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壮年期も終わりにさしかかろうという男と年若く美しい女が、観衆を前に並んで座っていた。
「エリンの英雄、フィオナ騎士団の騎士団長フィン・マックールと、我が娘グラニアとの婚約がめでたく相成った」
観衆へ向けて王が高らかにそう告げれば、観衆は王と結ばれた2人へ祝福の歓声を上げた。
婚約発表というめでたい場であるというのに、女、グラニアの視線は夫となる男、フィン・マックールへと向けられる事のないまま。
ただ遠く、隣に座るフィンではない別の男へと注がれていた。
──目の下の泣きぼくろが印象的な、あのお方はなんと仰るの。
グラニアの問いに、侍女はただ淡々と答えた。
──フィオナ騎士団の1人、ディルムッド・オディナです。
彼を目にしたことこそが、悲劇の始まりだったのか。
グラニアの心は初めから、夫となるフィンへと注がれてはいなかった。
恋だ愛だという関係もなく結ばれた婚姻、それも自分よりもうんと年の離れた男相手にグラニアの心は動くことはなく。
彼女の心を動かしたのは、別の男であった。
優れた武勇と美しい風貌。そして乙女の心を惑わすほくろを持った騎士。
フィンに隠れ唇を重ねた相手こそ、ディルムッド・オディナであった。
けれどそんな不貞を、裏切りを、夫であり騎士団長であるフィンが許すはずもない。
「私を連れて、お逃げ下さい」
許されざる行為と分かっていた。
分かっていて、それでも逃避行を重ねるうちにディルムッドもいつしかグラニアに恋をしていた。恋に落ちてしまった。
「喜べグラニア、フィンが俺達のことを認めてくれたぞ」
それでもフィンが長い逃避行の末に2人を許してくれたのだと。
喜びの声は、けれど程なくして過ぎ去っていく。
──グラニアの恨み、忘れたと思うか
血に濡れてなお、その貌は輝きを失わないまま。
それがディルムッド・オディナの最期だった。
「は、ぁっ……!!」
ケイネスが目を覚ます。
夢、とよく知った男の最期にそう呟いた。
「今見ていたのは、ディルムッドの伝説……これはサーヴァントの記憶か」
途端、体に走る痛みに呻き声が漏れる。
脂汗の滲んだ頭を振って見渡した景色は覚えのない、剥き出しのコンクリートと月明かりが唯一光源と言えるような薄暗い廃墟だった。
「ここは……」
「気が付いたようね」
月明かりを背に現れたソラウの手には、看病の為か湯気の上がる桶。
痛みで力の入らない頭をどうにか持ち上げて確認した自身の体には包帯と点滴の為のチューブ。そして体を横たえたストレッチャーに拘束する2本のベルト。
「ソラウ、これは一体……私は何故ここにいる」
拘束された体を捩り、震える声を上げる。
「何があったのか、全く覚えてないの」
そう言われてやっと、混乱の中思い出したのは己を貫いた弾丸。
そうだ、自分はランサーを連れてセイバー陣営の拠点へと向かいそのマスターと相対したのだ。
「私は撃たれた……確かに、月霊髄液で防御したはずだが……私の体に何が……」
月霊髄液―ヴォールメン・ハイドラグラム―
それは自身の魔力を込めた水銀。
ケイネスの数多持つ魔術礼装の中でも最強の1品。
その月霊髄液で防いだ筈の衛宮切嗣の弾丸は、月霊髄液を貫通しケイネスの体までも貫いてみせた。
体の内側から訪れた激しい痛み、そして何より月霊髄液を貫通した弾丸がただの弾丸である訳が無い。
「全身の魔術回路が暴走した形跡があるわ。即死しなかったのは奇跡ね」
桶から濡れたタオルを絞り、ケイネスの体を拭ってやりながらソラウはそう答えた。
即死しかねなかった程の、魔術回路の暴走。
ケイネスの瞳が大きく揺れる。
その言葉の先が何を意味するのか。ケイネスが分からないはずがない。
「とりあえず、間に合ったのは臓器の再生まで
貴方の魔術回路は壊滅よ。もう二度と、魔術の行使は出来ない」
それはケイネスにとって、いや、恐らく全ての魔術師にとっての死すら意味していた。
ケイネスは優秀な魔術師だった。
それは自他共に認める事実である。
エルメロイ家の当主であり九代続く魔術師の名門、アーチボルト家の頭首。
魔術世界に君臨する十二人の王の一人、ロード・エルメロイ。
その己が、負けた。
それも、魔術回路を壊されて。
ケイネスが衛宮切嗣に負けた理由を上げるとするならば、第一に戦闘経験の差であった。
彼は元来研究畑の人間である。
ケイネスがこの第四次聖杯戦争に参加したのもその自信が持つ功績の中でも唯一乏しいといえる「戦歴」という箔を付けるためだ。
だからこそ多くの戦闘経験を積上げて、相手を殺す為ならば如何なる手段であろうと選んできた切嗣の方が戦闘においては圧倒的に有利であった。
第二に、そもそもとしてケイネスの月霊髄液は演算機器としての使い方が本来の魔術的価値であり、その水銀という性質上から防御から攻撃、はては索敵まで行える万能武器としての使用でさえ可能にしていた。
けれどだからこそ、武器としての使用には弱点も多く存在する。
魔術師であるケイネスから繰り出される攻撃パターンはある程度接近戦に心得のある者ならば軌道が読みやすく、また防御においては瞬間的な圧力を超えるだけの威力を持った攻撃に弱く水銀の盾は意味を無くす。
そうだ、衛宮切嗣という男はケイネスの月霊髄液を突破する術を持つ、数少ないの第四次聖杯戦争のマスターと言える相手だったのだ。
切嗣ではなく同じ魔術師が相手であったならば、ケイネスが負ける事などなかっただろう。
それ程までに致命的な、相性の差。
「私は、私は……ッ!」
絶望的な己の状況に、普段は気丈なケイネスの目から涙が流れていく。
「泣かないで、ケイネス」
まるでしょうがない子を宥める母のような、穏やかな声だった。
流れ落ちる涙を拭いながら、ソラウは笑みを浮かべる。
「諦めるのはまだ早いわ。私達はまだ敗北した訳じゃない」
そうは言っても、最早こうなってしまったケイネスに戦う術などない。
敗北したも同然だ。
それだというのにソラウは言葉を紡いでみせる。
励ますようなその言葉はどこまでも前向きなものであるはずなのに、何故か背中に薄ら冷たい汗が伝う。
「聖杯が万能の願望器だというのなら、貴方の体を完治させる事も、充分に可能なはずでしょう。勝てばいいのよ。
勝ち残って聖杯を手にすれば、何もかも元通りになるわ」
それはその通りなのだろうが、けれど一体どうやって。
ソラウの手がケイネスの腕を僅かに撫でていく。二の腕から一の腕へ。
「だから、ね。ケイネス」
そうして彼女の指先が、ケイネスの右手の甲。
2画残った“令呪”へと触れた。
「この令呪を私に譲ってちょうだい」
そうする事こそが正しい様に、彼女は告げた。
「私がマスターとして、ランサーを受け継ぐわ。貴方に聖杯をもたらす為に」
「だ、駄目だッ」
令呪ごと右手を握った彼女へ咄嗟に出たのは、強い否定の言葉だった。
「私を信じられないの?アーチボルトに嫁ぐこの私が」
彼女を信じていない訳ではない。
彼女もまたケイネスには劣るものの、優秀な魔術師である。
けれどケイネスの脳裏に浮かぶのはあの日、ソラウに己がサーヴァントであるランサーを初めて表せて見せた時の彼女の横顔。
その光景が、その姿が、夢で見たグラニアに重なる。
婚約者たるフィンではなく、ディルムッドを選んだ彼女の姿に。
「ソラウッ、ランサーが私にではなく君に忠誠を誓うとでも思うかッ」
「えぇ。彼だって聖杯の招きに応じた英霊ですもの。聖杯を求める心は私達と同じ。
例えマスターを交代する事になっても、彼は目的の為に受け入れるはずよ」
「ランサーはそんな殊勝な奴じゃない!何を願うか奴に問うた時、奴はこう言った。聖杯など求めはしないと。
聖杯を求めないサーヴァントなど有り得ない。何か本心を包み隠している。
だが、胸の内に何を秘めていようとも、この令呪がある限り私に従わざるを負えないッ」
真実、ディルムッドという男がケイネスに忠誠を誓い、この聖杯戦争において騎士としてある事を本心から望んでいたとしても、魔術師として生きてきたケイネスには、彼の望むその騎士道というものがそも理解できない。
それはケイネスの中に存在し得ない概念だからだ。
だからこそ、そんな不確かなモノを求めるディルムッドを、ケイネスは信用出来ずにいる。
マスターである己が信用出来ないサーヴァントをソラウに預ける事などできない。
だからこそ下した決断。
「令呪は、渡せない……」
ソラウの口から、心底呆れたようなため息が漏れる。
先程までとは打って変わって、ケイネス、と呼ぶ声は随分と冷たくなっていた。
「分かってないのね。私達がどうあっても勝ち抜かなきゃならないって事が」
僅かな音をたてて、ソラウの手からタオルが落ちる。
ソラウは変わりに、ケイネスの右手の小指を静かに握った。
次第に力が強まっていく力。ケイネスの小指を外へ、外へと無理矢理に曲げていく。
突然のその狂行に、ケイネスはただただ驚愕に目を見開きながら見つめる事しか出来ない。
やがてバキリと嫌な音をたてて、小指は不自然な方向を向いて折れていた。
「ねぇ、ケイネス。
私ごときの霊媒治療術だと、根付いた令呪を強引に引き抜くまでは無理なのよ。本人の同意があって初めて無抵抗にこれを摘出できる」
そう言いながら、ソラウは令呪を撫で続ける。
彼女、ソラウは降霊科の君主でありケイネスの師であるルフレウスの娘である。彼女との婚姻はアーチボルトとユリフィス両家の繋がりを強くするための政略結婚であった。
それでもケイネスにとっては、一目惚れだった。
ケイネス自身がその事を自覚しているかはさておいて。政略の為でもなんでもなく、本心からソラウに惚れ込んでいた。愛していた。
けれど今、ケイネスが彼女に向ける感情は、怯えか、恐怖か。
ケイネスの目からまた流れだした涙が、今度は拭われることなくその引きつった頬を濡らしていく。
「どうしても納得しないというのならこの右腕を、切り落とすしか他になくなるけど」
どうするの、と首を傾げるソラウの瞳はどこまでも昏い。
あらぬ方向へと曲がったままの小指が、彼女の発言は決して脅しではない何より語っていた。
呼吸が、思考が乱れる。
もはや今のケイネスに選択肢など残されてはいなかった。