- Trinity Blood -2章
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『いくら着飾ったところで心は着飾れない。実際その身に豪華な衣装を纏っても、絶品だと言われる料理を食べても、高い金を払って髪を整えたとしても…満足するのはきっと一瞬だけだろう』
という文章に対し
『一瞬の満足でも、それが相手にとって幸福の時となればそれは「至福」と呼べるのではないだろうか』と反論が続いている。
延々と激しくぶつかり合いが文章に羅列された後、編集に携わったらしい記者によって「幸せを受け取る側による心に任せる」と締め括られていた。
幸せとはいかなるものか。
こう問われるとよく分からないものだ。古新聞を畳んで、空を見上げた。
「…」
最近は夕暮れが早くなり、長く外に居ると暗くて新聞もあまり読めない。
[#da=1#]は畳んだ新聞を手に持ったままじっと暮れる空を眺めていた。
「おや…[#da=1#]君。まだここにいたのかい?」
呼ばれた先で優しい笑みを浮かべてこちらに近付いてきた。
朝に別れて以来だから、実に9時間振りの再会だ。
夕日が沈み切るぎりぎりまで居るつもりだったのだが、教授に促されて[#da=1#]は帰る事にした。
鞄に入れる時間の無かった新聞紙を手に持ったまま、教授の左側を歩き始める。
「今度はどんな記事について考えていたんだい?」
記事に書かれている事を思い出しながら、自分でもまだ整理していないゆっくりと答えを引き出して行く。
「人の幸せについて討論してたので…それについて」
くわえていたパイプを放して「ふむ」と呟き小さく笑うと、教授は[#da=1#]の疑問を理解したように言葉を発した。
「例えば私が…そう、素敵な服に身を包んだとしよう」
道を歩きながら追い掛けてくる[#da=1#]に、実に楽しそうな笑顔を向ける。
「君はどう思うかね?」
普通の人の感性ならば裕福に見えるだろうし、富の象徴として考えられるだろう。
「その人の心が満たされるか…ですか?」
子供に勉強を教える様な、話し相手を待っていたかの様な感覚。
子供離れした答えを聞くと、有意義な時間を過ごせるというのは実に面白い、と思う。
「そうだね。実は『裕福に見せる』為にその服に身を包んでいるとしたら?…それは理由を知ってしまえば下らない見栄でしかないんだよ」
言い張るものが何であれ、外見が裕福でも心が富んでいなければ生きていても何の面白みもないように思うのだ。それはきっと、今では子供でも解る事。
「だけどその『手にした喜び』を励みにする者が大勢居る事も忘れてはいけない」
大人でも難しいだろう相手を理解する上での喜びは、言葉を間違えれば時に差別的な言動となる。
「人が考える『幸せ』と自分が考える『幸せ』がいつも同じ言葉だとは言い切れないんだ」
納得できる答えを、教授はいつも持っていると思うと何だか嬉しくなって[#da=1#]は頷いた。
「どんな小さな物の中にも等しく『幸せ』と『不幸』があって、人はそれをどういう順番で開けるかで幸せか不幸かを感じるんじゃないかな?」
[#da=1#]は教授が出した答えを心の中で繰り返してから、鞄に至福の時間を入れた。
「…君はどう思うかね?」
自分の『幸せ』を愛おしく思いながら。
***
何とかできましたよー。
自分の考える幸せってなかなか難しいですね。
考える事がこんなに難しく楽しいのかと思うと、何となく不思議に思います。
。