zero
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
時は間桐雁夜がアインツベルン城に攻め込むより前へと遡る事、数日前。
冬木教会の1室。綺礼が私的に使用しているその部屋で我が物顔で寛ぐ金髪赤眼の男の姿に言峰綺礼は目を見開いた。
「……アーチャー」
「数こそ少ないが時臣の部屋より逸品が揃っている。けしからん弟子もいたものだ」
その逸品の中から勝手に選んだのだろうワインを傾けながらアーチャー、ギルガメッシュはそう言った。
先程までアサシンが見つけ出したキャスター陣営への対応について話していた時臣は己がサーヴァントがここにいる事を知っているのだろうか。
いや、この傲岸不遜なアーチャーが仮にもマスター相手に一々自身の居場所を伝えるような真似はしないだろう。
「……一体何の用だ」
「退屈を持て余しているものが我の他にもいる様子だったのでな」
“退屈”
その単語に綺礼は眉を顰める。
聖杯戦争という大事にそんなものを抱いているものがいるのかと。
けれどそんな綺礼の様子にギルガメッシュは口角を上げた。
「でなければ教会の保護を受けているマスターの身分で勝手に出歩いたりするまい」
「なんのことだ。今更契約が不服になったのか、ギルガメッシュ」
それはつい先日、爆破された冬木市内の某ホテル。その現場に赴いていた事を指しているのだろう。
表向きではサーヴァントが脱落し、教会に保護されている事になっている綺礼があの現場に出向いたのは、下手をすれば綺礼の裏での工作活動が暴かれかねない行為ではあった。
けれど綺礼はあの日、どうしても己が私欲を抑えられなかった。
どうしても“衛宮切嗣”という男の願いを、自身と同じ心の虚無を持ち得るかもしれない男の願いを知りたかったのだ。
その願いの中に、己が悩みの答えがあるのかもしれないと一縷の望みを抱いて。
そんな内心を、己すら誤魔化すように綺礼は知らないふりをして話を逸らした。
「時臣が我を招き、この身を現世に保っている。そして何よりも臣下の礼にとるものに応えてやらんわけにもいくまい」
ギルガメッシュの言葉の通り、時臣はサーヴァントとマスター、主従という関係でありながらギルガメッシュというサーヴァントを王として敬いそう接した。
だからこそギルガメッシュは契約を切らずに、彼のサーヴァントととしているのだろう。
だがそれは、あくまで今現在の話だ。
「だが、あそこまで退屈な男とは思わなんだ」
それがこの王の目には、ひどく退屈に写るのだろう。
「根源の渦に至るだと?つくづくつまらん企てがあったものだな」
「根源への渇望は魔術師だけの固有のものだ。根源へと至る道のりは言わば世界の外側への逸脱だ。内側への興味しか抱かぬ我々にはつまらぬ企てとしか思えない」
魔術師であれば誰もが抱き志すその願望すらも鼻で笑ってグラスを傾ける。
窘めるような綺礼の言葉通り、ギルガメッシュにとって己がマスターの願いはどうしようもなくただつまらないものなのだ。
そしてそんなつまらないものよりもよほど愉快なものが目の前にある。
「そういうお前はどうなのだ」
聖杯に何を望む。
その言葉に動揺するように、綺礼の声が揺れる。
「私は、私には別段望むところなどない」
「それはあるまい」
聖杯は手にするに足るもののみを招き寄せる。
なればこそ、お前にも望みがあるのだろうと。
けれど綺礼はそれを否定する。
己には、理想も悲願もありはしないのだと。この戦いに選ばれた意味すら分からないのだと。
「理想もなく悲願もない。ならば愉悦を望めばいいだけではないか」
そんな綺礼に、こともなげにギルガメッシュはそう言ってみせた。
ただただこの聖杯戦争という戦いを愉しめばいいのだと。
「馬鹿な。愉悦だと?そんな罪深い堕落に手を染めろと言うのか」
「罪深い?堕落だと?これはまた飛躍だな。何故愉悦と罪が結びつく」
神に仕える身としてそんな提案は有り得ないと否定する綺礼は、けれど咄嗟にギルガメッシュからの言葉を否定することが出来なかった。
それは言峰綺礼という人間にとっての愉悦が、他者のそれとズレた破綻したものであると苦しい程に心の奥底で自覚してしまっているからなのか。
「悪行で得た愉悦は悪かもしれん。だが人は善行によっても悦びを得る。愉悦そのものを悪と断じるのは一体どういう理屈だ」
「愉悦もまた私の内にはない。求めているが見つからない」
ずっとグラスへと注がれていたギルガメッシュの紅玉が綺礼へと向く。
「言峰綺礼、俄然お前に興味が湧いてきた」
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味だ」
まぁ、座れ。とギルガメッシュに促され綺礼はソファへと腰を下ろした。
「愉悦というのはな、言うなれば魂の形だ」
地下室の僅かな照明を浴びて金髪が煌めく。向けられた紅玉と語る声にただ静かに耳を傾ける。
「あるかないかではなく、識るか識れないかを問うべきものだ。
綺礼、お前は未だ己の魂の在り方が見えていない。愉悦を持ち合わせんなどと言うのは要するにそういう事だ 」
「サーヴァント風情が私に説法をする気か」
「いきがるなよ、雑種。この世の贅と快楽を貪りつくした王の言葉だぞ。まぁ、黙って聞いておけ」
宝具『王の財宝』。その名からも分かるように、かつてこの世の全てを統べ、全ての宝を所有するというギルガメッシュという王は確かに比喩でもなんでもなく真実この全ての贅と快楽を識っているといっても過言ではない。
「綺礼、お前は娯楽もいうものを知るべきだ。まずは外に目を向けろ。
そうだな、まずは我の娯楽に付き合うところから初めてはどうだ」
コトリと音を立てて綺礼の前へ置かれたグラス。
それにギルガメッシュ自らワインを注ぐ。
「私には遊興に費やす時間などない」
グラスに手をつけることもなく一蹴する。
けれどギルガメッシュはまぁそう言うなと薄く笑みを浮かべ己のグラスにもワインを注ぐ。
そうして言う、お前の役目は他のマスターへ間諜を放つのが仕事だろうと。
「連中の意図や戦略だけでなく、その動機についても調べあげるのだ。
そしてそれを我に語り聞かせろ」
「アサシン達に言い含めておけば可能ではある。だがアーチャー、そんなことを聞いてどうするというのだ」
ギルガメッシュがグラスに口付ければ、赤い液体がゆられると揺れる。
「言ったであろう、我は人の業を愛でる。なかに面白みのあるものが1人か2人混じっているだろうさ。少なくとも時臣に比べればな」
それだけならば、と綺礼は考える。
ギルガメッシュの言った通り、アサシンというサーヴァントを召喚した綺礼にとってこの聖杯戦争での役目は師である遠坂時臣のためにそのアサシン固有のものである気配遮断と数の有利で情報を集めることだ。
元来するべき事に1つ手間ともいえない手間を加えるだけ。
綺礼の脳裏に過ぎるのは、同じマスターとして参戦した仄暗い目した男の顔。
あの男は、何を思い、何を願って、聖杯を得ようとしているのか。
「いいだろう、アーチャー。請け負った。ただしそれなりに時間がかかる」
「構わぬ、気長に待つとする。ここの酒面倒を見ながらな」
綺礼の返事を聞いたアーチャーはその答えに満足したのか、はたまた彼が受け入れると分かっていたのか、空のグラスとその言葉を最後に姿を消した。
ギルガメッシュの姿が完全に見えなくなってから、綺礼は息を吐いた。
「聖杯を求める理由などと、我ながら随分饒舌に」
そうだ。自分には聖杯に求める理想も悲願もありはしない。
ありはしないのだ。
「断じて、愉悦などでは無い」
自分自身に言い聞かせるように言葉を吐き、目を閉じる。
ぎしりと音を立てながら、ソファに背を預ける。
だが、あの男を識ることが出来れば、私の求めるものの形もまた識ることが出来るだろうか。
衛宮切嗣
口付けることなく置かれたグラスの中で、赤が照明の明かりを反射しながら微かに揺れていた。