覆い隠した恋心達
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シャルル=アンリ・サンソン様へ
こうやって改めて君に手紙を書くのは初めてで、なんだか緊張します。
パリを出ることになったとき、君に毎月手紙を書くと言いました。これは記念すべきその1通目です。
こっちはとても空気が綺麗で、自然が豊かです。
新しい土地で上手く馴染めるか、ちょっとだけ心配だけど大丈夫。何とかやってみせます。
君も風邪をひいたりしないように。お医者様だからって油断は禁物です。
ナマエより
シャルル=アンリ・サンソン様へ
この間、グースの群れが空を飛んでいるのを見ました。
彼らと一緒に空を飛ぶことができたら、とても気持ちが良いのだろうなと、よく考えます。
全身で風をうけて、真っ白な雲を横目にどこまでも続く青い空を飛んでいく……なんて、また子供みたいだって笑われるかな。
けどいつか人類が、本当に空を飛べる日が来ればいいと思います。
ナマエより
シャルル=アンリ・サンソン様へ
君が、ルイ16世やマリーアントワネット王妃の死刑を執行したことをとても悔やんでいたのを、僕は身近で見てきました。
けれど、けれどね。僕は君が死刑執行人で良かったと思っています。
だって、君が死刑執行人にならなければ、いつかの ロベール=フランソワ・ダミアンのように、今も八つ裂きの刑が使われていたと僕は思うのです。
君がギロチンを使い始めたから、みんな彼のように苦しまずに、一瞬で刑を終わらせることができたのです。
シャルル、君は多くの人の苦しみを取り除いた。それは執行人としてだけじゃなくて、医者としてもそう。親友の僕が断言します。
だからどうか、あまり自分を責めないで
ナマエより
長年の親友であるナマエがパリを離れ、小さな田舎町へ越してから欠かさず毎月送られてきた手紙は随分と厚い束になって、今でも大切に保管してあった。
その中から何通か取り出してそっと、その少々ぶかっこうな字を撫ぜる。
サンソンはこの日、ナマエが1年ほど前に亡くなっていたことを知った。
シャルル=アンリ・サンソンとナマエは幼馴染みであった。
サンソンは、頭が良くて誰にでも分け隔てなく接する優しい子で、一方のナマエは、頭は悪いが優しくて明るい人気者。
サンソン家は代々死刑執行人として、多くの人物を処刑してきた。それ故にまた、多くの人から偏見の目を向けられていた。
それでもナマエは、頭の悪い自分に根気よく勉強を教えてくれるサンソンを慕っていたし、サンソンもまた偏見など関係なくシャルル=アンリ・サンソンとして自分を慕ってくれたナマエのことを、親友として大切に思っていた。
月日が経ち処刑人としての仕事を継ぎ、日々心を疲弊させていったサンソンに、ナマエはただ変わらず傍にいた。
王党派であったサンソンが、崇拝していたルイ16世、そして王妃マリーアントワネットを処刑した日も、誰よりも荒れたサンソンを励まし、寄り添うことをやめなかった。
けれどある日、ナマエから仕事の都合でパリから離れ、とある田舎町に引っ越すことを告げられた。
「……僕、毎月手紙を出すよ!字を書くのはあまり得意じゃないけど、頑張るからさ!」
そうして遠く旅立ったナマエは宣言通り、毎月サンソンへ手紙が送った。
手紙には、パリでは珍しい鳥や花などの自然についてや、日常でのちょっとした出来事が拙いながら丁寧に綴られていて、サンソンはその手紙を読んでいる一時、仕事のことを忘れられた。
ナマエは手紙でさえ、変わらずサンソンの心を励まし支えていた。
けれどそのナマエは、もうすでに亡くなっている。サンソンがそれを知ったのは、ナマエがパリを出てから数年後、死因は病死。
突然訪ねてきた医師を名乗る男が告げたその残酷な言葉を、サンソンははじめ理解できなかった。
「そんな筈は……そうだ、先月もナマエから手紙が送られて来ています。だから、そんなタチの悪い冗談は、やめていただきたい」
そう、先月も、先々月も変わらずナマエから手紙は届いている。
けれど医師の男は目を伏せながら、首を横に振った。
「ナマエさんに頼まれたのです。生前書き溜めていた分の手紙を、自分が亡くなった後も出して欲しいと」
ナマエは、自分が病に侵されていることをパリにいる時点で知っていた。
そしてその病の治療法が未だ発見されていないことも、告げられていた。
そんな中で真っ先にナマエの頭に浮かんだのは、誰よりも優しく、誰よりも自らの仕事に苦悩していたサンソンのことであった。
医師でもあるサンソンはきっと、自分の病を治そうと手を尽くすだろう。
そして病が治らずナマエが死んでしまった時、誰よりも悲しみまた救えなかったと嘆くのだろう。
ナマエは自分の死がサンソンの重みになることが嫌だった。
これ以上彼が傷つくことのないように。
ナマエは医師から紹介状をもらい、サンソンに仕事の都合だと嘘をついて、パリから遠く離れた田舎町へ引っ越すことにした。
本当は、手紙だって送るはずではなかった。
けれど、サンソンへ引越しのことを告げた時、まだ傍にいたいと、彼を見守りたいと、そんなどうしようもない気持ちになって、咄嗟に出てしまった言葉だった。
だから療養先の田舎町で、医師に自分が死んだ後も、毎月手紙を出して欲しいと頼んだ。
手紙が途切れて、サンソンが異変に気づかぬように。
そのために、毎日手紙を書き溜めた。
病気が進行するにつれ、文字を書くことが難しくなっても、震える手を抑えてペンを握った。
自分の手紙が、サンソンの心を励まし、慰められるように。
自己満足で始めたこの行為が、少しでも彼のためになるように。
「そしてこれは、最後の1通です。
これは気持ちの整理のために書いたもので、サンソンさんに送る必要は無いと言われたのですが、私は、これを貴方へ送るべきだと思うのです」
そう言って差し出されたのは、ぐしゃぐしゃに丸められ破かれた後を、どうにか糊で直された1通の手紙。
サンソンは、震える手でその手紙を受け取った。
シャルル=アンリ・サンソン様へ
貴方を、愛していました。
どうか、幸せに
ナマエより
「あぁ、僕は……身近にいた君さえ……救えなかったのか……」
手が血に染まってなお、傍にいてくれた彼はもういないのだと、遺された手紙を抱きしめて、サンソンはその痛みに哀哭した。