ゼノアン
トントントン、リズミカルにキャベツを刻む音がキッチンに響き渡る。チクタクと音を奏でる時計の針は午後9時半を指していた。
「ゼノ、そっちはどうー?」
動かす手は止めず、アンジュは呼びかけた。彼女が視線を向けた先からは、ジュージューと芳ばしい匂いを漂わせながらクリームコロッケが揚がる音が鳴っている。
「バッチリだよ! すごくいい匂い。早く君と食べたいな」
ふんふふーんと鼻歌混じりで、ゼノが言葉を返した。楽しげに、でも慎重な眼差しで鍋の中を見つめて一つ、また一つと黄金色の衣を纏ったクリームコロッケの状態を確認している。
「そろそろ、揚がりそう?」
「うん、もう少しだ」
分かった!アンジュがそう答えるや否やザクッザクッというキャベツの小気味良い音のテンポが早くなる。さっと、手際よくお皿に飾り付け、アンジュはそのまま皿を手にしてゼノの傍に向かった。ゼノは先程よりも真剣な面持ちで息を凝らし、クリームコロッケをすくいあげている。
「どう? 大丈夫?」
「うん。今、真剣なとこ……あ、あつ……!」
「わっ、ゼノ大丈夫っ?」
「うん、大丈夫。ちょっと油断しちゃったね。すぐにあがるよ」
撥ねる油と格闘しながら、ゼノはどんどんクリームコロッケをすくいあげていく。油切りパットの上にはみるみるうちにこんがり揚がって湯気をくゆらせるクリームコロッケが並んでいた。それを、アンジュは一つ一つ丁寧に、キャベツを飾ったお皿に盛り付けていく。最後にゼノがプチトマトをのせて、予め作っておいたソースをかけると完成だ。ふたりは互いに見つめ合い、顔を綻ばせた。
◇◇◇◇◇◇
「んーーーー! 美味しい!ゼノが作ったクリームコロッケ、絶品だね」
「アンジュが作ったこのポトフも、味付けが効いててすごく美味しいよ!」
次から次へと伸ばす手が止まらない。
ともに作った料理に舌鼓をうちながら、ふたりは会話には花を咲かせる。
「でも、ビックリしちゃったよ。ここのところ忙しくてなかなか会えなかったから。突然、どうしたの?」
ゼノの言う通りだった。女王と守護聖として、忙しい日々を過ごすふたりはここのところずっといわゆるすれ違い状態が続いていた。互いのことが気になるもののその思いとは裏腹になかなか会う時間を取れずにいたのだ。
「んー、今日は特別なの。レイナもサイラスも、たまにはゆっくりしたらって」
「え、ふたりが? なんだか、ちょっと申し訳ないけど嬉しいな。今度、ふたりには俺からも感謝しておくね」
「うん、お願い。それより、ゼノ。ほんとに何にも分からないの?」
じっと、まっすぐに見つめられてゼノは内心、焦っていた。おやすみもらったの、明日の夜までずっと一緒に過ごせるよ!眩いばかりの笑顔を浮かべ、アンジュがゼノの私邸を訪れてからずっと。何度かこの問いかけをされているが、さっぱりだった。その度に、アンジュは仕方ないなとでもいうような仕草をし、すぐに何事もなかったように楽しそうに話し始める。今だって、そうだ。
「ね、食べ終わったら何しよっか。ふたりでおやすみなんて久しぶりだからワクワクするな」
怒っているわけではなさそうだし……注意深くアンジュを観察するものの、答えは分からない。そうこうするうちに食事が終わり、ちょっと待ってねと行ってアンジュが冷蔵庫へと向かった。なんだろう、楽しみだな。ゼノは心を弾ませる。
「じゃーん! 実は、プリンを持ってきてました!デザートにどうかな?」
「いいね! じゃあ俺、何か飲み物を準備するよ」
すぐに立ち上がってキッチンへと向かうゼノをアンジュは追いかける。
「アンジュ、待っててくれていいのに」
「いいの、私がゼノと一緒に居たい気分なの」
今日の彼女は、いつにも増して上機嫌だ。久しぶりだから?それともなにか秘密が?俺が気付いていないだけ?時計の針は深夜の10時半を差している。役目を終えてから、ゼノの私邸にアンジュが訪れた時間がかなり遅かったから、今日の夕食は遅めだった。そんなことを考えながら、用意した冷たい飲み物をもってテーブルへと戻る。アンジュが持ってきたプリンは絶品で、頬が落ちそうになるほど美味しかった。
すぐに食べ終わり、今度はふたりであと片付けだ。いつもはお手伝いさんがいるけれど、アンジュとふたりの時間を過ごしたくて帰ってもらった。だから、何でもふたりでこなす必要がある。普段なら少しだけ面倒に感じる皿洗いもアンジュと一緒になら楽しかった。でも、時計の針は午後11時過ぎ。そろそろ眠くなってくる時間だ。小さく欠伸をこぼし、それを隠すアンジュが可愛らしい。先程から瞬きの回数が増えている。今日も一日頑張ったから、そろそろ限界を迎えようとしているのだろう。
「アンジュ、もう眠い?」
「そんなことないよ。もうちょっと起きてる」
最後の皿を拭きながら、少しぼんやりとしながらアンジュが答えた。
「それにお風呂に入らないと。それに、せっかくゼノと一緒なんだから夜ふかししなきゃもったいないし」
「俺は明日も、これからも一緒にいるよ。アンジュ。無理しちゃダメだよ」
「……今日だけ、だから」
せめてあと一時間。
そう頼み込まれればゼノは断ることが出来ない。あと一時間だよ。そう言って、リビングへと移動する。
「何しよっか。何か、見る?」
「パズルは? 作りかけの……」
「ああ、そっか! 持ってくるね」
確かここに……戸棚の中にしまったパズルを取り出してきて机に並べる。時々、ふたりが一緒に作っているものだ。
時計の針は11時半。あと30分。時間を決めて黙々と作業を進める。熱中すると、互いに無言になってしまってチクタクと時計の針の音だけが響いている。あと5分で明日が来る。その時だった。
「ねえ、ゼノ。もうすぐ日付が変わるよ」
「そうだね……? あ、そろそろお風呂?」
「そうじゃなくて……」
もどかしそうに言葉を濁すアンジュの態度に、ゼノは再び考える。明日?今日は、何日だっけ?
「……あっ」
時計の針が0時を指した。はっとゼノが顔をあげる。アンジュと目が合い微笑みを返された。
「やっと気付いた?」
「……うん」
ハッピーバースデー、ゼノ!
そっと頬に口付けられて、ゼノは思わずアンジュの身体を抱きしめる。
「ありがとう、アンジュ」
溢れ出す喜びを言葉にしたいのに、なかなか上手く言葉が紡げない。照れくさくて、嬉しくて。互いに頬を染めてモジモジと互い様子を伺った。
「だから、今日……」
「うん。明日はもっと豪華だよ。私、頑張ってハンバーグもスパゲッティも作るからね」
「嬉しいな。……うん、すごく嬉しい」
ぎゅっと力を込めてアンジュを抱きしめれば、同じだけの強さで抱きしめ返される。
「20歳の誕生日、おめでとう。大好きだよ、ゼノ」
「うん、ありがとう。アンジュ」
目と目があって、自然と唇が惹かれあう。そっと触れたあたたかさがじわりと心に染みて、ドキドキと胸を音が高鳴るを、ゼノは感じた。
◇◇◇◇◇◇◇
力強い朝日が真っ直ぐに差し込んできたあと、チチチっと小鳥のさえずりが聞こえてきて、ゼノは目を覚ました。肌に触れるふかふかのシーツからは、太陽の光をたっぷりと浴びた陽だまりの匂いがする。そして、ほんのりと香る甘い香り。腕の中で眠る桃色の髪をしたゼノの愛しい彼女は、スヤスヤと小さく寝息をたてていた。ゼノは彼女……アンジュを起こさないように細心の注意を払いながら時間を確認し、ほっと息をついた。まだ早朝。起床には早いくらいの時間だ。もう一度、寝ようか。でも、もっと彼女を見ていたい。じっと、眠るアンジュの姿を見つめていると言いようのない愛おしさが溢れてきて、ゼノは思わず、アンジュの頬に口付けた。ぴくり、の瞼が動き思わず心臓を跳ねされるがアンジュが目を開ける気配はない。外は快晴。洗濯物日和だ。アンジュが目覚めたら、一緒に朝ごはんを食べて、洗濯物を干し、のんびりと準備をして出かけよう。そして、夜は……
「何でもない一日がこんなにも愛おしいものだなんて、君と出会うまでは忘れてた。ありがとう、アンジュ」
思わず、ゼノはそう囁くような声で告げた。すると、ゆっくりとアンジュの瞳が開き、イタズラっぽく微笑みを返される。呆気に取られるゼノに、アンジュは言った。
「じゃあ、特別な一日は一緒だともっと特別だね。ゼノ、ハッピーバースデー!」
――生まれてきてくれて、ありがとう。
その瞬間、確かにゼノの目の前には彼だけの天使がいた。
「ゼノ、そっちはどうー?」
動かす手は止めず、アンジュは呼びかけた。彼女が視線を向けた先からは、ジュージューと芳ばしい匂いを漂わせながらクリームコロッケが揚がる音が鳴っている。
「バッチリだよ! すごくいい匂い。早く君と食べたいな」
ふんふふーんと鼻歌混じりで、ゼノが言葉を返した。楽しげに、でも慎重な眼差しで鍋の中を見つめて一つ、また一つと黄金色の衣を纏ったクリームコロッケの状態を確認している。
「そろそろ、揚がりそう?」
「うん、もう少しだ」
分かった!アンジュがそう答えるや否やザクッザクッというキャベツの小気味良い音のテンポが早くなる。さっと、手際よくお皿に飾り付け、アンジュはそのまま皿を手にしてゼノの傍に向かった。ゼノは先程よりも真剣な面持ちで息を凝らし、クリームコロッケをすくいあげている。
「どう? 大丈夫?」
「うん。今、真剣なとこ……あ、あつ……!」
「わっ、ゼノ大丈夫っ?」
「うん、大丈夫。ちょっと油断しちゃったね。すぐにあがるよ」
撥ねる油と格闘しながら、ゼノはどんどんクリームコロッケをすくいあげていく。油切りパットの上にはみるみるうちにこんがり揚がって湯気をくゆらせるクリームコロッケが並んでいた。それを、アンジュは一つ一つ丁寧に、キャベツを飾ったお皿に盛り付けていく。最後にゼノがプチトマトをのせて、予め作っておいたソースをかけると完成だ。ふたりは互いに見つめ合い、顔を綻ばせた。
◇◇◇◇◇◇
「んーーーー! 美味しい!ゼノが作ったクリームコロッケ、絶品だね」
「アンジュが作ったこのポトフも、味付けが効いててすごく美味しいよ!」
次から次へと伸ばす手が止まらない。
ともに作った料理に舌鼓をうちながら、ふたりは会話には花を咲かせる。
「でも、ビックリしちゃったよ。ここのところ忙しくてなかなか会えなかったから。突然、どうしたの?」
ゼノの言う通りだった。女王と守護聖として、忙しい日々を過ごすふたりはここのところずっといわゆるすれ違い状態が続いていた。互いのことが気になるもののその思いとは裏腹になかなか会う時間を取れずにいたのだ。
「んー、今日は特別なの。レイナもサイラスも、たまにはゆっくりしたらって」
「え、ふたりが? なんだか、ちょっと申し訳ないけど嬉しいな。今度、ふたりには俺からも感謝しておくね」
「うん、お願い。それより、ゼノ。ほんとに何にも分からないの?」
じっと、まっすぐに見つめられてゼノは内心、焦っていた。おやすみもらったの、明日の夜までずっと一緒に過ごせるよ!眩いばかりの笑顔を浮かべ、アンジュがゼノの私邸を訪れてからずっと。何度かこの問いかけをされているが、さっぱりだった。その度に、アンジュは仕方ないなとでもいうような仕草をし、すぐに何事もなかったように楽しそうに話し始める。今だって、そうだ。
「ね、食べ終わったら何しよっか。ふたりでおやすみなんて久しぶりだからワクワクするな」
怒っているわけではなさそうだし……注意深くアンジュを観察するものの、答えは分からない。そうこうするうちに食事が終わり、ちょっと待ってねと行ってアンジュが冷蔵庫へと向かった。なんだろう、楽しみだな。ゼノは心を弾ませる。
「じゃーん! 実は、プリンを持ってきてました!デザートにどうかな?」
「いいね! じゃあ俺、何か飲み物を準備するよ」
すぐに立ち上がってキッチンへと向かうゼノをアンジュは追いかける。
「アンジュ、待っててくれていいのに」
「いいの、私がゼノと一緒に居たい気分なの」
今日の彼女は、いつにも増して上機嫌だ。久しぶりだから?それともなにか秘密が?俺が気付いていないだけ?時計の針は深夜の10時半を差している。役目を終えてから、ゼノの私邸にアンジュが訪れた時間がかなり遅かったから、今日の夕食は遅めだった。そんなことを考えながら、用意した冷たい飲み物をもってテーブルへと戻る。アンジュが持ってきたプリンは絶品で、頬が落ちそうになるほど美味しかった。
すぐに食べ終わり、今度はふたりであと片付けだ。いつもはお手伝いさんがいるけれど、アンジュとふたりの時間を過ごしたくて帰ってもらった。だから、何でもふたりでこなす必要がある。普段なら少しだけ面倒に感じる皿洗いもアンジュと一緒になら楽しかった。でも、時計の針は午後11時過ぎ。そろそろ眠くなってくる時間だ。小さく欠伸をこぼし、それを隠すアンジュが可愛らしい。先程から瞬きの回数が増えている。今日も一日頑張ったから、そろそろ限界を迎えようとしているのだろう。
「アンジュ、もう眠い?」
「そんなことないよ。もうちょっと起きてる」
最後の皿を拭きながら、少しぼんやりとしながらアンジュが答えた。
「それにお風呂に入らないと。それに、せっかくゼノと一緒なんだから夜ふかししなきゃもったいないし」
「俺は明日も、これからも一緒にいるよ。アンジュ。無理しちゃダメだよ」
「……今日だけ、だから」
せめてあと一時間。
そう頼み込まれればゼノは断ることが出来ない。あと一時間だよ。そう言って、リビングへと移動する。
「何しよっか。何か、見る?」
「パズルは? 作りかけの……」
「ああ、そっか! 持ってくるね」
確かここに……戸棚の中にしまったパズルを取り出してきて机に並べる。時々、ふたりが一緒に作っているものだ。
時計の針は11時半。あと30分。時間を決めて黙々と作業を進める。熱中すると、互いに無言になってしまってチクタクと時計の針の音だけが響いている。あと5分で明日が来る。その時だった。
「ねえ、ゼノ。もうすぐ日付が変わるよ」
「そうだね……? あ、そろそろお風呂?」
「そうじゃなくて……」
もどかしそうに言葉を濁すアンジュの態度に、ゼノは再び考える。明日?今日は、何日だっけ?
「……あっ」
時計の針が0時を指した。はっとゼノが顔をあげる。アンジュと目が合い微笑みを返された。
「やっと気付いた?」
「……うん」
ハッピーバースデー、ゼノ!
そっと頬に口付けられて、ゼノは思わずアンジュの身体を抱きしめる。
「ありがとう、アンジュ」
溢れ出す喜びを言葉にしたいのに、なかなか上手く言葉が紡げない。照れくさくて、嬉しくて。互いに頬を染めてモジモジと互い様子を伺った。
「だから、今日……」
「うん。明日はもっと豪華だよ。私、頑張ってハンバーグもスパゲッティも作るからね」
「嬉しいな。……うん、すごく嬉しい」
ぎゅっと力を込めてアンジュを抱きしめれば、同じだけの強さで抱きしめ返される。
「20歳の誕生日、おめでとう。大好きだよ、ゼノ」
「うん、ありがとう。アンジュ」
目と目があって、自然と唇が惹かれあう。そっと触れたあたたかさがじわりと心に染みて、ドキドキと胸を音が高鳴るを、ゼノは感じた。
◇◇◇◇◇◇◇
力強い朝日が真っ直ぐに差し込んできたあと、チチチっと小鳥のさえずりが聞こえてきて、ゼノは目を覚ました。肌に触れるふかふかのシーツからは、太陽の光をたっぷりと浴びた陽だまりの匂いがする。そして、ほんのりと香る甘い香り。腕の中で眠る桃色の髪をしたゼノの愛しい彼女は、スヤスヤと小さく寝息をたてていた。ゼノは彼女……アンジュを起こさないように細心の注意を払いながら時間を確認し、ほっと息をついた。まだ早朝。起床には早いくらいの時間だ。もう一度、寝ようか。でも、もっと彼女を見ていたい。じっと、眠るアンジュの姿を見つめていると言いようのない愛おしさが溢れてきて、ゼノは思わず、アンジュの頬に口付けた。ぴくり、の瞼が動き思わず心臓を跳ねされるがアンジュが目を開ける気配はない。外は快晴。洗濯物日和だ。アンジュが目覚めたら、一緒に朝ごはんを食べて、洗濯物を干し、のんびりと準備をして出かけよう。そして、夜は……
「何でもない一日がこんなにも愛おしいものだなんて、君と出会うまでは忘れてた。ありがとう、アンジュ」
思わず、ゼノはそう囁くような声で告げた。すると、ゆっくりとアンジュの瞳が開き、イタズラっぽく微笑みを返される。呆気に取られるゼノに、アンジュは言った。
「じゃあ、特別な一日は一緒だともっと特別だね。ゼノ、ハッピーバースデー!」
――生まれてきてくれて、ありがとう。
その瞬間、確かにゼノの目の前には彼だけの天使がいた。
1/3ページ