転がった恋路の行方
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
自分の中には、何か大切なものが欠けていることを理解していた。
けれど理解しているだけで、その欠けているものが一体何なのかは、知らなかった。
それを心のどこかで納得していたし、安堵もしている自分がいる。
なぜ安堵しているのかも分からない。
それで良かった。これこそが、自分自身が望んでとった選択だったのだから。
ブンッと風を切る音と共に男に振るわれた槍は、傍から見ればいとも容易く敵を貫き切り裂いていた。
男の名前はナマエ。
ランサーのサーヴァントとしてカルデアに呼ばれ、人理の為に戦う英雄である。
「お疲れ様、ありがとうナマエ!」
マスターの声にナマエはひらりと手を挙げた。
「これくらい朝飯前だから気にすんな!
倒したい敵がいるならいつでも俺に声掛けてくれよ?」
戦うことは好きだ。
正確には、サーヴァントとして、英雄として、戦う己が好きだ。好き、というより歓喜する気持ちの方が大きいのかもしれない。
病気もしない、娯楽目的以外に睡眠も食事も必要ない、強靭な肉体はかつての自分が望んでいたものだった。
この体ならば、隣で戦えると思った。
けれどそれが一体誰の隣なのかは、分からないままでいる。
帰還した2人をカルデアで待っていたのは、マシュと他に1人のサーヴァント。
逞しい褐色の身体、艶やかな黒髪、生気に満ちた黒曜石のような瞳。
「お疲れさん、2人共」
兄貴ぜんとした気さくな笑みを浮かべて、ペルシャの英雄アーラシュはよっと手を挙げた。
そんな彼を、ナマエは黙って見つめている。
「……ナマエ」
マスターの呼び掛けに、ナマエは申し訳なさそうに口を開く。
「……ええと、ごめん。そこの君は誰だっけ」
その問いに、アーラシュはにかりと笑った。
「アーラシュ、お前さんの親友だ」
何か言いたげな目でこちらを見つめるマスターに、アーラシュは大丈夫だと苦笑した。
ナマエとアーラシュは、生前からの付き合いであり、親友と呼べる存在であった。
けれどカルデアでの2人の再会は、「初めまして」から始まった。
ナマエはアーラシュの事を覚えていなかった。
正確には、ナマエはアーラシュの事を認識出来ないのだ。
アーラシュがナマエに自己紹介したとしても、ものの数日、酷い時には数時間でナマエはアーラシュの事を忘れてしまう。
マスターやマシュ、ダ・ヴィンチ達は最初召喚による不備を疑ったのだが、アーラシュだけはどこか悟った様な顔をして「不備じゃないぜ」と笑っていた。
そしてそのアーラシュの言葉通り、確かに召喚に不備も無い。
この事件とも言えるような出来事について、アーラシュは理由を言うことはしなかった。
ただ「俺とナマエの問題だ」とだけ言って、口を噤んだのだ。
「なぁ、マスター。
次ナマエが戦闘に行く時は、俺も一緒に行ってもいいか?」
「勿論」
ありがとな、そう言って笑ったアーラシュの笑顔は明るい筈なのに、どこか寂しさが見え隠れしていた。
ナマエはアーラシュに恋をしていた。
それはかつて、生前での話。
その恋を知っているのは、とある魔術師の老婆と、アーラシュの2人だけ。
アーラシュの親友であり続けたいと願ったナマエは、魔術師の老婆に願いその恋心を、正確にはアーラシュに恋をした瞬間の記憶を消していた。
それも1度や2度ではない。何十、下手をすればその回数は3桁にいくかもしれぬほど、ナマエは恋心を消し続けてきた。
それ程までに、アーラシュという人を愛していたのだ。
そうして記憶を消し続けた代償と、アーラシュの親友であり続けたいという願いはサーヴァントとなったナマエに強く影響を及ぼした結果が、ナマエがアーラシュを認識出来ない理由である。
「お前もこんな気持ちを抱えて、俺の隣で笑ってたのか?」
その疑問に対する答えは、失われたまま。
もしも、もしも自分がもっと早くにナマエの気持ちに気づいていたら、結末は変わっていたのだろうか。
いや、アーラシュはきっとその恋心を告げられたとて、応えることは出来なかっただろう。
だって自分はナマエの事を親友としてしか見てなかったのだから。
それを分かってたからこそ、ナマエも恋心を消し続けたのだ。
けれどナマエを目の前で失ったあの日から、アーラシュの中で確かに何かが欠けていた。
親友を失った痛みだと思っていた。そう思っていたのに、戦場をかける度、隣で戦うナマエの槍の音を思い出してしまう。
酒場で友人と肩を組んで酒を酌み交わす度、ナマエの酒で赤らんだ顔を思い出してしまう。
愛を囁き体を預ける女の柔肌に触れる度、ナマエの熱を帯びた硬い体を思い出してしまう。
失って始めてアーラシュは、自分にとってナマエという存在が、親友という枠組みを超えていることに気づいて、ただただ苦笑が漏れた。
ナマエの最期の恋心が、アーラシュの胸を射抜いたまま、サーヴァントになって尚抜けないのだ。
英雄は今日も恋心を抱え続けている。
それを伝える相手には、忘れられてしまったけれど。