運命
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その日、ロンドンの街はどこもかしこもハートや薔薇の飾りでいっぱいだった。
いつもと一風変わった街で、多くの恋人達が真っ赤な薔薇の花束や可愛らしいお菓子の紙袋を手に微笑み合っている。
その光景を目に、ナマエは1人ケッと顔を歪めた。
2月14日、今日は恋人達にとっての愛の日、バレンタインデーである。
会社のデスクの前で時折ブラックコーヒーを啜りながら、ナマエはカタカタと無心にキーボードを叩いていた。
ふと、ナマエの耳にキャアと女性社員の本日何度目かの色めきたつ声が聞こえて、思わずキーボードを叩く指先に力が籠ってしまうのを、隣の同僚は苦笑いで見つめた。
「またランスロットさんか、それともガウェインさんか、トリスタンさんか?今日何回目だろうな」
「知るか」
バレンタインで色めきたっているのは何も街中だけではない。
この会社も例に漏れず、何故だか知らないがこの会社の上層部、会社役員達は顔の良い男が多かった。
そして顔の良い男は気配りが出来るというか、タラシの気があるというか、良かったら皆で食べてくれとチョコレートの類を配っているらしく、そこにプラスして女性社員には花も贈っているらしい。勿論業務に支障のない休憩時間等にだが。
そしてバレンタインにそんな贈り物を、しかも顔の良い男達からされて喜ばない女性はいるのだろうか、いやいない。
つい先日、数年付き合っていた恋人に振られた、それも彼女の浮気によっての哀れなナマエにとっては、今日という日は実に地獄のような日となっていた。
くそったれ、何が彼はモデルの卵で私が支えてあげなきゃいけないの、だ。
モデルの卵がなんだ、顔が良いのがなんだ、俺だって別に平凡な顔ってだけだし、絶対あいつより稼いでる。
鬱々としたナマエの雰囲気に同僚は若干引き気味で椅子をほんの少し離した。
「おい、ナマエお前、目がスターゲイジーパイの魚みたいになってるぞ」
「.......うるせぇ」
コーヒーを飲もうと持ち上げたカップはとうに空になっていて、ナマエはハァと溜息をつきながら給湯室へと席を立った。
「おや、ナマエ、奇遇ですね」
給湯室にいた先客は、ナマエの顔を見るとそう言って柔らかく微笑んだ。
高い身長に整った顔立ちと柔和な物腰、そして特徴的なプラチナブロンドの長髪を結いた彼の名はベディヴィエール。
ナマエとは同期で入社したのだが、現在は社長の秘書の様な立ち位置にいる彼に立場が上だからと敬語を使ったら困ったような悲しげな顔で、今まで通りでいいと言われたので、会議等重要な場以外では砕けて会話するくらいには、友好な関係を築いていた。
一言断りをいれて彼の隣に立ち、カップにインスタントコーヒーの粉を備え付けのスプーンで適当にいれていく。
「ナマエも今日は、恋人と過ごすんですか」
「.......ついこの間、振られたよ」
世間話程度に振られたそれにナマエは苦々しげにそう返すと、ベディヴィエールはえっ、と勢いよく顔を上げた。
「それは、その、申し訳ないことを.......」
「いや別に、謝らなくていいよ。次はもっといい子見付けてやるから」
先にお湯を沸かして使っていたベディヴィエールが、どうぞ、とお湯を注いでくれるのに一言礼を言ってくるくるとスプーンでかき混ぜていく。
「.......ちなみに、その、どういった人が良い、とかは」
「え?あぁ.......俺の事好きで一途な子がいいかな。少なくとも浮気なんて絶対しないようなね」
ふんっと鼻を鳴らしながら、淹れたてのコーヒーへ口付ける。口の中に拡がった苦味に息をついた。
ちらりと視線を向けたベディヴィエールは何故かどこか迷うな、悩むような、そんな様子でぼうっと立ちすくんでいて、ナマエは小さく首を傾げた。
「あの、少し待っていてもらってもいいですか?直ぐに戻ってきますので」
「え、あぁ、いいけど」
そうして給湯室を飛び出したベディヴィエールは言葉通り、ほんの5分もかからずに戻ってくると、ナマエに小箱を差し出した。
「.......あ、の、良かったら、これを。コーヒーのお供に合うと思うので」
手渡されたのはそこらのスーパーでは見ないような、デパートなんかで見るリボンを巻かれてラッピングされたお菓子の小箱だった。
「なにこれ、高いんじゃないの?」
まじまじと小箱を見つめてそう言えば、ベディヴィエールは慌てたように首を振った。
「あっ、と.......そう、私も人に渡そうと思ってたのですが、その、色々あってやはり諦めようと思っていたのです.......ですが、ナマエに貰っていただけるのなら、私も報われるといいますか.......」
「あー.......なるほどな、じゃあ遠慮なく貰うわ」
なるほど、ベディヴィエールの様な顔良し、性格良しの良い男でもバレンタインに悲しい出来事のひとつやふたつあるんだな、と芽生えた同族意識に内心ナマエは深く頷いた。
俺には分かるよ、ベディヴィエール。
「それと、この後予定などなければ、食事などいかがですか」
今日という日に外食なんてどこもカップルでいっぱいなんじゃないか、と忌避していたがナマエにとってベディヴィエールは傷心仲間としてカウントされていたので、相談か愚痴大会かと一も二もなく頷いた。
まぁ、同じ傷心仲間にしてはベディヴィエールの顔はほんのりと赤かったし、街中で見かけた恋する男と同じ表情をしていたのだが、振られた理由の一つに元彼女から鈍感と言われたナマエが気付くはずもなかった。