5周年リクエスト記念
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ひび割れたビー玉を見たことがあるだろうか。
現代ではクラックビー玉なんて、小洒落た名前で呼ばれているらしいそれは、ヒビが入って脆くなっているにも関わらずキラキラと輝き美しい。下手をすれば、ヒビの入っていないそれよりも美しく見えるほどに。
死に際に、そんな美しいモノを見た。
今にも砕け散りそうな脆いそれは、今まで見てきた何よりも美しくて、いつまでも眺めていたいと柄にもなく思ってしまったのだ。
「牛鬼について、か」
そうだな、と平安の鬼殺しと名高い渡辺綱はその問いに1つ頷いてみせた。
「今のあの牛鬼について思うことがないでもないが、だからこそもし金時があの牛鬼を斬ることに迷いが生じたならば、俺が代わりに斬るべきなのだろうな」
出来ればそうなりたくはないがな、とほんの少し目線を下げて、けれどその手が刀から離れることは無かった。
「私はかつて、牛鬼を殺すことが出来なかった。その代償が今のあの牛鬼なのでしょう」
源氏の棟梁、源頼光はそう言って静かに息を吐く。揺れる瞳はいつもの彼女らしくはない。
「だからこそ、私が今度こそ討つべきなのでしょうね……えぇ、出来れば金時には、刃を振るって欲しくないとそう思ってしまうのは、母が弱いせいなのでしょうね」
そこに覗くのは刃を振るい魔性を斬る武人の顔ではなく、子を思う母の後悔だった。
「あぁ、あかんね」
大江の山の鬼、酒呑童子はそう言って大袈裟なまでに溜め息をついた。
「別の牛鬼となら酒呑みながら殺し合い出来たんやろうけど、今のあの牛鬼とは駄目やわ。うち、嫌われとるみたいやし。此処、滅茶苦茶にされるんは旦那はんの望むところやないやろ」
残念やわぁ、と首を振る彼女に礼を言って藤丸はその場を後にした。
「……俺は」
金色が揺れている。
いつもの少年漫画の主人公のような笑みはそこにはない。
ただ、ただ金色が揺れてる。
「吾について嗅ぎまわっているようではないか、主様?」
かけられた声に背後を振り返る。
口角を三日月形に歪めた件の人物、牛鬼がそこに居た。
「うん、不快にさせてしまったのならごめんなさい」
「そう素直に謝罪を口にされるとなぁ。だがまァ、良かろ」
そう口にして牛鬼はずいと藤丸に近付く。
一瞬で命を刈り取れる距離。牛鬼というサーヴァントは己のマスターに対して基本的に忠義というものを持たない。呼び声に応えるのは全て己のため。だから少しでも牛鬼がその気になってしまったのならば簡単に己の命が危ぶまれることを、藤丸は理解していた。
理解していてなお、藤丸は牛鬼という個人のことを知る必要があると思い話を聞いて回っていたのだ。
「マスターとして、牛鬼さんのことを知りたいと思った。どうして頼光さん達が貴方の姿を見てあんな顔をするのか。どうして貴方が酒呑さんを殺そうとするのか」
そこで藤丸は1度言葉を区切ると、真っ直ぐに牛鬼を見つめた。
「どうして、金時を憎んでいるのか」
牛鬼の目が細まる。
俯いた顔に影がかかって、その表情まではよく見えない。
牛鬼は、金時を憎んでいる。
カルデアに召喚された牛鬼は、その姿に目を見開き手を伸ばしかけた金時を強く拒絶した。
それから牛鬼は金時を避けている。頼光や綱、酒呑の事も避けてはいるが、金時へのそれは徹底的だった。
カルデアという狭い空間と限られた人数、人理の危機の中彼らに協力してもらはなければならない場面も出てくるかもしれない。
だから藤丸は知る必要があったのだ。
牛鬼はほんの少し黙り込むと、静かに口を開いた。
「吾は彼奴を憎んでいる。嫌っている。だがな、吾は彼奴を殺せぬ」
一瞬曇ったような表情は次の瞬間には良かったなァ?と皮肉げな笑みに変わっていて、けれど何も聞かずに藤丸はうん、と苦笑を漏らして頷くに留めた。
「……それと、答えたくなかったら答えなくてもいいんだけどさ。なんていうか、上手く言えないちょっとした違和感みたいなものなんだけど」
ほんの少し躊躇する様に開いた口から続く投げかけられた問いに、牛鬼は答えなかった。
かつて平安時代、源頼光は牛鬼討伐へと向かったが牛鬼を殺すことは叶わなかった。それどころか部隊は壊滅。頼光は苦渋の決断で部隊を引き上げた。たった1人、皆を逃がすために殿を務めたナマエを残して。
頼光も、金時も、その後どうなったかを知らない。
ただ2人、ナマエと牛鬼だけがその後を知っている。
頼光は牛鬼討伐に失敗したと言われているが、その実は違う。
あの日、あの時、ナマエの刀は牛鬼の心臓を貫いた。けれど同時に牛鬼の腕もナマエの心臓を抉っていた。
牛鬼という鬼は牛鬼を殺した者が次の牛鬼へと成る概念的な不死身の妖。だから、牛鬼を殺したナマエが次の牛鬼へと成るはずだった。そのはずだったのだ。
思ってしまった。
もしも、もしも自分も同じ鬼に成れば、彼はあの“大江の山の鬼”を見る目で自分を見てくれるだろうか、等と。
そんな事あるはずが無い。あの日の金時の感情を踏み躙るような醜くて酷い考えが一瞬、過ぎってしまったのだ。
源に仕える武士なれば、ここで己が首を断ち切って牛鬼と成る事を防がなければいけないのに。
自分の浅ましさを恥じて、そんな考えを一瞬でも過ぎらせてしまった自分が嫌で。
それ程までに、狂おしい程に、金時が好きで。
そんな死に際の想いを、牛鬼は見た。
牛鬼とナマエが同調しかけていた事が原因なのだろう。
牛鬼は恋をしたことがなければ、愛したことも愛されたこともない。
牛鬼と成る前はどうだったか分からない。牛鬼と成る前の記憶は何一つないからだ。
だから牛鬼にとってナマエから見たそれは未知のものだった。
愚かしいと嗤うには知りすぎてしまって、くだらないと捨てるには知らなさすぎたその感情。
きっとナマエが完全な牛鬼と成ってしまっては、己と同じように人としての記憶は消え牛鬼の本能が魂を塗り替えてしまう。
それはあまりも勿体ないことのような気がした。いや、もしかすればナマエにとってはそれこそがある種の救いになったのかもしれないけれど。
ナマエが醜いと切り捨てようとしたそれを、牛鬼は美しいものとして拾い上げた。
牛鬼に成りたくないと拒んだナマエと、ナマエの想いを消したくないと願った牛鬼。
その結果としてかつての牛鬼の肉体は消え、人から牛鬼の性質となったナマエの肉体に、本来消えるはずだった牛鬼の魂と、魂まで牛鬼と成るはずだったナマエの魂はそのままで同時に1つの肉体に2つの魂が存在する、所謂二心同体の形に収まってしまったのだ。
牛鬼とナマエ、同時に殺し殺され死んだからこそ出来たエラー、バグ技のようなものなのだろう。
見た目はナマエのままに、けれどその性質は牛鬼と成って。
その中身には本来死ぬはずだった牛鬼の魂と、次の牛鬼と成るはずった人のままのナマエの魂。
随分ややこしい事になったと思うが、それでもあの脆く美しいものを守れるならばと牛鬼は現状を良しとした。
藤丸の違和感、それはこの事を言っているのだろう。
「全く、妙に勘の鋭い奴よな」
基本的に肉体の表に出ているのは牛鬼だ。
それには様々理由があるが、1番は目の前の、この憎い金色だろう。
「吾はな、美しきものを見た。吾にはないそれは、砕けるさまも大層見事なのだろう。だが、吾はそれでは満足出来ぬのよ」
目の前の金色を睨みつける。
何故この男は、自身に向けられたあの美しいものに気付かなかったのか。
何故よりにもよって、鬼に情を割いたのか。
「故に吾は、あれが実る様が見たいのよ」
恋も、愛も、牛鬼には分からない。
分からないけれど、ヒビだらけのそれが美しいと思ったのだ。
「その相手は、貴様ではない」
低く唸るように言う。
心底不愉快だと己を睨みつけるかつての親友の姿。ずっと探し続けていた、魔性と成ってしまったとしてもその奥にナマエの魂があるならば、譲る訳にはいかなかった。
「それでも俺は、もう一度ちゃんと会って話をしなくちゃなんねぇんだ」
それが例え、互いを傷付ける結果になるのだとしても。
それが今の金時がその想いに差し出せる、精一杯の誠実なのだから。