Proof
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「さっきの光があんなに高くにある」
暗く静かな街で、清々しい声が眠ったビルの隙間から空に吸い込まれていく。
見上げる彼女の細い肩で揺れる髪は、さっきまでより少しゆるやかな曲線を描いている。
僕は彼女の瞳が見つめる先を軽く見上げて、同じ感想を口にした。
「ほんとですね…」
高い窓から見下ろした光とはあまりに違う、ずしっと頭上にのしかかるような建物に灯る光。
現実を見るというその行為自体に僕はガッカリした。
けれど視線を戻せば彼女はまだここに居ると分かって、安堵と焦燥が胸の中で激しく明滅する。
抱きしめたい。
安堵したい。
でもここはもう、この暗い町を高くから見下ろす二人の部屋じゃない。
彼女はもう、抱きしめていい彼女じゃない。
僕のものじゃない。
少し前を歩く彼女の姿を焼き付けるように、まっすぐ、じっくりと見つめた。
いつもこうして会う時は、彼女の薬指にあのくたびれた指輪は無いのに、消えることのない真っ白な跡がついている。
あたかも指輪があるかのように細い指の付け根をぐるりとなぞるその形を見て、僕はいつも心を乱す。
さっきだって何度もあの跡に口づけて彼女を困らせた。
僕が何をしたいか、彼女は薄々感づいているんだろう。
分かっている。
そんなことは無理だ。
彼女の未来を壊さない限りは。
…けれど、もう止められそうにない。
胸の中の明滅を、見過ごせない。
「なまえさん」
僕の口はとうとう開いて、そこから出た言葉が 振り返らない彼女の後ろ姿を追っていった。
「僕と結婚してください」
足音を乱さず彼女は立ち止まり、一度うつむいた。
けれど振り返ることなくまた顔を上げる。
白い跡をさらす手が一度顔の前までもちあげられて、しばらくして高く手を挙げると彼女は振り返った。
彼女の向こうから来る車がヘッドライトを少し落とし、その横にチカチカと灯りを明滅させて彼女に近づく。
「…そうね、いつかそうできたら…」
彼女の顔が逆光で見えない。
車から聞こえる僅かな排気音だけで、彼女の言葉の後ろが聞き取れなくなる。
彼女の前で開いた車のドア。
乗り込む時に彼女がそのしなやかな手を振ったのが見えた。
「…なまえさん…っ」
僕はたまらず駆け寄って、閉まりかけたドアを止めようと手を伸ばす。
中から伸びた手は、僕の手を迎え入れて一度優しく握った後、押し返すようにして遠ざけた。
僕はそれを掴めずに、ドアが閉まるのを見送ってしまう。
「なまえさんっ…」
今度は僕の声が排気音にかき消される。
僕を暗い街に残して、彼女を乗せたタクシーはまっすぐ走り去り、視界から失われた。
…また、掴めなかった。
確かにそこにあったのに。
彼女の手も。髪も、香りも。
すべてこの腕の中にあったのに。
彼女は行ってしまった。
約束も交わさず。
涙も見せず。
ひとときの夢と、優しい夜を連れて。