- Trinity Blood -4章
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真実の嘘
彼女の6ヶ月が終わった。
緋の法衣を纏ったその女性の前に、[#da=3#]は単独で面会に臨んでいる。
「半年振りになりますね、[#da=3#]・アーチハイド伯爵令嬢」
穏やかな笑みを湛え、カテリーナ・スフォルツァ枢機卿は静かに再会を喜んだ。
「猊下には、私…なんとお礼を――」
言葉が詰まる。
「いいえ、貴女の努力の賜物ですよ?それに、これからの貴女に投資したといっても過言ではありません」
美しい剃刀色の瞳が光る。
どこか大人びた印象に変わっている女性、目の前に座る[#da=3#]は半年ですっかり髪も伸びてきた。彼女はトレスから報告を受ける度に少しずつ傷が少なくなっていった事は聞いていたが、確かにどう見ても彼女に傷らしきものは見当たらない。
ただ、薄っすらと身体中に凹凸がある。
それが消えない傷である事もカテリーナは知っていた。
「養父からも聞いています。髪も順調に伸びています」
口元に笑みを湛え。
ただそれは[#da=3#]には見えなかったのだ。
「遠慮はしません事よ?」
「はい」
短く返事をする。
「神父トレスからも伝え聞いていると思いますが、今日は支援者である一人が主催している社交界に参加して頂きます」
社交界。
主に女性陣が主張しあっていて堅苦しく、好きではない。
男性はその時、静かに権力者に取り入る術を見出す為に静かに東奔西走している。
しかし伯爵の養女として身を置く彼女には、養父の研究に於ける出資者を増やすチャンスの時でもある。養父の研究出資者の獲得する大切な役割を担っている為、参加は絶対である。以前白杖を持って参加していたが、今回は積んだ経験の実践として参加をする。
勿論念の為、杖は持参していたがここまで荷物でしかなかったので、恐らくもう役に立たないだろう。
「一式はこちらで用意してあります。17時迄に用意を済ませて広間へ来るように」
その時。
「失礼します、」と、一人の神父が扉を開けた。
「これは…すみません来客中でしたか」
「いえ、間もなく私は退室しますので…えっと…ナイトロード神父、ですか?」
「私の事覚えててくれたんですね[#da=3#]さん!主よ!私、感激です!」
両手を挟む様にして振り回さんばかりに握手をしてくるアベルにを振り払う事は無く――むしろその手はされるがままに振り回される。
しかし冷静な筈も無い。
その肩は驚いてやや竦んでいる様だった。
「お止しなさい神父アベル、女性の手を許可も無く触れてはいけません。[#da=3#]、部下がとんだ失礼を」
ふと、我に返った様にアベルはその手をそっと降ろした。
「え、あ…これは私ったら失礼を…」
「いえお構いなく」
困った様に笑いながら、[#da=3#]は「失礼いたします」と、手元の十字架を鳴らして周囲を確認してから、迷う事なく扉へ向かい退室していった。
彼女の後ろ姿を見送りながら。
「あの、カテリーナさん…」
「何度同じ質問をされても、答えは’ノー’よ。アベル」
「しかし…っ」
続きはよく分かっている。
あの女性と出会ってからというもの、時間を見付けてはここにやってきて、アベルは同じ質問を繰り返すのだ。
[#da=3#]に[#da=1#]の面影を重ね、彼女が彼であるという確証が欲しくて仕方がない様子だった。
またこの話で時間を割くのも、カテリーナにとっては実に煩わしかった。
アベルの気持ちは理解できない事もないが、真実を言わないのは彼女を護りたいと思っているからなのだ。
知りたい気持ちを[#da=3#]にぶつけて混乱して状況が悪化するのが一番困る。
「分かりました」と一言。
カテリーナはそのしつこさに観念したかの様に装って。
「ただし、貴方に開示するのは必要最低限の情報だけです。すぐに本人の下に駆けつけて問い質しかねませんからね」
一呼吸置いて。
「…瓜二つだと言ったわね。その通りです――
彼女…[#da=3#]・アーチハイド伯爵令嬢は、[#da=1#]・[#da=2#]神父の細胞からDNAを搾取して創られたコピー、所謂『クローン』です」
カテリーナは静かに言い放った。
その鳶色の瞳が映し出す先には、アベルが居る。
「クローン…ですって?」
アベルは一瞬言葉の意味を理解できない様子で眉を潜めたが、思い当たる節は幾つかある。
口元で「そんな…クローン…?」と呟いている。
「[#da=1#]・[#da=2#]が保護され、研究の実験体として登録される際に、本人同意の下摘出された細胞で創られたの」
言い切るカテリーナに、アベルは縋る様に彼女の膝元へその身を伏せた。
「そんな!」
悲しげに叫ぶその声に悲痛さを感じながらも、カテリーナは表情を変えないまま淡々と告げる。
「これを知っているのは、養女として『創られた彼女』を引き取った研究の責任者であるアーチハイド伯爵と、研究に携わっていた一部の研究員、彼女の保証人である私のみです。他言は赦しません」
頭を左右に振りながら、静かに告げるカテリーナの言葉を聞くアベルのその手は、きつく握りしめられている。
その拳へと目をやりながら、カテリーナは僅かに瞳を伏せた。
「彼の能力は今後の我々にとって必要なものでした。だから、クローンを創る事は決定事項だった」
「貴方に理解して欲しいとは、いいません」と、そのまま間を空けずにカテリーナは言葉を紡いでいく。
「[#da=3#]の成長は少し早い様に感じました。まあ…[#da=1#]・[#da=2#]神父の成長があの事件以来止まってしまっていた事を考えると、本来あそこまで成長していたのかも知れない、と想定できるけれど」
膝元で涙を堪えるアベルの、雑に纏められたその銀髪を手に取り静かに撫でる。一方で瞳からこぼれそうなその涙にも構わず、アベルはカテリーナの説明に耳を傾けていた。
「[#da=3#]本人にはクローンである事は伝えていたし、彼女は自分の立場をよく理解していたわ。[#da=2#]神父と共に実験台に何度か上がったけれど、彼の持つ自己回復能力は宿っていない事が判明し、彼女につぎ込んだ費用は無駄に…――彼女はその存在を周囲にあまり公表しないまま、伯爵公の下で静かに育っていったわ」
カテリーナは、そこでため息をついた。
時間も、費用も、多く費やされたのに…と言わんばかりに。
「あれから彼女とは書面上でしか会わなかったけれど、アーチハイド伯爵から昨年突然[#da=3#]が病に倒れ一週間寝込んだ末に、視力と、同時に記憶を失ったと連絡があったのです」
肩をぴくり、と上げたアベルがゆっくりとカテリーナへ顔を向けた。
「研究者側から『複製だから多少の不安要素がある』と最初に説明は受けていましたが…まさか視力と共に記憶を失うなんて」
額に手をやり、左右に軽く頭を振った。
これから先を発言してもいい物か。僅かに思案する。
嘘を付き切るには、真実も一部必要になる。
「そして…視力を失った彼女が『暴漢に遭った』と報告を受け、こちらで一時的に避難させる事にしたのです」
目を見開いて「そんな…」と呟くと、アベルの涙は怒りへと変貌する。
「目の見えない相手に?…そんな――」
冬の湖の様な碧眼のその瞳から涙をこぼす。
この底なしの優しさが弱点なのだが、時にその感情を利用するしかない事もある。
乱暴を働いた愚者がいるのは事実。
偽らずに伝える事で、彼女に直接[#da=1#]に関連する質問をぶつけないに様に考慮しなければならない。
生命を優先する為に記憶は戻らないという見解だが、定かでは無いし科学的な根拠は無い為、慎重に接する必要があるのは明らかである。
「あんまりですよ…」
再びカテリーナの膝元へ崩れ落ちるアベルのその髪に触れ。
「犯人である男はその後処分されたと聞いています…貴方がその愚行に心痛める必要はありませんよ」
きちんと纏めればきっと魅力も増すだろうこの髪も、雑に纏められている事で一見乏しく見える。
身綺麗にしなさいと言わないのは自分のエゴかも知れないと思うが言葉にはしない。
カテリーナにとって彼の雑さは魔除けの様なものだ。
だから「きちんと髪を結え」など口が裂けても言いたくない。
私には十分に彼は魅力的ですけれど――
だがその思いは、誰にも知られてはいけない。
髪の先まで血液の通った様なぬくもりを感じるその髪を触りながら、カテリーナはまるで幼子に諭す様に話を続ける。
「彼女は確かに[#da=1#]・[#da=2#]神父の遺伝子の複製によって生まれたクローンですが――しかしアーチハイド伯爵養女となった彼女は最早別人格として成長を遂げている」
重そうに持ち上がる頭。
美しいその冬の湖の様な碧眼が、こちらを見た。
アベルのその手にそっと添える様に、自らの手を差し出した。
カテリーナのその鳶色の瞳が、アベルを映し出す。
「私は別人格として彼女を評価しています」
この距離。
忌々しい距離。
何もかも、関係なく。
この距離を埋める事が出来たらいいのに…――
カテリーナは一度剃刀色の美しい瞳を伏せてから、アベルを改めて見詰めた。
「いいですか、この件は他言を赦しません。彼女を好奇の目に晒したくありませんからね。それに危険な目に遭わせたくないから訓練を提案し白杖にも頼らずに歩ける程になっているのです。目が見えない事を軽率に口にはしない様に」
覗き込むようにまっすぐ瞳がこちらを見ている。
「カテリーナさん…――」
「分かりましたね…さあ、間もなく時間よ。大勢の人物が一堂に会するわ。彼女の訓練の成果を見る為にシスター=ケイトにスケジュールを調整してこの日を社交界開催日にして貰ったのですから、すぐに着替えて配置について頂戴」
未だショックを隠し切れない様子ですっかり肩を落としたアベルはまだ何か言いた気に何度か喉元を動かしていたが、短く「失礼します…」と返事をしてから立ち上がり、そのまま扉をくぐっていった。
静寂を取り戻す執務室。
「いいのか、ミラノ公」
それまで全く気配を見せなかったトレスが突然言葉を発する。
「時には、嘘も必要です。結果としてこれは、彼を――いえ、彼女を護ります」
「肯定。[#da=3#]・アーチハイド伯爵令嬢と[#da=1#]・[#da=2#]神父が同一人物だと知られてはいけない。これは決定事項だ」
家具か置物の様にぴたりと壁に張り付いたままのトレスは、その薄暗い中で硝子玉の様な艶やかな瞳を向けた。
その一方は赤く光を放っている。
「その通りです…しかし――
まさか病に倒れそのまま視力を失くしてしまうなんて」
「その上記憶まで…」と、今度こそ。
カテリーナは深くため息を付いたその手は拳を作っていたが、トレスは瞳を向ける事は無かった。
「時期も相手も未だ不明ですが――
神父[#da=1#]が一時、子を宿していたという報告を受けていた事は、神父アベルには絶対に他言しない様に。余計な問答は、もうしたくありません」
宿った子は病に倒れた時に、そのまま…と報告があった。
「肯定。[#da=1#]・[#da=2#]神父がアーチハイド伯爵公に保護された時期を踏まえると、既に殺処分された執事クーガー・ボルシードの可能性は低いが、万が一の時は彼の名を出す事が決定している」
僅かな機械音が静かな室内へ響く。
時期的な心当たりとしては、カテリーナには相手に心当たりがあった。
彼女が、いや神父[#da=1#]が任務に出た後に行方をくらませた事を踏まえると、その相手が著しく目立つ。
要らぬ事を…――
彼は、いや[#da=1#]・[#da=2#]神父の能力は『これから』の戦いには必要になってくるものだったのに。
利用できるものは全て注ぎ、彼らの存在を排除しなければいけないのだから。
左右に頭を振る。
ソファへその身を預けてしまいたい。
眩暈のする身体に鞭打つ。
まだやるべき事は沢山ある。
ただ、こう問題が次々増えては、ため息の一つもつきたくなる。
「アベルからの問いを長期間回避する事は不可能よ。彼は、神父[#da=1#]が行方をくらませてから、何度も時間があればここへ来て居場所を尋ねたのだから…彼女が現れてからは同一人物ではと…必要な嘘は、もはや赦されるでしょう」
「肯定。最善であったと想定される」
アベルの底なしの優しさが、時に任務の障害になるのは分かっている。
だが、彼でないと出来ない任務も数多くある。
どうしようもない問題。
「ミラノ公、少し休息時間を設ける事を推奨する。シスター=ケイト・スコットの召喚を推奨、俺は退室する」
眩暈を起こしている事を、波形を捉えている様子でトレスは静かに告げる。
「ええ…」
トレスはその返事を聞くと、素早い足取りでアベルがくぐった扉と同じ、扉の方へ向かっていく。
頭を押さえソファに座るカテリーナに振り返ると「俺が同席していると悟られない様に、少し時間を空けて召喚する事を推奨する」と、告げて背中を向けた。
「そうします」と答えるカテリーナの言葉を背中で受けながら、トレスは静かに扉の向こうへ消えていった。
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