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Dear you…

「代表、四ッ谷 嵩。前へ」
「はい」

初めて彼を見たのは、桜がさらさらと流れる時期に行われた警察官内定式だった。総勢100名以上もの新米警察官が緊張した面持ちでパイプ椅子に腰掛ける中、司会に呼ばれた彼は落ち着いた様子で腰を上げ、アッシュグレーの柔らかそうなくせ毛を揺らして登壇した。その手には一切のメモ書きは無く、それでも、彼の涼し気な表情は揺らぐことを知らなかった。こつ、こつと踵を響かせて歩く彼を見て、女性数人がこそこそと小声で何か喋っている。無理もないなと思った。自分も大概女性に好かれる派手な顔立ちをしているが、彼はまた別の種類で女性に好かれそうな顔をしていた。嫌味なくふわふわ揺れる癖毛。伏せ気味な睫毛のせいで少し気だるそうに見えるグレーの瞳。少し太めの柳眉。薄い唇は手入れをしているのか綺麗に薄く桜色に色付いている。全体的に嫌味のないさらりとした女顔だが、ひとたび首から下に目を移せば警察官らしいしっかりとしたバランスのいい筋肉が伺えた。
マイクの前に立った四ッ谷は、ぴしっと伸ばした背筋を少しも乱さずしっかり観客と目を合わせながら挨拶を始めた。引き結ばれていた口元は今や緩く弧を描き、柔和な笑みと共に流れ出る言葉は一瞬で分かるほど洗練されている。繰り出される言葉の一つ一つに無駄なものや沈黙は一切ない。
内定式には、最終成績が最優秀だった者が名を呼ばれる。ちなみに余談だが、警察学校を卒業する際、俺もあそこへ登壇した。要するに、あの四ッ谷 嵩という人間は、顔や身体がいいだけではなく、頭も回るということだ。そういえば、風の噂で聞いた気がする。今年度の警察学校にはバケモノのような人間がいると。なんでも、組手をさせれば阿修羅のように強く、勉学に関してはほぼ歩く広辞苑だと。成程、あの子か。
ふうん、いいな、と思った。
降谷零の在籍する「警察庁警備局警備企画課 ゼロ」という組織は、その機密性、過酷さ、危険さから新人を取ることはほぼない。なぜなら、新人を育てる時間も余裕もないからだ。しかし降谷は、あの青年から確かに自分と同族の気配を感じ取っていた。噛み付いたら死んでも離さないような執念深さが彼にはあると、そう踏んでいた。彼なら取ってもいいかもなと本気でそう思ったのだ。携帯を取り出し、メールの画面を開く。そして、「四ッ谷 嵩という人間を必ず公安に引き入れろ」という旨のメールを素早く簡素に打てば、己の信頼できる部下に送った。携帯を胸ポケットにしまえば、ちょうど四ッ谷の挨拶が終わったところだった。席に戻る彼を最後まで見届け、腕を組み直す。少なくとも、部下…風見の傘下に入ってしまえばあとはこちらのものだ。育成する時間と余裕が無いのなら、自分の息のかかった別部署で育てさせればよいのだ。一般的な書類整理、上下関係、仲間との接し方等仕事をしていく上で、細かいけれど重要なことは多々ある。期間は、そうだな…1年くらいか。それくらいあれば、彼ならば完璧に立派な社会人として成長してくれるだろう。唇を舐めて、これからの計画を練り続ける。準備はしておくに越してたことは無い。今から書類を揃えておこう。なんだかドキドキするな。初恋みたいだ。

次に四ッ谷 嵩を見たのは、あれから5ヶ月ほど経った後の警視庁の食堂だった。こちらに用事があったその帰り、そのまま久しぶりに食堂で昼飯でも食うかという気分になったのだ。機嫌よく訪れた食堂だったが、今日はうどんが安いとの事で職員が殺到し、食堂はごった返していた。わかるぞ。うどん美味いからな。俺もうどんを食いに来たんだ。うどんは日本の心だ。なんて心の中で頷きながら、出来上がった釜玉うどんの大盛をトレイの上に乗せる。そのまま席を探して店内をうろついていれば、ふと真っ黒だらけの頭が並ぶ中に明るい色を見つけた。四ッ谷嵩だ。彼は、黒のスーツのジャケットを椅子の背にかけ、首からかけた社員証を白シャツの胸ポケットに入れて今まさに昼飯にありつくところだった。周りにさっと目を通すも一緒に来た友だちなんかはいないようだった。しかし、心なしか周囲に女性が多い気がする。いつでもどこでも女性は強いなと思った瞬間だった。そんなことも知らない彼は(もしかしたら知っているのかもしれないが)右手にスプーンを持ち、相変わらず気だるそうな顔でほかほかと湯気を立てるふわふわオムライスを1口分掬って………待て?オムライスだと?
「マジか」
思わず声が出てしまい口を塞いだ。周囲の人間が一瞬訝しそうな目で自分を見たが、そんなことは構ってられなかった。近くの空いていた机にトレイを置き、震えながら腰掛ける。そして、顔を覆った。
あまりにも成人男性がオムライスを食べる姿が可愛らしすぎた。皆がうどんを食べているが故に、完全に1人だけ浮いている所も非常に可愛らしかった。高身長の彼には少し低い食堂の机のせいで、少し猫背気味なのも大変愛しい。もう一度ちらりと盗み見る。1口を口に含んだ彼は、ぼけっと虚空を見つめながらもすもすと口を動かしていた。
降谷の心臓をキューピットの矢がずきゅーんと射抜いた。
馬鹿!そのチベットスナギツネみたいなアンニュイ顔をやめろ!せめて美味しそうな顔をしたらどうなんだ!仕事じゃないから気が抜けているのか?あいつ、気が抜けたらあんなに無防備な顔になるのか!?俺の未来の後輩が可愛くてたまらない!助けてくれ!
ひとしきり可愛い愛しいと頭の中で叫びながらちらりちらりと彼を観察し続け、結局最後の1口まで気の抜けたチベスナ顔で彼がオムライスを完食する所を見届けた。その間何度か携帯で写真を撮ったのは秘密だ。本当は動画がよかったが、ずっとカメラを向けられて聡い彼が気が付かないわけが無いので我慢した。ちなみにその間でうどんはきちんと完食したが、味ば一切覚えていない。ちなみにそことなく探った結果、彼の好物はオムライスだという情報を手に入れた。悶えた。そうか…好物か…次から、食ってる時はもう少し美味そうな顔をしてもいいんだぞ…。

そして、3回目に彼を見たのは、それからさらに7ヶ月が経った頃…つまり、今日であった。綿密に練った計画通り、四ッ谷を会議室に呼び出し、彼を自分の部署へ引き込むことに成功した。実は、彼が異動に渋った際無理くりにでも引き入れるため、あの手この手を考えたりあわや違法作業に手をつける所まで思考が飛んでいったが、彼が思ったより昇進に貪欲でそれらは日の目を見ることなく闇に葬られた。計画が成功した降谷はかなり浮き足立っていて、思わず話の途中で彼を側に呼び顔を隅から隅まで撫で回してしまった上、仕事用のキリッとした顔があまりにも好きすぎて吸い寄せられるようにキスまでしてしまった。反省はしているが後悔はしていない。後ろは振り返らない。降谷はいつでも前向きに力強く進んでいくタイプのゴリラなのだ。
さて、何もかも上手くいったその日の夜。前述の通り、かなりハッピーな感じになっていた降谷は、会議室を出たその足で急いで己の愛車RX-7を走らせていた。違反ギリギリまでスピードを上げ、ハンドルをきって滑り込んだ住宅街。そして、前々から目をつけていたコインパーキングに静かに愛車を停めると、助手席に雑に乗せていたパンパンのビニール袋をさっと手に持ち、目の前のマンションに駆け足で入っていく。ちらりと横目で郵便ポストを確認し、四ッ谷の文字を探す。発見…428号室か。そして、懐から手帳風にカモフラージュしてあるピックツールキッドを取り出した。ドライバーのような形をしたツールが4本ついたものだが、降谷は迷わず1番右を手に取る。くるりと周囲を確認して監視カメラの場所を確認し、猫のように身を滑り込ませ部屋番号を入力する番号パネルのそばへ近寄った。手早くツールをパネル下に設置された鍵穴に忍ばせ、軽く擽るようにピンを弄っていく。その間に左手で左から2番目のツールを取り同様に鍵穴へ差し込めば、ウィーンとシステマティックな音と共にエントランスの自動扉が開いた。同時にツールをスーツの内側に隠して階段を駆け抜け、四階へ向かう。潜入捜査で鍛えられた足音はほぼ無いに等しかった。到着した四階にて再度周囲を見渡せば、紺色の扉が立ち並ぶ中、ひときわ殺風景な玄関を発見した。表札は掲げられていないが、並び的にどうやら427号室であることは間違いないようだ。両手に持ったままのピックツールを再度構え、扉に駆け寄ってその場に屈み、ドアノブ下の鍵穴を弄れば先程よりも早く解錠の音がした。無意識に口角が釣り上がる。焦らず使い終えたツールをケースにしまい、一呼吸置いたあと扉をゆっくりと開く。その隙間に身体を滑り込ませ、後ろ手に鍵を閉め直した。さて、ここからが本番だ。GRAND SEIKOの腕時計をちらりと確認すれば、17:26を指している。恐らく四ツ谷が我に返って慌てて定時で退勤し、電車に乗るのが17:30頃になるだろう。彼はバイクも車も持っていないので(確認済)、徒歩と電車の時間を合わせれば恐らく18:15には帰ってくるはずだ。そう考えるとあまり時間がない。素早く、丁寧に。焦りは最大のトラップである。お邪魔しますと小声で呟いて靴を脱ぎ、スーパーの袋を抱え直して、部屋に足を踏み入れた。

ドアが閉まります、ご注意ください。
「っ……ぶね」
締まりかけの扉にするりと身を滑り込ませて、額の汗を拭う。ギリギリだった…間に合ってよかった。あれから風見先輩に起こされて我に返った俺は、何かあったのかと心配する先輩を大丈夫ですの一言で宥め、嵐のように帰り支度を終わらせ、逃げるように退勤した。始終ぽかんと俺のことを眺めていた先輩には申し訳ないが、ちょっとクールタイムが欲しかったのだ。しかしあまりにも変な態度をとってしまったので、明日出勤した時にちゃんと1から説明して今までのお礼を言おう。再三言うが、先輩には本当にお世話になったのだ。手土産でも持っていった方がいいかもしれない。たしか甘いものが好きだったはずなので、お菓子がいいだろう。がたん、ごとんと電車に揺られながら目を閉じると、瞼の裏にふと降谷さんのあの熱の篭った青い瞳が映った。大きな褐色の手が俺の瞼を、頬を、唇を、顎を、耳を這って、そしてその顔が近づいてきて、唇が…………。ぱちりと目を開ける。やめよう。この話はもう忘れよう。あの時に話された話は、ただの異動の話だけだった。そういうことにしよう。ふう、と大きくため息をつく。それよりも、明日から始まるプログラムの予習をしなければならない。勉強に関してはクソ真面目だと同期にからかわれるが、やるからには完璧じゃないと嫌なのだ。それに昔調べた話によると、ゼロは潜入捜査も行っているらしかった。潜入捜査…その名の通り、ターゲットの懐に潜り込み、その組織内でしか出回らない極めて濃厚な情報を警察側に送って、その情報や事象を元に罪を取り締まるという非常に危険な特攻任務である。捜査官の死亡率がかなり高い為人々の評価は賛否両論だが、現行犯逮捕の成功率がかなり高い為やむを得ず黙認されている捜査である。おそらく部署内で1番下っ端で身体が強い自分は、積極的に現場に駆り出されることとなるだろう。そうすると、任務を始めてからでは勉強をする時間が充分取れるとは考えにくいのだ。知識は延命に繋がる。今の時間があるうちに、できるだけ自らの生存率を上げておくのは必要不可欠であった。
電車は最寄り駅に到着し、人が何人か吐き出される。それらに混じって下車し、改札を通って帰路を急いだ。そういえば、晩飯はどうしようか。自炊は嫌いではないし下手でもないと家族からお墨付きがあったので、一人暮らしを始めても時々キッチンに立つことがある。けれど、今日は家に帰ってすぐ机に齧り付く予定だったので、自炊の選択肢は全く考えていない。そういえば、インスタント麺と栄養補給ゼリーが数個あったはずだ。身体には悪いかもしれないが、とりあえずはそれで空腹を凌ごう。まあその前にシャワーかな。誰のせいかは思い出したくないが、今日は冷や汗をたくさんかいた。汗を流そう。そう結論を出して、自宅のマンションの敷居をまたぐ。このマンションは、俺が警察官の内定をもらった瞬間に両親に金を前借りして購入した、セキュリティに優れたそれなりにお高いマンションだ。4階までの低層マンションで、高さがない分平面の広さに優れている。俺の部屋はその最上階の端部屋に位置しており、日差しの入り具合や風通しの良さ、静かさなど評価できる点が多々あった。
エレベーターが静かに閉まり、4階へ向かって滑り出す。ランプが一階から順に灯り、ポーンという音と共に扉が開いた。足を踏み出して、自分の部屋まで歩を進める。そよそよと夜風が吹いて前髪を揺らし、視界を邪魔した。仕事に支障をきたす前にそろそろ散髪に行こうか。それとも自分で切ってしまうか。散髪ばさみ、あったっけな。思考を飛ばしながら、体は勝手に428号室へ到着した。鍵を取り出して、鍵穴へ入れようとした瞬間、あれっと思った。何か違和感があったのだ。自分の直感を信じ、鍵を持ったままじっくりと扉を観察する。そうするとふと、鍵穴に見覚えのない傷が付いていることに気がついた。膝をついてそこに顔を近づけじっとよく観察すれば、本当にごくわずかな引っかき傷…細い針で引っ掻いたような全長5ミリほどの傷を見つけた。頭の中で思い当たる事例を次々思い返し、候補に挙げていけば、数ヶ月前の捜査資料でちらりと確認したピッキングのための道具とがっちり合致した。ピリリと背筋に緊張感が走った。間違いない、この鍵穴はピッキングされている。証拠はこの小さな傷一つのみであるが、証拠は証拠だ。犯人はもう既に逃げてしまっているかもしれないが、それはそれでいいだろう。追いかけっこは得意な方だ。あるいは犯人がまだ中にいて、凶器を持っていた場合。こちらは丸腰であるが、問題ない。取っ組み合いも得意な方だ。どんな状況になっても特に何の問題もないことを確認して、心の中で3.2.1とカウントを取る。そして、ゼロになった瞬間静かにドアノブを下げた。けれどドアノブはがちんと弾かれ、扉はびくとも動かない。鍵がかかっている。低層階とはいえ最上階であるこの部屋に忍び込み、尚且つ部屋主に怪しまれぬよう鍵までかけていること、細かな傷以外何の足跡もないことを見ると、犯人はかなり用意周到でありやり手なようだった。唇を舐めて、鍵を挿し、回す。かちゃんと音がして鍵が開いた。ドアを開ける。全神経が扉の向こうへ注がれ___最初に感じたのは、とてもおいしそうなケチャップライスの香りだった。
「…?」
ぽかーんと口が開くのを抑えられなかった。頭の中がハテナマークで埋め尽くされる。現状の把握が一切できなかった。それでも、体は正直であった。
きゅるる〜
誘われるように自分の腹が鳴る。その音を聞いてか、タイミング良くキッチンから金髪褐色の男__降谷零が顔を覗かせた。
「おかえり」
片手にはおたま、もう片方には菜箸を持っており、青と黒のシックでスタイリッシュなエプロンを着用しているその男は、柔和な笑みを浮かべこちらへ走り寄ってくる。
「ごはんにするか?お風呂にするか?それとも…」
ここで彼は完璧なウインクをしながらせりふを締めた。
「お、れ?」

目の前には上司。手元にはスプーン。そして机の上にはこれまた非常に美味しそうな夕飯。そしてここは、俺の家。
「降谷さん」
「なんだ」
「一体これは…」
困惑気味にスプーンを握りしめながら相手を伺えば、特に悪びれた様子もなく当然のようにさらりと答えた。
「晩飯だ」
「それは分かります」
頭痛がして唸りながら額を押さえる。本日付けで先輩となったこの男は、予想通りこのマンションのエントランスと俺の部屋の鍵を勝手にこじ開け、あろうことか持参した材料を使って晩飯を作っていたのだった。あの後降谷さんは、玄関でふらりと目眩を感じた俺をエプロン姿のまま支え、さっきのは冗談だと笑って俺を風呂に押し込んだ。ちなみに脱衣場には部屋着、バスタオル、下着まで完璧に用意されていたのだが、もしや箪笥の中まで既に捜索済みなのだろうか。心の中でドン引きしながらシャワーを浴びていると、外から「背中を流そうか」と声をかけられたので若干キレ気味に断ってしまった。良妻か何かなのか?なんの真似事だ?ちなみに降谷さんはきつい物言いをした俺に腹を立てるわけでもなくけらけらと笑って、そうか、と引き下がっていった。もしやからかわれたのだろうか。
「冷めるぞ」
目の前にはふんわりと柔らかそうなたまごにまんまるく包まったケチャップライス。その上にはマッシュルーム入りのキラキラ輝く純白のクリームソース。付け合せの黄金にきらめくコンソメスープには、にんじん、ブロッコリー、玉ねぎが加えられており、オムライスの黄色と相まって見た目も鮮やかだ。そして食卓の栄養を一手に引き受けるのが可愛らしいガラスの器に盛り付けられたサラダである。青々としたレタスが薔薇のように盛り付けされており、その中心に鎮座するのは水滴を光らせる熟れたプチトマト。その上からパラパラと玉ねぎのフレークがかけられており、バランスも完璧である。
「…いただきます」
あまりにも魅惑的なそれらに思わず生唾を飲み込み、食材に罪はないと自分に言い聞かせて素直に手を合わせた。どうぞ、という声をきちんと聞いてからスプーンで迷わずメインディッシュ…オムライスをひとくち口に含む。
「っ…、」
「どうだ?」
まず舌が拾ったのはケチャップライスの香りだ。本格的なトマトケチャップを使っているらしく、爽やかな酸味が舌を転がった。そして鼻腔をくすぐる焦がしにんにく。そしてその次に来るのがミルクの濃厚で優しい風味だ。これは…もしや牛乳ではなく生クリームを使っているのか?そしてほのかに香るこの味…間違いない、こがしバターだ!寸分の狂いもなく全ての味がひとつにまとまっている。全てが絶妙に絡み合い、じんわりと舌を温めていく。これは…これは…!
「ぷまい…れす…」
「ふ、ふふ、っ…あはは!そうか!よかった」
感動しながらもスプーンが止まらない俺を見て降谷さんは涙が出るほど笑っている。正直この姿が間抜けでも、今の顔が変な顔であっても構うまい。とりあえず箸が止まらない!メインディッシュはもちろんのこと、コンソメスープ、サラダ、全てにおいて美味さが心に染み渡る!この人、もしや本職はシェフか何かなのだろうか!?
「料理は趣味だ」
趣味か。趣味でここまで極めるなんてさぞかし努力したんだろうな。ただでさえ忙しそうな人なのに、そこまでする意味があったのだろうか。捜査に必要という線がなかなか強いが、もしや俺もゆくゆくはそのような技術が必要になる時が来るのか。覚悟しておかなければ。
そして、がっつくこと10分。皿の上に並んでいた料理は最早クリームソースの1滴さえ残ってはいない。文字通り全て俺の腹の中に消えていった。満腹になったところで、ふと気がつく。降谷さんは夕飯を食べていないではないか。
「あの、降谷さん」
視線を上げると、彼は穴が開くのではないかと思う程こちらを見つめていた。あまりの熱烈さに思わずたじろぐ。降谷さんは、視線をそのままに答えた。
「なんだ」
話を聞いてくれる姿勢ではあるようなので、おずおずと確認する。
「…あの、降谷さんはお食事をしないのですか」
「お前の姿を見るだけでおなかいっぱいだ」
まあそれだけ見ていれば空腹も感じないだろうな!というのが本心だった。気恥ずかしくて思わず視線を逸らし、小さくため息をついた。
「俺の顔、そんなに好きですか」
「ああ、好きだ」
コンマ0.1秒の即答だった。
「そんなに見られると困ります…」
「そうか、俺は困らない」
「あなたの話はしていません」
「お前の一挙一動を見逃したくないんだ」
「緊張して何も手につきませんよ」
「なら俺が全てやってやる」
「俺、赤ちゃんじゃないんですが」
「赤ちゃん…いいな」
「やめてください」
冗談じゃない。どこの成人済み男性が、職場の先輩に手取り足取り世話を焼かれるというのだ。自分は立派な成人男性であり、日本の名の元で正義の旗を降る日本警察であり、今日からは内閣総理大臣の元で身体を張る"ゼロ"の一員だ。舐めてもらっては困る。降谷さんが俺のことを…ごほん…あー、俺のことを大好きなのはもう充分分かるが、それと子ども扱いするのとではまったく訳が違う。俺は降谷さんに猫可愛がりされたいのではなく、後輩として接されたいのだ。
「俺は、人形じゃありません…」
「ほう?」
「ちゃんと、使える人間なので!」
眉を釣り上げて、身体を乗り出す。自分は役に立つ。必ず。それを彼に分かって欲しかった。間違っても、室内飼いの家猫のような扱いはして欲しくなかった。
降谷さんは、そんな俺の心中を既に分かっていたかのように微笑みで俺を制した。
「知っているさ。言っただろう。お前は俺のお眼鏡にかなったんだ。胸を張れ」
そしてその後、にやりと口角を上げた。
「心配しなくとも、明日から存分に扱き倒してやる。覚悟しておけ。明日から忙しくなるだろうし、今日のはただの好感度上げだよ」
そんな、ゲームみたいな。けれど、納得した。つまり、これは降谷さんなりの歓迎だったのか。やり方は器用と言い難いし、マジで犯罪ギリギリではあるが。
「降谷さん」
「ん?」
「よろしくお願いします。必ずご期待に答えます」
「ああ、だろうな」
相変わらず、自信満々で俺のことをなんでも知ってるような返答だった。それでも満足だった。期待されすぎた方が俄然燃えるのだ。これから始まる生活に、胸が高まった。
降谷さんはそんな俺を見て満足げに頷けば、食卓から腰を上げた。
「さて、俺はこれで帰るとしよう。食器は…」
「食器くらい洗えます」
「ふ、そうか」
降谷さんはよく笑う。普段からよく笑う人なのだろうか?どちらでもいいが、あの微笑みに見守られるのは悪くない。
彼の隣に立ち、玄関まで見送る。そういえば、彼はずっとスーツのままだった。もしかして会社からそのまま飛ばして来たのだろうか。俺の晩飯を作るために?必死かよ。一周回って馬鹿みたいだ。だが、そこが少し可愛らしいと思った。
「見送りどうも」
「当然です」
胸を張る。降谷さんは、高そうな革靴に足をつっこみひらひらと手を振った。
「じゃあ、また」
「はい。また」
「また来る」
扉がぱたんと閉まり、降谷さんの姿が見えなくなる。数秒の沈黙の後、ぼそりと呟いた。
「また来るんかい…」
当然返答はなく、遠くの方で、スポーツカーのエンジンがブロロロロと唸るだけであった。
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