運命
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傷一つない白い首に両の手を添え、グッと力を込めた。
「ありがとう、茨木童子」
そうして浮かべた笑みが、何より美しかったことを、茨木童子は今でも忘れられないでいる。
──────────
「あの子の亡骸を何処へ隠したのか、答えなさい」
ひたりと刃を鬼の首に添えて、頼光は問う。
されど鬼―大江の山の鬼の頭領、茨木童子は答えない。
その顔からはごっそりと表情が抜け落ちて、冷たい目で頼光を睨みつけていた。
ピリピリとした殺気が辺りに充満して肌を突刺す。
この事態に彼女らのマスターである藤丸立香は、もしもの為にと令呪を構え、後輩でありデミサーヴァントであるマシュ・キリエライトも いつでも立香を守れるようにと緊張した面持ちで、二人を見据える。
「おい!頼光の大将も茨木も何やってんだ。
こんな所でアンタら二人が暴れたらシャレになんねぇよ」
他のサーヴァントからの報告で駆けつけた金時により、何とかその場は治まったものの、マイルームに戻った後でさえ、立香は茨木童子のあの顔が、忘れられないでいた。
「何や旦那はん、茨木の事が気になるの」
「酒呑さん……」
いつの間にやってきたのであろう彼女、酒呑童子は、もっとも茨木童子が信頼しているであろう人物、いや鬼である。
「うん。何か、茨木童子の様子が普段と違うと思って……
それに、頼光さんが言ってた〝 あの子〟って言うのもよく分からないし……」
思案する立香に、酒呑童子はそやねぇと笑う。
「茨木、その〝 あの子〟の事はうちにも教えてくれへんのよ」
「え、酒呑さんにも!?」
茨木童子という鬼は、酒呑童子の事を大層慕っている。けれどその酒呑童子にも話さないということは、それが茨木童子にとってよっぽど特
別な人なのだろう。
「でもせやねぇ、頼光の牛女の屋敷に妖が出るって噂話は聞いた事あるなぁ」
「白い妖?」
知らぬ言葉に首を傾げる。
それ以上酒呑童子が語ることはなく、ただただ笑みを浮かべていた。
──────────
茨木童子が出会ったのは、冬のようなヒトだった。
その日、京の屋敷には憎き源頼光も四天王も居らず、偶然それを知った茨木童子は単身屋敷に乗り込んだ。
理由は単純、奴らの居ぬ間に屋敷を滅茶苦茶にして一泡吹かせてやろう。ただそれだけだった。
そうして侵入したのは屋敷の離れ。
その一室にそれは居た。
雪のように真白い髪、白い肌。南天の実のような紅い目。
それはまるで、冬を人の形にしたような男だった。
男は突然現れた鬼の茨木童子を追い出すでもなく、助けを呼ぶでもなく、少し驚いたように目を見開いたと思えば薄く笑みを浮かべて、金平糖を差し出した。
それが冬のような人、ナマエと大江の山の鬼、茨木童子の出会いであった。
「屋敷を荒らしに来た鬼に、金平糖を差し出すなどお主位のものだぞ」
「久しぶりのお客さんだったからね」
その出会いから、茨木童子は度々ナマエの元を訪れている。
茨木童子曰く、上等な甘味をくれるから。内通者として利用できるから。
そう理由をつけては隙を見つけて、ナマエという男に会いに行った。
「俺にとっては、鬼より人の方が恐ろしいから」
何の話をしていたのか、そう呟いたナマエに、茨木童子はきゅうと瞳孔を細めた。
鬼とは恐れられるものである。
好きに奪い、好きに殺す。
それをこの男は、鬼より人の方が恐ろしいという。
茨木童子はナマエを押し倒すと、その首に手をかけた。
「鬼より人の方が恐ろしいと言うか。
ならば汝を今ここで、無惨に、残酷に、痛めつけてから殺せば、その愚かな考えを取り消し泣き喚いて許しを乞うか」
ぐっと手に力を込めれば、ヒュッと息が盛れる。
それでもナマエは、怒鳴るでもなく怯えるでもなく、真っ直ぐに茨木童子を見つめていた。
「あぁ……申し訳、ない……怒らせたかった訳では無い、んだ……」
真実ナマエは、茨木童子を怒らせたい訳ではななった。殺されかけているというのにこちらに気を使い、謝罪までするその姿に、茨木童子は首を絞める手を緩めると、ケホケホと咳が鳴る。
「鬼も当然恐ろしい。
人を襲い、喰らう。けれどそれが鬼という存在の在り方だ。鬼は鬼の道理を通しているだけなんだと思う。
だから、人から見れば鬼は恐ろしい。鬼というだけで恐ろしいんだ」
けれど、とナマエは続ける。
茨木童子は、それを黙って聞いていた。
「けれど人は違う。
人は人であるのに、同じ人を鬼や妖と呼び本当にそうであるかのように扱う。
天災が起きてしまうのは、誰のせいでもないはずなのに、誰かのせいにしようとして、ある筈もない罪人を作り上げてしまう。それは道理が通らない。
僕はそういう人の、弱さ故にくる出来事が、恐ろしくて仕方ないんだ……」
茨木童子は知っていた。
ナマエという男が、他の人間達かれ鬼子だ、妖だなんだと噂されている事を。
ナマエは毛色は変わってさえいるが、ただの人の子だ。
茨木童子からしてみれば、それより源頼光や頼光四天王の方が余程恐ろしい。
「主の様な軟弱ものからすれば、同じ人でさえも恐ろしいと感じてしまうのは仕方の無いことか……だが、だが!これだけは間違えるな、人より強いのは鬼の方だ!いいな?間違えれば次はない」
ふんっと鼻を鳴らせば、ナマエはきょとりと間抜け面をして、それから笑って分かったよとうなづいた。
その態度に本当に分かっているのかと怒鳴りつけようと空けた口に、ナマエがぽいと金平糖を放り込んで来たので、その甘さに免じて今回は特別に見逃してやることにした。
──────────
〝 あれは恐ろしい、妖の類に違いない〟
〝 頼光様も他の方々も、お優しすぎるのだ〟
〝 本当に気味が悪い。早くに亡くなればよいものを……〟
ヒソヒソと囁く人の声。屋敷の使用人であろう男の声だ。
茨木童子の耳にはしっかりとその声が届いていた。
気に入らない、と茨木童子は思う。
あれが妖な訳があるか。それならば自分はもうとっくの昔にナマエを大江の山に連れ帰っている。
殺してしまうか。声のする方へ近づいて、ふと、新たに聞こえた会話に足を止めた。
〝 昼餉に混ぜた毒は前より強いものだ。直に死んでしまうだろう〟
なんということか、なんということか、なんということか!
あの愚かな人間達は、あろうことにナマエに毒を盛っていたのだ
次の瞬間に茨木童子はその使用人2人を殺していた。悲鳴をあげる隙さえ与えずに。
そのまま遺体の頭を踏み潰し砕く。これでもう、不快な口を開くことは出来ないだろう。
茨木童子はそのままナマエの待つ離へ駆け出した。
「ナマエ!」
襖を開けばそこには何時も茨木童子に笑みを向け出迎えてくれるナマエは、血を吐きその白い身体を赤に染めて悶え苦しんでいた。
「……い、ばら、き、どう、じ」
息もたえだえに己を呼ぶその姿に、カッと目の前が熱くなる。
茨木童子はナマエを抱きかかえると一目散に屋敷を出る。
背後で聞きなれた声が、斬撃の音が聞こえたが、それでも茨木童子は振り返らない。
何処へ行けばいいのかも分からなかったが、こんな場所からナマエを一刻も早く遠ざけてやりたかった。ただそれだけの思いで、茨木童子は駆けた。
「死ぬのなら、君に殺されて、死にたい」
銀白色の雪山を行く茨木童子の背におぶわれて、息も絶え絶えにナマエはそう言った。
馬鹿言うなと怒鳴りつけたい気持ちだった。何故吾がお主の様な人間の願いを叶えてやらねばならぬのだ。そう叫んで拒否してやりたかった。
けれどそうしてしまうには、あまりにも茨木童子という鬼は、ナマエという人間に近づきすぎてしまったのだ。
どさりと、少し拓けた銀白色の大地の上に、ナマエの体を横たえた。
真白い髪と、真白い身体。それらがナマエと雪の境界を曖昧にさせるのに、その南天の実ような紅い目と、口から流れる赤い血だけが妙に浮いていて見えて、心がざわついた。
それを隠すかのように、茨木童子はその白く細い首に、両の手をかけた。
ナマエはどうしようもなく人だった。けれど人に受け入れられることも無く、然りとてそれ以外になれるわけでもない。
ただただ哀れな人の子だった。
白い首に添えた両の手にぐっと力を込める。
「ありが、とう、茨木童子」
そうして礼の言葉と共に浮かべられた笑みは、何より美しい。
茨木童子は何も返さない。ただ込めた力をゆっくりと強めた。
──────────
真っ白な雪上に、真っ白な男の遺体。
その首をぐるりと1周するように着いた真っ赤な手形。
茨木童子は、遺体となったナマエの頬をするりと手の甲で撫ぜる。
殺されたとは思えないほど、穏やかな顔だった。
「次に生まれて来る時は鬼になれ。汝ならばきっと、酒呑も気に入るはずだ……」
返事はない。けれどそう語りかける茨木童子の声音は、普段の様子とは似つかないほどに静かだ。
雪が降る。それはナマエの体に降り積もって、その姿形を覆い隠していく。
そうして辺り一面白に覆われて、まるで何もなかったかのように、ただしんしんと冷たい雪だけが降り続く。
その様を見届けて、金色の鬼は姿を消した。
雪が降る。
雪が降る。