このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

ジルアン

「それでは陛下、しばしのお別れです」

 跪き、恭しく滑らかな手を取ると、その甲に口付けをひとつ落とす。それは、任務へ赴く際のいつもの儀式のようなやりとりだった。いつもと異なったのは、その手が凍てつくほど冷えていたことだけ。

「ええ、ヴァージル。……無事の帰還を祈っています」

 しかし、凛としたその声は迷うことなく女王としての言葉をヴァージルへと返す。吐く息が白く流れ、鼻の上が少し赤く染まっていた。覚えた違和感を、ヴァージルはそっと心に留めておく。
 今回の任務は長期のものになるかもしれない。そう告げられたのは先日のこと。それからも忙しない日々を送る2人はなかなかともに過ごす時間がとれずにいた。端末を通してメッセージのやりとりはできたが、それも満足に行うことが出来ず、今に至る。
 互いに離れ難さを押し殺し、視線を交わせた。言いたいことは山ほどある。伝えたいことは海の深さをよりも多いかもしれない。だが今は、女王と守護聖。この宇宙の安寧のために力を尽くすだけだ。アンジュと離れることは胸が張り裂けるほどの痛みと、自分が側に居られない間の彼女の身に何ごとも起こらないか少しばかりの憂慮を覚えるが、今はその気持ちも押し込めるしかない。もう一度、今度はアンジュの手首にキスを落とすと、近くに控えるレイナと言葉を交え、ヴァージルはともに任務へと赴く者たちとともに聖地をあとにした。

◇◇◇◇◇

 真っ赤に色付いた葉がひらりと舞い落ちて、木枯らしが吹いてからはあっという間だった。聖地に初雪が降ったのは先日のこと。今はもう一面の銀世界が聖地を包み込んでいた。
 故郷が比較的寒冷な気候であったからだろうか。ヴァージルとしては、むしろ高湿度に悩まされた夏場よりは快適な環境で、むしろ冴え冴えと澄んだ空気が心地よく感じていた。凄然とした夜空を見上げれば、満点の星空が無限に広がっている。プライベートではなかなか会えずにいる日常の中、愛しい彼の宝物のことを思ってふと見上げた空の美しさに気が付いたときには、次に会えた日には一緒にこの空を……と願わずにはいられなかった。
 異変に気付いたのは、雪が降り積もってからしばらく経ってからのことだった。いや、正確に言うともっと前から違和感には気付いていたのかもしれない。凛とした立ち居振る舞いが板についてきたアンジュは、女王としての貫禄をも身につけつつあった。女王候補として飛空都市にやってきた頃はその資質を疑問視する声もちらほらと聞こえたが、今ではそんなことは遠い昔の話である。誰もが彼女をこの令梟の宇宙の女王として認め、敬愛している。それは、彼女の守護聖であるヴァージルとて同じこと。優しく、でも冷静に的確な指示を出すアンジュに付き従うまでだ。だか、辺境の惑星で起こる異常の調査を命じられ、うやうやしく頭を下げたときにチラリと見えた彼女が肩を小さく振るわせているのを見て、少し違和感を感じたことを覚えている。その時はまだ確信を持ててはいなかった。なぜなら、おや?と思ってもう一度見つめた時、彼女はこれまでと何ら変わりなく微笑み、労いの言葉をかけていたからだ。端末でのやりとりでは全く予兆を感じさせない中、それが確信に変わったのは聖地を離れる直前のことだった。

「……え、最近のお姉さんについて?」

 辺境の惑星では、異常な気象現象とそれに伴う生態系の破壊の兆候、争い、そして作物への被害が起こっていた。調査に派遣されたヴァージル、カナタ、ミランの3人はともに分担しながら現地の状況を見極め、ときに人々に手助けをし、必要な力を模索する日々を送っている。ようやく、目処がつき、宿で一息ついたときついヴァージルは気になっていたことをこぼしてしまった。

「ええ、杞憂だといいのですが。彼女、少し様子がいつもと違ったので」

 端末でのやりとりは続いていた。そちらは、大丈夫ですか?聖地は今日も平和です。サイラスがかまくらを作りたいというので戸惑いました。あ、かまくらというのはバースで……そんな何気ないやりとりを愛おしく思い、そっとひとり微笑んでしまった。しかし、だ。ここ2日返信が途絶えてしまったのだ。別にこれまでだって返事がこないことはあったのだけれど。ここにくる前に気付いた違和感がどうにも気になって、居ても立っても居られない心地になる。

「オレはいつものお姉さんだなって思ったけど……あ、でも」
「でも?」
「寒いのが苦手なのかも。生姜湯の話をしたら、目を輝かせててかわ…」

 思わず、カナタは口元を抑えた。可愛かったその言葉を口にしようとしたとき、ヴァージルの目の色が変わったのに気付いたからだ。危ない、危ない。ジルさん、意外と嫉妬するタイプなんだよな……苦笑いで誤魔化そうとカナタは無理矢理にこにこと不自然な笑みをつくる。と、そこにそれまで宿の犬と戯れていたミランが口を挟んできた。

「あ〜〜、ヴァージルがカナタをいじめてる」
「ミラン、人聞きが悪いことを言わないでもらえます?」
「え〜、だって事実だよ。眉間にシワなんてよせちゃってさ。カナタ、怖がってたよ」

 ね、と同意を求められカナタは余計にややこしいことになったと頭を抱えたくなる。そんなカナタの様子を見て、さすがに自分が大人気なかったかとヴァージルは小さくため息をついて己を憂いた。カナタはアンジュと同じバース出身である。それゆえか、時々故郷の話で花を咲かせているのを見かけるし、カナタ自身もアンジュに懐いているのは明白な事実だ。だからといって、未成年相手に何をしているのか。アンジュのこととなるとこうだ。止められない自分に呆れるしかなかった。

「……すみません」
「うんうん、謝ってえらいよ、ヴァージル」

 満足気にうなづいたミランは、直後うーんと唸ってから言葉を続ける。

「でもさ、確かに寒いのは苦手なのかも。僕もアンジュがこっそりかいろ?っていうやつ使ってるのこの前教えてもらったよ」
「かいろ??」
「あ、バースでよく使われてる暖をとるための道具です」
「……なるほど」

 これまで感じた違和感が結びついていく気がした。それならば、彼女の手が凍えるほど冷たかった理由にも納得がいく。ならば…とヴァージルは離れたところにいるアンジュのことを考え、思いを巡らせた。

◇◇◇◇◇

 聖地へと帰還したヴァージルを出迎えたのは、最愛の陛下ではなくその補佐官だった。そのことに疑念を抱き、陛下は?と尋ねると、陛下は政務で忙しいので代理できましたと冷静に返される。今までどんなに忙しくても、欠かさず出迎えてくれたのに何事かと食い下がれば、ヴァージル様まずは報告が先ですよと嗜められた。優秀なアンジュの右腕は、今日もテキパキと役目をこなし、取り付く島もない。

「ヴァージル、また眉間にシワだよ〜」
「この状況で、焦らずにいられます?」
「でもさ〜、そんなにソワソワしてると余裕がない男って思われちゃうんじゃない?」
「……っですが」
「ま、まあまあ。ホントに手が離せないのかもしれないですよ!」

 取れない連絡。姿を見せない恋人。思い通りにならない事態にイライラが募る。だが、年下ふたりに諌められてなんとか落ち着きを取り戻した。アンジュのこととなれば、自制が効かない自分がもどかしかった。

◇◇◇◇◇

「報告、ありがとうございました。皆様の働きで状況は好転しています。今日は、ゆっくりおやすみください」

 一通りの報告を済ませ、ようやく今回の仕事がひと段落がついた。さてと、僕はすぐに帰ろうかな〜、カナタはどうするの?などとミランとカナタが語らう傍で、ヴァージルの気はおさまらずむしろ時間が経てば経つほどに焦りが募っていた。そんな時だった。

「ヴァージル様、お話が」

 声をかけてきたのは、サイラスだった。一体こんなときになぜ?怪訝な表情を浮かべるヴァージルに臆することなく、サイラスは耳打ちする。

「実は、アンジュ様が……」

 サイラス!それは…とレイナの焦る声はどこ吹く風。告げられた言葉を聞いた瞬間、ヴァージルは駆け出していた。

「え、なになに?」
「ジルさん、はやっ」

 気付いたときには、ヴァージルの姿はそこにはない。

「サイラス!黙っているように言われたでしょう!」

 珍しく焦るレイナと、飄々と笑顔を浮かべるサイラス。そして、事態が飲み込めずに戸惑う2人の守護聖だけがその場に残されたのだった。

◇◇◇◇◇

「……アンジュ!!!」

 勢いよく扉が開け放たれたかと思えば、カツカツとこちらに向かう足音が響いてくる。ヴァージル様、お待ちください!などと焦る声が聞こえてきてアンジュは目を覚ました。覚醒したばかりで思考がぼんやりとしたまま、身を起こして騒ぎの方を見やると、そこには取り乱した恋人の姿があった。

「……ヴァージル? どうしたんですか?」
「それは俺のセリフです! 熱を出したと聞きましたが」

 ヴァージルはベッドサイドに跪くと、にわかに自身の手をアンジュの額に当てた。突然のことに呆気に取られるアンジュを差し置き、そのまま彼女の手を取って、はぁぁぁと大きくため息をつく。

「熱は…下がったようですね」
「今朝にはもう」
「いや、でもほんの少し顔がいつもより赤いような…」
「それは……ヴァージルが触れるから…」

 もう、こうなるって分かってるからレイナには口止めしたのに。などと言い訳を口にするアンジュをヴァージルは抱きしめた。

「とにかく、あなたが無事でよかった…」
「そんな、大袈裟ですよ」
「いいえ、あなたからの連絡が途絶えてから気が気ではありませんでした。何度、任務を放り出して帰還しようか悩んだことか」
「え、まさか…」
「そんなことするはずがないでしょう。あなたが望まぬことは、決してしません」
「で、ですよね」

 あはは、と苦笑いを浮かべるアンジュに、ヴァージルはほんの少し恨めしい気持ちになる。自分がいかに彼女のことを気にしているのか、彼女を失うことを恐ろしく思っているのかまったく伝わっていない気がしたのだ。だが、自らの手の中にあるギュッと握りしめたやわらかな手があたたかくて、それだけでなんでも許せてしまうような気持ちになる。

「疲れと…寒さが原因ですか? ここ最近、ずっと寒さを我慢されていたんですよね」

 じっと、アンジュの瞳を見つめてヴァージルは問いかける。

「どうしてそれを…?」
「あなたのことは、誰よりも見ているつもりです。別れの前、とても手が冷たかったので」
 本当はそれだけではないが、そこはあえて隠しておいた。アンジュはバツが悪そうにぽつりと返す。
「そう…かもしれないです。あと、かまくらを作ったときに冷えてしまったみたいで」
「かまくら……サイラス…」
「あ、あの! 最初に言い出したのはサイラスなんですけど、私も結構ノッてしまって。ごめんなさい。部屋の中があったかいから大丈夫かなって油断したんです。いつもは炬燵があるから全身あったまってポカポカできたんですが、ここにはそれもないし」

 だから、サイラスのことは……必死に弁解するアンジュにヴァージルは微笑んだ。そうか、サイラス…考えたことは胸の奥に秘めておく。

「あなたがそういうのであれば、わかりました。あなたの体はあなただけのものではないので、気をつけてください」
「……はい。女王として自覚が…」
「それだけではありません。俺の恋人とのとしても…です」
「…………はい」

 照れて俯くアンジュに、ヴァージルはひとつ口付けを落とした。その一瞬の触れ合いに、アンジュはほんの少し名残惜しく思うが、まだ病み上がりであることを思い出し、自制する。そのかわり

「ヴァージル、こちらに」

 離れようとするヴァージルを呼び止め、手を伸ばすとその頭を優しく撫でた。

「おかえりなさいが、まだでしたね。無事に帰ってきてくれて、ありがとう」
「……ええ。あなたのヴァージル、ただいま帰還しました」

 まだ、陛下は病み上がりです!慌てて追いかけてきたレイナと、野次馬にやってきた者たちが部屋に乱入するまでのしばしの間。穏やかな時間がふたりを包んだ。

◇◇◇◇◇

――後日。

女王・アンジュの私邸に運び込まれてきたのはどこかの誰かを思わせる色合いをした炬燵だった。ヴァージルとサイラスが追いかけっこをした末に、通販されたものであるとかないとかまことしやかに噂が流れているが、真相は闇の中である。しかし、女王が炬燵を大層気に入ったことは事実である。それはもうかなりの気に入りようで、執務にあたる時以外は片時も傍を離れない勢いだとか。

「……アンジュ」
「どうしました? ヴァージル」

にこにことご機嫌で炬燵に入り、ミカンの皮を向くアンジュとは裏腹。ヴァージルは恨めしげに炬燵へと視線を向けている。

「今日は、俺と星を見に行くと約束しましたよね」
「……そうだったような」
「……だったような、ではなくそうなんです」
「炬燵で一緒に映画を見るのは?」
「それも魅力的ではあるのですが、前々から約束していましたよね?」
「…………はい」

そう、炬燵が部屋に届いて以来アンジュは炬燵の虫状態。やっと訪れたふたりの時間も炬燵の中で過ごしている。何とかして彼女を炬燵の外に出したいヴァージルと、何とかして部屋デートに持ち込もうとするアンジュの攻防戦は続いていた。

「アンジュ、俺は朝からずっと説得しいるのですが…」
「そうですけど、まだ日の入りには早いし…」
「そんなこと言って、先週も炬燵から外に出なかったじゃないですか」
「だって、炬燵が話してくれなくて…」

おもむろに外へ引っ張り出そうとヴァージルは強行突破を試みるが、それを察知したアンジュは炬燵へと潜り込み、顔だけをだして抗議する。

「ヴァージルは炬燵、嫌いですか?」

(どこまでが計算か分からないが)無垢な瞳を向けられ、目を逸らしながらヴァージルはため息をついた。

「嫌いではありませんが……」
「ヴァージルは、私が嫌がることを無理強いする人なんですか?」
「……それは」
「ふたりでくっついて、入りません?」

こっちこっちと手招きをされ、抗えない誘惑に負けてしまう。もう一度、大きなため息をもらしたあと、ヴァージルアンジュを包み込むように抱いて腰を下ろした。

「あったかいですね、ヴァージル」

上機嫌でミカンを頬張り、ヴァージルもどうぞとひと房のミカンを手にとって振り返ってくる。何も言う気になれず、ヴァージルは黙って口を開き、ミカンを受け入れた。

「炬燵で食べるミカンは最高ですね! そうだ、福笑いでもします? お正月の遊び、一緒にしません?」

提案するや否や立ち上がろうとするアンジュを抱きしめ、ヴァージルはため息をつく。ああ、どうにも自分は彼女のペースに弱い。弱いのだが……

「遊びもいいですが……アンジュ。俺とくっついていたかったのでは?」

腕の中に、愛しい者を閉じ込めて。ヴァージルはそっと口付けを送った。
3/4ページ
スキ