第二章 慟哭 側室入り




曹操が屋敷にやってきた。荒々しさが足音にあらわれている。

理由は分かっている。理嬢を求めているのだ。夏侯惇のこめかみに、小さいが鋭い痛みが走っている。

「理を出せ」

「従兄上は、体調を無視し尽くせと仰るのですか」

「何日、我の世話をさせていないと思っている」

「不調では満足がいくお相手はできません」

人殺し、もとい理嬢は夏侯惇が部屋に閉じ込めていた。

人は誰をも寄せ付けないようにしている。侍女たちにもそう言いつけてある。

食べるものと水は、夏侯惇が運んでいた。

既に六日が経つ。そのあいだに曹操は理嬢を求めて夏侯惇の屋敷を訪れていたのだった。

しかし、人殺しである理嬢を曹操に近づけるのは、どんなに危険なことだろうか。

曹操の要求を、夏侯惇は理嬢の体調不良ということで回避していた。しかし、六日目にして、曹操の抑えはきかなくなってしまったらしい。

巷を騒がす輩は、人殺しは理でした。こんなこと言えるはずがない。だが正直に話しても引き下がるような男ではないことを、夏侯惇は知っている。自分に娘を引き渡さないための見え透いた嘘ととらえられるだけだ。今では要求されれば求めていたが、理由はあれども急に否と答えつづけている。この行動は不満と疑心を苛ませるには十分だろう。

「どうしても具合が悪いのです。どうか、お引き取りください」

「おまえ、分かっておらぬな」

曹操が睨む。艶と敵意はらんだ瞳を、むき出しにした。

「我の側室だ。そなたの所有物ではない。我の所有物を我がどう好きにしてもかまわぬだろう」

「従兄上。では何故、理を奥の殿へと入れないのですか。もう、理も二十歳になりました。私も、従兄上が奥殿に入れてしまえば、このようなことを申しませぬ。しかし、理嬢はまだ私の屋敷にいます。それまでは、教育者である私に決定する権利があるはずです」

「何を偉そうに」

「…………そこまでして、関係をお持ちになりたいのですか」

「関係だと?」

戦で人を殺すような瞳で、戦でしか見たことがない瞳を夏侯惇に向けた。

息をのむほどに、威圧感があった。たまらず、眼を逸らした。深入ったことを口走った自覚はあるが、あえてである。

「この我が、男女の関係を求めているだけで、理を求めているとでも、思ったか」

いつもの従兄上であれば、その考えだったはず、である。

しかし、それがないのか。ならば、ただ、純粋に「理嬢」だけを求めているのか。

眼を直視する。

怒っている。燃えるように。

神経のひとつ、ひとつ、細胞の端から端までを怒りに変え、夏侯惇に向けている。

「相当、お怒りに、なられているようですね」

「当たり前だ。理嬢を出せ」

「申し上げましょう。できません」

「命令しているのは我だ」

夏侯惇は膝をつき、頭を垂れた。

「お願いします。理嬢の体調をどうか、ご配慮ください。まだ、側室ではない身です。教育者というより、子を想う親心だと、お思いになっていただきたい」

曹操は呆れかえり、ふん、と鼻を鳴らすと、夏侯邸を、あとにした。

もう、無理だろう。夏侯惇はそう思った。

曹操の瞳は本物だった。目は口ほどにものを言う。ましてや、それ以上ではないか。

瞳は、物語っていた。本当に、この自分を殺すつもりであった、と。

そして、知った。あの従兄上は欲している。拾った娘を、理嬢を心の底から欲して求めている。戯れなどではない。

嫉妬に狂う男の瞳。あれは、君としての男ではなく、ひとりの男として。人間としての瞳なのだ。

夏侯惇は、ようやく頭を上げ、立ち上がる。

心が憂鬱としたまま、理嬢を思い浮かべた。

人殺しとしての、理嬢。

血に染まり、嗤った顔が浮かぶ。理嬢は、夏侯惇のなかで、人殺しとして刻まれていた。

忘れられないのだ。あの闇で、嗤う姿が。

「旦那さま」

侍女の声が、幻想から夏侯惇を解き放つ。

「どうした」

「そろそろ、理嬢さまのお食事のお時間ですが、今日も旦那さまが、お運びになりますか?」

よく見ると、侍女は料理を並べた膳を持ち、立っていた。

「ああ。私が行く。誰も、部屋には近づけてはいまいな?」

「はい、もちろんでございます」

安心したように、夏侯惇は目をつぶる。膳を受け取り、足を進めながら再び夢に入る。

あの夜、魂が抜けたように崩れ落ちた身体に駆け寄った。

その後、人目をはばかりながら屋敷に連れ戻った。誰にも見つからなかったのは運がよかった他ならない。

実はと言うと、理嬢は気を失った状態でこの六日間を過ごしていた。一瞬でさえ目を開けることはなかったし、薄目になることさえも無かった。こんこんと眠りつづけている。

まるで死んでいるようだ。起きる気配は微塵もない。

顔についた血は拭きとった。腕と指と爪の血肉も拭いとった。髪に固まった血も丁寧に取り除いてやった。夏侯惇が手を出せる部分は、時に水を使って綺麗に清めてやったが、理嬢は血染めの着物のままだ。脱がせてやるわけにはいかない。

水を全身にかけてやろうかと思ったが、乾くには手間取りそうだったし、その前に風邪をこじらせると思うと決行し難かった。しかし、不快なる血のにおいは日を重ねて強くなる。今はまだ部屋の外に漏れ出ていないが、そのうち隠しとおせなくなるだろう。屋敷のものたちが不審を抱く前に、香を焚きしめて誤魔化そうか。

声をかけた。声をかけて、頬を軽く叩いた。起きなかった。

永遠に眠ったままなのではないかと思ったが、聞こえる寝息はその不安を溶かしてくれる。

しかし、業の都を騒がした人殺しには変わりない。

これからの処遇はどうすればいい。

従兄上はどうすればいい。これ以上、床に臥せっていると言い貫くのは無理だ。次こそは力ずくで取りにくるはずだ。

夏侯惇の腕や足の一本を斬ったとしても、だ。曹操の動きは想像にたやすいが、決して渡すべきではない。そして、あの血まみれの理嬢をどう説明していいかがわからない。このまま理嬢が目覚めず、横たわる娘を見せてしまえば、すべてを話さないわけにはいかない。もっともらしい嘘について考えをめぐらすものの、あの曹操が納得できる虚偽の筋道を綴ることができなかった。

結局、理嬢が目覚めても目覚めなくとも難題は鎮座していた。

理嬢の部屋に近づいても桃の香りはしない。

扉を開けても、包み込んではくれない。

まだ、眠っているのか。卓の上に膳を置いた。

「理」

呼んでみる。夏侯惇さま。己の名を呼ぶ代わりに、布団を引き裂く音が聞こえた。夏侯惇の身体の反応は早く、腰から下げた細剣に手をかけて抜いて身構えていた。理嬢は、暗闇のなかで斬殺していたのである。理嬢だと認めつつもあの惨上がかすめてしまい、己の愛用する剣を持ち歩かねば落ち着けなくなった。そして、まさかほんとうに娘に切っ先を向けるなどと思いもしなかった。

「どうした」

冷たい鋭い金属音。それは細剣が手元から離れた音だった。

次に気づいたときには、夏侯惇は床に頭をしたたかに打っていた。自分の身に起きたことがわからなかった。

目の前が白く白んだと感じたのも束の間、自分を仰向けに倒したのは、あの理嬢だと知る。理嬢の白い手は夏侯惇の手をひねり、襟元を掴んでいたのだった。

自分に馬乗りになる女は、血の色に染まった瞳を大きく見開き、嘲笑するかのごとく、口元を歪ませ見下ろしている。

「なにを」

理嬢は喉の奥で嗤うと、手を大きく振り上げ夏侯惇の顔をめがけて勢いよく下ろした。

顔を軽くそらしたものの、指の先の爪が頬をかすっていた。鼻梁から右の頬を斜めにかけて一線の傷ができた。

小さな痛みを感じる。かすっただけだというのに傷は深かったようで、なまあたたかい感触があふれている。

「まさか」

これが本当に、あの理嬢なのか。

ただ、見つめることしかできなかった。

「理」

この女はだれだ?

なぜ理嬢のすがたをしている?なぜ皮を被っている?

理。理嬢であり、理嬢ではない。

貴様はなんなのだ。誰なんだ。答えろ、答えろ。身体が言うことを聞かない。

「おまえは」

手を這わせろ。探れ。細剣は近くにあるはずだ。

「だれだ」

馬乗りになる理嬢の姿をした知らない肉袋は、濁った声でみじかく嗤い、夏侯惇の首に指をかけた。

「貴様は」

急に息が押しつぶされた。言葉が途中で吐き詰まる。ここではじめて殺意で以て首を絞められたことを覚える。息苦しさに目を開き藻掻いた。

殺される。

底に落とされるような腹を透く寒さが襲う。必死に理嬢の腕に指を絡めた。

締め上げる手を引き剥がそうとするが、女の力とは到底思えぬ力で絞めあげてくる指は、力をゆるめてくれない。夏侯惇は、苦しさに思いっきり爪を立てた。だが、怯む様子は微塵にも見られない。

理嬢の腕の肉を、夏侯惇の爪が掻いて抉る。

ああ、そうか。だからか。理嬢の腕にあった傷の意味を知った。

こんなふうに殺したのか、女たちを。

こんなふうに首を絞め上げ、殺したのか。殺したのちに、切り刻んだのか。ならば、俺の身体も、切り刻むのか。

殺してから、切り刻むのか。血を浴び、嗤い、殺すのか。

殺すのか、俺を。

理嬢は嗤いだした。底を這うように微笑んだと言ってもいい。水をやり育てた茎の先から蕾が顔をのぞかせ、やがて花を開かせるように静かな笑いをほころばせながら首を絞め上げ、夏侯惇を激しく揺さぶる。されるがままに頭が揺れた。重心を肩に載せできるだけ衝撃を止めようとするが息苦しさに上手く身体が言うことを聞かない。苦しい。血が沸騰する。胃の中身が逆流する。

「理っ」

名を呼んだ。

さらに腕を掻き毟る。理嬢の腕に刻まれる紅い線。

左手が床を這い、細剣を掴んでいた。刃先を向けることができる。これで、こいつを刺せば私は助かる。右手を理嬢の腕にめりこませ、左手に握る細剣の剣先を理嬢の首に狙いを定めた。

殺さねばならない。これはおびやかす災いの元凶なのだ。ここでしとめねばならない。

咎人は、ここで処す。

手首を動かし、確実に仕留められる皮が薄い部分に剣先を当てた。ここならば、一撃で殺せなくとも噴き出す血の量で死ぬはずだ。

あとは気力との賭けだった。手指が痺れて、先から感覚が無くなってきている。時間がない。いまなら、まだ間に合う。細剣の切っ先で、これでこいつの首を突き刺せば………………。だれの首を。だれが突き刺す。私が、理嬢の首を。私が、突き殺す。

剣先からつたわる肉の感触で夏侯惇は躊躇った。それは一瞬のためらいだった。首に食い込む指が一層強まる。目の前の光景がぼやけ、力が一気に抜ける。しまった……………。黒いものがじわりじわり世話しなく視界を覆い尽くそうとした途端、突然、首への圧が無くなったのだった。

夏侯惇というより、夏侯惇の身体が咽せて息をを得んがために勢いよく吸い込んだ。

息を求める身体が満たされると同じく、冷静が少しずつ平静を取り戻しつつある。

自分を絞首したそれは、呆然と夏侯惇を見つめていた。血の色をした瞳は徐々に引いていき、見慣れた茶色へと変えてゆく。

名を呼ぶと、理嬢は白目を剥いて、夏侯惇の上に崩れ落ちた。

「……………理……………?」

一体、なんだったのか。

まだ頭が混乱している。息を大きく吸い吐き出す。これを何度が繰り返した。落ち着かせてから、夏侯惇は胸の上にうずくまるそれ、理嬢を見た。

理嬢の顔をしていた。姿をしていた。髪に触れる。頬に触れる。目元に触れる。

眠っている。いや、眠っているというよりは、気絶していると言ったほうが、妥当だろう。

「理……………理……………。おい、理……………」

呼びかけるも息を吸って吐くおとなしい音だけがする。

だるい身体をそのままにして、少しの間、理嬢の呼吸を耳に、天井を見上げた。

それは猫のようにうずくまっている。伝わる体温は、生きている人間の証しであった。

いつまで、そうしていたかは、見当がつかない。短いときであったのかもしれぬ。長いときであったのかもしれぬ。曖昧な時であった。

今なら、こいつを殺すことができる……………。

殺すなら……………。今しかない。

明瞭に浮かんだ考えに、夏侯惇は左手に握りしめたままの細剣を持ち上げる。

理嬢の身体を右手で横に押しのけた。夏侯惇は距離を取り、細剣の柄を両手に握り直し一直線に振りかぶる。そうだ。まだ、こいつは寝ている。今が好機だ。

こめかみを貫け。

……………待てっ。

夏侯惇は細剣を放り投げた。自分はなんていうものを理嬢へ向けたのだ。

息が浅かった。目の前にいるのは、あの、理嬢だぞ?

「おまえだろう……………?」

おそるおそる理嬢を抱き上げ、寝台に横たえさせた。触れた娘が、自分の知らないものとは到底思えなかった。

安らかな呼吸に、今しがたの出来事は悪い幻惑だったのではないかと疑いたくなる。いや、そうであって欲しかった。

夏侯惇は思う。おまえは何者だ。心のなかで、問いかけた。

私が知らない、理嬢の顔があるのか。疑念は時を遡ろうとする。

おまえはどこで生まれ、どこで、どんなふうに生きていた。父の、母の顔は。兄弟姉妹はいるのか。暮らしは。土地は。

どうしておまえは、ひとりになった。

右の頬がひりひりと痛む。理嬢の爪がかすかに抉った一閃の赤い傷が走っている。手首で拭うと、衣の布に血が付着した。

生じた苦しみと迷いの闇をその場に残し、部屋を後にした。










理嬢の部屋を出てから少し経ち、庭先で植物の手入れをしている若者の姿が見えた。

若者の名は姜維。字は伯約。

金とも言えるほどの色素の薄い髪が、日の光に当たり、きらきらとしている。

姜維も夏侯惇に気づいたのか、軽く頭を下げてから近寄ってきた。

姜維は籠を背負っていた。取った枝や、花、葉を放り込むための籠である。

「庭の手入れか」

「はい、そろそろ、枯れてきたものが目立ってきましたので、取っていました。取ってしまいませんと、まだ丈夫なものにも、うつってしまうのですよ」

「そうか」

姜維はこの屋敷の奉公人ではあるが、庭師ではない。ただ、植物が好きなのだという。ゆえに、庭の手入れをしたいというので好きにやらせている。

もとは、理嬢の遊び相手とでもいうのか。年も近いので、その役目を頼んでいた。

「母君は息災か」

「はい。病も今は落ち着いているようです」

「しかし、郷里に残しているままでは、心配も尽きぬだろう」

「それは、そうですが…………」

「遠慮はいらない。呼ぶといい」

姜維の母は、現在、自然の多い天水の郷里で養療を兼ねて一人で住んでいるという。

話に聞くと、夏侯惇の家に奉公すると決まったとき、姜維の母は親離れができたと大層喜んだという。そして、この機会に持病の養療を本格的にしようとも思ったらしい。

手紙のやりとりはしているらしいが、ろくに会いには行っていない。

咆哮を始めたのが理嬢を連れて来た頃であるから、かれこれ、十年近く会っていないということになる。

「よいのです、かまいません。元譲さまのお屋敷に、長年ご厄介になっているうえに、母を呼ぶなど……………そんな我が儘がまかり通るはずがありません」

まだ、少しあどけない顔をして、困ったように笑った。

幼い面影を残すこの若者は、この屋敷にやってきた頃から聡明だった。本を読み、学び、武術をたしなんだ。教えたのは紛れもない、夏侯惇だ。

武術を通して、姜維という人間を知ったのだ。とくに、棒術が得意だった。

しかし、姜維に血は似合わないとも思っていた。

「それでもよいが、少しは母君の顔を見に行ってこい。暇なぞ、いつでもとってよいものを」

「いいえ。本当にいいのです。母もきっと、私が元譲さまに、自分のぶんもお仕えすることが望みなのでしょう」

「そこまで言うのならば、それでもいい。しかし、気が乗れば遠慮せずに行ってほしい」

「はい。ありがとうございます」

頭を下げる。

上げたとき、妙に神妙な顔つきで、夏侯惇を見つめた。姜維の瞳は、色素の薄い茶色に緑が混ざっていた。

「あの、理嬢さまのお具合はいかがなものでしょうか」

「……………まだ、優れぬらしいが、少しは元気があるようだ。もう少し、もう少しだけ、ゆっくりと看ることにしようかと思っている」

「そうですか」

先ほどのこともあって、息が詰まりそうになりながら、話した。しかし、それを不審に思わずに、姜維は嬉しそうに軽く微笑む。

「あと、ひとつだけ知りたいのですが」

「なんだ?」

「理嬢さまの、理嬢さまが側室になられるのは、いつの日取りか、教えていただきたいのです」

「まだ……………決まってはいないが。それほど遠くはないだろう」

曹操の心の高ぶりを考えてみても、もう猶予はない気がする。

もしかしたら、明日にも強引に連れて行く気がしてならない。

「では、もし奥殿に上がられる日が決まれば、どうか、私に教えてください」

「何故?」

姜維は照れくさそうに笑い、言った。

「花を、育てているのです」

「花?」

「はい。理嬢さまにとてもお似合いになる、だろうと……………長年、私は理嬢さまにもお仕えしてきました。それなのに、恥ずかしながら、銭を持っていませんので。理嬢さまに、私は花くらいしか贈ることしかできません。なので、せめて心を込めて育てた花を、と」

「優しいな、お前は」

そんなことありませんよ。また、照れくさそうに言う。

銭がないのは、母にまとめて送っているからだ。

純粋でいて、それで芯が強い。健気な男だと思った。思わず、曹操がこのようなことをしてみたら、と想像すると苦笑してしまう。

「きっと、お綺麗なのでしょうね。理嬢さまは」

煌びやかな正装に、ほどこされた化粧で。

「そうだな……………」

「あの。どのような花か、ごらんになりますか?」

姜維は満面の笑みを見せた。それはまさに、子が父を、もしくは母を慕うような笑みだった。

さぞ嬉しいのだろう。瞳の輝きが違うのだ。そんな瞳に見惚れながら、頷く。

こちらです。生い茂る、それでいて、整えられた草花をかき分け、姜維は先導する。

花の香りがする。この屋敷の主でありながら、こんなにも多様な花々があるのを、今、知った。

姜維の指はなんと素晴らしいのだろう。花を育てる。生かす指なのだ。

「この花です」

庭の隅の小さな小さな範囲で、草木に隠れた一輪の、紅い花だった。

「綺麗、でしょう?」

その花はまだ、蕾の開きかけの、花だった。だが、美しいとは思わなかった。

紅い、紅い花は広く根を這わせ、夏侯惇を足元から捕らえる。捕らえたまま、夏侯惇の視線をも、すべてを離さない。

もし、紅い花を理が頭に飾ったとしたら。恐怖が芽生える。

血に染まった理が、血のような色をした花で、着飾るのだ。

「元譲さま?」

「姜維……………」

我に返る。姜維はいぶかしげに、夏侯惇を見ている。

「いかがでしょうか?」

「お前は、どうしてこの花を選んだ?」

「はい。理嬢さまにお似合いになる色をした花と思ったからです」

「……………そうか」

お前は知らぬのだ。理嬢のあの姿を、知らぬのだ。全てをぶちまけて、楽になりたかった。

紅い色は、本当に理嬢に、よく似合う色だと思う。

それは人を殺し、浴びる色として、なのだ。

「……………そうだ。美しい、美しい」

激しい恐怖と、吐き気を感じながら、しぼりだすように感想を述べる。

あのことは、自分の胸にだけ、しまい込んでいればいいのだ。

「姜維」

「はい」

「ありったけの気持ちを込めろよ」

「はいっ」

あどけない若者は、羨ましくなるほどに元気に、明るく笑った。

1/4ページ
スキ