△ 月夜とダイヤモンド〜re:make

◆所要時間…25min
◆富裕層たちから盗み出した財産を貧しい人々に、ばら撒く怪盗と、隣町の有力者との政略結婚を迫られてるお嬢さん。怪盗とお嬢さんが結ばれるまでの話。[再掲]

○怪盗○画家○お月様○身分違いの恋○ハッピーエンド○政略結婚○テレピン油

※暴力表現あります。ptsdの方、お控え下さい…
※こちらは登場人物に名前が付いてるもの。

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~contents~
[01-プロローグ]
[02-取引]
[03-テレピン油の香り]
[04-通り魔]
[05-突然の絶交…]
[06-虚栄な求愛]
[07-正体]
[08-公開結婚式]
[09-駆け落ち]
[10,-エピローグ]
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■■■01-プロローグ

昔々、ここから遠く離れた土地での事です…

その町には、富裕層の者たちから貴金属や金銭を盗み、貧しい人々にばらまく怪盗が出没していました。彼に盗まれた宝石は2度と行方がわからなくなることから、富裕層の人々から「月の鎌(モントスティル)」と呼ばれ恐れられてました。
その町に住む富裕層のひとりである「ダリア嬢」は、政略結婚により隣町の青年有力者「プラチナ氏」との結婚を迫られていました。ダリアとプラチナが結婚すれば2つの町が更に大きな権力を得ることが出来る…それがこの結婚の本当の狙いでした。

お見合いの日…屋敷から逃げだしたダリアは、迷い込んだ貧民街の中で数人の恐い男達に絡まれてしまいました。昼間なのに薄暗い建物に連れ込まれ、身につけていた宝石ばかりでなく、衣装まで剥(は)がされそうになった時、「1人の青年」が現れました。彼は襲いかかって来る男達の攻撃を全く恐れず、猫のような素早さで、さらりさらり躱(かわ)してしまい、しまいにはダリアを担ぎ上げて、あっと言う間にその場から煙の様に逃げ去ってしまいました。

無事に逃げ切り、隠れ家に辿り着くと青年は「クレセント」と名乗りました。ダリアも自己紹介をし、何か御礼をさせて欲しいと申し出ました。初めて真正面からダリアを見たクレセントは、その美しさに一瞬で心を奪われ、一目惚れしてしまったのです…
クレセントは自分は貧しい画家で、生活のために富裕層達から依頼された絵ばかりを描く事しか出来ない。だからせめて「美しいお嬢さん(ダリア)」にモデルになってくれないか、とお願いしました。ダリアは承諾し、それから…時々お忍びで画家のクレセントの元へ通う様になりました。

クレセントと話ができる時間は、ダリアにとって大切な時間となりました。ダリアは自分が政略結婚で、もうすぐ籠(かご)の中の鳥のような暮らしが始まるのだとクレセントに打ち明け話をするのでした……彼は何とかダリアを助けてあげたいと思うのでした。
…そう、彼こそが富裕層たちに盗みをはたらく、あの「怪盗モントスティル」だったのです。



■■■02-取引

ある夜の事です。
モントスティルがいつものように屋敷に忍び込み、宝石類を盗んでいると、数多く有る寝室のひとつで高級な木炭の小箱を見つけました。

(富裕層の連中にも絵を描く者がいるのか…?)
鼻で嘲笑い、絵を描く際に利用してやろうと自分のためにそれを持ち去ろうとしました。ふと人の気配がし、振り向くと部屋の入口にダリアが立っていたのです…!この屋敷はダリアの身内の者の屋敷で、今夜は偶然ここに宿泊していたのです。
危険を察知し窓から外へ、ひらりと飛び出すと屋根の上を伝ってそのまま逃げ去ろうとしましたが、ダリアは裏庭までやって来て、必死にモントスティルを追いかけて来ます。月明かりにほんのり照らされてる芝生の上を駆けて来たせいでダリアのドレスの裾は夜霧で薄ら湿っていました。

「…待ちなさい!!」ダリアが叫んだ。
モントスティルは一瞬、ためらったが、距離を取ってダリアと対峙した。ダリアは怪盗が小鳥の様に驚いて逃げてしまわないようにゆっくり慎重に近づいた。彼の顔には真っ白で、まるでヴェニスのカーニバルで被る様な仮面を身に着けているのが微かな月明かりで伺えた。

「…モントスティル…!そ…その木炭を置いて行きなさい…!人の物を盗んで只で済むと思ってるの…!人様の物を盗んで悔しがる顔を見て、いい気になってるのかしら…?!」
モントスティルの正体不明で不気味な雰囲気にたじろぎながらもダリアはやっとの思いで声を絞り出した。
「貴女《あなた》はこの木炭をどうしようと言うのです」
「それは私が“ある方”に差し上げるものです…!」
「貴女にとってその人はどのような人なのですか?」
「友人よ。でも富裕層の友人じゃないわ。私の事を理解してくれる大切な人よ。彼は貧しくて自由に自分の絵を描く事が出来ないのです。貴方には代わりにこれを…」と、ダリアは胸元に身に着けていた大きなダイヤモンドのブローチを外すとモントスティルに放り投げました。

「貴方にはこちらの方が価値があるはずよ…、さあ、その木炭を返して頂戴…!」
しかし、怪盗は一瞥(いちべつ)すると、すぐに宝石をダリアに投げ返してしまいました。
「どうして…!?」
「貴女はもっと高価な宝石を持っている。それでなければ私は嫌です」
「そんな…!…私はこれより高価な宝石を持っていないわ…」

「持っているではありませんか、貴女は“一人の人間としての意思”を。しかし貴女は自分が望みもしない結婚に対して、何の抵抗もせずに諦め、受け容れようとしている。
貴女が、あの隣町の男と結婚すると言う事が、この町を…更に貧しい人々にとって、どれ程の負荷を掛け、陰りを落とす事か…ならばその意思、私に預けてみませんか?私は今夜、貴女にこの木炭の小箱をお返しましょう。その代わり貴女には、この結婚を阻止していただきたい…!」

「そんな…無理よ…私には何も出来ない…そんな力は無いわ。私は確かに、貴方からすれば“富裕層の人間”かもしれない。けれど、こちらの富裕層の世界の中にも権力の格差はあるのよ…だから…無理よ…私には出来な…」
ダリアの言葉をモントスティルは遮った。

「私は可能か否か、そんな事は尋ねてない!今すぐ貴女の本心が聞きたいのです!貴女は、あの男のことを愛してるのか?!答えなければ、この木炭、小箱もろとも丸ごとあの用水路へ放り投げてしまうぞ!?」

「えっ待って!やめて!!……えっと…私は、本当はこんな結婚を望んでなんかいません!!……これでいいのかしら…?」
「貴女の意思、確かに頂戴した!」

…ふとダリアが顔を上げると、広い裏庭には自分ひとりだけ立ちほうけていたのだった。
月明かりが朧(おぼろ)げに照らす裏庭の芝生の上の、少し離れた所に木炭の小箱がひとつ、ぽつんと転がっているだけなのだった。



■■■03-テレピン油の香り

また別のある時、ダリアはサンドイッチを持ってクレセントの元へ出掛けて行きました。庶民の町は、レンガ、土蔵、土壁等で出来ていて、それら建物の間にある狭い路地を通り抜け、その中にあるクレセントの隠れ家を目指します。服が汚れても気になりませんでした。ダリアはまるで好奇心旺盛な子猫になった気分でクレセントに会えることを、わくわくしながら歩いて行きます。
(今日はどんなお喋りをしようかしら…?)

ダリアはまた、クレセントの隠れ家の香りも好きでした。
…それは幼い頃、家族と共に町外れにある保養地へ出掛けたときの事。木漏れ日が差し込む明るい林の中に別荘があり、親戚の子たちと林の中で遊んでいると何処からか「かん…かん…」と樹木を叩く音が聞こえてくるのです。
近くに行くと木樵(きこり)たちが冬用の薪(まき)をこしらえていました。そして新しく樹木を切り倒した時のその香りと、クレセントの隠れ家は似たような香りがしたのです。それはクレセントが日常茶飯事で、油絵を描く際に使う「テレピン油の香りなのだ」とダリアに教えてくれました。



■■■04-通り魔

ダリアは、あの夜の約束を守るため、それからは何とかプラチナ氏との関係を疎遠にするよう努めました。

一部の者たちが権力を握る町ではよくあることですが…プラチナ氏はダリアと婚約が確実となった暁にはモントスティルを捕らえるために町の警備予算を上乗せする裏約束を交わしてました。しかしダリアがこの婚約を先延ばしにしたので町の治安が悪くなり始めました。

貧民街の人々には常に富裕層への嫉妬がありました。
嫉妬は時として人を狂わせるものです。最近は、夜になると富裕層たちが住む町で無差別に人を斬りつけるという「通り魔」が出没するとの噂が語られるようになりました。まだ犯人は捕まっておらず、あのモントスティルの仕業なのではないかと富裕層の人々は噂しました。

ダリアはその事で家の者とケンカになってしまったので、またクレセントの元へ出掛けて行きました。
「あの人は盗みをはたらいても、人を傷つける様な事は絶対しないと思うわ」

「君は何でそう思うんだい?」クレセントはダリアがあまりにきっぱり断言するので、ひょっとして自分の正体が感づかれてるのでは…と気になって尋ねた。
「なんとなく…よ、実は私、誰にも言ったこと無いのだけど、前に“モントスティル”に会ったことがあるのよ。その時も恐れは感じても残酷さは感じられなかったわ。きっと通り魔と怪盗さんは別人よ」
クレセントは自分の事を純粋に誉(ほ)められ、顔がほころびそうになってしまったので、慌てて壁に立て掛けてある大きなキャンバスに振り向くと熱心に絵を描くふりをした。「君は、よく怪盗の話をするね、ひょっとして好きなのかい…?」

「あらやだ、そんなんじゃないわよ!あ…ごめんなさい…もし貴方がこの話を不快に感じたのなら、もうこの話をしたりしないわ…」
「いや、そんな事ないよ。僕もモントスティルの事は好きだし、応援してるよ。格好いいよなぁー、僕ら庶民の事を分かってくれて味方してくれるし☆」

「貴方もそう思う?!そうよね、ステキよね!…でも私たちがもっと努力して、あの怪盗さんが盗みなんかしなくても良い町にしないといけないんだわ。貴方がここで、くすぶらなくてはならないのは私のせいでもあるんだわ…」ダリアは哀しそうに俯向いた。

「そんな事は無いよ!格差はあっても僕と君はこうして出会えたし、君に会ってから僕も画業に精が出るし、君が来てくれるようになって僕の生活は明るくて華やかで楽しくて…あ~、つまり君にすごく感謝してるんだ」照れるのを隠したいが上手く行かない…
「ありがとう、貴方は優しいのね…」コトコトと微笑むダリアなのだった。

さてダリアが帰った後、クレセントは決意した。
「お嬢さんが怪盗の無実を信じてくれてる。よしっ僕も彼女の正当性を証明してやるぞ…!」



それから数日後…モントスティルはここ最近、通り魔が出没すると言う噂の場所にやって来た。
通り魔に、その日必ず遭遇(そうぐう)するとも思えないが建物の上から様子を伺う。恐ろしい噂のためか、金曜だが人影は疎(まば)らだ。通り魔は女性だけ狙うとも聞いていた。ならば変装でもすれば会う確率が高くなるかもしれない…そんな事を考えながら、ふと、通りを見下ろすと見覚えある姿があった。
「お嬢さん…!こんな所で何をして…?」
ふと、モントスティルは通りの向こうの角から、ダリアに近づいて来る1人の男に気が付いた。「まさかあいつが…?!」
すぐ飛び出せる様にもう一段下の階の屋根に移る。しかし、穏やかな挨拶を交わして、その人物はどうやらダリアの婚約者というプラチナ氏のようだった。ダリアは後ろの人物に気付くと、何やら2人で話している。時々、ちょっと微笑んだりして、それはクレセントの、あの隠れ家で見せるダリアの笑顔とは少し違って、どこか憐憫(れんびん)を含んだ儚(はかな)げな微笑みだった。それでもモントスティルはその儚げな微笑みにも魅力を感じ、それを向けられてる婚約者に対し嫉妬を感じたのだった。
…2人はゆっくり通りを歩いて行く。
(仲良く2人で夜の散歩か…)少し退屈に思ったモントスティルは今日は通り魔は現れない、お嬢さんも付添いがいるから大丈夫だろうと思い、その場を去ろうとした時だった…

突然、彼らとは反対方向から誰かがこちらに向かって突進して来たのだ。
直感的に(あいつだ!)そう感じたモントスティルは駆け出した…!通り魔は何だか訳の分からない事を叫びながら2人に襲いかかる!
ダリアを逃がそうと、通り魔の前に立ちはだかるプラチナ。しかし、足をひねって倒れ込んでしまう。通り魔はプラチナには目もくれず、逃げるダリアを追いかけ、狙いを付けて襲いかかる!

間一髪、ダリアの腕を引っ張り、自分の胸に引き込んで庇うモントスティル!しかし激しく振りかざされるナイフの切っ先が仮面の頬と右腕を掠め、その場に血がほとばしった!

その時だった。
一瞬、ダリアの脳裏にクレセントの面影が過った……

丁度そこへ警官たちが到着!一斉に通り魔に覆い被さり、捕まえる事が出来たのだった。
怪盗は、するりと身をかわすと、町の闇(やみ)の中へと消えて行った。
プラチナは何度も、怪我は無いか、どこか痛くないか?とダリアを気遣って尋ねて来た。
「……私は大丈夫よ…」
そう答えるダリアは、ぼんやりしていた…。
怪我はなかったが、まるで心ここにあらずと言う様に呆然としていたのだった…。



■■■05-突然の絶交

翌日、ダリアはまだ午前中だと言うのにクレセントの隠れ家に出掛けて行った。色々と尋ねたいことがあった。

(テレピン油は高価で滅多に手に入らない物だわ……ううん、まさかクレセントさんに限ってそんなこと…有り得ない……でもあの時…あの香り…気のせいじゃないわ。
確かにあれは“テレピン油の香り”だった…!)

モントスティルに庇われ彼の腕の中に抱き締められた時、クレセントを思い出したのは彼からテレピン油の香りを嗅ぎ取ったからだと、後になってダリアは思い至ったのだった。
隠れ家に辿り着くとダリアはいつもの様に木の板で出来たドアに向かって合言葉代わりに決めてある回数でノックをした。しかし、中から返ってきた返事は余りに冷たい物言いだった。

「もうここには2度と来ないでくれ、帰って欲しい!貴女の様な高貴な人に、もしもの事が遭ったら、僕は…しがない画家だ、何にもしてやれない。ここは危険な場所なんだ。いつまた、あの通り魔の様な者が現れても可怪しくない場所だ。貴女と僕は本当は仲良くなんかしてはいけなかったんだ…!」

「どうしたの…何かあったの…?ねえ、お話をしましょう。私なら平気よ。通り魔に遭ったけど傷一つなく済んだし。ねえお願いだからドアを開けて…」

クレセントは怒鳴った!
「いいから帰れよ!!早く帰って、あの男と結婚するんだ!美しい鳥は安全な鳥かごの中にいる事が一番幸せなんだよ!!」

その後はもう、いくらノックをしてもクレセントは返事をしてはくれませんでした。日が高くなり、狭い路地は少し蒸し暑くなってきました。
例えば、水を飲むためとか、食糧を調達しに出掛けたりとか、そのために外へ出てくるかもしれない…ダリアは待ってみる事にしました。
しかし、しばらくすると路地の向こうから恐い男たちがやって来ました。それは以前、ダリアを襲ってきたあの男たちでした。向こうはまだこちらに気づいてません。ダリアは焦りました!
「お…お願い、中に入れて!恐い男たちが近づいて来るの…!」
しかしやはり反応はありません。仕方無くダリアはその場を去って逃げたのでした。



…日が高くなり、歪(ゆが)んで少し硝子(ガラス)が欠けた小窓から僅(わず)かに日が差し込んでいる。
(どれ位時間が経っただろうか…)クレセントは起き上がった。右の上腕に痛みが走る。通り魔に付けられた傷は思ったより深かったらしく、包帯から血がにじみ始めてる。

「畜生…これじゃしばらく絵筆が握れない…」
狭い隠れ家の中の壁は血が付いた手で擦られ、あちこちまるで茶黒色(バーントシェンナ)の絵の具を擦り付けた様な有様だった。もし昨夜、襲われたのがダリアでなければ(新しい作品の形式なんだ)と笑って誤魔化せただろう。

しかしダリアはモントスティルが負傷した事を知っている。誤魔化せるとは思えなかった。この部屋の有り様を彼女が目の当りにしたら「正体」まで知られてしまう…それだけは絶対に避けたかった。

ダリアには怪盗の正体は不明のままであって欲しかった。クレセントにとっての「変身姿」は身分を忘れ、超人的な身のこなしと弱者の味方になる事で、富裕層の奢(おご)り高ぶった連中を見返してやりたかったからだった…。
でもダリアは違った。
優しくて、綺麗(きれい)で、儚げで…

クレセントは自分がダリアに恋をしている事にようやく気付いたのだった。もしダリアが自分の正体を知ったら、きっと失望するに違いない。
嫌われたくなかった…

ふと、ダリアの声が聞こえた気がした
(お願い…助けて…)
しかしクレセントの意識は朦朧(もうろう)としていた。彼はそのまま気を失い倒れ込んでしまうのだった…。



■■■06-虚栄《きょえい》な求愛《きゅうあい》

しばらくは怪盗も鳴《な》りを潜《ひそ》めてました。あれから何度か、ダリアはクレセントの隠れ家へ行ったり、手紙を残したりしましたが彼に会うことはできませんでした。

一方、隣町のプラチナは焦り始めていました。当初、円滑《えんかつ》に進むと思われたダリアとの縁談が、なかなか進展しないからでした。
ダリアはモントスティルとの約束通り何とか破談にしようと拒《こば》み続けてました。
そこでプラチナは一計を案じる事にしました。
ある時、プラチナは買収《ばいしゅう》した人物からダリアが密かにモントスティルを贔屓《ひいき》にしていると聞き、自分が怪盗に扮《ふん》する事でダリアを騙《だま》してしまおうと思い付いたのでした。

別の日。プラチナはダリアへ連絡して結婚式場の下見に行こうと誘《さそ》いました。それだけでは、あっさり断られるのは分かっていたので、ひとこと付け加える事を忘れませんでした。
「俺達の結婚指輪をモントスティルが狙っている。模擬挙式に現れるという情報があってね…」

その話に興味をそそられたダリアは承諾してしまったのです。勿論これはダリアの気を惹《ひ》くためのプラチナの真っ赤な嘘でした…。


下見の日。
模擬挙式《もぎきょしき》の会場での事。プラチナ氏は見栄を張って「本当に」結婚指輪を用意させました。その指輪は町の歴史上、類の無い大変高価な1組の指輪に仕上がっていました。またどんな女性もこんな高価な指輪を贈《おく》られたら縁談を断れないだろうという目論《もくろ》みもありました

模擬挙式が進み、指輪交換の時でした…壇上《だんじょう》のダリアの前にモントスティルが現れたのです。
しかし勿論《もちろん》、登場したのは「プラチナが扮《ふん》する偽者」と言う事は、ダリア以外その場に居た全員が承知していました。怪盗は指輪を奪《うば》い、あっと言う間に去ってしまいました。
するとダリアが予想外の行動に出ました。偽怪盗を追いかけて行ってしまったのです。
皆が上を見ながら走るなんて危ないから止めなさいと引き留めるのも振り払い、チャペルの大きなドアから外へ!

ダリアだけは見抜いていました。彼は“モントスティル”だと言う事を!

一方、祭壇《さいだん》の後ろから何か“うむうむ…”と音がしました。会場にいた人たちが気付いて覗《のぞ》くと、そこには猿轡《さるぐつわ》を嵌《は》められ縛《しば》られたプラチナ氏の姿がありました。助け出された彼は叫びました。「誰でもいい、あの怪盗を捕まえろ!!」

しかし猫のように身軽で尋常《じんじょう》では無い身体能力の怪盗に追い付ける者が居る筈《はず》も有りません。そんな中、ダリアだけは久し振りの怪盗の登場に上機嫌《じょうきげん》です!
「ありがとー、どうか無事逃げてー!」

しかしプラチナは気が気ではありません。あの結婚指輪は大変な私財を叩いて作らせたの物なのですから。「君は正気か!あの指輪が一体どれ程貴重で高価な物なのか知らないだろう?!」

ダリアは冷たく言いました「ええ、知らないわ!貴方は大事な事は全部自分一人で決めてしまって、私が何を望んでいるのか聞こうともしなくて、それで夫婦になってくれ、だなんて。私達のあんな指輪の1つや2つ、差し上げたって構《かま》わないわ。あの怪盗さんは、貧しい人々のために盗んでいったのよ。貴方も、好きじゃ無い女の私と《《したくない結婚》》をしなくて済むじゃないの。彼はきっと有効に指輪を活用してくれるわよ。私達よりもね!!」

それを聞いたプラチナは憤慨《ふんがい》しました。乱暴にダリアの腕を掴《つか》むと力尽くで引っ張って行き、式場を出て行きました。
「痛《いた》い…何するのよ!?はなして!!」
プラチナは無言で回廊を歩いて行き、本館の方へ向かいました。絨毯《じゅうたん》が敷かれた広く緩やかな階段で2階へ行くと、その階の寝室の一室へダリアを連れ込みました。数名の彼の警護《けいご》の者たちには廊下で待機するよう言いつけました。

「一体何…!?」ダリアは、たじろぎながら振り向きました。しかしプラチナは冷徹《れいてつ》な眼でダリアを眺め言いました。
「もう俺は充分待った…待ち過ぎる程待った…しかし君は…君の心は!蹄鉄《ていてつ》の様に硬《かた》くて全く動こうとしない…こうなったら…!」

すると彼は突然ダリアを寝台に突き飛ばした。ダリアの腰に馬乗りになると胸元からブラウスを引き裂いた。
「嫌っやめて!!」恐ろしさで悲鳴を上げるダリア。しかし彼は止めようとはせず、今度は肩を掴《つか》むと強引に口付けを迫る。
「だれか!だれかぁー!!」ダリアが必死に助けを求めても誰も来てくれません。
(どうして!?廊下に警護の者たちがいるはず…)
ダリアはその時、これは|彼の罠《くわだて》だと気づいたのです!

ドレスは粗々《あらあら》しく捲《めく》り上げられ…
ペティコートは弄《まさぐ》られ…
ガーターは千切《ちぎ》るように毟《むし》られ…
繊細《せんさい》なレース編《あ》みの下着は一気に脚《あし》を滑る…

その時でした。ふいにプラチナの背後の黒影が、彼の頭を思い切り殴り付けました。モントスティルが助けに来たのです!
「貴様ぁ!!」逆上したプラチナが殴り掛かりますが怪盗は、するりするり躱《かわ》します。そこにプラチナの怒鳴り声を聞いた警護の者たちが来てしまいました。怪盗はドアに滑り込む様に駆け出したが間に合わず、取り押さえられてしまったのです!

「嫌っ!やめてっ!捕まえないで!!」
ダリアの必死の訴えも虚《むな》しくモントスティルは捕らえられてしまったのでした…。



■■■07-正体

その日の夜中。
ダリアはランプを片手に持ち、頭にはヒシャブを被り、1人で屋敷の地下室に通じる石階段を降りていました。彼女の左手の薬指にはプラチナが用意した結婚指輪が填《は》まっていました。怪盗が捕らえられた後、ダリアはプラチナと話し合いました。

「モントスティルをどうなさるおつもりなの?」
「彼は極悪人だ。今までどんな警備《けいび》も罠《わな》も掻《か》い潜《くぐ》って多くの人の物を盗んだ。すぐ処罰は出来ないだろう。君は気に入っていたようだが、少々|喝《かつ》を入れただけで気絶した、あんな貧相な男の一体何が良いんだ?」
「顔を見たの!?」
「中身がお化けと思ったのかい?普通の人間の男だ。俺も知らない者だが」
「人は誰でも知られたく無い事があるものよ。それを気絶したのをいい事に顔を見るなんて酷《ひど》いじゃない!」
「何を怒ってる?彼は君も知らない人だよ」
「知り合いとか、そう言う話じゃないわ“人間の権利”の問題よ」

「ならばあのまま取り逃がせば良かったのか?あいつは俺の大事な結婚指輪を盗もうとしたんだぞ。そうだ…君はあの時、俺と結婚出来なくなっても構わないと言ったな。だが君が独りで居た所で何が出来る。このまま俺と結婚しなければ、この町は更にあの怪盗のような者が現れて町の秩序を乱すかも知れないんだぞ。君は貧しい人々を見兼ねてあの怪盗の味方をしていたようだが、このまま俺との結婚を引き伸ばしにしていても、やはり町の秩序は乱れて行くんじゃないのか。そろそろ、俺との結婚を本気で考えてくれ!もし君が俺を支持し結婚してくれると言うなら町の規則も変えられるし、あの怪盗の極刑も下さずに済む。どうだ?」

「…私を脅《おど》すの?」
「これは取引だ。結婚は愛し合う者同士でするなんて言うのは小説の中だけの話だよ。世の中の結婚は皆、多かれ少なかれ取引なのだよ…」
プラチナは1本の鍵をちらつかせ声を潜めた…
「…君はモントスティルの命と引き換えに俺と結婚する…その代わり俺は今回限り、あの怪盗を見逃そう…」

こうしてダリアはモントスティルを守るため、結婚を受け入れてしまったのでした。暗く寒く寂しい地下への階段の途中で、ダリアは独り静かに涙を流したのでした…。



地下室のドアの鍵を開けると錆《さ》びた音が階段に響《ひび》いた。なるべく静かにドアを開けて入る。部屋は狭く、家具は石畳の上に古ぼけた絨毯《じゅうたん》、部屋の隅には古い木製ベッド、半月《ハーフムーン》テーブル、小さなバスルームだけだった。
それから格子が填められた小さな窓がひとつ。外は邸宅の壁面《へきめん》に沿ってぐるりと堀があり白い石が敷き詰められている。時々、雲に隠れる満月《まんげつ》の淡い光が微《かす》かに差し込む。モントスティルは床に仰向けで倒れていた。
「酷いわ…この人は身を挺《てい》して貧しい人々を助けようとしただけなのに…正当なやり方で無かったとはいえ、彼がした事よりも、あの人たちがした事の方が余程酷いじゃないの…この方、大丈夫かしら…」
ふと足元を見ると仮面が落ちている。
(お顔を見ては失礼でしょうね。まして気絶している時に…)
顔を照らさない様に少し離れた所にランプを置くとダリアは仮面を拾って怪盗に近づいた。

…その時だった。
雲に隠れていた満月が現れ、横たわる男の顔をはっきり照らした…

「…嘘《うそ》でしょ!?」狼狽《うろた》えたダリアは仮面を落した。
コトン…乾いた音が響《ひび》く。

その音に、ゆっくりと起き上がるクレセント…仮面を付けてないと気付くとダリアを睨《にら》みつけた。

「これで分かっただろう…なぜ貴女と僕が関わり合ってはならないのか。貴女とは住む世界が違うんだ。下々の者達は、その気になればあなた方に対し平気で盗みも働くのさ…!」

ダリアは呆然と冷たい石壁に凭《もた》れてしまった。
「ごめんなさい…私、貴方との約束を破って婚約してしまったわ。私にはもう貴方に差上げられる物がありません。さあ…どうぞ、鍵は開いています。どうか逃げて下さい。私からの最後の償《つぐな》いです…」
クレセントはよろめき、立ち上がると歩き出した。右腕から血が滴《したた》ってる。塞《ふさ》がってた傷が開いてしまったらしい。ダリアが駆け寄るとクレセントは振り払おうとする。
「止めてくれ!貴女に情けをかけられると辛い…!」
「でも、これは私を庇った時にできた傷でしょ!この手当てだけはさせて…!!」



手元には包帯がなかった。ダリアは髪飾りを引き抜き、着ていたブラウスの胸元を引っ掻《か》いてボウタイを裂いた。千切れた襟元から鎖骨とバストが見える。クレセントは顔を背《そむ》けた。
まだ布が必要だった。ドレスの下に着ていたペティコートも脱いだ。仕上げは包帯留《ほうたいと》め代わりにガーターベルトを巻き付ける…
怪我の手当をしながらダリアは話し掛けた。

「貴方と過ごした時間は楽しかったわ…ありがとう」
「僕も貴女と会える時間がとても楽しかった…
これは本当です」
「私、貴方が描く絵、好きよ…」
「僕は、貴女が縫《ぬ》ってくれた刺繍《ししゅう》を今でも大切にしてます」
「…もう会えなくなるの?」
「…ええ、今夜限りで…」
手当は済んだが2人は動かなかった。ダリアは顔を上げると月明かりを頼りにクレセントを見つめた。
「…貴女は、あと2つ…僕の欲しい物を持ってる…」
「…ならば…差し上げます…」
クレセントは顔をそっと近づけるとダリアに口づけした…
「もう、ひとつ…」
クレセントは、ダリアの腰に腕を巻き付けた…

ダリアは慌《あわ》てて後退《あとずさ》った…木板をはめた壁に背中が当たり、横にたじろぐ…クレセントは、ゆっくり這《は》うようにダリアに近付き、優しく肩に手を乗せ、また口付けした…ダリアは動かず、滑るように絨毯に押し倒された…また腰に腕を伸ばす…今度は、そのままで…ダリアはクレセントの背中に腕を伸ばした…

クレセントはダリアを担ぎ上げると寝台に寝そべった…

|細《こま》やかに指先でなぞるファスナー…
ブラウスのボタンを丁寧《ていねい》に選《よ》り分けていく…
流《なが》れる様に外れるシュミーズの肩紐《かたひも》…
薄絹《うすぎぬ》の下着が微かに弾《はじ》ける音を立てた…

ダリアの左手の薬指の指輪が目に留まった。あの男に監視《かんし》されてるように感じ、指輪を引き抜き粗々《あらあら》しくハンカチに包むと傍《かたわ》らのハーフムーンテーブルへ放《ほう》った…

ふと…クレセントは以前、盗んだ宝石の事を思い出した…それは漆黒色《しっこくいろ》のヴェルベットの小袋に入った2粒のダイヤモンドだった…
ダリアの肌が月明かりで輝いて光沢を帯びてる…

「ダイヤモンドだ…」
クレセントは呟《つぶや》いた…
2粒のダイヤモンドにゆっくりと沈み込む…

ダリアは囁《ささや》いた…
「…ねえ、お願い…私に三日月《みかづき》を頂戴…」
空を向いて夕焼け色へゆっくりと沈み込む…

それから何度も口付けを交わし…
優しく触れ合い…

夜空の満月《まんげつ》と瞬《またた》く星だけが
2人を、見守っていた………



■■■08-公開結婚式

…夜明け前、ダリアはモントスティルに話し掛けました。

「お願いです、どうか私を一緒に連れて行って下さい…!これから先、何の希望も無いまま生きてなんかいけません。けれど貴方が私を連れ立って下さるならば、私は何処へでも付いていきます」

モントスティルは出来る事ならばダリアを攫《さら》っていってしまいたいと思ってました。しかし、プラチナ氏との婚約が決まってしまった以上、それは大変困難な事になってしまいました。

もし…有力者の夫人が消息を絶ったとなれば、大掛かりな捜索が行われるでしょう。そうなれば、幾ら怪盗といえども足取りを掴まれてしまいます。今度、捕まった時はプラチナも容赦しません。きっと生きて外へなど出られなくなります。しかし、ダリアを見捨てて自分だけが自由を得るくらいならば命をかけてでもダリアを連れ出したいと思いました。
「私は1度、此処から脱出します。そして結婚式当日に“お嬢さん”の事を盗みに来ます!」



それから1ヶ月後…
ダリアとプラチナの結婚式の日となりました。この結婚により、また新たな町が誕生するため、式は公開されるものとなりました。
プラチナ氏は、この結婚式を町の歴史上、最も贅沢《ぜいたく》に仕上げたいと考えておりました。
派手《はで》な演出《パレード》、豪奢《ごうしゃ》な御馳走《ごちそう》、豪華《ごうか》な衣裳《いしょう》、高価《こうか》な装飾類《そうしょくるい》、幾《いく》ら身に着けても有り余るほどの貴金属類《ききんぞくるい》……
プラチナは、この結婚式を他の富裕層の者達に見せつける事で、自分の権力を誇示《こじ》する狙いがありました。そして行く行くは自分が所有する現在の町は勿論、ダリアの住む町も手中に治めようと目論んでいたのです。
町の有力者の結婚式と言う事もあり、警備は万全でした。ダリアは結婚式を引き立て役の人形《おかざり》でしかありませんでした。鼻に付くような豪勢《ごうせい》な式典は貧しい人々の嫉妬を買いました。時々、美しく着飾られたダリアの煌《きら》びやかな衣裳、装飾類、貴金属を狙う者が式に乱入して来ましたがすぐに取り押さえられてしまいました。警備は完璧《かんぺき》でした。



式が終盤《しゅうばん》に差し掛かっても、モントスティルは現れませんでした。ダリアは、きっとクレセントはこの完璧で隙の無い警備に恐れを成して逃げてしまったのだろう……そう思いました。けれど彼を微塵《みじん》も責めたり、恨んだりはしませんでした。ダリアは、全部自分が悪いのだ、自分がこの政略結婚を防ぎ切れなかったせいなのだ、そう思いました。
ふと、何やら式の会場となっている広場の端《はし》の方が騒がしくなりました。見ると、どうやら大勢の貧民街の人々が押しかけ来ている様です。ダリアは急に不安になりました。少数の“こそ泥たち”でさえ、式の最中《さいちゅう》に取り押さえられては、鞭《むち》で打たれたり、棍棒《こんぼう》で容赦なく殴り付けられていたのです。こんなに大勢では終いには死者が出るのではないか…恐ろしくなりました。
ダリアの不安は的中しました。
最初…数人の小競《こぜ》り合いだった些細《ささい》な喧嘩は、友人や仲間が加勢し、それを止めようと警備の者達が加わり、やがて小競り合いは喧嘩《けんか》から暴動《ぼうどう》の様になりました。それが1度に彼方此方《あちこち》で起きたので結婚式の警備だけでは収集がつかなくなってしまったのです。ダリアの席の近くでも小競り合いが始まり危険を察知したプラチナはダリアの腕を掴んでその場から逃《のが》れようとしました。
しかし誰かが「あの女だー!」と叫んだ途端《とたん》、皆がダリアの方に押し寄せました。どうやら身に付けている装飾品、貴金属が狙いのようです。

「きゃあぁー!」ダリアは悲鳴を上げます。
「おい、この連中をどうにかしろ!」
プラチナは警備の者たちに叫びますが多勢に無勢。ダリアは人混みに巻き込まれてしまいました。誰かが彼女の耳元で囁《ささや》きました。
「此処《ここ》は危険です、逃げましょう…!」
警備の者らしい人物に促《うなが》され、ダリアは腕を引っ張られました。

プラチナは叫びます「おい!ダリアに触るな、この薄汚《うすよご》れた者共《ものども》!俺が《《彼女の結婚指輪》》に一体どれだけ私財を注《つ》ぎ込んだと思ってんだ!!」
するとダリアの腕を引っ張っていた警備の者が、唐突に彼女の左手の長手袋を引っ張りました。手袋越しに指輪が抜けたと思った瞬間《しゅんかん》、手袋をくしゃくしゃにすると、プラチナの顔へ思い切り投げ付けました!
「うっ…!」目の辺りに直撃《ちょくげき》したプラチナはその場に、うずくまってしまいました。
用意された馬車は会場に来た際と少し違和感が有りましたが有事だったのでダリアはそのまま乗り込みました。

…しばらくするとダリアは馬車がプラチナの屋敷とは正反対方向へ向かっている事に気付きました。
「あの…道が違いますよ…?」ダリアが話し掛けましたが御者《ぎょしゃ》は答えません。代わりに向かいに座っていた警備の者が答えました。

「いいえ“お嬢さん”、こちらが貴女が本当に望んでいた進路ですよ…」
帽子を取るとクレセントでした。彼はこの1か月間、「ダリアを盗む」準備をしてたのでした。
モントスティルは、今まで宝石をばら撒《ま》いた事で大勢の貧民街の人々を味方にしてました。極めて限られた時間と場所が指定できる結婚式当日を選ぶ事で、示威《じい》行進《こうしん》の巻き起こしを謀《はか》ったのです。結婚式を御破算するという計画は、いつしか町に革命を起こす事なのだと噂が拡がり、今まで抑圧され続けた人々の感情が結婚式を機に一気に爆発《ばくはつ》したのです。

こうしてモントスティルは遂《つい》にダリアを盗んで見せたのでした。



■■■09-駆け落ち

クレセントとダリアは、出来る限り遠くへ…遠くへ…遠くへ…と逃げました。お供してくれてた御者がこれ以上は一緒に行かれませんと言う場所まで来ると、ダリアは身に付けてた貴金属や高価な装飾類を全て外すと、半分は手元に残して、もう半分は御礼を言って御者に渡し自由にしてあげました。
それからクレセントとダリアは旅を続け、ある町にやって来ました…。

そこに住む人々は、基本的に皆に自由が有り、極端《きょくたん》に裕福でない代わりに、極端に貧しい人々もいませんでした。子供達は食べる事にそれ程切羽詰まっていないため余裕が有り、大抵の子供達は学校に通って友人達と勉強や遊びに取り組んでました。また年配の人々は強制的に働かされるような事は無く、かと言って何処かに隔離《かくり》されたり、極端に過保護されてる訳でも無く、個々に有意義に過ごす事が出来る空間がそこには有りました。そして長年の知恵や技術を活かして、社会的に貢献しようとする姿勢が有り、住む|人美と《人々》をとても輝かせて見せるのでした。
クレセントとダリアは最初、数日程この町に滞在するだけのつもりでした。しかし町に魅力を感じ、滞在を延ばしている内に気が付くといつの間にか其処《そこ》に住んでいました。クレセントは画力を活かして、今度こそ自分の意思で自由に描く事が出来る画家になりました。ダリアはフルートが得意だったので学校に呼ばれ音楽の先生になりました。やがて2人は、結婚し、子供も生まれ、幸せな家庭を築いたそうです……。



■■■10,‐エピローグ

それから…永《なが》い年月が経ちました。クレセントとダリアが生きていた時代が、もう昔話として語られる様になった時代での事です。

あの後…昔、怪盗がいた町はどうなったと思いますか?結局、プラチナ氏の目論見は失敗に終り、公開結婚式の日を境に富裕層であった筈の彼の家は没落して行ったそうです。大きかった町は分裂を起こし、それぞれの派閥《はばつ》が衝突《しょうとつ》しない程度に縮小した頃に、ようやく安泰《あんたい》へと至ったのでした。
さて、此処から得られる教訓は…どんなに大きな町であろうとも、「|過ぎたるは及ばざるが如し《過剰(かじょう)は不足(ふそく)と同じ》」あまり大き過ぎる町は、やがて破綻《はたん》を起こすのです。

最後に補足を1つ。クレセントとダリアが住んでいた町の図書館に保管されてる町の歴史書には、このような記載《きさい》が残されています。
画家になったクレセントは、それからずっと後になって描く絵が評判となって有名な画家になったそうです。彼の妻になったダリアも音楽の才が有ったので2人は町と周辺地域で著名な芸術家と称される様になりました。後に2人は芸術学校も建てました。その町は今でも芸術が盛んで、住む人々から尊敬され、町の誇りとなっています。その町に住んでいる人は言いました。
「人間を、最後に導いてくれるのは権力や暴力では無かった。結局は『思いやり』なのだ。
人間を次世代へと途切れる事なく繋《つな》げてくれるもの、それは|愛情と芸術《affection and sensibility》なのだよ」と……。


〈終〉


{◎読んでくださりありがとうございました}
***[2024年-加筆修正]

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