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ゼノアン

最近のゼノは浮かれている。
そわそわと落ち着かない素振りを見せたかと思えば、(カナタからみればギョッとするくらいどこか色気を含んだ眼差しで)そっと優しく微笑みながら鼻歌を歌っている。今は隣でコントローラーを握り集中する様子をチラリと盗み見ながら、カナタは先日の光景を思い返した。

あの日、カナタは森の湖に向かっていた。日の曜日なのをいいことに、前日の夜から明け方までゲームに没頭してしまったのだ。さすがに目にも身体にも悪いことをしてしまったと反省し、少しでも身体に良いことをしようと思ったのである。飛空都市は今日も快晴。日差しが寝不足の身体には少し眩しいくらいだ。バースでは、夜更かしすると親から注意されたものだが、ここではそうはいかない。最近、運動不足な気がするし、ここはジルさんとランニングでもするかな、なんて考えながら欠伸を噛み殺し、湖へと続く道を真っ直ぐに向かっていると前方に気配を感じた。

(まあ、デートスポット? だし……)

別のところにするか、それとも。そう思案しながら歩き続けていると目の前にふたり組が見えた。やっぱりカップルか。少しの好奇心に負けて、ふたりに視線を向け、カナタは驚いた。ふたりが自分のよく見知った顔だと気付いたからだ。仲良く、手を繋ぎながら歩みを進める様子を見てドキリと胸が跳ねる。

(え?マジ? あれってゼノとお姉さん?)

女王候補と守護聖が親交を深めるためデートのような交流をするのは当然のことである。最初は戸惑っていたカナタも今ではそれが当たり前だと思っているし、実際にアンジュやレイナとカフェテラスだとか公園だとかに足を運んだこともあった。しかし、それとこれは話が違うことは一目瞭然だ。手を繋ぎ、身を寄せ合い、時には笑い合っているふたりからは幸せそうな初々しいカップルオーラが漂っている。

(いやいやいや! カップルオーラって、オレ何いってんの、恥ずっ)

思わず自分にツッコミを入れながら、もう一度ふたりを見れば、いつの間にか指と指を絡ませあったいわゆるカップル繋ぎをしていてカナタは頭を抱えたくなった。

(待って、これってつまりそういうこと……)

そういえば、最近のゼノは何かと機嫌がよかったな。とか、この間のポットラックパーティの時はやたらとふたりが視線を合わせてたなとか、あれ?お姉さんの首元に輝くピンク色の石がついたペンダントって……と事実に気付いてしまえばつまりそうだとしか思えないことが次々と思い出される。よかったじゃん、ゼノという気持ちとは裏腹に秘密にされていた事実に少しだけ寂しさを感じてしまうのは気のせいだろうか。バースの友達に彼女ができた時もこんな気持ちだった気がする。何だか落ち着かなくなってきて、カナタはこっそりと道を引き返した。


――というのが、ことのあらましである。


それからも、カフェテラスで仲良く食事をしているふたりがいわゆる食べさせあいっこをしているところを目撃してそそくさとその場を離れたり、アンジュに用事があることを思い出して部屋に向かったときに話し声が聞こえてきて引き返したり、カナタは知ってしまったばかりにあらゆることに気づくようになってしまった。聞きたいけど、聞けない。もどかしい気持ちを抱えていたところ、ゼノから今日は一緒にゲームしない?と誘われたのだ。

「……カナタ! カナタ!」

突然、ゼノに名前を呼ばれてカナタははっと画面に視線をあげた。カナタが操るキャラクターがノックアウト状態で倒れている。慌ててコントローラーを動かすが、時すでに遅くかなりのダメージを負っていた。

「あー、やばっ」
「急にぼーっとしてどうしたのさ」

コントローラーを操る手は休めず、ゼノが問いかけてくる。

「んー……いや、なんでもない」
「なんでもないのに、カナタがゲームの最中にぼーっとする?」
「ほんと、大丈夫だって」

カタカタとコントローラーを操る音が鳴る。何を言ってもなしのつぶてだと諦めたのかゼノはそれ以上何も言わなかった。ただ、ゲームのBGMとコントローラーを操作する音だけが部屋中に響き渡る。

「ゼノ、そっち」
「OK、まかせて」

連携が上手く成功すると気持ちがいい。ひと段落ついて、ふーっと背伸びをしたあと、かわいた喉に冷えたジンジャーエールを流し込めば、炭酸の弾けるような刺激が喉越し良く伝っていく。キレのいいこの味がカナタは好きだ。隣では、ゼノも同じようにオレンジスカッシュで喉を潤していた。チラリ、と視線を感じて思わず逸らす。しまった、わざとらしかったかも。そう思って、再びゼノの方を見遣れば、

「あのさ、もしかしたら俺の間違いかもしれないけど」

と意を決したような表情を浮かべるゼノの視線があう。

「んーー?」

わざと気のないような返事を返して、誤魔化すためにもう一度ジンジャーエールを口に運ぶ。が、ゼノはそれを意に介さずに続けた。

「最近のカナタ、何か悩んでるよね。心ここにあらずって感じだし」

誰のせいで、という言葉は飲み込んだ。代わりに、どうすれば分からないから誤魔化すことに従事する。

「さっきも言ったけど、そんなことないって」
「でも……」

触れてくれるな、とばかりに突っぱねるカナタにこれ以上踏み込もうか、踏み込まずにいようか。ゼノは迷っているようだった。ちょっと悪いことしたかな。でも、そもそもは……カナタもぐるぐると相反する感情に押し黙る。沈黙を破ったのは、やはりゼノからだった。

「そうだ、これ」

ポケットの中から取り出したのはひとつのアクセサリーだ。青を基調としたレザーのブレスレットは、カナタの好みによくあっている。

「え、これ何?」
「よかったら、カナタにって思って。この前、アンジュと一緒に作ったんだ」
「……アンジュと?」
「うん、その前は盆踊りっていうダンスを教えてもらったよ。バースの文化って、面白いね」

え、ふたりで何してんの?
ふたりって恋人同士なんじゃ……?

カナタの脳裏に白とピンクでまとめられたアンジュの私室が浮かび上がる。あの、部屋で?ゼノとアンジュが?あまりにもミスマッチで、想像が追いつかなかった。

「それ、アンジュもかっこいいって褒めてくれたんだ」

受け取ってしげしげとブレスレットを眺める。確かに、器用なゼノが作ったそれは店で売っているものと遜色ない。だが、

「あのさ、ゼノ。これ、すっげー嬉しいんだけど」
「ん? なんか、不味かった?」
「こういうのはさ、お姉さんにあげなよ」
「え、アンジュに? どうして?」
「どうしてって、ふたりってつき……」

あっ、と思った時には後の祭りだ。慌てて口許を抑える仕草をとったもの不味かったのだろう。硬直するゼノにかける言葉が見つからず、カナタは先程までとはまた別の意味で焦った。

「…………あのさ、ゼノ」

何とか、フォローを試みようとするもののゼノは顔を真っ青にして黙り込んでいる。こういう時は、落ち着くまで待った方がいいだろう。弟と揉めた時のことを思い出して、カナタは待つことを選んだ。やがて、ゼノが重い口を開く。

「……カナタ、知ってたの?」
「あー、まあそういうこと」

何となく、確信は口にしづらくて濁してしまう。

「どこで知ったの?」
「どこでっていうか。ゼノとお姉さんが手を繋いでるとこ見てさ」
「え、見てたの!?」

そんな、え?あれを??
真っ青にしたかと思えば真っ赤に染めて。面白いくらいにゼノが混乱している。そんな様子に、カナタは逆に自分が冷静になるのを感じた。

「いや、だって湖行くまで普通に繋いでんじゃん。誰でも気付くって」
「……油断、してた…」

――お願い、カナタも知ってると思うけど今アンジュは大事なときで俺のせいで邪魔したくないんだ。

縋り付くように見つめられ、思わずカナタは笑う。

「心配しなくても、誰にも言わないって」
「ほんと? バレたのがカナタでほんとによかった」
「まあ、いまのとこ気づいてんのオレだけだと思うし」
「〜〜〜カナタ!」

ありがとう!と手を握られ、カナタは照れ隠しに視線を逸らしながら代わりに問いかけた。

「で、ゼノはお姉さんのどこが好きなわけ?きっかけは?」

最初は、照れ隠しで聞いたはずなのに声に出してみると本気で気になってきてカナタはからかい半分で追求する。普段はゼノの方がお兄さんぶるところがあるが、今は立場が逆転しているのも新鮮だ。照れながらアンジュへの思いを語るゼノの表情は幸せに溢れている。好きで好きで堪らない。アンジュじゃないとダメなんだ。そんな気持ちが伝わってきて、カナタはそっと微笑んだ。

「ゼノ、よかったじゃん。オメデト」

一瞬驚き、言葉を止めるゼノに続けてカナタは言った。

「ゼノ、たまに心配な時あるし。お姉さんがいれば大丈夫そうじゃん?それに、お姉さんもさ。ゼノがいれば大丈夫だと思う」

そんなカナタの言葉に、ゼノも力強く頷く。

「うん、アンジュのことは任せて。俺、彼女を守れるくらいにもっと強くなるよ」

決意がこもった瞳に、ああきっとこれから先。何があってもゼノとアンジュはふたりで乗り越えていくんだろうとカナタは根拠はないけれど確信した。そして、自分はそんなふたりをずっと傍で応援していくのだ。友達が少しだけ、遠いところに行ってしまう気がしてほんの少しだけカナタは寂しいような嬉しいような気持ちになる。だが、

「カナタも。これからも、よろしく!」

真っ直ぐに告げてくるゼノに、スっと胸の奥が晴れていくような気がした。

◇◇◇◇◇

アンジュとの関係をカナタに見抜かれていたことが発覚してからちょうど一週間が経過し、再びの日の曜日。あくまで守護聖と女王候補の関係を装いながらゼノは恋人であるアンジュの部屋を訪れていた。

何度訪れても恋人の部屋のソファに座ればふわふわと落ち着かない気持ちになる。白とピンクを基調とした部屋はいかにも女の子の部屋にいるな、という気持ちになるし部屋中から香る少し甘くてどこか爽やかな香りはいつも恋人が纏っているものだ。そんな部屋で落ち着けるはずがない。

だが、今日のゼノはそんなふわふわとした気持ちの裏に決意を秘めていた。カナタのことを、アンジュに言わなければならない。だから、ドリンクを用意するために席を外しているアンジュをソワソワと待ちながら、ゼノはいつもとは違う緊張感で余計に落ち着かない気持ちになっていた。

だが、決意とは裏腹になかなかそのきっかけは掴めなかった。定番となったオレンジスカッシュが振る舞われ、さあ言うぞ、と決意するものの、先にアンジュから、今日は何をしよっか?そうだ、一緒にフラワーリースを作ってみない?と提案されれば、頷くことしか出来なかった。すぐにサイラスに頼んで用意してもらったというキットとたくさんの材料の花を目の前に用意されると、ゼノは途端にやる気が漲ってきてそちらに集中してしまう。どの花にしようか、とアンジュとともに花を選び、やり方に戸惑う彼女に、ここはこうするんだよと教えながらともに手を動かしてモノづくりをすることが楽しくて堪らなかった。好きなことを、好きな人とすることがこんなにも楽しいものであることを、アンジュとともにいることでゼノはあらためて実感している。故郷の家族や、仲間たちとモノづくりをするときも勿論楽しかった。だが、それとはまた別の、心の底から湧き上がってくる愛おしい気持ちが、ゼノの心に小さな灯りを点してくれるのだ。

しかし、いつまでも現実から目を逸らしているわけにはいかない。作業も終盤に差し掛かって来た頃、動かす手を止めて、ゼノはアンジュに声をかけた。

「あのさ、アンジュ」
「ん? どうしたの? あらたまって」

動かす手を止めずに問い返してくるアンジュに、ゼノは一瞬、言葉を詰まらせる。だが、意を決して言葉を続けた。

「実は、俺たちのことがバレてたんだ」
「……えっ?」

アンジュの手が止まり、驚いた顔をゼノの方へと向けてくる。

「カナタに。湖に行く時、手を繋いでたところを見られちゃってたみたいでさ。……君とデートできるのが嬉しくて。俺、油断してたね」

気をつけなきゃいけなかったのに。

「アンジュにとって、今は大事な時なのに。ごめ……」

だが、ゼノの言葉はアンジュによって遮られた。

「謝らないで」
「……でも」
「浮かれてたのは、私も一緒だよ。もしかしたら、誰かに見られるかもしれないなって思ってたのに、嬉しくて。私自身の事なのに、私も覚悟が足りなかった。だから、お互い様」

そっと手が重ねられて、ゼノはアンジュの手をぎゅっと握り返した。

「カナタは、なんて言ってた?」
「誰にも言わないって。それから、おめでとうって言ってくれたよ」

やわらかく微笑みながら、祝福されたときのことを思い出せば心があたたかくなる。そんな、ゼノの様子から己の心配が杞憂であったことを察したのだろう。どこか強ばっていたアンジュの表情が解れていくのをゼノは感じた。

「そっか……カナタ、優しいね」
「カナタは優しくて、良い奴だよ」

そう言葉にした途端に、どこか晴れやかな気持ちになる。握りしめた手の指と指を絡め合わせ、ゼノはアンジュに視線を合わせる。

「前にも話したことがあるけど、俺は君の真っ直ぐで優しいところが大好きだよ。君のおかげで、俺は自分の悲しみに向き合えた。好きだって気持ちを、強さに変えられる力をもらえたんだ」

きっと、アンジュに出会えなかったら悲しみを誤魔化したままだった。自分の気持ちに蓋をして、いつか見ないことにした己の感情に飲み込まれてしまっていたかもしれない。

「だから、カナタにバレたって分かった時はちょっと焦ったんだけどさ。カナタに君とのことを肯定してもらえてすごく嬉しかった」
「ゼノ、カナタと仲良しだもんね」
「うん。友達に認めてもらったっていうのかな。それが、すごく嬉しいんだ」
「私も、嬉しいよ。これからどうなるのか分からないけど。きっと奇跡は起こるって信じてるけど。それでも時々不安になるもの。でも、私たちのことを応援してくれてる人がいるってすごく心強い」

屈託なく笑うアンジュに、ゼノも微笑み返した。彼女のこういうところに惹かれて、強さをもらったのだ。だからこそ、ゼノは思う。彼女にもらった向き合う強さを、今度は自分も返したい。強くなって、守りたい。

「あのさ、アンジュ」
「どうしたの?」

アンジュの眼差しは、ゼノの気持ちを落ち着かせてくれる。意を決して、ゼノは己の気持ちを口にした。

「俺、強くなるから。もっと頼れる男になって、君のことを支えるからね」

それに、カナタのことも。
どこか、心の奥底で。ゼノはカナタのことを羨ましいと思っていた自分に気付いていた。

――俺には帰る故郷はもうないけど、カナタの故郷はまだ今もある。故郷を同じくする人々がいる。

誰かに優しくすることで、自分を保っていた頃、ゼノはカナタに優しくすることで、カナタを救った気持ちになっていたけれど。それはどこか利己的な感情だったのかもしれない。

でも、今は違う。
心の底から、カナタが悲しみにちゃんと向き合って前に向かって進んで欲しいと、彼の友達として、心の底から願うことができた。それは、目の前にいるアンジュのおかげだ。

「ありがとう、ゼノ」

そっと、アンジュのやわらかな身体を抱きしめる。腕の中にすっぽりと包み込むことができる己よりも遥かに小さく華奢な身体を感じ、愛おしさが胸の奥底から湧き上がってきた。

「アンジュ、好きだよ。君が、大好きだ」
「うん、私も。私もゼノのこと、大好きだよ」

――完成したら、俺が作ったカスミソウのリースを彼女は受け取ってくれるだろうか。

俺の大事な恋人と、友達が幸せでありますように、とゼノは祈る。

そっと、ふたりの唇が重なり合った。

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