転がった恋路の行方
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窓の向こう、四角く切り取られた空を渡り鳥の群れが飛んでいる。
ベッドの上からその様を眺める青年の顔色はお世辞にも決して良いものとは言えない。
「こら、寝ていなくては駄目だろう」
「先生!」
先生、と呼ばれた男の名前はシャルル=アンリ・サンソン。青年、ナマエの主治医であった。
「先生、今グースの群れが通って行ったんだ」
話を聞く傍ら、サンソンは慣れた手つきでナマエの体温測定や触診をしては紙に書き込んでいく。
「今度、体調がいい日に外に出てみようか。バードウォッチングなんてどうかな」
「え、やりたい!」
サンソンの提案にウキウキと身を乗り出して、嬉しげに笑うその顔に、サンソンは目を細めた。
シャルル=アンリ・サンソンには、前世の記憶がある。
医者で、そして死刑執行人だった頃の記憶。
それを思い出したのは、サンソンが小学生の終わりの頃だった。
かつての自身が敬愛し、民衆の前でその細い首に刃を落とした悲劇の王妃の姿がそこにあった。
昔の様なドレスは纏っていないけれど、昔と変わらずに愛らしい笑みを浮かべる彼女の姿に、サンソンは自身の過去を、前世の記憶を思い出しのだ。
思い出してからふとテレビで耳にした音楽は、あの下品な、けれど確かに天才である彼の奏でるものだと気づいたし、いつの日だったか遠目ではあったがかつてフランスを守っていた彼または彼女の姿を目にした事もあった。
再び生を受けたのは、自分だけではなかったのだと、平和なこの時代に何のしがらみもなしに生きる彼、彼女らを見つけてはサンソンは1人その度に安堵していたのだ。
けれど1人、たった1人だけの姿だけがサンソンはどうしても見つけることが出来ずにいた。
それがナマエであった。
サンソンのかつての親友。
ギロチンの刃を落とす度すり減っていくサンソンの心にそっと寄り添ってくれていた、そんな大切な親友だった。
けれど生前のナマエは、サンソンの知らない場所で、知らないうちに亡くなっていた。
病におかされていたこと。
心をすり減らしていたサンソンの新たな心労にならないように、1人嘘をついて田舎へ行ったこと。
それでもサンソンの心を慰めるために、病だと悟られぬように、ずっと手紙を送っていたこと。
彼が本当は、サンソンへ拙い恋心を抱いていたこと。
全て覆い隠して、彼は独りで死んだのだ。
ナマエの主治医が真実を教えてくれていなければ、ナマエの遺した切手のないラブレターを渡してくれていなければ、サンソンは死ぬまできっと何も知らないままだっただろう。
だからサンソンはどうしてもナマエに会いたかった。
例え自分と同じように、前世の記憶を覚えていなくてもいい。
ただひと目、彼もこの時代に新しい生を受けて幸せに暮らしている所さえ見られれば、サンソンはそれで良かったのだ。
だから、ずっと彼を探していた。
小学校も、中学校も、高校も卒業して、再び医者を目指して医大生になってからも、その勉学の合間をぬってナマエを探し続けた。
そうして彼を見つけたのは、サンソンが医者になって暫く後の事だった。
ようやく見つけた彼は、フランス田舎町の小さな診療所のベッドの上で痩せた細い身体を点滴に繋がれて生きていた。
生まれ変わってなお、彼は病魔に侵されていたことを知った時、サンソンは何故なのだと神に問いかけずにいられなかった。
彼がなにか前世で罪を犯したのだろうか。
否、そんな事はないとサンソン自身が1番よく分かっている。
ならば何故、またこうして苦しんでいるのか。
何か罪を犯していたというのならば、処刑人として幾人もの人生を終わらせてきた自分にこそ罰が下るべきなのに。
そうしてサンソンは勤めていた病院での地位を捨て、田舎町のこの小さな診療所でナマエの主治医として今を過している。
「先生、どうかしたの?」
ぼうっとしてしまっていたのであろうサンソンに、ナマエが心配そうに伺っている。
それにサンソンは安心させるように微笑むと、ナマエの痩せた細い手を柔らかく握った。
「うん、グースの群れが何処からならよく見えるか考えていたら、ぼうっとしまったよ」
「あはは、先生も楽しみなんだね」
キラキラと笑うナマエの瞳が、待ちきれないとばかりに窓の外に向けられる。
今度は独りでいかせはしない。
ナマエが自分を支えてくれたように、次は自分がナマエを支える番なのだと。
今の発達した医療でもって、必ず完治させてみせる。
そして「先生」と呼ぶその声が「サンソン」に戻ってくれたらと、そう願うのだ。
その時呼び名と同じように、またナマエとサンソンが親友という関係を築くのか、はたまた別の何かを築くのかは分からない。
サンソン自身でさえ、自分が今抱くこの感情が、親友という枠組みで収まっているのか上手く飲み込めてはいない。
けれどそれは、これからゆっくり考えて向き合っていけばいいと、そう思う。
いつか手紙に書かれていた景色を、今一緒に見ている。
今はまだ、それだけで充分だった。