- Trinity Blood -2章
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気が遠くなる位長い時間を費やした実験もやっと終了となった。
[#da=1#]は悪夢の様な夜は、今まさに終わろうとしていた。
辛いと思ったのはつい一昨日の事。
右手は柵から伸びた鎖で枷と共に繋がれ、ベッドに丸まっている。
大きなベッドは、この小さな身体はあまりに不釣り合いだった。
両親、執事、メイド達に囲まれて。
明るくにぎやかな街で過ごす人々に囲まれて。
大人に囲まれている世界は慣れていた筈なのに目が醒めてからはずっと、こちらを見る大人たちに囲まれていた。
普通の感じでは無い、幾つもの目に囲まれて過ごしている事が恐怖で仕方が無かった。
毎日採血され、脳波を調べて、深く、浅く手や足を傷付けては、経緯は分からないが自動的に回復していく身体を気味悪がって、あるいは奇異の目に囲まれて過ごすのは幼い少女には脅威でしかなかっただろう。
毎日とても怖くて、ただ自分の体の事を知りたかったからその一心でこの検査には耐えるという選択肢しか、幼い少女にはなかった。
検査を受ける内にぼんやりとしか違和感が無かったが、徐々に、感じている違和感が体温を感じる事が酷く怖い事が明確になった。
眠る事が怖い。
身体が温まって意識を手放す頃、惨劇を思い出す。
積み上げられた死体の山へ、この首を斬りつけられて確かに投げ捨てられた。
その上に覆い被さった母と共に、心臓を突き立てられ。
見知った顔の者達が、積み上げられたその山の中で息絶える瞬間を間近で聞き。
しかし耳をその手で覆う事も出来ず。
のしかかる度に深く深く突き立っていくその剣と、身体が近くなり呼吸を圧迫する母の身体。
声を上げる事も赦されず、呼吸をする事でさえ許されない。
生暖かい血が降り注ぎ。
拭う事も出来ないその手。
顔を背ける事が出来ないままで。
死を待つその瞬間が襲い来る。
発作が起きると薬を打たれ、身体を固定され。
不眠状態が続くと、強制的に睡眠を取らされる事もあった。
検査を一通り終えたからと、見覚えのある部屋に連れて来られたのは朝食を終えてからの事だった。
この部屋は一度足を運んで以来だったが、まさか枷をつけられたままここ迄来るとは思っても居なかったし、部屋の奥へ通されてすぐ、枷を付けられ、鎖を通されベッドに放置されるとは思ってもみなかったが。
体勢を変えようと身体を動かすと、右手に付いたその鎖が鳴る。
子供が引きちぎるのは到底難しく、そして重い。
冷たく、無慈悲な鎖。
もうこのまま天井を見上げているしか、ないのだ。
不気味なほど静かな部屋で、独りで大きなベッドに閉じ込められていた。
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「残念ながら今の科学でも、結論を出す事が出来ない能力が宿ってしまっている様だ」
報告書を読み終えたカテリーナに、’教授’はそう言た。
「『今の科学』でも、ですか」
美しき緋の包囲を身に纏った美麗なる人は、納得いかない様子で提出された書類をテーブルへと置いた。
「ええ、無理…だそうですよ」
「魔術…ねえ」
ああ、と。
美しい唇から呟かれた大きなため息。
「おや…彼らの言う事を鵜吞みにされるのですか?」
困った様な笑みで言葉を返す’教授’に、カテリーナは「まさか」と口端を僅かに上げる。
「彼女自身は今までそんな能力は無かったと言ってるし」
何かをきっかけに。
そう、この度の街への襲撃をきっかけにして覚醒した能力なのであれば。
それは今迄にもあった。
過去の文献にも、報告されてきた例もある。
研究者達があの幼い少女の能力を、科学的に判明しない事から『魔術』と位置付けようとしている事は分からなくもない。
科学者達は魔術だという一文で解決する気は無いだろうから、今後も彼女のその身を切り刻もうとするだろう。
それだけは何としても護ってやらないといけない。
あれだけ幼い子供だ。
心が壊れてしまうだろう。
「このままでは彼女は身体の至る所、思いつく限りを切り刻まれてしまうのが目に見えています」
自己回復能力など、研究者にはたまらない実験材料だろう。
書類を置いたまま立ち上がり、天井に届きそうな位の大きな窓に歩み寄る。
「現在は私の部屋に通していますよ。暴れない様に拘束しているらしいがね」
研究者達は彼女を奇異の目で見ている。
カテリーナは口元でため息をつきながら「拘束、ですか」とうんざりした様子で呟いた。
協力を申し出た遺伝子研究の第一人者であるアーチハイド伯爵が――配列、構造、解明について熱心に研究行っている研究の責任者であるが――彼が、この幼子を養子として迎え入れたいと何度も言ってきたのだがカテリーナはそう簡単にこの少女を渡すつもりはない。
妻が彼女を一目見て娘にしたい、枢機卿を説得して欲しいと詰め寄ったという説明だった。
彼女に突然備わった能力解明の為に、アーチハイド伯爵研究責任者の力は必要だ。
カテリーナは『有事の際は必ず頼る』と、その気がある事を匂わせ、彼女への興味が失せない様に努める。
そう。
万が一の事態を考慮し、一応の手段を残しておく事は必要だからだ。
餌を目の前でちらつかせて、研究責任者のアーチハイド伯爵と長く繋がりを持つ事が目的だ。
アーチハイド伯爵夫妻は四人の息子を授かりながらそれでも「女の子が欲しい」という妻の要求は続き、高齢の夫にまだ営みを求めている。
高齢になっている妻にも負担は大きい筈。
そこまでしてもまだ女の子を求めているのだ。
ヘトヘトになった高齢の伯爵が遺伝子研究、構造、解明に熱心に取り組んでいるのもその為だった。
だからって、突然独り身の不幸となった少女を引き取りたいなど…
麗人は静かに頭を左右に振った。
「ああ…――」
様々な思惑が彼女を雁字搦めにしている。
まだ幼い少女には現実に降りかかるこの災難は、些か荷が重い様にさえ思った。
「危険、なのかしら」
呆れた様子で「さあ」と笑う’教授’に、カテリーナは額に手を当てる。
「危害を加える素振りなど無かったと思いますが?」
「下らない話です」と鼻で笑った’教授’は、口元では笑っていたがその美しい碧瞳は微塵も笑っていない。
「追い詰められたら噛み付き兼ねないとの意見が出ましてね」
少女の心に焼き付いた傷が、彼女が取り乱す原因を作っているだけなのだ。
こんな簡単な事が、数字で解明できないからといって終始拘束しているだなんて。
窓から外を見ると、枠いっぱいに空が上に、そして庭園が下に広がっている。
「彼女は『能力をいつ得たのかも、何故得たのかも知らない』と言ったわ」
「ええ…それに彼女は『自分は一度死んだ』と言いました」
そう。
その能力は何の前触れもなく手に入れたもの。
幼い少女は[#da=2#]子爵の令嬢で、勿論教鞭を受けてはいただろうが知識は大人程豊富ではない。
その未熟な知識で精一杯事の顛末を大人に説明をしたが、残念ながらやはり子供の思考回路では、大人を納得させる事など難しい。
彼女が突然手にしたその自己回復能力も、前触れなく手に入れたものだ。
説明のしようなどあったものではない。
特に、調査をするのが研究者ばかりだと、言葉が足りない事や説明が不明瞭だと悪く言う者も居る。
「彼女が生きる事を望めば身柄を保障し特務分室が『教育』をするわ」
「死を、望めば?」
その言葉を聞いた途端剃刀色の瞳が一瞬鋭く光る。
「いいえ。彼女は当面死を望まないわ――
彼女にも『果たすべき事』がありますからね」
つまり。
彼女の、カテリーナ・スフォルツァ枢機卿の腹は決まっている。
’教授’は静かに「では猊下、その様に…」と、一度頭を下げてから執務室を後にした。
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