- Trinity Blood -4章
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
向き合った心。
シャワーを浴びてから、手を伸ばした先にある15㎝程の窓を開けて脱衣所のチェアで少しの間座っていた。
髪も乾かさず、身体もあまり拭かずにバスタオルでその身を包んだだけ。
面積の少ないチェアにも関わらず、幼い少女は難なく膝を抱える事が出来る。
風が肌を撫でる様に通り過ぎるのが心地良い。
ポタポタと髪から雫が垂れているが、髪を拭く事もなく小さく座って過ごしている。
何も見えない、光を閉ざした暗い空間に閉じ込められたままの瞳でも、左耳の、補聴器を応用した様な機械のおかげであまり不自由しない。
開発してくれたワーズワース神父には感謝をしてもし切れない。
光を灯してくれた、とても不思議な人。
何を今困っているのか、何がこれから困るのかを教えてくれた人で、感謝してしきれない。
何も言わずに、トレスに連れられてここまで来てしまった。
髪の染色が落ちた度合いも最終的なチェックは未だである。
レオンに説明して、一度ワーズワースの下へ向かった方がいいか相談した方が良さそうだ。
「…うあ、っ」
前触れもなく。
世界が歪む。
慌てて手を――
しかし手すりのない椅子の無いその手は空を切る。
バランスを崩した[#da=3#]はそのまま椅子と一緒に倒れてしまった。
小さな悲鳴が音と共に上がる。
「おい!!どうした?!」
扉を蹴破らん勢いで飛び込んできたレオンは、その先に居る筈の少女の姿を見て「どこか打ったか?」と声を掛ける。
手早く確認していくレオンにただただされるがまま。
不快な渦が目の前から消えない。
返事をする余裕が無い。
触れるレオンの手は不思議と嫌な感じがしなくて。
それが何故かは、自分でも全く分からない。
もしかしたら記憶にない過去の自分に関係しているのかも知れないけれど、そんな事などもう分かる筈も無い。
何かを考えている余裕など、全く無い。
捻じれた世界にすっかり酔ってしまっている。
力が上手く入らないまま蹲っていると、傍へしゃがみ込んだレオンに抱え上げられた。
声が出せない。
吐きそうで、言葉が出ない。
引き寄せられたレオンの腕の中で、嗚咽が漏れる。
「ただの発作だから心配すんな」
レオンはそう言って、慎重に抱き上げてベッドへ運んでいく。
何でそんな事――
ベッドへゆっくり降ろしてから手慣れた様子で毛布を掛けると「暫くじっとしてろ」と、大きな掌で髪を撫でた。
ここまで身体が言う事を聞いてくれないと、自分に嫌気も指すものだ。
けれどそんな事ですら深く考えている余裕はない。
暗闇の中で世界がぐにゃぐにゃと潰れていく。
何度か押し寄せる嗚咽、目の前で揺れ潰れる暗闇に、恐怖の波が押し寄せてくる。
小さく丸くなった少女はベッドのシーツを強く握った。
お願いだから、早く収まって――
気持ち悪さが身体中を駆け巡っていく。
ぐらぐらと動いていた世界が蠢いてくる。
元に戻りつつある合図。
ただの暗闇なのに、何故こんなに世界が歪むのだろうか。
不安で仕方がない。
ベッドのシーツにしがみつくようにして、蠢く世界で必死に耐える。
視覚的な事だから、ずっと平坦で安全な場所――
視覚的な事?
何も見えていないのにどうしてこれほど迄に視界が揺らぐのだろうかと、自分の事ながら腹立たしさを感じながらも、何も出来ない自分が恨めしい。
ベッドの上に居るはずなのに。
自由にならない身体を不満に思いながら、揺らぐ世界が早く元に戻るのを祈っている。
「あのなー…こういうのは付けとけよせめて…」
どうやら浴室置かれたままにしてあった服を持ってきてくれたのだろうが、一式下着類が置かれたままになっていた事に気が付いたのだろう。
返事をしている余裕無かったが、少し位頭を動かす事位できるだろうと、頭を起こす。
「履かなくても俺は良いけど、お前が困るだろ」
シーツを手繰って下部分を上げると、細く頼りない両足を捕まえて、慣れた手つきで素早く器用に下着を履かせてやる。
小さな悲鳴が耳に届き、身体が僅かに強張ったが、抗議の声を上げる余裕など無い程の少女の抵抗など、レオンにとっては大した妨げにはならない。
そもそも履きもしないで長時間何をやっていたんだと言いたい。
まあ、状況を見れば分かりそうなものだ。
「どうせ服も着ないで椅子にでも座ってたんだろ」
少し位、危機感を持ってくれ。
人前で素肌を晒すなんて、俺の前だけで十分だ。
いや。
そんな事思ってる場合では無い。
シーツを戻して足元を隠してから[#da=3#]を背にベッド端へと座り、頭をバリバリと掻いた。
ベッドの中でゴソゴソと音がしている。
確認する事は無いが、視界が安定してきているのだろう。
時間によって短い時と長い時がある。
今回は短かった様だ。
ベッドの上で動けるだけの余裕が出てきたのだろう。
「水でも要るか?」
振り向きもせずに問い掛ける。
応える事は無いが、後ろで何かを探している様な気配。
大漢の指先に小さな指が当たった時、妙に動揺した。
悟られない様に慎重に「どうかしたか?」と、声を掛ける。
「…ごめんなさい」
別に謝られる事が有った訳ではない。
「謝るなら上の方も付けとけ」
無防備にも程がある。
不安なのか、握った先の小指を離そうとしない。
握った指の先へ身体を寄せた少女を背中で感じながら、静かに息を呑む。
落ち着けと自分に言い聞かせながら。
意識すると、下腹部が疼く。
深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
「いいか、」
声を掛けた瞬間に。
小指を握る手が僅かに力を弱めた。
ベッドが少し揺れる。
「女っていうのは案外無防備でな、」
決して彼女の方を向いてはいけない。
恐らくもう、止まらない。
レオンは、自分を止める方法がもう分からない。
けれどだからこそ、気を付けて欲しい事だ。
一度この話は、した事が有った。
しかしもう、その時の彼では…いや、その時の彼女ではないのだ。
伝えておきたい。
知っておかないと、いけない大切な話だ。
本能が刺激される。
欲望が蠢いて。
性欲が疼く。
その手を、離して。
いや――
離して欲しくはないけれど。
傷付けてしまいたくない。
俺は一度、お前を傷付けたんだから。
「男っていうのは、女が無防備な瞬間を見逃さねえ。絶対だ」
だがその願いに反して小さな指先が、強く、レオンを握った。
指先を通して震えているのが分かる。
「まだ、迷ってんだろ」
一瞬、神経に触った様に指先の力が緩んだ。
こんな風に迷惑を掛けるなら着いて行かない方が、良いと思っているんだろう。
「記憶を失くした君を、もう一度口説くなんて」
ワーズワースからの言葉が脳裏に蘇る。
本当に、そうなのだろうか。
疑ってしまう。
けれど過去の事は全く覚えていないのにどうしてなんだろう。
こうやって、過去の自分も困惑していたのだろうか。
「まだ、迷ってんだろ」と投げ掛けたレオンの言葉が心の深い所に刺さった。
レオンの小指を握った小さな指は、力が強くなって。
「俺は――お前が俺との事を白紙に戻したいと言い出さないかかが一番不安だ」
レオンの言葉に惹かれる様に、丸くなっていた少女は硬く結んだ紐が解ける様に、丸く小さくなっていたその身をゆっくりと戻していく。
「お前にとって俺がどんな存在かは分からないけど」
見えない瞳で、レオンへと向いた。
視界のぐらつきが、落ち着いていく。
真っ直ぐになっているかと聞かれたらすぐに返事する事など出来そうにないが、じわじわと世界が元へ戻って。
何となく気持ち悪さが抜けないが、ぐにゃりとねじれていた周囲の感覚が形を取り戻している。
油断すると嗚咽を漏らしてしまいそうだったが、だいぶ気分不良も落ち着いて。
レオンが背を向けたままである事は声の届き方や手の位置で気が付いてはいるが、レオンの声ははっきりと耳へ届いている。
「俺にとっては無二の存在だ」
声に導かれて小さな身体は起こした。
「…いいか?」
ベッドが軋む。
「お前しかいない。これまでも、これからも」
ちょっと泣きそうな、子供の様な声で。
指から手繰っていく様にレオンを見上げる。
こちらを向いたレオンの瞳を見る事は出来無いが、金色の瞳を、[#da=3#]は知っている様な。
記憶には、無い筈なのに。
「…レオン?」
肩越しに覗き込む様にして、少女が呼び掛ける。
「あの…ごめんなさい」
しかし返って来た言葉は予想していたものと違い「分かったなら、先に服を着ろ」という言葉だった。
「うあ、はい」
忘れかけていたが、上半身はバスタオルで簡単に包まっただけの姿なのだ。
大きな手が[#da=3#]の手首を取る。
「お前本当、マジで気を付けろよ?」
レオンの声は少しだけ、普段と違う様に思った。
――…どうして?
記憶に無い過去に心が濁る。
手首を引いて、身体をその腕で抱く。
「俺が今お前を抱いたら」
少女に覆い被さる様に強く抱き締める。
「神は――俺を赦すか?」
真っ黒な世界にレオンの体温が、染み込んでいって。
・