に行き、怪盗に自分を取り戻すように仕向け、ダイヤを返すきっかけにしようとしたのだ。ダリアはクレセントのいるアパートへ手紙を残した。
(私と、よりを取り戻したいなら、ダイヤをプラチナとゼラさんに返してあげて。
あれは彼らの物なのだから)
それから数日後、ダリアは「本当に」プラチナの元へ行く。プラチナは驚いたが、この町の滞在が終わる月曜日に一緒に帰ろうと約束をした。ダリアがプラチナの元へ行ったのはこんな経緯なのだった。
*
前日は、さほど飲んでないし、そもそも自分は酒に強い方だと思ってたプラチナだが、彼が起きたのはチェックアウトの2時間前だった。彼は昨夜の事を思い出した。あと1歩でダリアと通じると思ったが、体が徐々に言う事を利かなくなり、眠り込んでしまった。きっと自分は薬を盛られたのだろう…そしてサイドテーブルのヴェルヴェットの小袋を見た時、全てを悟った。
「そうか…あの2人、最初から「グル」だったのか…」
彼は小袋の中を見た。
中から出てきたのは、昔と変わらず、朝日を浴びてキラキラ輝く2粒のダイヤモンドだった。小袋の中には、小さな紙片も入っている。その昔…ゼラと共に宝石店で指輪のデザインを選び、2人の指輪のサイズを書いたメモ…
「こんな事で…借りを返したつもりか…?
あの怪盗は…こんな…小さな宝石で…」
…しかし言葉とは裏腹に彼の目の前の景色は涙で歪(ゆが)んでいた…
■■■22-演奏依頼
ホテルをチェックアウトし、プラチナが向かったのはギャラリーだった。ギャラリーではクレセントの展示会の期間だった。『まどろむ裸婦』は結局、公開はおろか展示も中止となってしまったが展示会には人がやって来ていて上々だった。新米画家の彼の絵は好評で、プラチナは初めて怪盗である彼の別の側面を見た様に思った。
ゼラはプラチナを歓迎した。客間へ案内し一緒にお茶を飲んだ。プラチナは今日、出発すると言う。ゼラは寂しそうに惜しむのだった。
「それと帰ったら…ダリアとの婚約は正式に破棄するつもりだ。俺もいつまでも過去にこだわってるわけには行かないしな」
「あら、あなたにもいよいよ「良い人」が見付かったのかしらね…」微笑みながら応じるゼラだが、心の中は背負ってしまった罪と、もうプラチナは過去を振り返らず、自分の元から去って行ってしまう寂しさで胸が張り裂けそうだった…。
「そう言う事になるだろうな。実はさ…昨日の夜、俺の元に怪盗が来たんだ。あいつは昔と変わらず俺の「貴重品」を性懲(しょうこ)りもなく盗んでいきやがったんだ…!(ゼラの手前、何を盗まれたかは言わなかった…)けれど今回はアイツは「お土産」を残していったよ…」
「お土産…?」
「これで罪滅(つみほろ)ぼしのつもりかと俺は思ったけどな。でもこの宝石は俺の物だけじゃない、君の物でもある。だから正直に言おうと思ったんだ」
そう言うとプラチナは、あの2粒のダイヤモンドを取り出してゼラに見せた。ゼラは驚(おどろ)いた…!
「これは…!怪盗は…これをあなたに…?」
「そうさ。彼は俺に正体を知られたから、その口止め料といったところか…?しかしアイツが盗んだ物の数を考えれば、これだけじゃ到底、罪は償(つぐな)えないだろうけど…けれど少なくとも、この宝石は君の信用を取り戻す価値は充分ある。どうかな、これから俺と一緒にあの町へ帰ってみないか?」
思ってもない申し出にゼラは驚いたが、しかし自分はクレセントに“複製”を描かせてしまった罪で悩んでいた。プラチナは黙(だま)っていれば独り占めすることもできた2粒のダイヤモンドの事を正直に自分に話してくれたのだ。ゼラも自分の罪を正直に話すことにした。
「ありがとう。でも私は、あなたに相応(ふさわ)しい女性か自信が無いわ…実は私、クレセントさんに複製を描かせて、それを売ろうとしたの。彼の絵は見所があるから私はそれを利用して宝石を…そう、あなたと指輪を作るはずだったあのダイヤと同等の価値のあるものを手に入れたかったの…あなたと、もう1度やり直したいと思って…私ったら、なんて愚(おろ)かだったのかしら。ねえ、こんな私は、あなたの隣にいられる資格はあるのかしら…あなたはどう思う…?」
プラチナはそれを聞いて正直、心からほっとしたのだった。彼女はクレセントに入れ込んでたわけではない。彼の絵に魅了されてただけなのだ。それに未だ自分への思いを大切にしてくれてた事を嬉しく思った。彼は答えた。
「勿論だ、今まで君以上のパートナーに出会った事はなかった。これからだって、きっとそうさ…どうだろう?これからは俺と一緒に人生を歩いてみないか?」
「ええ、私で良ければ喜んで…!」
2人はほぼ同時にソファーから立ち上がった。互いに歩み寄って寄り添うと、今まで埋められなかった時間を両腕に包み込む様に…
抱きしめ合った…
……
*
それから数日後。
展示会の最終日になった。ゼラは、けじめをつけたいから、展示会を終わらせてから町に帰っても良いかプラチナに聞いた。プラチナも承諾して、もう少し滞在を延ばした。
夕方、片付けも終わりギャラリーは少しの間、休館する案内を掲(かか)げると2人は集会所へ歩いて行った。長椅子が並べられてる建物の中には、クレセントとシスター(ダリア)、それと先生がいた。外からは秋の夕陽の優しいオレンジ色の光が差し込み、ステンドグラスの色と調和して集会所の中を優しく包んでいた。ゼラは話しかけた。
「展示会お疲れ様でした。あとの事はスタッフに任せてます。お借りした絵も明日にはアパートに届けさせますわ。それと…今回は不躾(ぶしつけ)なお願いをしてしまって…言葉が出ませんわ。なんとお詫(わ)びしたらいいか…」ゼラが言葉に詰まるとクレセントは話した。
「貴重な機会を頂き感謝してます。次もよろしくお願い致します。ただ…「あの絵」だけはもう表には出しませんよ。貸すこともしません。あの絵は僕だけの絵ではありませんから…」
プラチナがシスターに話しかけようと近づいたが、クレセントがサッと前に立ち塞(ふさ)がった。
「何でしょう?要件なら僕が伺います。申し訳ありませんが彼女は今、「ある出来事」のせいで男性恐怖症なんですよ。話なら僕が聞きます…!」
(私が男性恐怖症ですって!?大袈裟(おおげさ)だわ!)
必要以上にクレセントが格好つけるのでダリアは可笑(おか)しさのあまり、吹き出しそうになった。しかしここは夫に甘え、演技を合わせることに…。
チラッとプラチナを見ると、サッと目をそらす仕草をした。
「あなたには迷惑をかけた…本当にすまなかった!それだけは最後に伝えたくて…!!」
ダリアは顔を上げなかったが、小さくコクリと頷(うなず)いたのだった。
プラチナとゼラは結婚する事を先生に伝えた。町に帰る前に内々の式を挙げたいので週末の集会所の予約に来たのだった。プラチナはクレセントに聞いてみた。
「ダリアが吹くフルートは集会所でも評判の様だな。もし良かったら俺たちの式の時に演奏してくれないか…?」
「…君は、どうだい?」クレセントはダリアに聞いた。
「ええ、祝福を込めて演奏しますわ」
プラチナとゼラは帰って行った。クレセントとダリアもアパートに帰ろうとした時だった。先生は2人を呼び止めた。
「待ちなさい。君たちに、ちょっと見せたいものがあるから」
そう言うと2人を集会所の地下の方へ案内した…。
■■■23-知らされた塔の秘密
ランプを持った先生の後ろに2人は付いていった。地下への階段は、関係者用のドアと食堂の部屋までの廊下の途中にあるドアから入った。普段は鍵がかかっているのでダリアもそのドアに入るのは初めてだった。
地下への石段を降りると、少し広くなっていて石が敷き詰められた床と煉瓦(れんが)の壁の薄暗い部屋だった。目の前の壁には、右に小さな戸棚と、真ん中に頑丈そうな仕かけの鍵がついた大きなドアと、その左には人が1人分立ったまま入れそうな窪(くぼ)み、その中の上には8本の異なる長さの鉄琴が吊るされている。上の階には丁度、オルガンが設置されてる位置になる。オルガンと何か関係があるのだろうか…とクレセントは思った。
すると先生は、傍(かたわらの戸棚からフルートを取り出し、それをダリアへ手渡した。
「さあ、そのくぼみの中に立ってこのフルートで曲を吹いてご覧なさい。曲名は「△△△△△△」だ。ただし、この先ここで演奏した曲名を他の者に漏(も)》
らしてはならないよ。このドアは「音楽で開ける鍵」なんだよ。まあ、実際に吹いてみればわかるよ」
「音で開ける鍵…!?」
曲名は小さな声だったし、クレセントは音楽には詳しくないので、彼は分からなかったがダリアは曲を知ってる様だった。彼女は、くぼみの中に立ってフルートを吹いてみた。
薄暗い地下の部屋にフルートの柔らかな音色が響いた。すると隣のドアの中が何やら「ガチャガチャ…」小さな音を立て始めた。驚いたダリアがフルートを止めると、鍵も音を止めた。
「気にせず、そのまま続けなさい」
先生に促(うなが)されて、ダリアはさらにフルートを吹き続けた。やがてドアが「ガシャン」と大きな音を立てて止まった。
先生はドアを開けて2人を中へ招き入れた。
ドアの向こうを見た2人は驚(おどろ)いた。そこは小さな部屋で、外の明かりを取り込む窓が1つあり、夕陽のオレンジ色が微かに差し込んでいた。そのせいもあるだろうが、部屋の中は、あちこち黄金色に輝く貴金属や宝石で溢(あふ)れていた。
「これらはその昔、裁判で証拠品となったり、町の役人たちが没収した物だ。残念ながらここにあるのは、ほとんど偽物だがね。町に犯罪博物館があるだろう。あそこは歴史上、有名な裁判所だったんだ。この集会所の地下は当時の犯罪の証拠品保管用の倉庫として使われていたんだよ」
ふと、傍らを見るとこの前、クレセントが描いた(複写の)『まどろむ裸婦』が立てかけてあった。クレセントが盗みをする時に使った鳥のマスクもあった。
「これはゼラさんが告解の時に持ち込んだものよ。ここに保管してあったのね」ダリアは言った。
「なるほど、町の秩序を守るために誰にも見つけられない場所に隠す必要があったのか」クレセントも納得した。
「そのマスクはここで保管する物じゃない。持ち帰りなさい。それは「ただの土産物」なのだから」先生は言った。
クレセントがマスクを被(か)》って手持無沙汰(てもちぶさた)にしてると、部屋の奥に螺旋(らせん)階段が見えた。そういえば、この集会所は塔の上に行く階段を見たことがなかった。ここから昇るのか…。
「せっかくだから2人で塔の上を見学して来なさい。なかなか絶景ですぞ。たまには風通しも必要なのだが、私はもうこの様に年なのでな。若い2人にお願いしても良いかな?」
2人は螺旋階段から塔に上がって行った。
■■■24-大きな塔の屋根の上で
どこまでも同じ彫刻が続く階段でこのまま辿り着けないのでは、と心配になる頃ようやく屋上に着いた。
小さな出入り口の手前は見張り場として石を敷き詰めた場所が少しあり、そこから塔の周りを1周出来るように小さな通路が設けられていた。手摺(てす)りは細めの鉄の棒が、壁と通路に沿って添えられていたが、ところどころで錆(さ)びたり、割れた部分もあって頼りない感じだった。
景色がとても良く、夕陽が向こうの丘へ沈んで行く綺麗な時間だった。時折、塔の上を突風が吹き付けるので2人は見張り場の石の床に並んで座った。狭かったのでお互いの肩が軽く触れ合った。
「あ、ごめん…」
「え、何が?」
「肩がぶつかったから」
「別に、いいのよ」
しばらくは2人は黙って景色を見ていたがやがて…
「「あの…!」」と同時に声をかけた。
「え、なあに?」
「君こそどうぞ」
「私は、大した事じゃ…あなたは?」
「…景色が…きれいだなぁって思って…」
「ええ、そうね。あのね、私…あなたに謝らなきゃと思って」
「君が?どうして!?」
「私、あなたの事をよく分かってあげてなかったわ。あなたの事を誤解してたし。今回の事であなたが私をどのくらい大切に思っていたか良くわかったの。本当にごめんなさい…」
「謝らないでくれ!君は何も悪くない。元はと言えば僕が悪かったんだ。昔、盗んだ宝石で君へ結婚指輪を作ろうとしたりして。そんな事したって君が喜《よろこ》ぶわけないのに。でも早く君に結婚指輪を渡したかったんだ。君が他の男に取られてしまいそうで怖かったんだ…僕は、本当は臆病者なのさ」
「そんな事はないわ。あなたは優しくて、思いやりがあって、いざとなれば自分の事は顧(かえり)みず、私を守ってくれる勇気ある人よ…でも、もうあんな無茶はしないでね…」
ダリアは、クレセントの肩にそっと頭をのせた。クレセントはダリアの肩をそっと抱き寄せた。ふと…2人は目が合った。ダリアの瞳は深く、もっと覗き込もうと顔を寄せたが、鳥のマスクを被ったままだと気づいた。あと少しでダリアの顔を突(つつ)きそうになった。
慌ててマスクを外し、見つめ合った時、何だか目眩(めまい)がした…何も考えられなくなった…
夕陽が丘の向こうに沈んで行った…景色がまた少し薄暗くなった…
景色の色と合わせる様に…
2人の影は…重なり合った…
……
■■■25-結婚演奏会
日が沈み、町の景色の中に外灯の明かりが見え始める頃、2人は塔から降りてきた。集会所の会場には先生の奥さんがいた。
「お帰りなさい。景色はどうでした?あらあら、修道服が埃(ほこり)で汚れてしまったわね。もう何年も掃除してないから…あとで着替えなさいね。実はね…全然降りて来ないから、足がすくんで立往生(たちおうじょう)してるんじゃないかって心配してたのよ」
「えっと、はい…降りる時はちょっと緊張して…でも何とか…戻って来ました…」
ダリアは、塔の上でのクレセントとの、やり取りを思い出して頬(ほお)を染めた。クレセントは、鳥のマスクを付けたままだったので、先生の奥さんは表情が分からなかったが、彼とて同じだった。
今夜は奥さんのオルガンの日だった。調子の良い時はこうしてオルガンを弾いているのだ。ほのかな夜の明かりとオルガンの柔らかな音調が秋の夜を包み込んで行く。そういえば…ここ最近、アパートにも微かにオルガンの音が聞こえていたなぁ…とクレセントは思った。
その理由を10日後、クレセントとダリアは知る事になりました。仲直りした彼らも、近い内に式を挙げるでしょう。その時は、普段フルートを演奏してくれてるダリアに代わって祝福の音楽を奏でたいと言う、先生の奥さんの密かな計画なのでした。
■■■26-赦(ゆる)しの音色
それから数日後、プラチナとゼラは式を挙げたのでした。次の週にはクレセントとダリアも式を挙げた(結婚指輪は用意できてなかったのですが、2人の気持ちがあればしばらく指輪がなくても良いじゃないの、と言うダリアにクレセントは説得された)
こうして2人は正式な夫婦になりました。
式が終わって、市庁舎に提出する届けを書き終わった時、その書類をしみじみ眺めるとクレセントはダリアの隣にやって来て言いました。
「これからよろしく、お嬢さん…
今日から僕の愛しい妻……ダリア!」
耳元に唇(くちびる)を近づけると、まるでフルートを吹くように、そっと耳打ちしました。それは小さく、周りにいる誰もが気づかない程の音でしたが、ダリアの耳には確かに届いたのでした。
「ねえ…もしかして…あなた今…!」
照れくさかったのかクレセントは口元を抑え、頬を染めていた。
ダリアは、余りに嬉しくて、胸がいっぱいになって、涙が頬を伝ったのでした…
なぜなら、彼が初めて自分を名前で呼んでくれたのだから…!
ダリアには、それはまるで神様から、夫婦になる事を赦された音色のように聞こえたのでした……。
■■■~エピローグ~
結婚式を挙げてから少し経った頃、クレセントとダリアのアパートに、通りに店を構えている、あの貴金属細工店の店主がやって来ました。
「あなた方の結婚指輪を作って欲しいと、仰(おお)せつかりました」
「しかし僕たちは宝石も持っていませんし、そのようなお金もありません。何かの間違いでは?」
すると店主は依頼して来た男の名を言いました。それはプラチナが依頼して来た事でした。クレセントは彼から預かった手紙と、黒い小さな箱を渡されました。
手紙には、ゼラがクレセントに対して取った態度…脅して複写を描かせた事を赦して欲しい事と、そのお詫びとしてダイヤモンドの1粒をクレセントとダリアに譲(ゆず)る事が書いてありました。
(…けど君はプライドが高いから、俺が結婚指輪の代金を立て替えても断ってしまうだろう。ダイヤモンドの資産を3つに分けて、3分の2を結婚指輪に、あと3分の1を指輪の作成費として充てると良い)
「全く!お節介な奴だなあー」
「でもゼラさんと上手く行って良かったわね」
…とはいえ、ダイヤモンドの譲渡(じょう)はプラチナからの和解も意味していたのでクレセントはこの厚意を受ける事にしたのでした。
指輪のデザインは2人で決めたものにしました。…と言っても彼らは指輪ではなく、ダイヤがはめ込まれた「イヤーカフス」でした。1組のイヤーカフスを作り、2人で分け合って片方ずつ付けることにしたのです。これは、お互いに都合が良かったのです。ダリアはフルートを吹く際、楽器を傷付けてしまうと気を使わずに済みますし、画家クレセントも油絵具で指輪が汚れるのを気にしなくて済むからです。
それから後に、ギャラリーでは1枚の絵が話題となりました。それはクレセントの新作の油絵で、あの『まどろむ裸婦』以上に、色使いに深みのある、魅力溢れる絵画に仕上ってました。
今度こそ、表に堂々と展示できる絵として、愛する妻を題材にした作品をクレセントは仕上げたのでした。
絵の題名は…『ほほえむ妻』だそうです……。
〈終〉
{◎読んでくださりありがとうございました}
***[2024年修正]
明け方…まだ日が昇る前の空が白み始めた頃、ダリアは隣に寝ているクレセントの、うなされる声で目が覚めた。彼は何やら恐ろしい光景を見せられているようで、両手で目を覆う仕草をしてつぶやいた…
「…やめろ…にげろ…おじょうさん……!!」
ダリアは、そっとクレセントの頭に触れた…優しく髪を撫(な)でる…すると落ち着いて、また穏やかな寝息を立て始めた…
自分たちは夫婦になってから、もう1年経とうとしてる。でもクレセントは、未だダリアを「お嬢さん」と呼ぶ。いい加減、名前で呼んでくれてもいい頃なのに…その癖(くせ)が、なかなか抜けないのは、今もクレセントがダリアを「富裕層の人」と心で思ってるせいだろう。それか、正式な夫婦となっていないからか…自分たちは世間で言う「夫婦になるための事」例えば、式を挙げたり、神様の前で赦されたり、指輪を作ったり…を1つもせず夫婦になった(男女の営みだけは除いて…けれどそれも、彼の正体を知った時の一夜だけだった…)なぜなら、ダリアは怪盗が「結婚式から盗んで来た女」だからだ。夫は元、怪盗だ…そのせいか彼は時々、怪盗だった頃のトラウマを夢に見てる。
こうして時々、クレセントがうなされてるのを見ると、もしかしたら私たちは、本当は一緒にいてはいけないのでは…と考えてしまう。自分のせいで夫に精神的な負担が大きくかかっている様にダリアには思われた。もし、その重荷が原因で、彼の心が私から離れたらどうしよう…自分は温室育ちの貴族で、世渡り出来る力量はあまり持ち合わせていない。彼に愛想を尽かされたら…そう思うと、不安に駆られるのだった。以前、約束した裸婦のモデルをダリアの方から申し出たのも、彼を惹(ひ)きつけておきたい心の表れだったのかもしれない…。
また時々、仕事に見合わない給料を手渡されるのも気がかりだった。彼は、「親方が気前が良い」とか、「偶然、小品の絵が売れた」とか言うが、嘘をついてるように見えてしまい、今も内緒で危険な怪盗をしてるのでは…と疑ってしまうのだった。1度だけ冗談で「ねえ、もしかして今でも怪盗をしてるんじゃないの?」と尋ねた事があったが、彼は優しくこう言うのだった。
「君は何も心配しなくていいんだよ…」
でもその時、ダリアにはこう言われたようにも感じた。
(…何も知らなくていい…)
*
…そして、その不安が的中してたかの様な事がついに起きる。彼が大粒のダイヤモンドを2粒も隠し持っていたのだ。彼は昔、返そうとしたが、できなかった物と言っていたが、信じられなかった。この町に来るまでに、自分たちの貴金属や宝石類は全て手放したはずなのに。どうして今更、宝石が出て来るの…?でも何より、夫婦で隠し事をされていたことがダリアにはショックだった。遠くの町で知り合いもない彼女は耐えられず、遂には集会所で「告解」してしまったのだった。クレセントにとってはダリアから裏切られた気分だったに違いない。それでも1度目は、集会所の先生に諭(さと)され、奥様からも説得されて、ダリアはアパートに戻ったが…そこで目の当たりにしたのは、画商の女性と抱き合うクレセントの姿だった…ダリアは、もうクレセントの事が分からなくなった。
「いいえ、もしかしたら最初から分かってなかったのかもしれないわ…」
■■■15-貴方に平穏を…
……
…気がつくと怪盗はベッドの上にいた。質素で清潔な白いシーツがひかれたマットの上で、かすかに石けんの香りがした。その香りを嗅いだ時…怪盗はなぜか、いつか晴れた日に、窓辺で洗濯物を干していたダリアを思い出した。ベッドは古い木製で、少し体を動かすと、キシ…と音をたてた。横たわったまま目を走らせ、辺りを伺う。枕元にはランプが置かれ、屋根裏部屋なのか斜めの天井が近く、立ち上がれば木の梁(はり)に手が届きそうだった。小さな窓からは夜明け前の薄明るい空が見えた。
(…そうだっ絵は!?)
何とか体を起こす。川の中でぶつけたのか背中が少し痛む。見ると足元の近くのドアの横に絵が立てかけてある。その側の梁には、彼の服が丁寧に吊るして干してあった。怪盗は何も身につけてない。その時、ドアがそっと開いた。
「良かった、気がついたのね…」
修道女服を着たダリアだった。
*
運んで来た温かいスープを側の台に乗せるとダリアはベッドのふちに腰を下ろした。
「昨日の夜、外が騒がしいから様子を見に来たの。そうしたら、あなたがプラチナと警備の人たちに追われてて…あなたが川に飛び込んで、溺れたのを見て、先生とまだ集会所に残ってた兄2人(先生の弟子の事)に応援を求めたの。あなたの事は兄2人が引き揚げてくれたのよ。大丈夫、兄たちはあなたの事を密告したりしないから…」
「そして君が僕の息を吹き返してくれたのかい?」
「ど、どうしてそれを!?」ダリアはみるみる顔が真っ赤になった。
「僕の口に口紅が付いてたから…ありがとう。また君に助けられたね」
「この絵を取り戻すためだったの?どうして、こんな無茶を…!」ダリアは微かに震(ふる)え涙声になった。
「この絵を売ったり譲(ゆず)ったりしない約束だっただろう…?ごめん、こうなったのは僕の落ち度なんだ。危うく君の事まで危険に晒(さら)すところだった」
「死んじゃたらどうするの…!」ダリアの目から涙が溢(あふ)れた。
「ごめん、本当にごめん…」
ベッドのふちに座ってたダリアに近づくと怪盗はそっと抱き締めた。ダリアは彼の腕の中で肩を小刻みに震わせ、嗚咽を漏(も)らしてた。
「…寒いな…」彼は呟いた。
ダリア顔をあげて涙を拭(ぬぐ)いながら言った。
「そうよ。秋とはいえ川に飛び込んだんだもの。さあ、スープを冷めないうちにどうぞ」
「こっちの方が温まる…」
そう言うと怪盗はダリアを抱き締めたままベッドに寝そべった。古いベッドが、ギシ…と音を立てた。
「ちょ…ちょっと!?ここは神様へのお祈りの場所よ!ダメよ、こんな事…!」ダリアは慌てて怪盗を押しのけようとする。
「でもここは屋根裏部屋だ。ここまでは神様の目も届かないさ…」ダリアにゆっくり覆い被さり、ベッドへ抑え込む。優しく…ゆっくり…腕を腰に回して抱き締めて行く…。
「…君は温かい…」
「…ダメよ…スープが…冷めちゃうわ…」
……
抗(あらが)う彼女をよそに彼は、ゆっくり服を脱がしていく。
頭のベール…
お祈りのアクセサリー…
背中のファスナー…
ランジェリーの鈎爪(かぎつめ)…
彼が下着の紐に指をからめる頃には、ダリアはもう抗うのを止めて身を任せていた。彼の掌(てのひら)が彼女の髪…バスト…腰…脚…と、滑っていく…お互い、もう触れ合ってない部分がどこにも無くなるくらい肌を重ね…唇(くちびる)を重ね…やがてダリアは怪盗の三日月が自分の中へ忍び込んで来たのを感じた……
「…あぁ…私、またあなたに「盗まれて」しまったのね……ねえ、一体いつになったら私は「クレセント」と結ばれる事が出来るのかしら…?」
「君は僕の正体を知ってるし、同じだろ…?」彼は彼女のバストにうずめていた顔を上げると苦笑しながらたずねた。
「怪盗の僕は嫌いかい…?」
「いいえ、どちらも好きよ。ただ、私この頃あなたの事が分からなくなるの…あなたは、まだ私に隠し事をしてない?お願い。もう私に隠し事や嘘はしないで。楽しい時も…もちろん辛い事や悲しい事も、1人で背負い込もうとしないで…私たちは夫婦でしょう…?」
ダリアの細い人差し指が怪盗の唇に触れて、顎(あご)を伝(つた)い、首筋へ流れ、優しく撫でた。
「何も隠してないし、嘘だってついてないよ」
「信じていいのね…?」
「もちろんさ」
安心したダリアは怪盗の顔を優しく手で包み込み、頬(ほお)に唇を寄せて来た。心を込めて…何度も口づけして…。
「ど、どうしたのさ…!?」急にダリアの情熱的なキスを浴びて怪盗はドギマギした。
「ごめんなさい…痛かったでしょう…?」
それから再び口づけを始め、ダリアの熱烈なキスを浴びて怪盗は、すっかりのぼせてしまった。
「大丈夫、もう充分温まったよ…!」
と言ったのだが、
「だめよ。まだ買い物に付き合ってくれなかった分と、ダイヤモンドを隠してた事と、それからサンドイッチを一緒に食べれなかった事と…それから…」
……
こうして結局…朝日が昇って、雀(すずめ)たちが屋根裏部屋の小窓で、さえずり出す頃まで、こんな感じで……
2人は愛し合った…
……
■■■16-「何も知らなくていい…」
怪盗が追手を振り切った後、川で溺(おぼ)れていたのを助け出されてる頃、プラチナと警備の者たちはギャラリーへ戻っていた。
招待客たちは皆、驚いたり絵を見る事が出来ず、がっかりしながら帰った後だった。ゼラは居間のソファーに腰を降ろし頭を抱えていた。プラチナは励ます様に言った。
「すぐに警察へ届けを。大丈夫、きっと絵も取り戻せるし、怪盗も捕まるさ」
「あの絵を盗んだのは、やっぱり「怪盗モントスティル」なのね。いいのよ、もう…あの怪盗が関わる時、私に良い事なんか起きないもの…しかも決まってあなたとの間柄に響(ひび)くの。もう沢山よ…」
「そんな事ないさ。今度こそ、あの怪盗を俺が捕まえてやる!怪盗には心当たりがあるんだ。君は警察に届けて待ってさえいれば良いんだよ」
するとゼラはサッと顔を上げてプラチナにすがった。
「お願い…!どうかまだ警察には知らせないで。絵の事は、いいの。詳しくは話せないけど…何とかなるから。ありがとう心配してくれて。でも本当に…大丈夫だから…!」
「しかし…」プラチナは言いかけたが、ゼラがあまりに必死にお願いするので、それ以上追求は出来なかった。
今夜はこれでパーティはお開きとなった。歩いて近くのホテルに戻りながらプラチナは考えた。
(一体どう言う事だ…?怪盗は間違い無く、クレセントだろう。自分の絵とは言え、契約書を交わしてる間は、一時的に所有権がゼラだから絵を盗んだのだろう…しかし、なぜクレセントは、いずれ手元に戻ると判ってる絵を早急(さっきゅう)に盗む真似を…?公開されたら、まずいことでもあったのか…?モデルが、ダリアだから自分の正体が判明するのを恐れたか…でも絵だけでは怪盗だという証拠にならない…あるいは自分の絵を出し惜しみして…ひょっとして、クレセントはゼラが俺の元恋人だと知って、彼女を利用しようと気を惹こうとしてる…?
でも、まさかゼラに限ってクレセントに「なびく」わけがないだろ…)
しかし昔、ゼラが自分の家には素晴らしい腕を持つ画家がいるのだと誇(ほこ)らしげに話してるのを聞いた事があった。その画家がクレセントだった…ゼラは彼を気に入っていた。俺との婚約が破談になった傷心でクレセントに惹かれたのだとしたら……その考えに至った時、プラチナは、フッと鼻で笑った。
(…アイツは俺からゼラも盗もうとしてる、と言う事か…いいだろう、ならば俺もクレセントから奪ってやろう…お前の大事な妻ダリアを…力尽くで……!)
*
プラチナが帰って行った後、1人きりになったギャラリーの屋敷でゼラは2階の寝室に向かった。ベッドの脇には特大サイズのピザの箱が拡げられていた。
そのピザの箱はゼラが1階のパーティを少し抜け、休憩(きゅうけい)した際に、寝室前の廊下に立てかけられていた物だった。何かしらと寝室で開けた時は驚いた。それはまさしく『まどろむ裸婦』の複製だった。ただ1つ違うとすれば額が付いてない剥(む)き出しの絵で、怪盗に盗まれた方が本物であるのは明らかだった。偽の絵にはメモが添えられていた。
【この絵は私が、ある画家から依頼を受けて貴女へ届けた次第である。本物は私が頂いた。
私腹を肥やす者は偽物芸術が相応しい…
怪盗モントスティル】
このメモを読んだゼラは震えた。メモは恐ろしく、思わずマッチを擦ると大きな硝子の灰皿の上で燃やしてしまった。
ピザの箱の油絵は見た感じでは本物と同じだが、色の深みや人を惹きつけるような魅力はその絵からは全く感じられなかった。クレセントが言った通り、この偽物は市販の油彩絵具を使用してるせいで、色がくすんでいるのだろう。本物を目にした事があるゼラにはその違いが明らかだった。でもまだ『まどろむ裸婦』の本物を見たことがなければおそらく騙(だま)されるだろう。
しかしゼラは、もう偽物を売りたいとは微塵(みじん)も思わなかった。もし、この絵が売約済みになった後で、怪盗に本物の『まどろむ裸婦』を公開されてしまったら、自分は本当に贋作売買をした事になってしまう。そう考えると恐ろしく、もうこの絵を売りたいとは思わなかった。
(この偽物を隠さなくては…!でもどこへ…?)
するとゼラは、ある場所を思いついた。ピザの箱は処分し、絵はギャラリーにあった搬出用の別の段ボール箱に詰めると、明日の朝1番に「あの場所」へ行こうと決心した。
■■■17-ダリア、囲われる!!
女心と秋の空、とはよく言ったもので今の状況はまさにその言葉がぴったりだとクレセントは思った。
今日は日曜日。先週の火曜からギャラリーで展示が始まり、クレセントは、朝からわくわくしながら集会所に向かった。あの夜、絵を取り戻し、集会所の屋根裏部屋で互いの気持ちを確かめ合い…その後、忙しくて会えなかったが、展覧会は無事開催に至った(『まどろむ裸婦』の公開は未定のままだ。しかし画家は一向に構わなかった。むしろ清々した)
今日こそギャラリーへ、ダリアをデートに誘(さそ)うのだ…2人で絵を見て回り…楽しくお喋りして…そして仲直りして…また前の様に楽しく暮らせるのだ…と想像しながら…
しかしその日、彼に待ち受けていたのは、想像してたそれとは、かけ離れた状況だった…。
「一体、どう言う事だ!?きちんと説明してくれ!」
狼狽(うろた)えるクレセントにダリアはきっぱり言った。
「だから何度も言ってるでしょ。私は彼の元に行く事にしたの…」
3人しかいない集会所の建物の中でダリアの硬い意志が感じられる声が響いた。彼女は借りていたシスター服と、小さな旅行の鞄(かばん)を脇(わき)に抱えながら隣の男に寄り添うように言った。鞄はもちろん、プラチナの用意したものだった。(クレセントの今の稼ぎでは旅行どころか鞄も買えない)
「ダリアは自分で決めた。もう貴様が口を出せる事じゃない」
「こんなこと納得できるか!そうか…お前がダリアを脅(おど)したんだな。大方、僕が怪盗だと言う証拠を掴(つか)んだ。バラされたくなければ言うことを聞け、とな!どこまで卑劣(ひれつ)な…!!」
するとプラチナは声高らかに笑うと「俺はそんな事一言も行った覚えはないよ」と嘲(あざけ)り手を振った。
「そうよ、私が彼に頭を下げてお願いしたのよ」
クレセントは、もう悪い夢を見てるとしか思えなかった。いつかの夢のように、そろそろ覚めないだろうかと期待した。だが何も起きなかった。これは現実だった。ダリアは言った。
「私、もうあなたにはうんざりなの…妻に隠し事をするし…貧乏生活だし…このまま一生あなたの妻として暮らすなんて、考えただけで疲れるわ…もう沢山よ…」ゆっくり、人差し指で頬(ほお)を突(つ)つきながらダリアは、ため息をついた。
そう言うとダリアは、手を胸の辺りに近づけ、親指を折り、滑(なめ)らかに手を閉じ親指を包む仕草をした。
「じゃあね、さよなら、あなた」
「そう言う事だ。最後に何か言いたい事はあるかな、クレセント画伯…?」
プラチナは馴れなれしくダリアの肩に手をかけて寄り添う。ダリアは無表情で、顔が石のように強張り、拒否もせず、クレセントと目を合わせず、はるか遠くを眺めてる様な、ぼんやりした目をしていた。胸の前では拳を作ったままだ…。
「………!!」
(その手をどけろ!!)クレセントは叫びたかったが敢(あ)えて黙(だま)っていた。
「やれやれ、君の彼女への愛はその程度だったのか。それじゃあ行こうか」
そう言うと肩を組んだまま2人は集会所を出て行った。
臙脂色(えんじいろ)の絨毯(じゅうたん)を歩いて扉を出て行く2人の姿を見ていたクレセントは、拳を握り締めて「今だけは」追いかけない様に自分を抑えてるのが精一杯だった…。
■■■18-ひょっとして心変わり!?
それはまるで、チタンのアイスピックでダイヤモンドを粉々に砕かれるような、恐ろしい想像だった。ダイヤモンドは世界一硬いと言われるが、集中的な打撃(だげき)にはとても弱く、あっさり砕けてしまう物なのだ。ダリアのダイヤモンドの貞操は今まさに最大の危機を迎えていた…!
*
クレセントと集会所で別れてから、プラチナとダリアは夕食を共にするため、予約してあったレストランへ行った。その店はこの町で1番美味しくて高価な料理で有名な店だった。プラチナと今日、その店に入るまでダリアは、この店が町の通りにあった事さえ知らなかった。あの小さなアパートでクレセントとの食事だけで彼女は満足で幸せだった。その店の料理は美しい盛り付けで美味しかったが、夕食後、プラチナが滞在するホテルに一緒に行き、一夜を共にしなければならないと思うと急に料理の味がしなくなってしまった。
夕食後に2人はホテルに行った。それでもプラチナは久しぶりに再会したダリアに気を使って、バスルームに入ろうとした時「ちょっと地下のバーに行って来る」と言うと部屋を出て行ってしまった。その間にダリアは入浴を済ませた。
1時間後、プラチナは戻って来た。本当にお酒を飲んだらしく、ほんのり顔がピンク色をしていた。彼は自分も入浴すると言い、「あなたはバーに行かなくてもいいのさ」と、いらない台詞を言って立ち上がろうとするが、足はふらつき、ふざけてるのではないかと思うほど酔っていた。
「ダメよ!それでバスルームに入ったら危ないわ」
ダリアはプラチナに肩をかして、引きずるようにベッドに運び、彼を寝かせた。サイドテーブルのサーバーからミネラルウォーターを取り出し、栓を開けるとコップに注ぎ、差し出した。プラチナは、グッと一気飲みした。
「…俺は昔、君にひどい事をしようとしたのに、君は優しいな…クレセントが君を攫(さら)いたくなるのも分かる気がするよ。画家の彼とは俺より、もっとたくさん会っていたのだろう?判るよ…君は俺に全く関心がなかったからな…でも君も気づいただろ?俺にも恋人がいた事に。そうさ、俺にも想い人はいた…ギャラリーの画商を知ってるか?ゼラがそうなのさ…本当なら俺たちは結婚するはずだったんだ…でも出来なかった…怪盗がダイヤモンドを盗んでしまったからさ…俺にはもう君しかいない…なあ、もう1度やり直してくれるか…?」
そう言うとプラチナは眠り込んでしまった…。
■■■19-騙(だま)し討(う)ち!
……
真夜中だった。ダリアがベッドで寝ていると耳元で荒い息遣いがして突然、誰かが体の上に馬乗りになった…!それがプラチナだと気づくのに数秒かかった。彼はダリアの薄絹のネグリジェを胸元から引き裂いた!微(かす)かな照明の中で艶(つや)のある肌とレース編みのランジェリーが露(あら)わになる…!!
「何なさるの…!酔ってるの!?」ダリアは叫んだ!
「俺は酒が強いのさ…軽く飲んだだけで、さっきは演技だ…俺はまだ君を信用してるわけじゃない…!婚前交渉は怪盗に邪魔されたし、式まで夫婦の営みがお預けだった…君は俺と通じる前に怪盗に攫われてしまったしな…明日、屋敷に帰ってから…と考えたが…帰る前に心変わりされても困るんでね!」
彼はネグリジェを毟(むし)る様に脱がし、ベッドから逃げようとするダリアを力尽くで抑えつけた。千切(ちぎ)れそうな勢いで下着を脱がされダリアは叫んだ!
「馬鹿なことやめて!あなたは、今もゼラさんを愛してるのでしょう!?」
「そうだ…でも、もうその未来は手に入らない…モントスティル、アイツが赦せない…!だから俺も、アイツが盗まれて1番悔しがる大事な物を奪ってやる!君を俺の妻にする事で…!そして君は、これから表向きは俺の妻として、実際は側室として人生を送るがいい…!」
プラチナはダリアを逃さない様、馬乗りになったまま、服を脱ぎ捨てた。暗闇で彼の腰から鈍(にぶ)く光を放ったような漆黒のナイフが現れているのがダリアの視界の端(はし)に映った。
心が…凍りついた…!
「やめて…!クレセント!早くきてぇ!!
…いやぁ!!」
………
■■■20-お門違い
「……ま、間に合わなかったか…!?」
ホテルの寝室でランプに顔を照らされてる怪盗とダリア。ベッドの上でプラチナは、何も身につけない姿で寝息を立ててる。怪盗は微かな明かりを頼りにダリアの顔を覗き込んだ。ダリアはベッドの上でプラチナの脇に座り込み、震えていた…腕や脚は力強く押さえられたせいで数か所、痣(あざ)になっていた。
ダリアは呟く…
「…おそいかったじゃない…」
次の瞬間、怪盗は素早くベッド脇のランプを掴(つか)むとプラチナの頭めがけて振り下ろそうとした!
「何してるの!?大丈夫、私は無事よ!!」
ダリアは、なりふり構わず怪盗に飛びついた!!
妻の裸を目の当たりにした怪盗は我に返った!
「あ…なんだ…てっきり……
まったく!紛(まぎ)らわしい返事しないでくれよ。危うく殺人まで犯すところだったじゃんか!!」
ダリアが慌てて叫んだ。
「ごめんなさい、心配させて!
でも私もびっくりして混乱してるの。ありがとう。私の「ハンドサイン」に気づいてくれて…!」
ダリアは昼間、集会所でやって見せた親指を包み込む仕草を再現した。
怪盗は先程ホテルの窓から侵入した。レースのカーテンの向こうから目の前に飛び込んだのは、まさにダリアとプラチナの「男女の営む」だった。
怪盗は吐き気がした!
…しかしよく見ると、プラチナは気絶していて、ダリアは彼の重たい体を退(のけ)けようとしていた、だけだった。怪盗が手伝ってダリアは解放された。その愛する妻の第一声が「おそかったじゃない…」では理性が吹っ飛ぶだろう。
「最初は驚いた…と言うよりショックだったよ。でも途中から君は話ながら頬に指を突付いてたし、さよならを言った時の仕草で確信したんだ。君は音楽の先生だし、聾唖(ろうあ)の子のために手話を勉強してたしね」
「あなたなら気付いてくれると思ったわ。頬を突(つつ)くのは「嘘です」、親指を包む仕草は「私を助けて」って意味よ。良く出来ました…☆」
「さあ、急いで帰ろう。君としてはすぐにでもシャワーを浴びたいだろうけどね。プラチナがいつ目を覚ますかは分からないから」
プラチナは穏やかな顔で眠りこけていた。飲酒した上に、ミネラルウォーターを差し出した際の「睡眠導入剤」が効いていた。
ダリアは急いで支度をして荷物をまとめた(鞄は置いていくつもりなので怪盗が持って来たリュックに荷物を詰めた)
怪盗はベッドのサイドテーブルの上に、ある物を置いて2人はホテルの部屋を後にした。
サイドテーブルの上には黒いヴェルヴェットの小袋。その中には、あの2粒のダイヤモンドが入ってた…。
■■■21-不協和音
ダリアが何故こんな茶番をする事になったのか。それは先週、展覧会が始まる火曜の事だった。
朝、ダリアが集会所の周囲を掃除してると、やけに大きな荷物を持った女性がやって来た。ダリアはそれが画商のゼラだと気づいたが、ゼラはシスターが絵のモデルであるダリアだという事には気づかなかった。ベールで顔と髪型が隠れてたせいだ。ゼラは話しかけて来た。
「おはようございます。あの…「告解」をしたいのですが…」
「分かりました、どうぞこちらへ…」
ダリアはゼラを告解室に案内すると、ゼラはゆっくりと話し出した。
【どこからお話すればいいかしら…そう…私は町のギャラリーで画商をしてますの。先日、今まで見たことのない美しい絵に出会いまして…私は昔、その絵を描いた画家の方にお会いしたことがあって…その画家は私の遠い親戚の依頼で「贋作画家」をしてましたの。
(それを聞いた時、ダリアはその画家がクレセントの事だと気づいた。昔…遠い町に住んでた頃、クレセントは富裕層からの注文で、大量の絵画を描かされていた。その頃、偽の絵画が出回る事件が多く、出処《でどころ》もはっきりせず首謀者は分からないままだった。しかし、時々クレセントの作業場を見ていたダリアは彼が描かされてた絵こそ「贋作では…?」と推測していた。しばらくしてクレセントには、その仕事が来なくなった。首謀者が捕まったのはその直後だった)
ゼラは続けた。
最初は画家の方から「絵を貸して頂く」だけでした。ですが私はきっとあの絵の魅惑に酔ってしまったんですわ。この絵を手に入れたい、売ればきっとギャラリーで過去最高額の絵画になるという確信がありました。私はその画家の方に借りた絵の贋作を描くよう言いました。(作者は同じなので複製と言うべきでしょうけど)その画家は同一の物は描けない事と、モデルの奥様と絵を決して売らないと約束してる、だから描けないのだ、とはっきりお断りされました。けれどその画家が昔、贋作画家と言う事を知っていた私は彼に無理に描かせました。正確には脅した、と言っても過言ではありません…それがこの絵なのです。勿論、絵だけがきっかけではありません。先日私、久しぶりに婚約者の彼と再会しましたの。それで考えてしまったんです…もしあの時、ダイヤが盗まれてなかったら今頃は彼と結婚できたはずだと…シスターはご存知ないと思いますが…昔、私が住んでた町には「怪盗」がいましたのよ…そう、小説にしか出てこないような泥棒。実際に人様の屋敷に忍び込んで物を盗むんです。怪盗はある時、私と婚約者の2粒のダイヤを盗みました。でも時期が悪過ぎました。その後、遠い親戚の者が贋作売買をしていた事が発覚して…私の家は信用を失って…婚約まで破棄になって…婚約者の彼とは引き離された上に、彼は別の女性を婚約者としてあてがわれましたわ。挙句の果てにその女性は、どうなったと思いますか…?…怪盗に、さらわれてしまいましたのよ…!】
そしてダリアは全てを悟った。ゼラの婚約者が、昔の自分の婚約者「プラチナ」だと言う事、怪盗が盗んだダイヤが2人を引き裂き、クレセントがそのダイヤで指輪を作ろうとしてしまった事…
何とかダイヤを返さなくては…そう思ったものの、ダイヤはクレセントが持ってるし、相談したところで彼がすんなり聞き入れると思えなかった。怪盗はプラチナを毛嫌いしてた。ダリアを手籠(てご)めにしようとした事を根に持って、今でも「赦せない」と言ってる。ダリアは一計を案じた。自分は敢えてプラチナの元に行き、怪盗に自分を取り戻すように仕向け、ダイヤを返すきっかけにしようとしたのだ。ダリアはクレセントのいるアパートへ手紙を残した。
(私と、よりを取り戻したいなら、ダイヤをプラチナとゼラさんに返してあげて。
あれは彼らの物なのだから)
それから数日後、ダリアは「本当に」プラチナの元へ行く。プラチナは驚いたが、この町の滞在が終わる月曜日に一緒に帰ろうと約束をした。ダリアがプラチナの元へ行ったのはこんな経緯なのだった。
*
前日は、さほど飲んでないし、そもそも自分は酒に強い方だと思ってたプラチナだが、彼が起きたのはチェックアウトの2時間前だった。彼は昨夜の事を思い出した。あと1歩でダリアと通じると思ったが、体が徐々に言う事を利かなくなり、眠り込んでしまった。きっと自分は薬を盛られたのだろう…そしてサイドテーブルのヴェルヴェットの小袋を見た時、全てを悟った。
「そうか…あの2人、最初から「グル」だったのか…」
彼は小袋の中を見た。
中から出てきたのは、昔と変わらず、朝日を浴びてキラキラ輝く2粒のダイヤモンドだった。小袋の中には、小さな紙片も入っている。その昔…ゼラと共に宝石店で指輪のデザインを選び、2人の指輪のサイズを書いたメモ…
「こんな事で…借りを返したつもりか…?
あの怪盗は…こんな…小さな宝石で…」
…しかし言葉とは裏腹に彼の目の前の景色は涙で歪(ゆが)んでいた…
■■■22-演奏依頼
ホテルをチェックアウトし、プラチナが向かったのはギャラリーだった。ギャラリーではクレセントの展示会の期間だった。『まどろむ裸婦』は結局、公開はおろか展示も中止となってしまったが展示会には人がやって来ていて上々だった。新米画家の彼の絵は好評で、プラチナは初めて怪盗である彼の別の側面を見た様に思った。
ゼラはプラチナを歓迎した。客間へ案内し一緒にお茶を飲んだ。プラチナは今日、出発すると言う。ゼラは寂しそうに惜しむのだった。
「それと帰ったら…ダリアとの婚約は正式に破棄するつもりだ。俺もいつまでも過去にこだわってるわけには行かないしな」
「あら、あなたにもいよいよ「良い人」が見付かったのかしらね…」微笑みながら応じるゼラだが、心の中は背負ってしまった罪と、もうプラチナは過去を振り返らず、自分の元から去って行ってしまう寂しさで胸が張り裂けそうだった…。
「そう言う事になるだろうな。実はさ…昨日の夜、俺の元に怪盗が来たんだ。あいつは昔と変わらず俺の「貴重品」を性懲(しょうこ)りもなく盗んでいきやがったんだ…!(ゼラの手前、何を盗まれたかは言わなかった…)けれど今回はアイツは「お土産」を残していったよ…」
「お土産…?」
「これで罪滅(つみほろ)ぼしのつもりかと俺は思ったけどな。でもこの宝石は俺の物だけじゃない、君の物でもある。だから正直に言おうと思ったんだ」
そう言うとプラチナは、あの2粒のダイヤモンドを取り出してゼラに見せた。ゼラは驚(おどろ)いた…!
「これは…!怪盗は…これをあなたに…?」
「そうさ。彼は俺に正体を知られたから、その口止め料といったところか…?しかしアイツが盗んだ物の数を考えれば、これだけじゃ到底、罪は償(つぐな)えないだろうけど…けれど少なくとも、この宝石は君の信用を取り戻す価値は充分ある。どうかな、これから俺と一緒にあの町へ帰ってみないか?」
思ってもない申し出にゼラは驚いたが、しかし自分はクレセントに“複製”を描かせてしまった罪で悩んでいた。プラチナは黙(だま)っていれば独り占めすることもできた2粒のダイヤモンドの事を正直に自分に話してくれたのだ。ゼラも自分の罪を正直に話すことにした。
「ありがとう。でも私は、あなたに相応(ふさわ)しい女性か自信が無いわ…実は私、クレセントさんに複製を描かせて、それを売ろうとしたの。彼の絵は見所があるから私はそれを利用して宝石を…そう、あなたと指輪を作るはずだったあのダイヤと同等の価値のあるものを手に入れたかったの…あなたと、もう1度やり直したいと思って…私ったら、なんて愚(おろ)かだったのかしら。ねえ、こんな私は、あなたの隣にいられる資格はあるのかしら…あなたはどう思う…?」
プラチナはそれを聞いて正直、心からほっとしたのだった。彼女はクレセントに入れ込んでたわけではない。彼の絵に魅了されてただけなのだ。それに未だ自分への思いを大切にしてくれてた事を嬉しく思った。彼は答えた。
「勿論だ、今まで君以上のパートナーに出会った事はなかった。これからだって、きっとそうさ…どうだろう?これからは俺と一緒に人生を歩いてみないか?」
「ええ、私で良ければ喜んで…!」
2人はほぼ同時にソファーから立ち上がった。互いに歩み寄って寄り添うと、今まで埋められなかった時間を両腕に包み込む様に…
抱きしめ合った…
……
*
それから数日後。
展示会の最終日になった。ゼラは、けじめをつけたいから、展示会を終わらせてから町に帰っても良いかプラチナに聞いた。プラチナも承諾して、もう少し滞在を延ばした。
夕方、片付けも終わりギャラリーは少しの間、休館する案内を掲(かか)げると2人は集会所へ歩いて行った。長椅子が並べられてる建物の中には、クレセントとシスター(ダリア)、それと先生がいた。外からは秋の夕陽の優しいオレンジ色の光が差し込み、ステンドグラスの色と調和して集会所の中を優しく包んでいた。ゼラは話しかけた。
「展示会お疲れ様でした。あとの事はスタッフに任せてます。お借りした絵も明日にはアパートに届けさせますわ。それと…今回は不躾(ぶしつけ)なお願いをしてしまって…言葉が出ませんわ。なんとお詫(わ)びしたらいいか…」ゼラが言葉に詰まるとクレセントは話した。
「貴重な機会を頂き感謝してます。次もよろしくお願い致します。ただ…「あの絵」だけはもう表には出しませんよ。貸すこともしません。あの絵は僕だけの絵ではありませんから…」
プラチナがシスターに話しかけようと近づいたが、クレセントがサッと前に立ち塞(ふさ)がった。
「何でしょう?要件なら僕が伺います。申し訳ありませんが彼女は今、「ある出来事」のせいで男性恐怖症なんですよ。話なら僕が聞きます…!」
(私が男性恐怖症ですって!?大袈裟(おおげさ)だわ!)
必要以上にクレセントが格好つけるのでダリアは可笑(おか)しさのあまり、吹き出しそうになった。しかしここは夫に甘え、演技を合わせることに…。
チラッとプラチナを見ると、サッと目をそらす仕草をした。
「あなたには迷惑をかけた…本当にすまなかった!それだけは最後に伝えたくて…!!」
ダリアは顔を上げなかったが、小さくコクリと頷(うなず)いたのだった。
プラチナとゼラは結婚する事を先生に伝えた。町に帰る前に内々の式を挙げたいので週末の集会所の予約に来たのだった。プラチナはクレセントに聞いてみた。
「ダリアが吹くフルートは集会所でも評判の様だな。もし良かったら俺たちの式の時に演奏してくれないか…?」
「…君は、どうだい?」クレセントはダリアに聞いた。
「ええ、祝福を込めて演奏しますわ」
プラチナとゼラは帰って行った。クレセントとダリアもアパートに帰ろうとした時だった。先生は2人を呼び止めた。
「待ちなさい。君たちに、ちょっと見せたいものがあるから」
そう言うと2人を集会所の地下の方へ案内した…。
■■■23-知らされた塔の秘密
ランプを持った先生の後ろに2人は付いていった。地下への階段は、関係者用のドアと食堂の部屋までの廊下の途中にあるドアから入った。普段は鍵がかかっているのでダリアもそのドアに入るのは初めてだった。
地下への石段を降りると、少し広くなっていて石が敷き詰められた床と煉瓦(れんが)の壁の薄暗い部屋だった。目の前の壁には、右に小さな戸棚と、真ん中に頑丈そうな仕かけの鍵がついた大きなドアと、その左には人が1人分立ったまま入れそうな窪(くぼ)み、その中の上には8本の異なる長さの鉄琴が吊るされている。上の階には丁度、オルガンが設置されてる位置になる。オルガンと何か関係があるのだろうか…とクレセントは思った。
すると先生は、傍(かたわらの戸棚からフルートを取り出し、それをダリアへ手渡した。
「さあ、そのくぼみの中に立ってこのフルートで曲を吹いてご覧なさい。曲名は「△△△△△△」だ。ただし、この先ここで演奏した曲名を他の者に漏(も)》
らしてはならないよ。このドアは「音楽で開ける鍵」なんだよ。まあ、実際に吹いてみればわかるよ」
「音で開ける鍵…!?」
曲名は小さな声だったし、クレセントは音楽には詳しくないので、彼は分からなかったがダリアは曲を知ってる様だった。彼女は、くぼみの中に立ってフルートを吹いてみた。
薄暗い地下の部屋にフルートの柔らかな音色が響いた。すると隣のドアの中が何やら「ガチャガチャ…」小さな音を立て始めた。驚いたダリアがフルートを止めると、鍵も音を止めた。
「気にせず、そのまま続けなさい」
先生に促(うなが)されて、ダリアはさらにフルートを吹き続けた。やがてドアが「ガシャン」と大きな音を立てて止まった。
先生はドアを開けて2人を中へ招き入れた。
ドアの向こうを見た2人は驚(おどろ)いた。そこは小さな部屋で、外の明かりを取り込む窓が1つあり、夕陽のオレンジ色が微かに差し込んでいた。そのせいもあるだろうが、部屋の中は、あちこち黄金色に輝く貴金属や宝石で溢(あふ)れていた。
「これらはその昔、裁判で証拠品となったり、町の役人たちが没収した物だ。残念ながらここにあるのは、ほとんど偽物だがね。町に犯罪博物館があるだろう。あそこは歴史上、有名な裁判所だったんだ。この集会所の地下は当時の犯罪の証拠品保管用の倉庫として使われていたんだよ」
ふと、傍らを見るとこの前、クレセントが描いた(複写の)『まどろむ裸婦』が立てかけてあった。クレセントが盗みをする時に使った鳥のマスクもあった。
「これはゼラさんが告解の時に持ち込んだものよ。ここに保管してあったのね」ダリアは言った。
「なるほど、町の秩序を守るために誰にも見つけられない場所に隠す必要があったのか」クレセントも納得した。
「そのマスクはここで保管する物じゃない。持ち帰りなさい。それは「ただの土産物」なのだから」先生は言った。
クレセントがマスクを被(か)》って手持無沙汰(てもちぶさた)にしてると、部屋の奥に螺旋(らせん)階段が見えた。そういえば、この集会所は塔の上に行く階段を見たことがなかった。ここから昇るのか…。
「せっかくだから2人で塔の上を見学して来なさい。なかなか絶景ですぞ。たまには風通しも必要なのだが、私はもうこの様に年なのでな。若い2人にお願いしても良いかな?」
2人は螺旋階段から塔に上がって行った。
■■■24-大きな塔の屋根の上で
どこまでも同じ彫刻が続く階段でこのまま辿り着けないのでは、と心配になる頃ようやく屋上に着いた。
小さな出入り口の手前は見張り場として石を敷き詰めた場所が少しあり、そこから塔の周りを1周出来るように小さな通路が設けられていた。手摺(てす)りは細めの鉄の棒が、壁と通路に沿って添えられていたが、ところどころで錆(さ)びたり、割れた部分もあって頼りない感じだった。
景色がとても良く、夕陽が向こうの丘へ沈んで行く綺麗な時間だった。時折、塔の上を突風が吹き付けるので2人は見張り場の石の床に並んで座った。狭かったのでお互いの肩が軽く触れ合った。
「あ、ごめん…」
「え、何が?」
「肩がぶつかったから」
「別に、いいのよ」
しばらくは2人は黙って景色を見ていたがやがて…
「「あの…!」」と同時に声をかけた。
「え、なあに?」
「君こそどうぞ」
「私は、大した事じゃ…あなたは?」
「…景色が…きれいだなぁって思って…」
「ええ、そうね。あのね、私…あなたに謝らなきゃと思って」
「君が?どうして!?」
「私、あなたの事をよく分かってあげてなかったわ。あなたの事を誤解してたし。今回の事であなたが私をどのくらい大切に思っていたか良くわかったの。本当にごめんなさい…」
「謝らないでくれ!君は何も悪くない。元はと言えば僕が悪かったんだ。昔、盗んだ宝石で君へ結婚指輪を作ろうとしたりして。そんな事したって君が喜《よろこ》ぶわけないのに。でも早く君に結婚指輪を渡したかったんだ。君が他の男に取られてしまいそうで怖かったんだ…僕は、本当は臆病者なのさ」
「そんな事はないわ。あなたは優しくて、思いやりがあって、いざとなれば自分の事は顧(かえり)みず、私を守ってくれる勇気ある人よ…でも、もうあんな無茶はしないでね…」
ダリアは、クレセントの肩にそっと頭をのせた。クレセントはダリアの肩をそっと抱き寄せた。ふと…2人は目が合った。ダリアの瞳は深く、もっと覗き込もうと顔を寄せたが、鳥のマスクを被ったままだと気づいた。あと少しでダリアの顔を突(つつ)きそうになった。
慌ててマスクを外し、見つめ合った時、何だか目眩(めまい)がした…何も考えられなくなった…
夕陽が丘の向こうに沈んで行った…景色がまた少し薄暗くなった…
景色の色と合わせる様に…
2人の影は…重なり合った…
……
■■■25-結婚演奏会
日が沈み、町の景色の中に外灯の明かりが見え始める頃、2人は塔から降りてきた。集会所の会場には先生の奥さんがいた。
「お帰りなさい。景色はどうでした?あらあら、修道服が埃(ほこり)で汚れてしまったわね。もう何年も掃除してないから…あとで着替えなさいね。実はね…全然降りて来ないから、足がすくんで立往生(たちおうじょう)してるんじゃないかって心配してたのよ」
「えっと、はい…降りる時はちょっと緊張して…でも何とか…戻って来ました…」
ダリアは、塔の上でのクレセントとの、やり取りを思い出して頬(ほお)を染めた。クレセントは、鳥のマスクを付けたままだったので、先生の奥さんは表情が分からなかったが、彼とて同じだった。
今夜は奥さんのオルガンの日だった。調子の良い時はこうしてオルガンを弾いているのだ。ほのかな夜の明かりとオルガンの柔らかな音調が秋の夜を包み込んで行く。そういえば…ここ最近、アパートにも微かにオルガンの音が聞こえていたなぁ…とクレセントは思った。
その理由を10日後、クレセントとダリアは知る事になりました。仲直りした彼らも、近い内に式を挙げるでしょう。その時は、普段フルートを演奏してくれてるダリアに代わって祝福の音楽を奏でたいと言う、先生の奥さんの密かな計画なのでした。
■■■26-赦(ゆる)しの音色
それから数日後、プラチナとゼラは式を挙げたのでした。次の週にはクレセントとダリアも式を挙げた(結婚指輪は用意できてなかったのですが、2人の気持ちがあればしばらく指輪がなくても良いじゃないの、と言うダリアにクレセントは説得された)
こうして2人は正式な夫婦になりました。
式が終わって、市庁舎に提出する届けを書き終わった時、その書類をしみじみ眺めるとクレセントはダリアの隣にやって来て言いました。
「これからよろしく、お嬢さん…
今日から僕の愛しい妻……ダリア!」
耳元に唇(くちびる)を近づけると、まるでフルートを吹くように、そっと耳打ちしました。それは小さく、周りにいる誰もが気づかない程の音でしたが、ダリアの耳には確かに届いたのでした。
「ねえ…もしかして…あなた今…!」
照れくさかったのかクレセントは口元を抑え、頬を染めていた。
ダリアは、余りに嬉しくて、胸がいっぱいになって、涙が頬を伝ったのでした…
なぜなら、彼が初めて自分を名前で呼んでくれたのだから…!
ダリアには、それはまるで神様から、夫婦になる事を赦された音色のように聞こえたのでした……。
■■■~エピローグ~
結婚式を挙げてから少し経った頃、クレセントとダリアのアパートに、通りに店を構えている、あの貴金属細工店の店主がやって来ました。
「あなた方の結婚指輪を作って欲しいと、仰(おお)せつかりました」
「しかし僕たちは宝石も持っていませんし、そのようなお金もありません。何かの間違いでは?」
すると店主は依頼して来た男の名を言いました。それはプラチナが依頼して来た事でした。クレセントは彼から預かった手紙と、黒い小さな箱を渡されました。
手紙には、ゼラがクレセントに対して取った態度…脅して複写を描かせた事を赦して欲しい事と、そのお詫びとしてダイヤモンドの1粒をクレセントとダリアに譲(ゆず)る事が書いてありました。
(…けど君はプライドが高いから、俺が結婚指輪の代金を立て替えても断ってしまうだろう。ダイヤモンドの資産を3つに分けて、3分の2を結婚指輪に、あと3分の1を指輪の作成費として充てると良い)
「全く!お節介な奴だなあー」
「でもゼラさんと上手く行って良かったわね」
…とはいえ、ダイヤモンドの譲渡(じょう)はプラチナからの和解も意味していたのでクレセントはこの厚意を受ける事にしたのでした。
指輪のデザインは2人で決めたものにしました。…と言っても彼らは指輪ではなく、ダイヤがはめ込まれた「イヤーカフス」でした。1組のイヤーカフスを作り、2人で分け合って片方ずつ付けることにしたのです。これは、お互いに都合が良かったのです。ダリアはフルートを吹く際、楽器を傷付けてしまうと気を使わずに済みますし、画家クレセントも油絵具で指輪が汚れるのを気にしなくて済むからです。
それから後に、ギャラリーでは1枚の絵が話題となりました。それはクレセントの新作の油絵で、あの『まどろむ裸婦』以上に、色使いに深みのある、魅力溢れる絵画に仕上ってました。
今度こそ、表に堂々と展示できる絵として、愛する妻を題材にした作品をクレセントは仕上げたのでした。
絵の題名は…『ほほえむ妻』だそうです……。
〈終〉
{◎読んでくださりありがとうございました}
***[2024年修正]