- Trinity Blood -4章
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どんな状況か見えないが。
とりあえず今は、あまり良くない状態だった。
正装に着替えている最中の出来事。
何か変だ。
背中の辺りで引っ掛かっている様だったが…?
「……髪…かな?」
どういう風に引っ掛かっているのか分からない。
誰かに頼る事がない様に、色々訓練をして今へ至っている。
カテリーナ・フォルツァ枢機卿に謁見する為に、検査着から正装に着替えている最中だった。
「ん…あれ?」
やや混乱しながら状況を確認していたが、ドアをノックする音が聞こえて来た。
「はい、?」
「失礼――」
間髪置かず、一人聞き覚えのある声の男性が入ってくる。
「え、あ…ちょっとすみません、待って…」
反射で返事してしまったが、それどこではない。
「いや、ごめんなさい今――」
言葉が上手く続かない。
自分が思っているより多分あられもない姿を晒している様な。
「――主よ…これは…神のお戯れでしょうか…」
「ナイトロード神父?!こ…これははしたない姿を…っ」
感謝致します!!という声が聞こえるのだが、これは気のせいであって欲しい。
「いえそんな!ん……あ、これはこれは。紐と髪が絡まってますよ?お困りでしたらお手伝いしましょう」
直ぐ真後ろで声が聞こえる。
彼はその長身を小さく屈ませて、絡まってしまった紐と髪の部分に目を凝らしている。
お手伝い?
絡まった髪を外す手伝いをしてくれるだなんて、神父アベルは乙女だったのか?と、心の内で首を傾げつつ。いや、乙女というより恐らく『お人好し』が正解だろう。
こういう部分が彼を憎めない人物として位置付けているんだろうな、とぼんやり思いながら。
「お手を煩わせるなど…」
「いえこんなのっ、お恵みに相違ありませんっ」
お恵み、という言葉は引っ掛かったけれど。
状態がよく分からない以上お任せした方が早いかも知れない。
しかし無防備になる背後。
僅かな恐怖も入り混じる。
「とはいえ結構な絡まり具合ですね、いやお見事」
絡まっている紐と髪を丁寧にほぐしている。
絡まり具合を褒めている場合なのだろうか。
時々髪を強く引っ張る感覚があるが、痛いなど失礼なので言わない様に努めよう、と思いつつ。
「ん…えっと…?」
斜め上に引き上げられる様な感覚。
確かこの神父はとても身長が高かった様な。
頑張って頭を下げているらしい事は分かるが、少し申し訳ない気もし始めた。
「これがこうだから…いやこっちが…」
右の紐や左の紐を交互に引っ張っている様だ。
そんなに酷いのだろうか。
いや、それよりも。
そんな下の方迄、紐は緩めなかった気もしているが。
「ちょっと、…髪を少し上げてもらえますか?」
「え?あ…はい」
「これ以上絡まってはいけませんから」と言われるが、でも今その髪がまさに引っ張られているんだが、一体何をどうしたらいいのだろうか。
まあアベルにそう言われている以上やるしかない。
指で紐と引っ張り合っている髪を慎重に選びながらそれを除いて纏めていく。
上手く髪を纏められないのは、それが片手だから。
片方の手が、胸元を隠している。
一人で着れる様に右脇辺りを締める設計になっている正装用の衣服。
普段あまりこういった服を着る事が無いので、うっかり紐の部分と髪を巻き込んでしまった様だった。
「ああ、これで視界良好です!続けますね」
と言いながら、再び紐を引いた。
指先が動くと何回かに一度は髪を引っ張られるが、見えていない以上どうする事も出来ないので、もう任せるしかない。
髪を纏めて持った右手と、胸元を隠した左手で、既に両手は自由がない。
「あ、全部紐取れましたよっ!」
嬉しそうな声を上げるアベルに、しかし[#da=3#]は違和感を口にした。
「紐を取ったんですか?」
「はい!…あれ、違うんですか?」
最初は絡まった髪と紐を解す所から始まったと思ったけど。
「いや…紐を取ってもあまり解決には至らないのでは…」
「えっ」
何故かすっかり、紐を抜き取る事に専念してしまっていたアベルにどこからどの様に、何と説明すれば良いのか。
「えっと…紐を全部取ってしまうと服が着れないから…紐は付け直さないと…」
「あ!…えーっと…本当、ですね」
この人一体何を手伝うつもりだったんだろうか。
「とはいえこの紐どうやって付いていたんでしょうか…」
ええ?今自分で抜いたのでは?――
もう突っ込みが追い付きそうにない。
「あの、兎に角その…紐に絡まった髪を解いて頂けませんか?」
わざとやられた様な。
想像すら難しいところだが、何故かそんな気がした。
人を悪い気にさせないで自然な流れに持っていくのがとても上手な事を知っていた様な。
「あ、はい!そうですねっ」
しかしアベルは手を止めて。
「これ…あの、この傷は一体どこで?」
おかしい。
この傷には覚えがある。
右脇辺りにある大きな切り傷は、任務中に負傷したものだ。
いや、鮮明に覚えている訳ではないが、すっぱり切られた瞬間を見たような。
紐が取れた正装の、隠れてしまう背中の部分へ思わず手を掛けた。
「これは…」
背中の、薄っすらと残った火傷の跡。
突き立った切っ先の跡。
心臓部分を貫かれた様な跡。
よく目を凝らさないと分からないが、無数の傷がある。
指先で傷跡をなぞりながら、アベルは息を呑んだ。
こんな。
遺伝子が同じというだけで、傷迄全て再現されている事なんて、あるのだろうか。
――どういう事だ…?
何度も巡ったその問答の中で導き出した彼女の正体。
まさか本当に?
「ナイトロード神父!」
大きな声が耳に届く。
いや、大きなというか。
耳にはっきり届いただけかも知れないが。
「あの…それ以上はちょっと…」
「え…うわ!いや、そんなつもりでは…!」
両手を離したアベルの目の前で、背中から腰元まで露になっている[#da=3#]。
「すみません、えっと…あ、そう、紐ですね!紐ですよ!」
言い繕いながら。
アベルはしかし、自分の仮説が正しいのではと思い始めた。
「それでその…[#da=3#]さん?…背中のこの傷は一体…」
言い掛けて口を噤んだ。
そういえば、彼女は記憶がない。
目の前で戸惑うだけの女性は、残念そうな表情で「ごめんなさい」とだけ短く言葉を零した。
そうこうしている間に、紐に絡まった髪を取り切っていた。
「あ、これで大丈夫ですね」
「有難うございます、お手数をお掛けしました」
これで、右手はようやっと自由になる。
髪を一度左へ寄せてから、アベルから紐を受け取った。
「とんでもないっ!お役に立てて光栄です」
左手は服がずれない様に支えが必要になるので左側は不自由になる。
「支えておきましょうか?」
言うが早いか、アベルは服の右前側部分の端を掴む。
「あ、あの…いえ、大丈夫ですから…」
それは流石に恥ずかしさがある。
「いや、しかし――」
「お気遣い頂いて…ではそのままで…――急いでやりますね」
問答をするより、早く衣服を整えた方が得策ではないかと思い至る。
とりあえず持って貰う事にして、急いで紐を通そうと、指先で衣服をなぞり紐を通す位置を確認していく。
アベルの指先と思われる感触が素肌に当たっている。
なるべく深く考えない様に進めなければ。
身体を捻って、左右の穴に紐を通していく。
「え、な…に?」
突然身体の向きが変わる。
首筋にまっすぐ横に切られた跡が残っている。
肩口の傷跡。
無数の銃痕。
胸元に見える背中と同じ、剣の先が貫き立った跡。
「…いっ」
両肩を掴まれた[#da=3#]は身動きを取る事が難しい。
もう既に身体を半分捻っている状態なのだ。
痛みが伴う。
この傷…やはり見覚えが?
その傷をなぞって。
アベルは息を呑んだ。
「何をしているんだね、アベル君」
ため息混じりの声が真後ろで突然呼び掛けた。
「え、わわっ!’教授’!いや違います!誤解なんです!!」
両手が離れる。
自由になった身体は、その身を隠す。
俯く女性は、僅かにその身を震わせた。
「やれやれ…ノックしても応答がないから入ってみれば…これは立派なハラスメントだよ?猊下に報告しなければならないね」
「ええ?!い、いやあの…カテリーナさんに報告ですって…!」
慌てるアベルを横目に、声だけで呼び掛ける紳士。
「大丈夫かね、[#da=3#]君?」
「ワーズワース神父…」
伏せたまま、その瞳だけが’教授’の方を向いた。
光を失ったその瞳は間違いなくこちらを向いてはいたが、前髪で器用に隠れていて詳しく表情を読み取る事が出来なかった。
「君が時間が過ぎても来ない事を心配して、猊下から様子を見て来る様、頼まれてね」
言いながら器用に衣服に紐を通していく。
’教授’はなるべく彼女には触れない様に気を付けて、手早く紐を通し終えるとバランスよく左右を整えて紐を結わえた。
「さて、次の執務に移るまであまり時間がないよ。直ぐに顔を見せに行き給え」
軽くその右手を引いて起こしてやると、震えたその手は一度だけワーズワースを握って離す。
「…有難うございます、ワーズワース神父」
「いや、……些細な事だからね」
短い挨拶を終えて、[#da=3#]は謁見室へ急ぐ事になった。
踵で二度程周囲の感覚を捉えてから扉に向かって歩き出す。
探った扉のノブを引いて、部屋を後にした。
「…さて、アベル君?」
向き直ったら、長身の神父は小さく項垂れていた。
「『お痛』は、いけないよ?」
「でも…'教授'!」
彼が言わんとしている事は、分かっている。
「彼女は、もう別人格として人生を歩み始めているんだよ」
ため息と共に’教授’が静かに言った言葉を聴いて、返事をし掛けたアベルは勢いよくその頭を持ち上げる。
「――'教授'…それって…っ」
「アベル君…何故猊下がそのリスクを侵して彼女を定期的に此処へ召喚しているか、その真意が分からないのかい?」
立ち上がったアベルに、問い掛ける。
杖を片手に携えたその紳士は、今白髪の女性が出ていった先へ静かに目をやった。
「生きている事を我々に示してくれているんだ。感謝し給えよ?」
アベルのその気持ちは分からなくもない。
トレスに案内されて突然現れ、別人だと紹介された時には心臓が爆発しそうだった。
骨伝導装置を応用した装置を造る事を約束したのは、短い寿命のの中で、この世を去るまで幼い顔立ちの女性と関わる事を許されたかったから。
メンテナンスや検査で定期的に会える事を約束された'教授'は、それを期にカテリーナに説明を求めた。
「'教授'…私は――」
「猊下が、あの白髪の女性が[#da=1#]のクローンだと言った様だが――
君に配慮して…というよりは、彼女を刺激するなという意味だと思うよ」
「記憶を失ってしまった彼女へ色々問い質して混乱を誘わない様にという事…でしょうか?」
「そんな…カテリーナさん」と僅か落ち込んだ表情で。
正直に言って欲しかったという思いもあるだろうが、堂々と嘘を吹き込んでアベルを黙らせる手腕は正直流石だと言わざるを得ない。
アベルが彼女をリサーチして、その身を何らかの形で危険にさらしてしまわない様に注意を払った結果なのだろうから。
「恐らくね。我々は[#da=1#]が行方を眩ませたあの時から、1年以上も彼との再会に焦がれていたのだから」
言うや否や。
ワーズワースはそのまま扉へと向かう。
「…君の苦しい胸の内も分からなくはない。だが、幸せの天秤は君が量るものではないよ」
扉のノブに手を掛けたワーズワースは、そう言い残して部屋を後にした。
アベルは息を呑んだ。
全くもって、その通りだ。
「ああ…’教授’――」
アベルの声は、切なく響いた。
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