-短編-未完成作品
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「すまないね」
そう言って隣、いや正確には少し後ろを歩く幼い神父へと声を掛けた。
「…いえ」
短い返事ではあったが、返事が僅かに遅れる。
きっと何か、気の利いた事でも言えたらと思って考えていたのだろう。
突然声を掛けなければ良かったかな、とも思ったが、ワーズワースは表情を変える事無く「いや、そんなことはないか」と思い直した。
この遅れた返事も彼らしくて、勿論嫌いではない。
何か話がしたかったのだろう。
いつも色々考え、巡らす考えは不思議と視野が広く、驚かされる事も多い。
「この用事が終わったら少し話がしたいんだが、時間はあるかね?」
見上げる様にして自分へとその瞳を向けてくる少年に、笑い掛ける。
赫い瞳がちらりと覗いて。
この瞳はとても美しいその色だったが、彼は見られる事をあまり望んでいない。
むしろ人目から避ける様に前髪で美しいその赫い瞳を器用に隠してしまっている。
「――はい」
口元で何か言いたげな、いや正確には、きっと喉元では何か言おうとしている。
普段何か話しかけると出てくる答えは大体シンプルなものだが、普段は山の様に色々と難しく物事を考えている。
お互いにあまり時間が取れない為、限られた時間ではあるが、彼と共に過ごすのが好きだ。
お茶会と称して[#da=1#]とお互いに持ち寄った日々の話で、彼と色々問答していると、実に充実した時間を過ごした気分になる。
勿論あまり時間は取れないが、そうやって共に時間を過ごすだけでも充実している。
廊下を暫く進んで行くと後ろから突然「教授!」とハスキー掛かった声が2人の足を止めた。
振り返ると生徒の一人が立っていた。
後期に入ってから’教授’の授業を受ける様になった女生徒で、ミレイユ・イスタートだった。
そばかすでさえチャームポイントにしてしまう『可愛い』を絵に描いた女生徒で、その性格は明るく、後期から入ったとは思えぬ位クラスでは既に人気者である。
[#da=1#]は立ち止まったワーズワースの横を少し先へ進み、後ろに隠れる様にして立ち止まる。
ミレイユの方へ向きを変えながら、幼い神父をその身で隠す様にして「何か用事かね?」と応対する。
ワーズワースは少し、この女生徒が苦手だった。
よくこうやって声を掛け、足を止めてくる。
勿論授業内容の質問ならば大歓迎なのだが、掛けてくる質問は個人的なものばかりだからだ。
「前回、食べ物はダメだと言われちゃったから…」
もじもじとしながら、つま先で歩く様にして近付いてくる女生徒。
こういった仕草は男子生徒の下心を刺激している様だ。
確かに可愛い、のだろうな。
しかしワーズワースにとって、苦手な分類に振り分けられてしまっている。
’教授’の少し手前で止まった女生徒は「あのぉ、これぇ…」と言いながら手元に持った包みを差し出してきた。
「ああ…ミレイユ・イスタート君だったね」
前回手作りだと言って差し出してきた菓子を「アレルギー等の問題があるから下調べもなく人に食べ物を贈ってはいけないよ」と、伝え返却したのだ。
同じく手作りだとはいえ今回彼女が差し出してきたものは包みに隠れてしまっていて、中身は判らない。
食べ物でない事だけは何となく分かる。
目を合わさない様、瞳を伏せていた[#da=1#]は、ミレイユ・イスタートと呼ばれた女生徒を横目で見遣る。
幾度か見掛けた事が有るだけだが、近くで見れば細身で可愛らしい。
そばかすのある頬が赤く染まって。
しかしワーズワースに「困った」と言われた事で、やや戸惑いの表情を向けている。
「イスタート君、申し訳ないが生徒からは何も受け取らない様にしているんだ」
イスタートと呼んだ女生徒へ「とうとう観念した」といった様子で語った。
「将来を約束している人がね、いるんだよ」
婚約者がいると告げる。
へ思いを馳せる様に、彼女の顔を思い浮かべる様に。
「彼女はとても嫉妬深い人でね」と、説明をする。
軽く頭を左右に振りながら「彼女の名誉の為にあまり口外したくないんだが」と、小さく呟いて。
「婚約者が…?」
勿論ワーズワースに妻などいない。
嫉妬心の強い妻など、存在する訳が無い。
彼の最愛の婚約者は、その命を絶たれたのだから。
[#da=1#]はワーズワースの背にその瞳を移す。
女生徒に対し、婚約者がいると当然の様に言い、違和感なく振る舞う様子は、尊敬できる。
ワーズワースはローマ大学の教授ではあるが一方で聖職者である。伴侶が居ては『神父』として務められない。
引退を示唆している話は聞いていないし、彼女とは死に別れたと以前聞いた筈。ただ目の前の生徒はその事実を知る由も無い。
恋は盲目と言ったところか、それともワーズワースの話術の成せる技といったところなのか。
任務に於いて、恋愛感情を植え付ける事で作戦をスムーズに運ぶ事が出来るなど常套手段の一つだ。
しかしその作戦は『本当の恋愛』に発展してしまうと任務に支障を来す為、リスクは高い。
国務聖省特務分室で聖務する神父達はそういった『恋愛感情』には興味がなく、必要があれば随時使用している。
目の前の女生徒の心を、ワーズワースはどう操ろうというのか。
目の前で行われる心理操作に集中してしまう。
とても興味がある。
滅多に見られるものではない。
身体がそちらに向いてしまいそうになる位、[#da=1#]は集中していた。
しかし、身体を向ける訳にはいかない。
そのまま向きを変えずに静かに佇んでいる。
「妻の目から逃れて君が私を喜ばせる方法が一つだけあるよ」
思っても居なかった突然の提案に、イスタートと呼ばれた女生徒は瞳を輝かせた。
彼女が描く「理想の異性」という空想の男性が、その瞳には映っているのだろう。
「私の講義を受けて、いい成績を残す事だ」
当然の事ではある。
しかし、彼女は目が醒めた様に瞳を大きく閃かせる。
講師としては、恋愛よりも勉学に専念して欲しいと、堂々と言い放っている事にこの女生徒は気が付いているのだろうか。
だがそんな事はすっかり気が付いていない様子だ。
彼女は、自分がワーズワースに振り向いて貰える手段の、ヒントを得られたと思っている様だった。
恋は盲目とは、この事を言うのだろうか。
何か、違う気もするけれど。
「私の評価も上がるしね」
教授はふふ、と笑った。
優しいであろうその笑顔に、そばかすのあるその頬を真っ赤にしている女生徒。
うっとりとした顔を向けている彼女を、[#da=1#]はどこか感情の無い表情で見ていた。
前髪で器用に隠れて見えない為か、それとも目の前の異性に気を取られ視線が自分に注がれている事に気が付かない。
自分に背を向けたままのワーズワースが笑っている様には思えなかった。
「さて…私はこれから会議の準備があるので失礼するよ」
「あ、はい…っ」
まだ夢見心地の様なミレイユの瞳がワーズワースを追い掛けている。
しかしその視線を受けても、気にも留めない様子で講師は容赦なく背を向ける。
「待たせたね、[#da=1#]君」
後ろで静かに控えていた幼い神父へと声を掛ける。
最愛の人を失った時、愛は灰となり、心は深い所で凍る。
失った愛を求め、心を埋めようとする人間もいる。
心を失ったまま、ただ表面上愛想よく振る舞う。
とても人間らしく。
ただ、ワーズワースにとって恋愛などというものに興味など、もう全くない。
少し前を歩き始めていたワーズワースは、まだ彼女の視線を浴びている事など気にもしない様子で前を向いている。
「醜い所を見せてしまったね」
「醜いだなんて」
否定する。
廊下を進みながら、しかし何か鬱屈した感情が体内に蓄積している。
「心が残酷になる――
…いや、愚痴に付き合わせてしまって、申し訳ないね」
「ワーズワース神父…――」
うんざりした様子でワーズワースはため息をついた。
珍しく感情的な部分を吐き出した様子だった。
「敬愛から恋愛へ変わる瞬間の感情は、それを受ける側にとっては非常に苦痛を伴うんだ」
ああ。
まさしくその通り。
つもりもないのに、その感情を無理に受け取れと言われても困る。
食べられない物を無理矢理与えられている様なものだ。
ワーズワースの少し後ろを歩きながら、[#da=1#]は苛立つ足元を見て歩いていく。
「君ならあの場で、どう答えた?」
言われて顔を上げると、ワーズワースは一度ちらりとこちらを向いて。
すっかり背景になりつつある女生徒になど、全く気にしていない。
聞かれた[#da=1#]は、考えを巡らせる。
あれ以上の最良の返答が存在するのだろうか。
「是非、今後の参考に聞かせてくれ給え」
突然そんな事を言われても、何も思い付かない。
時間を掛けて考えてもこの問題に対する答えを出す事は難しいだろう。
共に廊下を歩きながら、足元へと視線を落とす。
この問題は彼が講師として教鞭を取っている間、解決する事など無いのだろう。
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