第四章 愚者 男の記憶




雀(シャン)は夢を視ると、いつも人を殺していた。

彷徨していたときの記憶が、端から端まで明瞭に、閉じた瞼の裏に湧き上がる。

殺している自分を、自分は視ている無の瞬間である。

殺せ。

殺し尽くせ。

いつも、いつも、その言葉と声が頭に響いていた。己の声であり、本能だった。猟奇的な欲望は、はちきれんばかりに膨らみつづけた。無の世界が、広がる。

叫んだ。嗤った。叫び、嗤いつづけた。

襲い来る奴らは、主に賊だった。間髪を入れずに、歩いていると襲いかかってくる。蠅も同然に殺した。いたずらに首と戯れる。鞠を蹴るようにしてひとり遊び、木のあいだあいだに並べ、ひとりだけのかくれんぼ。人間を襲うことしか、ものを奪うことしか、女を暴行することしか能のない馬鹿どもには、お似合いの最期だ。

嘲笑を土産にしてあの世へ送ってやる。なかには、せめて命だけはと乞うのもいた。

雀は他人を惹きつける美しい顔をこれ見よがしに晒した。男とも女とも認められるこの顔に、残虐の笑みを歪めて葬る。

微笑めば助かったと思われる顔らしくて、その期待を裏切るのが楽しくて楽しくてたまらなかった。低俗なてめえらに、生きる意味はないと声をかけてあげて、にっこり笑顔で首を落としてやる。

ひとり芝居に飽きたら判別のつかないものにする処理までを終わらせたあと、全身が赤黒く染まっていた。川で身体を洗い、喉を鳴らしてたらふく水を飲む。叫び、笑いつづけていたためだ。

一仕事終えたように、清々しく、気分は良かった。

殺すために自分は生まれた。理由は、それだけだ。俺を生み出した奴は、言った。殺せ。殺せ。奴の口から以上の言葉は出なかった気がする。

殺せという言葉しか口から出さない。名前も、つけてはくれなかった。名がほしいと渇望したのは、いつのころからだっただろうか。

なまえがほしい。

空を飛ぶものがいた。小さいもの。ちいさくて、かわいい。小さいながらも、大きな空を悠々と飛び回っている。簡単にひねれそうな小さきものが、羨ましくて仕方がない。雀(シャン)。自分で自分の名をつけた。

俺は、奴が嫌いだった。斬りかかったが、奴は血を流しながらも平然と立っていた。殺せなかったのではない。死ななかったのだ。私は全身を焼かれたこともあるのだよ。そう言っていた。

最後には、よく顔の見えない奴が笑っている。おそらくは、醜い顔であろう。全身を炎にまかれたのたのならば、肌は黒く焦げ、爛れていたにちがいない。

殺せ。

殺せ、殺せ。

奴の声が、こだまする。

「殺せえっ」

声に出したと思った瞬間とともに、目が醒めた。手を上へ伸ばしている。いやに頭は冴えており、淀みがない。

伸ばした手は、刀の柄を掴んでいるように曲がっていた。指先を開きそのまま手の甲を額に落とした。

眠りは、癒すものではなかった。身体は癒されているのだろうが、癒されているという気がまったくしない。夢のせいだからだろう。

無聊だった。しかし、することはなにもない。

理嬢のいた部屋から呼ばれる以外は、滅多なことがないかぎり、外へは出ない。夏侯惇は宮廷へ出仕しているようだった。

なにもすることがない。

部屋の扉を叩くひとも、ほとんどいない。屋敷にいるものたちは、特別な用がなければ近づくこともしないのだ。理嬢と同じ顔をした男は、奇怪の対象以外なにものでもないだろう。気味悪く思われるのも仕方がない。

身を起こす。

寝台から降りて、卓のそばへ行き、刀を鞘から抜いた。曇りのある色を、放っている。斬ったあとは錆ができぬように、丁寧に拭き取ること手入れすることを怠らなかったが、最近では、刀が血を吸い込んだようになってきたと感じている。

生きるための、殺しだった。しかし、時々、本当にたまだが、赤々と流れる血を望み、欲求を鎮めるための殺しをしたこともある。そして、それでも自分の欲求が抑えられないときには、自分の腕などを軽く傷つけたこともある。決まって、自分のしたことに後悔を覚えるのである。傷の痕は、まだ腕に残っていて、欲求が沸き上がると腕をみるようにしている。

刀を納めた。再び、寝台に横になる。

理嬢を想い出す。側室になったのだという。曹操が側に置いているという。たいそうなお気に入りなのだ。曹操に一種の怒り、嫉妬がある。昼夜問わず、理嬢を愛でているのだろう。

妬ましい。

その愛くるしい肌を、髪を、指で感じるのだろう。

その愛くるしい声を、耳で感じるのだろう。

その愛くるしい眼を、眼で感じるのだろう。

甘い香りと気が溶け、曹操を満足させる。

いいな。羨ましい、と思う。

曹操には、恐怖もある。

曹操が起こした徐州の大殺戮を知っていた。陶謙という男の部下が、曹操の父曹嵩を物品目当てに殺し、さらに実弟も手にかけた。その報復として、兵だけでなく一般人も殺し尽くした。数にして十万、といわれている。

死体で、川の水をせき止めるほどの惨事だった。

惨事のなかに、雀は参加していた。血が視たいと思っていときであったから、ちょうどよかった。しかし、すぐ飽きた。信念というほどではないが、自身が斬るのは自身に無体を働こうとした輩に絞っていたからだ。

曹操の部下かどちらとも分からない兵士が、襲いかかってきた。軽くながして胸を刺した。

死に怯えた顔を、していた。もしかしたら、陶謙の兵士だったのかもしれない。

耳を澄ましてみると、獣のような雄叫びに、金切りのような悲鳴、赤ん坊の断末魔のような泣き声。狂った笑い声。混ざり合うことのないさまざまな声音が、耳をつんざく。死にたくない、とも、聞こえた。

人間は思い切りがよい動物だ。慈愛に救いを差し伸べたかと思ったら、憎しみに惨殺を撒き散らす。

歩きながら、周囲を見てみる。死体、死体、死体の路。傷口から腸や臓物がはみ出しているものもある。手や腕、頭だけ転がっていたりもする。原形をとどめぬ肉の塊がある。早くも蝿がたかり、右往左往に飛んでいた。

どのくらいで腐って、土になるのかな。腐るのは醜いから絶対に拝みたくないけれど。

鼻に死臭がつく。自分の殺し方よりも、非道い殺し方だなと思った。一撃で仕留められず、何度も刃を突き立てようやく息の根を止めてやったものがおおい。それでも、自分は悠然と歩いてゆく。臓器を踏む。分裂した一部たちが足にぶつかる。まだ息がある人間の呻きが、耳をなでる。

人がおかしな狂った世界を創っていやがる。曹操は激情のままに屠っている。ひとつの感情だけで、人をこんなにも殺せる。その気質にすくなからず恐怖であった。しかし、ひとつの感情で動いているのは自分だって同じだ。

大虐殺のなかで、一回だけ助けたことがある。赤ん坊を抱き、女児の手を引いていた母親である。

赤ん坊は大きな声を出して泣き、母親はどこへ逃げればよいか分からずに、おろおろとしている。女児は怯え、母の頼りない足にしがみついていた。

お母さん、頑張っているなあと高みの見物に近い心境だった。

母親と、目が合った。母親は子をかばう。お助けくださいと、か細い声で二回言った。いいなあ。ちょっと羨ましいきもちになった。守られる子どもか、はては健気に子を守ろうとする母親のどちらかはわからないけど。言うとおりにしてあげようかな。初めての感情があった。自分でも不思議なことだった。どうしてかな。

雀は手をさしのべて、言った。それは驚くほど自然な動きだった。安全な場所まで、お連れしましょう。母は、すぐに警戒の姿勢を解かなかった。手をさしのべたままの状態が、しばし続いた。いつまでもそうしている興味はなかった。いまだ、赤ちゃんは泣き、断末魔と咆哮は処々に響いている。では、俺はどこかへ行きますね、さようなら。判断を母親に委ねると、慌てたように近寄ってきた。できるだけ、自分と近づいて歩くようにと言うと、なにも言わず従ってきた。

母子を守るため、襲ってくる兵たちを何人か斬った。襲われたときは地に伏し、できるだけ小さくなれと促したが、娘だけは、じっと斬る自分の姿を眼に写していたようだ。

なんで俺を見る?

変な子どもだ。

日が暮れるにつれて、だんだんと怒号は薄まり、遠ざかっていった。それでも、残党狩りはしているようだ。異常な執念深さだ。林の開けた場所で火をおこし、その周りに母子を座らせた。雀はわずかに離れた場所に腰を下ろしている。

火は赤々とよく燃え、母親は虚ろな目でそれを見つめている。時折、身体が弾かれたように動くのは、昼に起きた惨劇の恐怖はよみがえり、怯えているからなのかもしれない。

赤子は母の腕のなかで眠っていたが、娘は起きていた。

赤ん坊は夜に泣く生き物ではなかったのだろうか。

火に目を向けると、娘と目が合った。

「いくつ?」

反らしてもよかったけれど、雀(シャン)はできるだけ明るく笑ってみせた。子どもに話しかけたことなどなかったために、ちょっと戸惑いを感じる。

娘の方は、七と言葉を短く切る。暇つぶしのためなのか、娘は近寄ってきた。娘の顔は、土埃で汚れていたが、子ども特有の清らかさは保たれていた。

「よく泣かなかったね」

「もうたくさん泣いちゃったから」

「そうか」

勘ではあるが、惨劇の最中、父親を亡くしたのだろうと思った。母親が心配そうにこちらをまっすぐ見ている。俺は信用されていないらしい。

「おにいさん?」

「なんだ?」

「やっぱりおにいさんだった。女のひとなのかなって」

「俺、可愛いからね」

「お兄さんの、兄弟はいるの?」

「お姉さんが、ひとりいるよ」

「どんな?」

「どんな……………」

眼を閉じて、口にした。自分とまったく同じ顔をしているよ。

「だったら、きっと、とっても悲しい顔してるのね」

「俺が悲しい顔をしてる?」

「とっても悲しい顔してる」

「ふうん?」

がきは無邪気だ。ものをずけずけと言えるものだ。長年、表情について言われたことはない。ましてや、悲しいなどとは。心の奥底の、自分の手が届かない場所をえぐられた気がした。しかし、悲しい顔をしているとは微塵にも思わなかった。

「自分の顔が可愛いこと以外知らないから、わからないや」

「お兄さんの名前は?」

「雀(シャン)」

「あたしは鈴蘭よ」

「鈴蘭か」

屈託のない笑顔。鈴蘭という名の娘の頭を撫でた。柔らかい髪。理も、同じ髪をしているのだろうか。恋しくなった。この感情による表情について抉られたくなくて、つい顔を背ける。母さんのところへ戻って寝ろと手で払った。鈴蘭はおとなしく戻っていく。母親の顔に、安堵の色がさした。

鈴蘭が母親の背中に顔を埋めてから、雀は母親に近づいた。

「俺は起きているから、お休みなさい」

着ていた上着を、差し出す。薄汚い外套を渡す気にはなれなかった。母親は困惑している。

「でも……………」

「赤ちゃんが、かわいそうでしょう。今夜は一段と冷えるから」

「でも……………」

「いいから」

頭を垂れた。母親は腕に赤子をしっかりと抱いて、娘と寄り添い上着を被った。三人の目が閉じると、雀は母子と距離をとりつつ火の近くに座り、いまだに赤々と燃えつづける火を見つめた。寝息が聞こえ始める。

燃える火は血の色よりも鮮やかな色をしている。

炎の暖かさは血の噴き出す体内で温められていた血の温かさ。火に、それを感じた。枝で、焚き火の根の部分をつく。灰となり白くなったところが、小さな音を立ててくずれた。枝を火に投げ入れる。ゆっくり、じわじわ火に包まれていく。

刀を抜き、刃を見た。自分の瞳が映る。俺の瞳、理の瞳。俺のどこが、かわいそうなのだろうか。思ったこともない言葉。あの娘の瞳に、俺はどのように映ったのか。

刀を握りしめたまま、火を見る。消える心配はない。

明るさの向こうで音がした。土が擦れた音だ。足音、ひとつか。

立ち上がり、母子の側で刀をかまえた。三人は気づかずに眠っている。残党狩りか、賊か、それとも難を逃れた一般人か。何者だ。誰だ。

二度目の足音はしない。しかし、何かが、すぐそこにいるのは分かった。いるのは、たしかだ。じっと動かないだけだ。炎とは真逆の、青い水のような気配だ。

しばらく経つが、一向に動こうとはしない。

ついに痺れを切らした。

「いい加減にしろよ。出てくるのなら出てこい、出てこないなら、どっかいけ」

火の燃える音しか、しない。

「用があるのか?ないのか?ああ?」

斜めに刀を薙いで、こちらの戦意を誇示する。

またしばらく先ほど同じような膠着状態がつづいた。こちらから行って斬ってやろうかと一歩足を踏みしめたところで、動かぬ茂みに身をひそめ息をひそめ、音を立てて退いていった。奥に潜っていったとも言える。動物だったのだろうか。皆目見当がつかないままに、刀を鞘に納めた。

とっても悲しい顔をしてるのね。

自分は、もしかしたら、動物のような顔をしているのかもしれない。獅子は、子を崖から突き落とすそうだ。石や土の斜面に節々を打ちつけながら擦り傷をつくり転がり落ちた子が、崖から親を見つめあげるように、自分は理を求めているのかもしれない。

そう投影すれば、悲しくなった気がする。そうすれば、悲しい顔をしているのだと思う。

俺はいま、崖をのぼっている。のぼりつめたさきに、理がいる。その時くらいだ。きっと俺は嬉しい顔をする。いまは、のぼっている途中だ。果てしない崖をのぼっている。果てしない崖は、いつ終わりを迎えるのか。迎えることが、できるのだろうか。その先に、自分が求める理がいるのか。ほんとうに、理がいるのか。

「……………理」

会いたい。そして。

理を想う。

雀を幸せにする時間。想うなかで、理はいつも愛らしかった。いつでも抱きしめることができて、触れられた。このままひとつに成れたなら、思う存分、求め愛した。

ときには水面に顔を映して、笑うと理が笑う。虚像にすぎないくせ、めくるめく胸がいっぱいになる。

理がいるとき、雀は殺戮から縁を切られた。

身体に穴のあいたような、むなしさ、空虚感がある。それを振り払うように、立ち上がり、刀を勢いよく鋭く振ると、鞘に収めた。

自分は戸惑っていた。あの少女に、揺るがせられている。戸惑ったことなど、一度もなかったはずなのに。何故、自分は戸惑うのだろう。悲しい顔、というそんな言葉に。

雀はそのまま立ちつくした。夜と火の音だけがあった。

朝。白い光を射ながら、太陽が昇ると、母親が起きた。男の姿が見えなかった。どこへ行ったのか。もしかして、私たちを見捨てて消えてしまったのだろうか。周囲を見回すが、人の気配は、まったくない。茫然とした面もちで、自責の念にかられた。あんな男に助けを求めた、私が馬鹿だったのだ。

「おはようございます」

不意を打ったように、声をかけられた。

振り向くと、男、雀(シャン)がいた。母親はまたも茫然とする。

「ずいぶんと、お早いですね」

雀は、母親がまだ昨日の恐怖にかられ、心休まっていないのだろうと思った。信用されていない。とは最初から知っていることなので、わざわざ気にも止めなかった。小さくため息を吐いて、生け捕った兎を見せる。

「朝飯にしましょう」

なにも言わない。これから死ぬ運命にある兎を、ただ哀れそうに感じていた。自分の境遇に重ねているのだろうか。

「すこし歩きますが、死体に染まっていない川がありました。そこの近くで」

小さく、頷いた。

子どもたちが起きるのをしばし待ち、川へと歩いた。照りつける太陽が、歩くものの喉を干上がらせる。川へ着くと、水を貪るように飲んだ。

川は、ゆるやかだった。そして、浅い。母子は川のなかへ入り、軽沐浴をしていた。雀はそれを背に火を焚き、兎を刀で解体した肉片を焼いてやった。

ほどよく焼き上がり、香ばしいにおいがあがる。鈴蘭の声が近かった。

食事を、雀はほとんどとらず、ひとかけらの肉を口にしただけだった。腹が減っているのかは特に気にしたことがない。なければ食わないし、あれば馬のようにむさぼり尽くす。

今回は獲物を譲ってやっただけ。母子を慮ったものではなかった。

場を離れた。

どこか、近くに村はないか。

人が、歩いてつくられた道でもいいんだけど。

周辺を歩き回るだけでは見つからなかった。やはり、もっと遠くを探さねばならないようだ。しかし、どうして自分がこれほどまでに、あいつらに、かまってやっているのだろう。見放して、置き去りにしてしまうことなど簡単なはずなのに。あのとき、斬り捨ててしもまうこともできたのに。甘い自分を認めたくなくて、思考を殺す。

いつの間にか、戻ってきていた。

「お食事は終わりましたか?」

「うん、お兄さん」

鈴蘭が答えた。

「では、行こうか」

それから、ずっとひたすら歩いた。休息をとりつつ、時おり、残党狩りかと思われる輩に襲われながら。

変わったことは、雀は母子と接することをしなくなったことだ。近づかず、距離を置いた。

話をかけられても、ありふれた対応ですました。突き放すのにもかかわらず、鈴蘭はよく話しかけてくる。

ねえ、お兄さん、お兄さん。お兄さんはどこで生まれたの?

お兄さんのお姉さんて、優しい人?きっと、そうよね。お兄さんが優しいんだもの。

ねえ、お兄さん、このお歌、知ってる?あたしのお父さんが教えてくれたの。

お兄さん、お兄さん、お兄さん、お兄さん。

このがきは。少々、鬱陶しく感じていたのだが、だんだん馴染んできた。雀は、単純に嬉しかったのだ。だが、最後まで気づくことはなかったのである。

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