- Trinity Blood -4章
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戸惑いの心。
数時間前までいた部屋の扉の前に立っている。
トレスに誘導されて移動したレオンの部屋から、この部屋迄戻ってきた。
扉の前に立った瞬間、少しだけ緊張して姿勢がピンと伸びた。
ノックをすると扉の向こうから「どうぞ」と聞こえてくる。
早く聞きたかった様な、けれど今、聞きたくない様な。
悪い事をした訳でもないのに、何か悪い事をしてしまった様な気がしながら、けれど何となく入り難い気がしてならなかった。
ノブに手を掛ける。
勿論見えていないのに、何故か扉の装飾やノブの装飾を知っている様で不思議な感覚であった。
ここの左についている小さなライオンの顔の、鼻の所をちょっと触るのが好きだった様な気がして、何となく心が綻んだ。
扉をくぐり抜けるとワーズワースが立ち上がる気配がする。
ふわりと香る甘い香りが近付いて。
けれど、何故かレオンやトレス、アベルとは違って一定の距離を保ってくれるワーズワース。
[#da=3#]が傍へ寄る迄は、絶対に距離を詰めない。
この距離がとても好きだった、様な。
「君の事が気になって、トレス君に様子を見に行って貰ったんだけれど…すまなかったね」
ワーズワースを訪ねて来たアベルと起こったトラブルの事を話しているのだろう。
アベルの言っていた事はきっと本当だろうが、何故か妙に警戒してしまって――故意では無かったと信じたい、けれど。
不安を強く感じたのは確かだった。
あの場でトレスが通り掛かって――
いや、今のワーズワースの発言によると、トレスは指示されてこちらを見に来てくれたという事だったので、感謝しかない。
アベルには、申し訳ないけれど。
ワーズワースはもしかして先を読んでいたのだろうか――思案していると「ああ」と、何か思い出したかの様に声を上げる。
「補助具のメンテナンスをしようか」
促されて右に設置されたソファへ掛けると、左斜めのソファへワーズワースが座る気配。
朝一番に言われたのに今の今迄すっかり忘れていた。
メンテナンス用の工具が入っているだろう箱をテーブルへと置く音が聞こえた。
骨伝導装置をヒントに作られた空間把握型の補助具を外して左斜め前に差し出すと、紳士の右手が受け取って、メンテナンスが始まる。
見えている訳でもないのに、コツコツと聞こえるワーズワースの手元が気になって手元に注目してしまう。
「さて…この週末から君の装置をメンテナンスするのが暫く出来ないから念入りにしておくね」
「何処かへ、行かれるんですか?」
レオンと共に発つ事でこれから[#da=3#]とは、恐らく長い期間と会えなくなると言いたい。
けれどそうなると、もしかしたら彼女がレオンとローマを離れる事を躊躇してしまうのではないかと思うと、口が裂けてもこの本音は言えそうにない。
どうもやっと決心がついた様子の表情で戻ってきた先日夜の事を思い出す。
まさか自分が、――
何処かで他人を軽蔑する様に過ごしていた自分が、彼女に対して親の様な感情を抱いている事に気が付いたのは本当に驚いた。
親にもなった事が無いのに。
いや。
婚約者を失ったその憎しみから全ての感情が表面的になってしまった様な日常を送っていた筈のワーズワースにとって、##NAMWE1##の存在がこれほどまでに自分に影響を与えていた事は驚きの連続だったとしか言いようがない。
だからどうか。
彼女には穏やかに最期を迎えて欲しいと思っている。
彼女はあまり長くない間に最期を迎えるし、その事実は[#da=3#]自身にも知らされている事だ。
「これから出張でね――
休講になると生徒たちは喜ぶけれどね、…講師達から白い目を向けられると思うと、気が重いよ」
下を向いた少女を、つい目で追い掛けてしまう。
「大変、なんですね」と少しだけトーンが落ちた[#da=3#]の方を見ると、レオンの気持ちが少し理解できそうな自分がいて、他の者には煩わしさを感じてしまう感情でも彼女になら愛を持って接してしまえるのが、少し怖い気もして。
だけどあまり意識しない様に、作業に取り組む。
メンテナンスの音が聞こえ始めると、音がする方へと[#da=3#]の顔は自然と向いてくる。
メンテナンス作業をしているワーズワースの手元を覗き込む様にしている[#da=3#]は、実に愛らしい。
けれど、その瞳は世界を映さない。
見えないのだけは残念だと思いながらも、一見すると見えていない事さえ一部では気付かれないだろうし、疑う者もいるだろうとさえ思えてしまう。
血の滲む努力の結晶だが、それだけ厳しい訓練を重ねた過去が今の彼女を形成している。
『自己回復能力』を失った[#da=1#]にとって、いや、彼女はもうすっかり『元の自分』を。
そうまるで、[#da=1#]・[#da=2#]という人物など存在しなかったかの様な少女――[#da=3#]・アーチハイド伯爵の養子となって現れた女性との再会に驚きを隠せなかったのは事実ではあった。
身近で見ていたワーズワースにとって、こうやって穏やかな瞬間を過ごす事ができるのはとても貴重な瞬間である。
少女はしかし、ふとした瞬間に時折表情を曇らせる。
理由は恐らくこれだろうというのは分かっているが、けれどワーズワースにとってその曇らせた表情の先にある悩みなど、解読するのは安易な事だった。
止めた手を再度動かして、メンテナンスを進めていく。
ネジが緩んでいるとかそういう事はないんだが、こうやって作業をしている間彼女一緒に過ごす事ができるのはとても楽しい。
小さな補助具であるだけに、細かい作業は多い為、作業にはどうしても時間が掛かってしまいがちだ。
周波数や雑音が無いかと細部を確認しながら「ところで、」と問い掛ける。
「レオン君に付いてゲルマニクス公国へ行くんだってね」
勿論カテリーナからはレオンから申請があった話も、[#da=1#]について話をした事も、それからレオンが彼女を改めて口説いていた事も、どうやら[#da=3#]が悩んでいて、背中を押したのも恐らくは自分であった事も。
ワーズワースは全て知っている。
ただ、彼女がこれから歩く道について、どう思っているのかを聞いてみたいと思ったのだ。
[#da=3#]として歩き出した世界を、例え短い人生であったとしても今後レオンと2人で歩く事について本人がどう考えているのか。
普段恋愛沙汰なんて一ミリの興味も無い自分が、こんな事を気にするなんて自分自身が一番驚いている訳だが、親でもないのに何故か我が子の様に行く末が気になってしまう事に戸惑いは隠せない。
いや多分、自分の心に整理をつける為に切り出してしまった話題ではある。
予想はしていたものだが[#da=3#]の表情は途端に不安の色を強くした。
どうして自分なのだろうかと不安で仕方がない事を口にした、先日夜の[#da=3#]の戸惑いの涙が忘れられなくて。
親になった過去も無いのにまるで親であるかのように錯覚してしまう程、彼を――いや、彼女を大切にしていた自分に気付いてしまった瞬間に、ワーズワース自身も戸惑いを隠せない夜を鮮明に思い出してしまっている。
何度も自問自答し、繰り返しレオンにも問い掛けていただろう。
[#da=3#]の中でぐるぐると、レオンと歩き、辿り着いた先で「一緒に来て欲しい」と言われたあの瞬間が巡る。
足手まといにしかならないし、足手まといでしかないと、断っても「それでも説得する」とレオンは手を離さなかった。
根負けしたと言っても過言では無いかも知れないが、何故かハッキリと断る事が出来なかったのだ。
[#da=3#]にとってはそれが何を意味するか分からないまま押し負けた様な感じだったが、ワーズワースは『記憶を失くす前の自分とレオンの関係』を少しだけ、話してくれて。
ワーズワースの話を聞いてから、泣き疲れて眠ってしまった朝に入れてくれた、紅茶の優しい香りが鼻先で蘇る。
手元を――
いや、正しくは見えていないのだけれどその手元の先から目が離せないままの[#da=3#]は「ワーズワース神父…」と、目の前にいるその紳士の名を呼んでいた。
作業を続けていたその手を止めて[#da=3#]の方を見ると、その表情は曇っていて。
「何処か、痛むかね?」
あの時子供に問い掛けた言葉。
けれどあの頃より、外見は兎も角子供だった少女はすっかり大人になった。
会う度に知識が増えていく少女とは、その成長を楽しみにするあまり、時間を作って話を重ねていった。
個性的な視点に驚かされた事もあったしあまりに普通の思考に笑わされた事もあったが、その場で解決できない疑問や話題も多く、普段気にもしない事柄が気になって仕方なくなってしまった事もあった。
初めて会った時、いや保護をしたその時にまだそこまで知識を育んでいなかったあの子供は、もう――
「――…心が」
「ふむ」
口角が緩んでしまった事に、[#da=3#]は気付いたのだろうか。
彼女はあの頃と、何も変わっていない。
知識が豊富になったという点では、きっと変わっているのだろうし、元の人格を取り戻したという面では成長をしているのだろうが、ずっと、よく知っている彼女である事を、証明した瞬間だった。
「君が不安に思うなら――」
顎へと手をやって慎重に言葉を選ぶ。
自信がない素振りを様子を見せれば、彼女はきっと直ぐに気付いてしまうだろう。
勘付かれてはいけない。
「全て言葉にして、伝えないといけないよ」
「え」
堂々と言い切ったワーズワースの方へ向く。
いや、その瞳には何も、映らないのに。
ワーズワースの瞳を覗き込む様にして身体が少し、前へ寄った。
その後すぐに、視線は落ちてしまって。
どこかで「ついて行くな」と言って欲しいと思っていたのだろうか。
誰かが、こんな見えない世界の中を歩く自分を引き止めてくれるものだと期待していたのだろうか。
足手まといになる自分を引き留めて欲しいと、願ってしまったのだ。
それとも不安に思う事は無いと励まして欲しかった?
だとすると。
私はなんて、卑怯なんだろう――
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