- Trinity Blood -4章
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最初からもう一度。
「――…今戦力を欠くのは厳しいわ」
「けれどそうね」カテリーナの瞳は一度伏せられた。
空間に何かを描くようにその瞳を巡らせて。
薔薇十字騎士団の懐に入る計画を密かに巡らせている麗人は――
その計画は未だ胸の内に秘めていただけの計画ではあったが、内情が入る位置に身内がいると心強いだろう。
しかし未だ、計画をレオンに話す事は出来ない。
「アーチハイド伯爵が何というか分かりませんが…説得は可能です。復帰も有り得るとした上での契約です」
万が一にも彼女が付いていくというのなら、それは実に好都合である。
「ただし彼女を連れて行くならば耳に入れないといけない大切な話をしなければなりません」
カテリーナの指先が自らの髪を撫でた。
勿論彼――幼かった[#da=1#]が闘いにその身を投じたのは本人の意思だった。
しかしあの少年の、不幸の中で生まれた能力を、どうしても手中に収めたかったのだ。
自己回復能力という、この世に存在したのかとさえその目を疑った程の能力。
しかもそれが他人への使用も可能だという研究の第一人者であるアーチハイド伯爵の報告書を見ると、保護した子供が神父として僧衣にその身を包む事など何の障害でもないと言い切ってこれを許可した。
「彼女の事で、まだ話していない事柄が有ります」
この判断が結果的に、本人も、そして幼い子供を取り巻く環境をも巻き込んで大きな波を起こした事をどうしても説明しなければならない。
その中でも、目の前に腰を下ろした浅黒の肌のおよそ神父とは言えぬ巨漢を静かに見据える。
躊躇う様子のカテリーナへ、レオンは静かに「必要なら」とテーブルを挟んだまま身体を寄せる。
「それが顔を背けたくなる様な、耳を塞ぎたくなる様な、そんな内容でも?」
「俺が知っている事柄でも、俺の知らない部分でも、総て」
片眼鏡の奥で剃刀色の瞳が光る。
目の前ではっきりと言い切ったレオンは『知る事』を望み、間違いなく真っ直ぐこちらを見ている。
そう…――
「――わかりました」
では、容赦は致しませんよ。
声に出し掛けたその台詞は喉奥へと押し込んで、カテリーナは静かに一息呼吸をする。
「貴方が性的な眼で見ていた事が、私にとって一番計算外の問題でした」
息を呑んだ。
彼が。[#da=1#]が話したのだろうか。
だとしたら自分はこんな所で悠長に座ってはいられない。
いや。
それよりももっと前から居られる筈は無かっただろうし、何よりあの時に除籍されていてもおかしくはないレベルの話だ。
あの夜の後、誰もレオンへ詰め寄る事も無く、咎める者も現れないまま過ごしていて。
今もこうしてこの場でカテリーナと対面して座って居るという事実は有り得ないと言い切っても過言ではない筈。
何故なら少年の――[#da=1#]の持つ能力はそれほど迄にカテリーナにとって有益な能力となる筈だったからだ。
そう。
一番、後悔している事。
「あいつを…あいつの考えを尊重していたつもりだったのに、あんな形で裏切ってしまったのは俺です」
ついに。
レオンはカテリーナがこの事実を知っている事を知った。
「問題はここから先です」
カテリーナの剃刀色の鋭い瞳が目の前に座るレオンを捕らえている。
彼が、幼い少年が。
脱退を申し出るきっかけとなった原因の一つは能力消失だったが、その引き金となった大漢は今カテリーナの目の前にいる。
「[#da=1#]は身籠っていました」
レオンの息が止まる。
呼吸を忘れた大漢の思考が、まるで脳が呼吸法を忘れたかの様に真っ白になった。
カテリーナの瞳に映る自分が凍り付いているのが分かる。
目の前であの朝まで一気に遡った。
軽率だったと謝罪したあの日に。
心無い行為は雨を降らせる、と言われた瞬間に時が戻る。
「DNA配置を調べると迫ったアーチハイド伯爵に強く拒否を示したので叶わなかったそうですが…時系列から推測すると十中八九、貴方の子供だった」
意識が引き剥がされそうになる。
何とか呼吸を。
何とか質問を。
何とか、何とか…と、意識を引き戻す。
いや。
今、目の前の上司は何と言った?
貴方の子供――
「だ…った、というと?」
身籠ったまま原因不明の病に倒れ、子供は流れた。
高熱で臥せってから徐々に記憶を失くし、とうとう目を覚まさなくなったと。
カテリーナの言葉がフィルターを通して聞こえてくる。
ぼんやりとしか聞こえて来ないその言葉を、何とか聞こうと耳を済ませているが集中が出来ない。
俺の――
最愛の娘を不幸へ追いやったこの遺伝子が。
欲望を吐き出した瞬間は冷静でいる事など出来なかった。
愛しくて。
愛しくて。
日に日に愛しくなる相手を、万が一誰かに、心無い行為で傷付けられてしまったらと気に掛けていたのに。
ふとした瞬間に心を揺らすその仕草、目を離せなくなる髪の流れ、身体を伸ばす時に漏れる声、不安からか服の端を持つ指先でさえも。
心が誘惑されていく。
男性として、神父として生活を共にしていた筈なのに。
鼻腔を刺激する様な[#da=1#]の甘い香りは獣人の遺伝子を持つ獣にとって、ただの媚薬でしかなかったのだ。
秘密の訓練も、彼の今後の為だと思って始めた事だった。
体温に慣れぬ子供へ、その体温に慣れ普通の生活をひたすらに願っていただけだったのに。
何度も取り乱し眠れぬまま朝を迎えた事も、無事に朝を迎えても次の日にシャワールームで冷水をかぶったまま倒れている事も、やむを得ず’教授’から預かっていた注射を打った夜もあった。
長く体温を感じているとその身体は肩を寄せて呼吸を乱す。
心配で眠れない夜を何度も共にしていた。
眠っている時に身体を寄せる行為も、指先を握ったまま眠り朝を迎える様になったのも、長い時間が掛かったが徐々にその訓練の成果が見えてきたと思って喜んでいた最中の夜の事だった。
いつの間にか、彼への。
いや彼女への想いが強くなってしまって。
酒に釣られて甘い香りに掛かった獣は、酔っても居ないのに少年を、僧衣を纏ってその性を偽っていた幼い少女を押し倒していた。
脳を揺らす様な、鼻腔に残る様な甘い香りに当てられ本能のまま性的乱暴を働いてしまった事に後悔したのは言うまでもない。
何故か止まらない。
もっと匂いを嗅いで。
鼓膜を撫でる様な声を聞いて。
柔らかいその肌を乱暴に噛んで。
触れるだけでも背筋がぞくぞくとする髪を撫でたくて。
思い出しただけでも、鼓動が高鳴って――
いけない。
今は裁かれている身だ。
軽く頭を振って。
「貴方が長期任務…
いえ表向きは脱退しルードヴィッヒⅡ世の下へ[#da=3#]を伴いたいと言うのならアーチハイド伯爵へは伝えます。しかし、私にも伯爵にも決定権はありませんよ?」
勿論、重々承知している。
問題は本人の意思である。
自分の思いや、アーチハイド伯爵の意向など関係ない。
カテリーナはきっと、伯爵公を口説けるだろう。
恐らく辞令として出せば[#da=3#]も了解するだろうが、それは本人の意思とは違う。
「一週間後の同じ時間に来て頂戴」
という事は、その間一週間をここローマで過ごす事が出来る。
カテリーナの言葉に、心が高まっていく。
彼女に、[#da=1#]にその気持ちをどう伝えたらいいか。
正直に。
一緒に居たいと伝える事が出来れば。
・
・
・
「ところでな、[#da=3#]」
食事に誘われたというか、良いじゃないかと手を引かれてやや強引に入ったレストランで、食後のコーヒーを飲んでいた時。
レオンはそっと、カップをソーサーへ戻した。
「一週間後、俺はローマから離れる」
見えてはいないが。
レオンの表情が曇っている様な。
「そうですか…寂しく、なりますね」
悲しいという感情なのだろうか。
見えている様な、見えていない様な。
はっきりは分からない。
[#da=3#]は少しの間を置いてカップをソーサーへ戻す。
「それで相談なんだが」
「はい?」
唐突に相談だと言われて、[#da=3#]は思わず姿勢を正す。
「一緒に、俺と来てくれ」
あまり広くはないがテーブルを挟んでいた筈なのに、声は近く聞こえて来る。
「――あの、」
勿論お互いに動いている訳でも、レオンが立ち上がっている訳でも無い様だが。
まるで隣にいる様な感覚で、耳に声が流れて来る。
「お前が必要なんだ」
「…私みたいな人間では、お役には立てないですよ」
[#da=3#]は静かそう言った。
目も見えないし、恐らく足手まといにしかならないだろう。
人質になって迷惑を掛けてしまうのが関の山だ。
必要だと言われる理由は分からない。
だが。
盲目である自分がその様に言われるなんて。
「すぐに返事が欲しいとは言わない」
コーヒーの味も、先程迄食べていた食事の味を思い出せそうにない位、頭が真っ白になっていく。
断ったつもりだったのに。
何と返事をすればいいかも分からない。
動揺が隠せない。
呼吸は出来ているのだろうか。
不安で、返事が返せない。
「6日経った朝迄に返事が来なかったら――
俺はお前を説得しに来る」
見えていない筈なのに。
表情が読み取れる様な、レオンの声。
何か、不安が隠せない声が耳に留まっている。
こちらを見ている気がして。
目を逸らしてはいけない気がして。
[#da=3#]もレオンから目が離せない。
瞳に映る事など、無いのに。
「それだけ、重要な役割がお前にはあるんだ」
きっと俺は。
実に頼りない顔をしているだろう。
情けない。
首を縦に振って、くれ。
一心に願うばかり。
「…ガルシア神父」
何とか振り絞ったような声に、返事が出来なかった。
前髪で器用に隠したその瞳が覗いていて。
「少し…歩きたいです」
「分かった」
レオンは立ち上がり、傍へ寄る。
「さあお嬢さん、お手を」
促されて出した右手を、レオンがその手に取った。
静かに自分へ引き寄せると、少女は右手に引かれて椅子から立ち上がる。
少し肩を震わせている。
「どこまでもお供します」
ゆっくりと。
大きな右手が[#da=3#]を伴って歩き始めた。
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