その他
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ガヤガヤと華金特有の居酒屋の騒々しさの中で男が2人、テーブルに並べられた料理に舌鼓を打っていた。
熱々の唐揚げとポテトサラダ、枝豆とナスの浅漬け、刺身3点盛り合わせにだし巻き玉子とそれから白米。
「もつ煮も頼むか」
「ん、おれも食べたいです」
むぐりと目の前で刺身を飲み込んだ部下、ナマエの以前より丸くなった頬を見て月島薄く笑みを浮かべながら呼び出しボタンに指をかけた。
月島が部下であるナマエとこうして定期的に食事に行くようになったのは、時を数ヶ月前に遡る。
月島基は好きな食べ物を聞かれれば、白米をあげるほどしっかりと食事をとる人間であった。
なので会社のデスクでそれを見た時、思わず声をかけてしまったのだ。
「お前、もしかしてそれが昼飯なのか」
「?はい」
銀色のパッケージをしたゼリー飲料を手にそう頷いた部下に、月島は驚きで目を見開いた。
月島の見間違いなどでなければ、この部下は昨日も一昨日も、このゼリー飲料を手にしていたではないだろうか。
「それで足りるのか」
他に菓子パンやらおにぎりやら、弁当の類か何かあるのであればこのゼリー飲料が昼飯だと言うのもまぁ、分かる。
社会人になると嫌でも手に取る時があるからだ。月島も繁忙期には同じコーナーにある栄養ドリンク剤などよく飲む。
けれど部下の手にはゼリー飲料1つ。それも月島が知る限り3日連続。
デスクの上には誰かから貰ったのか、個包装のチョコレートが2つ3つ置かれているくらいで、他に食べ物らしい食べ物は見られない。
成人男性の一般的な食事量には圧倒的に足りていない。少食なのかもしれない、と考えたがそれにしたって少ないものは少ない。
いつも大盛りご飯を注文する月島からしてみれば理解ができなかった。
「……まぁ、たぶん」
自分のことだというのにどこか曖昧というか気まずげに首を傾げてそう答える部下の様子を見てふと気が付く、3日連続どころか月島はこの部下が世間一般的なまともと呼ばれる食事を口にしているところが見たことがないことに。
「奢ってやるから、外に食べに行くぞ」
月島は積極的に部下に話しかけるタイプではない。別に呼ばれれば打ち上げや忘年会といった席にも顔を出しはするが、プライベートにまで踏み込んでくることはほとんど無い。
けれど月島はどうにもこの部下は放っておけなかった。
おっとりしていると言えばいいのか、のんびり屋と言えばいいのか。山猫のような同僚の皮肉混じりの会話にもよく分かっていないのか、分かっていての対応なのか笑って相槌を打っているようなこの部下を、月島はどうにも気付けば目で追ってしまう事があるのだ。
「自分、食べるの遅いんで……」
もにゃもにゃとそう言いながら視線を下げるナマエに「別に気にしない。それよりもその食事とも呼べない食事量の方が心配だ」と月島は半ば無理矢理ナマエの腕を掴むとその平均より細い感触にもはや使命感じみたものさえ覚えながら、ナマエを引き連れ脳内でリストアップした近場の店へと連れ出した。
職場から徒歩5分程。
昼時特有の賑わいを見せる食堂は月島が贔屓にしている店でもあった。
種類も豊富で提供時間も早く、何よりも手頃な値段で量が多い。
ご飯大盛り生姜焼き定食を頬張りながら、月島は真向かいで海老天乗せ月見うどんをちゅるちゅると啜っているナマエへ視線を向けた。
宣言通りナマエは食べるのが遅かった。
数本の麺を箸でつまんで猫舌なのかふぅふぅと長めに息を吹きかけてから最低30は噛んで飲み込む。
元々のんびり屋だとかおっとりさんだとかいう言葉が似合うナマエは、食事という行為になるとそれが余計に顕著になるらしい。
本人もそれを気にしているのだろう、月島の椀と自分の椀をチラチラと見比べては必死に咀嚼している様はどこか小動物を思い起こさせる。
「別にそんなに急いで食べなくてもいいし、食べきれなかったら俺が貰う」
なんならイカ天も頼むか、という月島の言葉に首を横に振った。
「月島課長、ご馳走様でした」
ふぅ、と満腹感に息を吐きながら礼を言うナマエへ返事をしようとして、月島はそこではたと気付く。
これもある種のパワハラに当たるのではないかと。アルハラ、なんて言葉があるくらいなのだからこれもそうなのでは。
一気に冷静になった頭でナマエを見れば、ゆるゆると自分の腹をさすっていた。
「あ、いや……こっちこそ無理矢理誘って悪かった」
そう謝る月島に、ナマエはきょとりと首を傾げた。
「……えっと、おれ、子供の時からご飯食べるの遅くて、周りからよく早く食べろって急かされることがあって……だから人前で食べるの苦手なんです。
給食の時とか毎回昼休みまで残って1人で給食室までお皿返しに行くの、恥ずかしくって嫌でしたし」
ぽつりと話し出したその内容に、月島はぐっと眉間に皺を寄せた。いくら心配だったとはいえそんな誰かとの食事という行為に苦手というある種のトラウマじみた思い出を持っているナマエを連れ出したのは悪手だったのではないかと。
けれどそんな月島の内心とは裏腹に、ナマエはふにゃりと笑みを浮かべていた。
「けど、月島課長は急かさないし、おれ、やっぱりあのゼリーだけじゃ足りなかったと思うんで連れて来てもらえて良かったです」
まるで子供の感想文のような言葉に、月島は目を見開いた。
月島の周りの人間は、良くも悪くも個性的な者が多い。月島の真面目な仕事ぶりが評価されて、特に個性が強い面々を任されているというのもあるのだが。
何を考えているのか分からない皮肉屋な猫目の部下だとか、某上司の言う事しか聞かない暴走気味なサイコパス味溢れる部下だとか、何かと月島を振り回す年下の薩摩弁の上司だとか。まぁ、様々なのだが。
ナマエもその個性的なメンツの中でへらへら笑って仕事が出来るくらいには個性的だ。
けれど月島に一緒に食事が出来て嬉しかったと礼を言って、ほにゃほにゃとした笑みを浮かべながらほんの少し膨れた腹をさすっている様は、なんというか心の柔い部分を鷲掴まれた気分だった。
その柔い部分というのは庇護欲だとか、もっと言ってしまえば父性だとか母性だとかなんかそういうあれなのだが、独身三十路も後半の月島にはそれが分からぬまま既にこの部下に次は何を食べさせてやるかとか、時間を気にしなくていいように夕飯に誘うかとか、もう次のことで頭がいっぱいになっていたのである。
そんな月島の柔い部分を鷲掴んでるとは露知らず、ナマエはここのおうどん美味しかったな、なんて呑気に考えていたのだった。
湯気を立てるもつ煮の蒟蒻を口に運ぶ。
ぷるりとした食感とよく染みた味に月島は笑みを浮かべた。
向かいでは同じようにナマエがもつ煮を口に運んで笑みを浮かべているのが見えて、ふっと息を漏らした。
「おれ、月島課長とご飯食べるの好きです」
ほにゃりとそう言うナマエに月島は俺もだ、と頷いて明日は何を食べさせてやろうかと、もうそんなことを考えていた。