- Trinity Blood -4章
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社交界の場は世界はとても。
騒々しい。
賑やかだというのが一番相応しいのだろうが…
[#da=3#]にとっては騒々しい様な感覚――
「ああ、…」
眩暈がする。
ため息もつきたくなる。
耳を澄ませなくても、前後左右が騒々しい。
久々に大勢の人間に囲まれた事もあったのだろうか、気疲れして少し消耗している。
バルコニーに置かれたチェアから立ち上がった時に一瞬世界がぐらついてから暫く時間は経過したものの、ぐらぐらと頭の中で世界が揺れている。安定を求め、誰かにぶつからない様に注意しながら慎重に壁の方へ寄った。
ふらつく身体が落ち着かない。
バルコニーから戻ってから腕に掛けたままの上着は声を掛けられた相手が指摘する事は無かった。
騒がしい周囲は、壁に寄った[#da=3#]には気が付いていない様子だった。
この香りもあのぬくもりも、何故か知っていた気がする。
とても、暖かくて。
それが何故かとても安心して、けれどどういう訳か苦手だった事を。
『華やか』な社交界の会場では人や食器の音が騒がしく普段の倍は疲れる。
半年近く静かな空間で五感を研ぎ澄ましていた[#da=3#]にとって、この騒音は少し厄介だった。
テーブルに置かれた食事が各々でいい香りを立てている。
少し座りたくて、腕に付いた十字架へ軽く触れた。
しかし身体は水分を欲している。
――先に、何か飲み物を取りに行かないと駄目だ…喉が渇いた…
座る前に水分を取りに行かねばと、一度寄った壁から離れた。
グラスの位置を確認して、人に当たらない様にゆっくり歩いていく。
「きゃ?!」
事故というのは、自分が気を付けていても突然その身に降りかかるものだ。突然何かがぶつかってきて、完全にバランスを崩した[#da=3#]は床へ手を付いた。
「これは失礼!後ろに目が付いていないとはいえ何たる不覚…!」
男の声ははっきりと耳へ届くが、周囲はあまり気にした風もない。ということは、随分死角になっているという事か。
すっぽり影に覆われた様な感覚。
「大事ないか…む?」
装飾品についた紋が見えた様で、慌てて男は頭を下げる。
「これは…失礼を!」
「あの…どうかお気になさらず…っ」
左腕に痛みが走る。
同時に身体が浮き上がる様な感覚。
床へ腰を落とした[#da=3#]の身体は声の相手と思われる大きなその掌に引き寄せられた。
掌の大きさや力の感じからすると、随分と体格差がある様だった。
床から立ち上がる、というより引き起こされた[#da=3#]の腰が男性の反対側と思われるその手で支えられる。
やや強引に立ち上がらされたような気もするが、床と仲良くしている場合ではないから立ち上がる事が出来ただけでも感謝はしたい。
ところが立ち上がったのにも関わらず、男性の手は[#da=3#]を解放しなかった。
「あ、の…?」
雰囲気が、少し怖い…様な。
壁に近く、人からも少し離れているこの場所で、巨漢が壁になっている事からどうやらこのやり取りは周囲も気付いていない様子だ。
とはいえ、目の前のこの大きな掌を持つ男性は体格差が随分ある様だ。
小柄な[#da=3#]にとってこの漢は壁と相違ない。
ただ何故か。
この感覚を知っている様な。
ただ、この感覚の名が思い出せない。
妙な感覚に危険を告げていて。
[#da=3#]は腕を引こうとするがその力は強く、一向にこの手の主は離してはくれない。
記憶のない先で起こった感覚が、染み出す様に蘇ってくる。
「何とお詫びしたらよいか…」
こちらはそれどころではないのに。
「申し遅れました。某は教理聖省異端審問局局長ブラザー・ペテロ」
何故。
聞き覚えがある様な…――記憶も無いのにどういう訳か身体が強張っていくのを感じる。
急がなければ…何かが沸々と湧き上がってくる。
あの時と同じの、様な。
逃げなければ。
――あの、時?
この容赦ない力加減を知っている様な。
その時だった。
「これは――?」
漢が[#da=3#]の腕を引き上げる。
手首に付いた、腕輪の先に付いた小さな十字架。
一見するとただの装飾品――そう、どこにでもありそうな腕輪。
ただこれは、ペテロには見覚えのあるものだった。
壁に近いこの場所で、こんなやり取りをしていると。
余計に何か。
「汝は…いや…しかし、」
俺は以前この光景を目にしたか?
以前にも似たようなやり取りをしたような気がすると、ペテロは記憶を巡らせる。
いやそんな筈はない。
このやり取りをしたのは神父だった。
そう、教皇庁国務聖省特務分室の派遣執行官。
黒に程近い髪で器用にその瞳を隠した…そう、神父だったと思ったが?
そうだ。
彼は本当に神父だったのか、未だその疑問が胸に蟠りを残しているのだ。そういえばあの時、ワーズワース神父があの少年を呼びに…いやもしかしたら、彼を助けに来たのかも知れない。
自分がもしやと思った時には、もう彼の身はワーズワース神父が保護していて…――
思案する間も、ペテロのその掌が力を緩める事は無い。
見下ろした先に見える首筋を見て。
途端に鮮明に記憶が呼び起こされた。
そうあの時と同じ様な光景。
そう。
色素の薄い肌、折れそうな程細い手首、そして腰…――
「ひぁっ」
腕の中で身体が跳ね上がる。
僅かに腰が落ちたような感覚が、その腕に伝わってくる。
思案に暮れていたペテロの思考が引き戻されるには、目の前の女性が声を上げた事が、一番効果があった様だった。
前髪で器用に隠れたその瞳がどうやらこちらを見上げている。
その身体は引き攣った様にして小刻みに震えていた。
「ん?」
何事かと思ったがしかし。
手元を見てペテロは飛び上らんばかりに驚いた。
その手に残った柔らかく温かい感触。
腰から上へ登って、手袋越しとはいえ、大きく背中の空いたドレスに身を包んだ女性の素肌へ触れてしまっていた。
小柄な女性の背中に手を置いてその身を自らの手で引き寄せてしまった様だ。
素早く両手を離し「こ…こ…これは…――し、し…失礼したっ」と低く頭を下げる。
風が巻き上がらんばかりの勢いで。
体温が上がっているのを感じる。
無自覚とはいえ、不用意に人の…それも女性の身体を撫でてしまうなんて。
耳まで赤くなっているのを感じながら。
この場から逃げ出したいと強く思いながら。
しかしこれは自分の過ち。
無礼は詫びる必要がある。
「あ…、あの…どうか面を上げて下さい」
突然ガバッと顔を上げるペテロで、周囲が暗く染まる。
掌の感じやこの周囲がかげるこの気配…それだけの身長差はある事が分かる。
僅かに身を引くが後ろは壁。
壁に挟まれたような、圧迫した感覚。
逃げ場がない。
煩い鼓動が非常事態を告げている。
「しかし「人は過ち無しには前に進めません。貴方が自らの行いを悔いるなら、主はそれを認めて下さいます」
ペテロが振り返った先で。
普段の僧衣とは違いスーツに身を包んだ、長身で眼鏡をかけた男性が立っていた。
声の主は夕方に執務室内ですれ違ったナイトロード神父。
言葉に聞き覚えがある様な?
目の前の巨漢の存在にすっかり気を取られ、近付いてきたこの声の主に[#da=3#]は全く気が付けなかった。
ペテロの目が逸れた感覚に安堵したのも束の間。
すぐにその巨漢はこちらに向き直った。
「許可なく女性に…それも素肌へ触れるなど、某とした事が…非礼は詫びたい」
そして今度は。
ブラザー・ペテロは静かに頭を下げた。
細長いアベルの指先が僅かに女性の肩を引き[#da=3#]とブラザー・ペテロの間に分け入る様に入ってくる。
「私こそ、あの…お仕事のお邪魔を…」
アベルの細腕に庇われた[#da=3#]の声は冷静を装っているが、やはり声は僅かに震えている様子だった。
アベルは確かに、彼女が恐怖している事を感じている。アベルのスーツの先を少し握っているのが何よりの証拠である。
「すまない…助かった、ナイトロード神父。某は巡回に戻る」
こんな風な彼女の仕草を見ていると[#da=1#]・[#da=2#]を感じる事は無いというカテリーナの言葉には信憑性がある。
「[#da=3#]さん、大丈夫ですか?」
後ろに居る彼女へ、声を掛ける。
「ええ、あの…大丈夫…です」
スーツの端は未だ、握ったまま。
言葉と、行動が伴っていない。
アベルは見えていないだろう彼女へ向かって笑顔を向けながら「そうですか」と、短く答える。
「未だ数時間ありますから…少し休まれては?」
壁に置いてある椅子へと座る様に声を掛け誘導する。
素直についてくる彼女に、妙に可愛らしさを感じてしまう。
誘導されて椅子に座ってから。
緊張が解けたのか、スーツを持っていたその手をやっと離した。
「そういえば、ずっとお持ちですがその上着…どうされたんです?」
大人しく椅子へ座るやや幼さの残る顔立ちの女性がずっと持っているその黒のスーツを気にしていた。
「あの、それがいまいち分からなくて――」
恐らくはガルシア神父の物だろうが、[#da=3#]は確信が持てないままだったので言葉を濁した。
「そうですか」と答えつつ、アベルはそのスーツから目を離さなかった。
先程遠巻きに見たレオンが上着を着ていなかった事は、確認している。
この少女が本当に[#da=1#]と同じ遺伝子をもつクローンだと、にわかには信じがたい。
しかし直属の上司であるカテリーナ・スフォルツァ枢機卿からの説明は全て、偽りの様に聞こえなかった。
彼より表情はやや豊かに見えるし、口数も少なくはない。そして背の高さ…
声の質…――
静かに喉を鳴らす。
核を提供されたその個体と全く同じ遺伝情報を持つといわれるこの女性は、確かに[#da=1#]・[#da=2#]と顔も、少し残った掠れたその声も。
似ている様で、確信を持ちきれない。
少しだけ、[#da=3#]・アーチハイド伯爵の養女となったこの女性の方が背が高い印象がある。
これについても、説明はされた。
目が合っても、彼女ともう目を合わせる事も難しい。
髪も色を失い、瞳は光を失っている。
記憶を失くして。
彼女はもう、自分と顔も形も同じその身体を、悲しむ術はないのだろうか。
「あの[#da=3#]さん、…」
声の主へ顔を向ける。
その瞳に、アベルは映らない。
「――あ、いえその…何か…、お持ちしましょうか」
問いたかったその言葉を飲み込んで、質問できた自分を褒め称えたい。
いや、もう誰か褒めてくれないかとさえ、思ってしまった。
「貴方は貴女を覚えていませんか」と喉元迄出掛かった。
彼女は別個体、なのだ…――
記憶を失っている彼女に記憶にまつわる質問は流石に酷だ。
「大丈夫です…少しここで、休みます」
「あ、はは…分かりました…」
分かっているのに。
どうしても。
彼女に質問が――してはいけない。
「で、では私も戻りますね!あの、では失礼します」
どうしても質問してしまいそうになる。
この場を、離れなければ。
そうでないと。
「あの」と、言葉が追い掛けてくる。
「…有難うございます、ナイトロード神父」
「ええ、あまり無理はなさらないで下さいよ、[#da=3#]さん」
今自分は、果たしてどんな顔をしているだろう。
きっと。
きっと…――
情けない表情なのだろうなと、思いつつ。
静かに、そして足早にアベルはその場を去った。
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少し休憩。
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