- Trinity Blood -4章
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太陽が沈む前に、ようやく書類を書き上げて――
まあ時間が掛かったのは書類を前に転寝をしてしまったからだった。
共に部屋へ入った筈の神父アベルが、少し前に報告書を書き上げて出て行ったらしい事を知ったのは’教授’に起こされてからだった。
書類を持っていくと「控室で待つ様に」と言われたので、その足で執務室から少し離れた控室へ向かっていた。
「レオン・ガルシア・デ・アストゥリアス神父」
呼び止めてきたのは、小柄な青年。
短く刈った短髪、整えられた端正な顔立ちの神父が、レオンを突然呼び止めた。
「お前本当いつも突然だなー…」
流石にちょっと驚いたじゃねえか…と心の中で呟きつつ「そういえば拳銃屋、お前さっき女と歩いてたな」と、軽口で問い掛ける。
「肯定。彼女はアーチハイド伯爵家の養女。彼女は視力を失っている為、不慣れな場所は移動が難しい。この度カテリーナ・スフォルツァ枢機卿に謁見する為、案内した」
という事は、控室にいる客人っていうのはそのアーチハイド家の養女だという事か。
レオンは執務室から出る際に突然言われた「控室の客人」の存在を理解する。
客室は、控室より少し離れている。
普段立ち入らないこの教皇庁国務聖省は、その「控室の客人」にとってまるで迷宮。
「ああ」と声を漏らす。
納得がいった。
加えて失明しているとなれば、移動距離が遠い程負担になると考えられたのだろう。
だったら、自分たち派遣執行官は別の所で待たされてもいいものだが…。
上の考える事なんて、まあ分からない。
ぼんやりそんな思いを巡らせながら、少しだけトレスをからかってやった。
「ほう?腕組んでる感じだったが…へっぽこはお前に春が来たって大喜びしてたみたいだが?」
「否定。ミラノ公から命を受けたに過ぎない」
確かにこういったところは、易々と侵入できない様に工夫を凝らした設計になってるのだ。アベルに「残念だったな、へっぽこ」と心の中でそう呟いて笑った。
「客人が来ているので失礼がないように。手は握らない事を推奨する」
「おい何でピンポイントで指摘するんだ」
レオンは思わず突っ込んだ。
「卿は手を握っただけで女性を妊娠させる、とシスター=ケイト・スコットが」
「真に受けてんのか拳銃屋…」
全く。
頭を左右に振って、ため息を一つ。
「ったく…ケイトの小姑は俺に変な偏見を持ち過ぎだろ…」
「その件については否定。卿は女性とあらば声を掛けていると記憶している。俺は経験を踏まえた上で忠告をしている」
「へーへー。分かったよ…ったく。大人しくしてりゃいいんだろ?」
「肯定。俺は忠告しに来た。彼女はミラノ公の客人だ。失礼がない様」
「そうするわ…まあ、上司が報告書ちゃっちゃと読んでくれるよう頼んでくれ。いいか?俺は女でもあんなガキなんざ眼中にねえよ。世界一の絶世の美女に、一刻も早く会いに行きたいんでな」
ひらひらと、その手を振りながらレオンは曲がった先にある控室に足を進めていった。
トレスの声も、追い掛ける足音も聞こえなかったのでそのままカテリーナ・スフォルツァ枢機卿の元へでも戻ったのだろう。
少し前にアベルが書類を書き上げてからあまり時間が経過していない筈だが、彼は居るのだろうか。
それとも、もうアベルの書類は読まれて彼は既に控室から出ているかも知れない。
色々と思案しつつ、客室として使われている控室の前に辿り着いた。
ノックをしてから一呼吸置いても、返事はない。
先ほど窓の向こうから見掛けた白髪の客人が返事するものだと思っていたが?
突然入っても失礼かと思い再度ノックをしたが、応答がない。
先に行ったアベルが返事をするかもと思い少し待ったが、結局どちらの返事も聞こえなかった。
静まり返った扉の向こうへ集中するが、特に返答もないのでもう扉を開けるしかなかった。
書類の可否を待っている以上、控室で過ごすしかないのだから。
一応、もう一度ノックをして一呼吸置いてから扉を開ける。
扉の向こうでは、ざっと見渡した感じでは誰も居ない。
客人がいるので失礼がない様にと、わざわざトレスが釘を刺しに来たのにも関わらず。
もう一度ゆっくりと周囲を見渡すと、バルコニーの向こうで先ほど見掛けた白髪の少女が空を見上げている様だった。
…目が見えないのでは?
疑問に思いつつ、バルコニーへと足を踏み入れる。
足元に白杖を置いているのが見えた。
両肩をピクリと跳ね上がらせて白髪の少女がこちらへ振り向いた。
「あ、あの…どなたかいらっしゃるのですか」
はっきりこちらへ向けていない所を見ると、目が見えないというのは本当らしい。
「驚かせて申し訳ありません、’お嬢さん’」
声を掛ける。
触れないまま、距離を保って。
「私はカテリーナ・スフォルツァ枢機卿の下で務める派遣執行官。先程貴女を案内したトレス・イクス神父の同僚でレオン・ガルシア・デ・アストゥリアス神父です」
一呼吸置いて「お傍へ行っても?」と確認を取る。
アーチハイド伯爵家の養女という情報しかないが、盲目の少女はやや間を置いて頷いた。
「失礼します、お嬢さん」
見えていないとはいえ、女性に対しては丁寧な姿勢を忘れない大柄な神父は、彼女の傍で跪いた。
近くで見ると、その顔立ちは幼く、前髪で器用に隠れたその瞳が垣間見え、瞳には光が宿っていない事が確認できる。
レオンの足音に意識を集中させている様子だった。
「少しの間、同席させていただきます。どうか御許し下さい」
レオンはそういって、彼女の手をそっと自分の手に乗せて持ち上げ手の甲にそっとキスを落とした。
驚いた小さな手が僅かに強張った。
しかし彼女は悲鳴を上げる事も、この行為を非難する事もなかった。
ただ、僅かに震えたその手を感じた。
細い左手首には十字架の付いた腕輪がついている。
その腕輪には、見覚えがある。
しかし。
その事に触れる事はなかった。
触れてはいけない様な。
「…ガルシア神父」
「はい」
恐らく彼女は自分が握った手の先に居るのだろうとしか、恐らく分からないのだろう。
とても残念だなと思いながら、レオンは夕日に染まりつつある白髪がたなびいた先を見た。
目の前の少女は見た目こそ幼いが口調や仕草などは女性らしさがあり――けれどこの掌の大きさには覚えがある様な。
外見こそ確かに幼いが、彼女は本当に子供だろうか。
だって俺はこいつを知っている…様な
彼女が静かに下を向く。
「あの…私…」
返事をしないまま、レオンは言葉が続くのを待った。
「男性に手を取られると思っていなかったので…」
「これは…、失礼を」
すぐに手を離す。
「ごめんなさい、あの…なんと返事をしたらいいのか戸惑ってしまって」
正直に胸の内を話してくれるだけでも有難い、と返事をするべきなんだろうか。
肩に掛かっていた髪が風に取られてゆっくりと流れる。
するりと落ちた髪へ目を奪われる。
触れたいと、思ってしまった。
自然と白髪へ指が伸びていって。
触れる直前だった。
いけない――
本能的にその手を引いた。
彼女が客人だからではない。
何故か、触れてはいけない気がした。
トレスに釘を刺されたからだろうか。
いやもっと何か、根本的な所で引っ掛かっている様な気がして。
「お名前を、伺っても?」
「え…あの、はい、申し遅れました――[#da=3#]・アーチハイドです」
「…!」
息が止まりそうだった。
いや意識が飛びそう考が止まる。
「あの…、ガルシア神父?」
「え…あ、ええ」
返事を忘れかけていた。
冷静になれ…同じ名前なんて世の中数多くいる…――
「あの…先程も私の名前を聞いて、すぐ退室された神父様が…」
「あ、ええ?…ええと…ああ、えっと…彼はどこへ?」
「それが、用を思い出したと言って…」
アベルの事だろう。
冷静でいられなくなるのも無理はない。
実際彼と、いや彼女と同じ名を持つ女性が目の前に現れたら冷静さも欠くだろう。
「[#da=3#]嬢、先程神父トレスから『養女』だと…以前はどちらに?」
そんな事を聞いてどうするのか、何が聞きたいというのだろうかと自分に問いただしながら。
しかし、聞く以外の選択肢が無くて。
確認したかった。
「ごめんなさい、あの…」
前触れもなく謝罪される。
「いえ、無理にとは…すみません、不躾で」
聞かれたくない事ではあろう実にデリケートな質問ではあるが、口が止まらなかった。
質問しておきながら答えなくても良いとは、何とも失礼だという事は分かっている。
「違うんですあの…実は記憶が…」
一度下を向いた瞳は、しかしレオンは跪いたまま。
俯いた表情に息を呑む。
「視力を失った頃に病に臥せっていた事が原因の様ですが――」
頭を左右に振る。
髪が揺れる。
「そうとしか説明しか受けていませんので…詳しくは私にも分からなくて…」
その唇が動く度に、心臓が高鳴る。
この女性は。
目の前の盲目の少女は。
もしかしたら本当に、彼なのではと息を呑んだ。
いやそんな筈は。
いや間違いない。
ぐるぐると思考が巡る。
ただ本人だったとしてまさかこんな形で再会するとは、全くもって予想外である。むしろ別人であれと思ってしまう。
「あの…ガルシア神父」
「え?…ええ、」
瞳がこちらを向いている。
正しくこちらを、見ている。
彼女の瞳にはもう誰も映らない事は分かった筈なのに。
風に乗って彼女からふわりと、香りが漂ってきた。
脳裏に焼き付いたあの香り――
彼女から確かに香ってきた。
俺は今きっと冷静さを欠いている。
落ち着け。
もう喉は渇き切っていて。
瞳に捕われてしまったかの様に全く目を離せなくなっている。
「失った記憶は、きっかけがあれば取り戻す事ができると聞きましたが…でも…きっかけとは…?」
瞼の奥に伏せてしまったその瞳の行方を追い掛ける。
一度は離したその手に、レオンは思わず触れてしまった。
その身が強張るのを感じた。
しかしもう、レオンはその手を離さない。
「記憶を失くした事を、悔やむ必要はありません」
ああ、この言葉は。
「記憶なんてものは無理に探す必要なんてありません。今から創る事だって、出来るんですから」
俺が。あの時のあいつに。
「記憶を…今から創る?」
同じ返事。
突然強い光を帯びて記憶が蘇ってくる様な感覚に襲われる。
「無責任な発言だという事は、理解してる」
確かに言った事だった。
浮かべた笑みは、とても頼りないものだった。
彼女が今、俺の事を見ていたら。
きっと情けない顔をしているだろうと、確信していた。
彼女は今、記憶を取り戻したいと願っているのだろうか…
「あの…、」
「何をしている、レオン・ガルシア・デ・アストゥリアス神父」
突然入り込んできたその声が、現実へと引き戻した。
「おま…いつの間「その手を離す事を推奨する」
トレスがいつの間にか控室のバルコニー前で立っている。
部屋に入ってきた事に気付きもしないなんて、不注意だった。
トレス・イクス神父の愛銃ジェリコM13’ディエス・イレ’の銃口が寸分の狂いなくこちらを向いている。
「いやもう離してるだろ手は!落ち着けよっ!!」
「それについては確認。卿は手を握っただけで女性が妊娠するとシスター=ケイト・スコットから忠告を受けていた為、事前に忠告した筈だ。何故忠告を守らず手を握っている。説明を」
「めちゃくちゃ怒ってんじゃねーか!いいかよく聞け、手を握った位じゃ!妊娠しねえから!」
彼女を庇う様に防ぎ立つレオンに、しかしトレスは容赦なくその銃口を向けている。
「何故手を握っていた。説明を」
「挨拶だって!見りゃ分かるだろ挨拶してたんだよ!!マナーだ!マナー!」
「否定。女性が手を出した事が前提でのみその挨拶は通用する。手の甲に挨拶するなら添える程度だ。卿が包む様に握っていた場合それは挨拶ではない。説明を」
銃口はレオンをひたすら追いかける。
「分かったからまあとにかく落ち着け!まずはそれを下げろっ…」
何かが僧衣を引っ張る。
その力は実に弱いものだったが、しかしレオンにははっきり、[#da=3#]が僧衣を引っ張った事に気が付いた。
振り向くより先に。
突然糸が切れた様にぐったりとその場に倒れ込む。
「おい…っ!」
驚きを隠せないまま、ではあったがレオンは倒れ込む直前、[#da=3#]の身体を受け止める。
「損害状況報告を、神父レオン」
「見りゃ分かるだろ、ぎりぎりセーフだわ!」
とにかく、と続けながら[#da=3#]の身体を軽々と持ち上げる。
バルコニーから控室へ戻り、ソファにその身体を横たえる。
「彼女はこの件でミラノ公を訪ねていた」
「あ、何で?だって発作みたいなもんじゃねえの?」
「肯定。『神経調節性失神』と診断された様だ」
診断されただけで、枢機卿に面会を申し込めるなど。
いや、そもそもその病気と’上司’に一体何の関係があるのだというのか。
「へー…」
返事をしながらも、ソファでぐったりとその身を横たえる幼い顔立ちの女性から目を離せなかった。
神経調節性失神は、一過性の意識消失があるもの。
脳全体が一時的に必要とする血液を十分に行き届ける事が難しくなる事で、意識が消失するものだ。
あまり間を置かずに意識は回復すると聞いたが、実際見た事は無かった様な。
体温を感じるとパニックに近い状態で取り乱し、意識を手放してしまう同僚と、重なってしまう。
「巡回に戻る」
トレスは突然扉に向かって歩き出す。
「お前さん、結局何しにきたんだ?」
「卿が忠告に従っているかを確認しに来た」
「ひでえ」
レオンの呟きを背中に受けながら、トレスは「彼女には必要以上に触れない様に」と再度釘を刺す。
「さっさと巡回行けや」と、扉に消えるその背中にぶつけた。
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