兼七
「くしゅんっ」
最初に感じた違和感は、思えばあの小さなくしゃみからだった。
「どうした?」
「ちょっと鼻がムズムズして」
本当は、ほんの少しだけ喉の奥がつまるような気がしたけれど。
令和の世では部活で鍛えていたし、こちらの世界に戻ってからも穢れの影響を受けた以外ではほとんど体調を崩すことがなかった。
だから、少しくらい大丈夫だろうと軽く考えてしまったのだ。
「……身体を冷やしたのかもしれないな。早く家に戻ろう」
この時の私は兼続さんの妻として立派につとめを果たそうと気負いすぎていた。
だから、優しく頬に触れ、熱を確かめてくれた彼の優しい声に
「今日はあともう少しだけですし、まだ大丈夫ですよ!」
と逆らってしまった。
そして、その結果。
私はこの世界に戻ってきてはじめて熱を出してしまったのだ。
霜月:林檎
朝、目が覚めてからすぐに七緒は体調の異変を感じた。
頭がぼうっ…とする。
全身の節々がだるく、感覚が敏感になり、唾を飲み込むたびに喉にトゲが刺さっているような痛みを感じる。
完全に風邪だ。
いつもなら、日が昇る少し前には目を覚まして隣で眠る兼続の寝顔を確認したあと、朝食の準備を手伝いに厨へと向かうのが米沢で暮らし始めてからの七緒の日課だった。
最初は奥方様にそんなことは・・・と断られていたものの今ではそれが直江家の朝の日常となっている。
朝食ができたあとは兼続を起こしに向かい、少しだけ夫婦2人きりの時間を過ごしたあと家族で朝餉をとり、兼続を見送るのだ。
しかし、その日は起き上がることができなかった。早く起きなければ・・・と思うのに身体が言うことを聞いてくれない。
そうこうしている間に常ならば厨に訪れるこの家の女主人の姿が見えないことに気づいた者が様子を伺いに訪れ、そのあとはあれよあれよという間に熱があることが発覚してしまった。
そんな朝の出来事から数刻後。
少しの間眠っていたのだろう。
七緒が目を覚ますと、そこには甲斐甲斐しく義母の世話を焼くあやめの姿があった。
「・・・あやめちゃん」
「お義母さま!どうかされましたか?」
「兼続さん、ちゃんとお仕事に向かった?」
新妻に熱があることが分かって、最も取り乱したのは夫である兼続だった。
医者を呼ぶように手配し、無理をさせたことを詫び、今日1日自分が傍についていると言って譲らなかったのだ。
「お義父さまはちゃんとお仕事に向かわれましたわ」
「・・・そっか、よかった」
七緒はそっと息をつく。
「お義母さまが眠ったあとも少し躊躇われておりましたけど、あやめがちゃんと留守の間お義母さまをお守りしますとお約束したので、引き下がってくれました」
まかせてください!
と胸を張るあやめに七緒は微笑む。
「ありがとう。あやめちゃんがいてくれて頼もしいよ」
「まあ、そんなお義母さま!あやめは嬉しゅうございます!」
ああ、やはり彼女が娘になってくれてよかった。ぼうっとする思考の中そう実感する。
最初は関係が変わってうまくやっていけるのか少し不安だった。しかしそれは杞憂だったようだ。あやめはこれまでと変わらず七緒のことを慕ってくれるし、七緒もあやめに対してこれまでに慈愛を感じた。
「でも、あんなに取り乱したお義父さまは久しぶりに見ました。お義母さまのことが本当に大切なのですね」
愛とは素晴らしいものですわと微笑まれ、ぽっと顔に熱が集まる。
いたたまれない気持ちになって七緒は布団を手繰り寄せた。
そんな義母の様子を微笑ましく思っているのだろう。姿こそは見えなくなってもにこにこと微笑むあやめの気配を感じ取り余計に照れてしまう。
だが、照れてばかりもいられない。
コホッと咳が出て、息苦しさから七緒は布団から顔を出す。
そこには先程までとは一転心配そうにこちらの様子を伺うあやめの姿があった。
「お医者様はお昼すぎにはいらっしゃると聞きました。それまでゆっくりお休みくださいませ」
「うん・・・ごめんね、そうさせてもらうよ」
「あやめは近くで控えておりますから、何か御用があればすぐに仰って下さいね」
「・・・ありがとう」
そっと目を閉じる。
パチパチと火鉢から炎が弾ける音が聞こえる。部屋の外からは屋敷の者たちが生活を営む音や声が聞こえてきた。早く、いつもの生活に戻らないと。そんなことを考えながら、七緒の意識は深い眠りへと落ちていった・・・
………………………………………
ひんやりとした柔らかい何かが額に触れ、深い眠りの底にいた七緒の意識はふっと現実へと引き戻された。
熱で火照った身体に染み渡る冷気が心地よい。しばらくの間、うとうとと夢と現実の狭間で心地よい流れに身を任せていると、誰かの手が頬に触れるのを感じた。
この手は・・・もしかして。
予感を感じ、七緒はゆっくりと目を開く。
ぼんやりとぼやけた視界が次第に晴れ、よく知った顔が少しずつはっきりと形を成していく。優しく微笑まれ、七緒は思わずその名を呟いた。
「・・・兼続さん?」
「ああ、俺だ」
「・・・・・・ほんとうに、兼続さん?」
「そうだ。七緒、体調は?」
兼続の手が再び七緒の頬に触れる。
少し低い体温が、熱をもった身体には気持ちがいい。
「七緒…?」
ぼうっとそんなことを考えていて返事が遅くなったからだろう。優しく微笑んでいた兼続の表情はみるみる険しいものに変わる。
「まだ辛いのか?薬は?もう飲んだのか?」
常日頃の彼とは違い、取り乱している様子に七緒は慌てて身を起こし、首を横に振る。
「大丈夫ですよ、お薬はちゃんと飲みましたし、また熱はあると思いますけど、今朝よりは楽になりました!」
「なら、いいんだが・・・君にもしものことがあればと考えて肝を冷やしたぜ」
そっと、身体を包み込まれる。
ほんの少し離れていただけだが、兼続の逞しい腕に抱かれ、その香りに包まれると身体の緊張がほぐれ、またこうして無事に触れ合えることに喜びを感じた。
「君が無事でよかった」
首元に兼続の息遣いを感じ、七緒は身をふるわせる。いつまでもこうしていたい気持ちに駆られるが、今自分は風邪をひいている身。兼続にうつしてしまっては申し訳ないと、そっと彼の胸を押し返し、身体を離した。兼続もその意図に気付いたのだろう。名残惜しそうに身を引く。
「おかえりなさい、兼続さん。少し早かったんですね」
「君のことが心配で今日は早く引き上げてきた。もちろん、やらねばならないことはちゃーんと終わらせてきたぜ」
「さすがです。また今日会ったことを聞かせてくださいね」
しばしの間、そうやって言葉を交わす。
そんな時間が愛おしくてたまらない。
「それから、お医者様を呼んでいただいてありがとうございます」
「そんなことは当然だ。それより君、今朝からあまり食べ物を口にしていないそうじゃないか」
ぎくっ。確かに兼続の言う通りだった。
朝餉はもちろん、昼に特別に用意してくれた握り飯もほとんど喉を通っていない。
「・・・それは」
「あやめから聞いた。喉が痛むんだろ」
こくり、と頷く。
「ごめんなさい、せっかく皆さんが頑張って作ってくださったお米なのに。このあときちんと食べますから」
「無理はしなくていい。君が気になるというのならば俺が食べよう。だが、栄養を取らないと治るものも治らなくなる」
「・・・その通りです」
兼続の言うことはもっともである。申し訳なさに七緒は俯いた。しかし、そんな七緒に兼続は一転、明るく告げる。
「見てくれ、これが何かわかるかい?」
そこには細かくすり潰され、果汁が甘酸っぱく香ってくるものがあった。
「もしかして、林檎ですか?」
令和の世で、風邪をひいた時よく兄が食べさせてくれたもの。慣れ親しんだものだ。だが、それをここで見ることになるとは思わなかった。
「景勝さまからいただいてすり潰してみたんだ。以前、君の世界では風邪をひいた時林檎をすり潰して食べるのだと聞いた気がして。食べられるかい?」
「覚えていてくれたんですね」
「君から聞いた話を忘れるはずないだろう。ほら、口を開けて」
兼続は匙にほんの少しだけ林檎を掬い、七緒の口元まで運んだ。七緒は気恥しさから少しだけ戸惑ったものの、口を開き、それを受け入れる。
「・・・甘い」
懐かしい味がする。
「甘くて、美味しいです。・・・・・・兼続さん、ありがとう」
懐かしくて優しい味。
「よかった。少しずつで構わないからできるだけ食べてくれ」
やはりまだ少し喉は痛むけれどていねいにすり潰された林檎は食べやすい。
遠い世界での思い出と、目の前にいる兼続の優しさに一度に包み込まれ、堪えきれず七緒はポロリと涙を零した。
「兼続さん、本当に、本当にありがとうございます」
そんな七緒を兼続は優しく抱きしめる。
「君、ここの所ずっと気を張っていただろう」
「それは・・・。私なんてまだまだです。兼続さんや、景勝様、それに毎日田畑を耕して下さっている民の方たちと比べると私なんて…」
まだこちらの世界の文字や習わしですら完璧ではなく、何も出来ていないのに・・・とつぶやく七緒を兼続は優しく抱きしめ、幼子にするように優しく背をたたく。
「君が俺たちのために頑張ってくれていることは十分すぎるほど伝わっている」
「・・・でも」
「君が焦る気持ちはわかる。だが、あまり焦るんじゃない。俺もあやめも、君のそばにいる。米沢の民も君のことを見守っている。ゆっくりでいいんだ」
君は十分頑張っている。
「だから、たまには肩の力を抜いて思いっきり泣いたって構わない」
「・・・兼続・・・さん」
じわりと堰をきったように涙がとめどなく流れ出す。そんな彼女の涙が止まるまで、兼続は優しく彼女の背を抱きしめ続けた。
ゆっくりでいい。
少しずつでいい。
共にこれからの人生を歩んでいこう。
君が俺に希望をくれたように。
俺は君にこれからたくさんの幸せを与えていきたい。
いつか、この地上で。
連理の枝とならんその日まで。
最初に感じた違和感は、思えばあの小さなくしゃみからだった。
「どうした?」
「ちょっと鼻がムズムズして」
本当は、ほんの少しだけ喉の奥がつまるような気がしたけれど。
令和の世では部活で鍛えていたし、こちらの世界に戻ってからも穢れの影響を受けた以外ではほとんど体調を崩すことがなかった。
だから、少しくらい大丈夫だろうと軽く考えてしまったのだ。
「……身体を冷やしたのかもしれないな。早く家に戻ろう」
この時の私は兼続さんの妻として立派につとめを果たそうと気負いすぎていた。
だから、優しく頬に触れ、熱を確かめてくれた彼の優しい声に
「今日はあともう少しだけですし、まだ大丈夫ですよ!」
と逆らってしまった。
そして、その結果。
私はこの世界に戻ってきてはじめて熱を出してしまったのだ。
霜月:林檎
朝、目が覚めてからすぐに七緒は体調の異変を感じた。
頭がぼうっ…とする。
全身の節々がだるく、感覚が敏感になり、唾を飲み込むたびに喉にトゲが刺さっているような痛みを感じる。
完全に風邪だ。
いつもなら、日が昇る少し前には目を覚まして隣で眠る兼続の寝顔を確認したあと、朝食の準備を手伝いに厨へと向かうのが米沢で暮らし始めてからの七緒の日課だった。
最初は奥方様にそんなことは・・・と断られていたものの今ではそれが直江家の朝の日常となっている。
朝食ができたあとは兼続を起こしに向かい、少しだけ夫婦2人きりの時間を過ごしたあと家族で朝餉をとり、兼続を見送るのだ。
しかし、その日は起き上がることができなかった。早く起きなければ・・・と思うのに身体が言うことを聞いてくれない。
そうこうしている間に常ならば厨に訪れるこの家の女主人の姿が見えないことに気づいた者が様子を伺いに訪れ、そのあとはあれよあれよという間に熱があることが発覚してしまった。
そんな朝の出来事から数刻後。
少しの間眠っていたのだろう。
七緒が目を覚ますと、そこには甲斐甲斐しく義母の世話を焼くあやめの姿があった。
「・・・あやめちゃん」
「お義母さま!どうかされましたか?」
「兼続さん、ちゃんとお仕事に向かった?」
新妻に熱があることが分かって、最も取り乱したのは夫である兼続だった。
医者を呼ぶように手配し、無理をさせたことを詫び、今日1日自分が傍についていると言って譲らなかったのだ。
「お義父さまはちゃんとお仕事に向かわれましたわ」
「・・・そっか、よかった」
七緒はそっと息をつく。
「お義母さまが眠ったあとも少し躊躇われておりましたけど、あやめがちゃんと留守の間お義母さまをお守りしますとお約束したので、引き下がってくれました」
まかせてください!
と胸を張るあやめに七緒は微笑む。
「ありがとう。あやめちゃんがいてくれて頼もしいよ」
「まあ、そんなお義母さま!あやめは嬉しゅうございます!」
ああ、やはり彼女が娘になってくれてよかった。ぼうっとする思考の中そう実感する。
最初は関係が変わってうまくやっていけるのか少し不安だった。しかしそれは杞憂だったようだ。あやめはこれまでと変わらず七緒のことを慕ってくれるし、七緒もあやめに対してこれまでに慈愛を感じた。
「でも、あんなに取り乱したお義父さまは久しぶりに見ました。お義母さまのことが本当に大切なのですね」
愛とは素晴らしいものですわと微笑まれ、ぽっと顔に熱が集まる。
いたたまれない気持ちになって七緒は布団を手繰り寄せた。
そんな義母の様子を微笑ましく思っているのだろう。姿こそは見えなくなってもにこにこと微笑むあやめの気配を感じ取り余計に照れてしまう。
だが、照れてばかりもいられない。
コホッと咳が出て、息苦しさから七緒は布団から顔を出す。
そこには先程までとは一転心配そうにこちらの様子を伺うあやめの姿があった。
「お医者様はお昼すぎにはいらっしゃると聞きました。それまでゆっくりお休みくださいませ」
「うん・・・ごめんね、そうさせてもらうよ」
「あやめは近くで控えておりますから、何か御用があればすぐに仰って下さいね」
「・・・ありがとう」
そっと目を閉じる。
パチパチと火鉢から炎が弾ける音が聞こえる。部屋の外からは屋敷の者たちが生活を営む音や声が聞こえてきた。早く、いつもの生活に戻らないと。そんなことを考えながら、七緒の意識は深い眠りへと落ちていった・・・
………………………………………
ひんやりとした柔らかい何かが額に触れ、深い眠りの底にいた七緒の意識はふっと現実へと引き戻された。
熱で火照った身体に染み渡る冷気が心地よい。しばらくの間、うとうとと夢と現実の狭間で心地よい流れに身を任せていると、誰かの手が頬に触れるのを感じた。
この手は・・・もしかして。
予感を感じ、七緒はゆっくりと目を開く。
ぼんやりとぼやけた視界が次第に晴れ、よく知った顔が少しずつはっきりと形を成していく。優しく微笑まれ、七緒は思わずその名を呟いた。
「・・・兼続さん?」
「ああ、俺だ」
「・・・・・・ほんとうに、兼続さん?」
「そうだ。七緒、体調は?」
兼続の手が再び七緒の頬に触れる。
少し低い体温が、熱をもった身体には気持ちがいい。
「七緒…?」
ぼうっとそんなことを考えていて返事が遅くなったからだろう。優しく微笑んでいた兼続の表情はみるみる険しいものに変わる。
「まだ辛いのか?薬は?もう飲んだのか?」
常日頃の彼とは違い、取り乱している様子に七緒は慌てて身を起こし、首を横に振る。
「大丈夫ですよ、お薬はちゃんと飲みましたし、また熱はあると思いますけど、今朝よりは楽になりました!」
「なら、いいんだが・・・君にもしものことがあればと考えて肝を冷やしたぜ」
そっと、身体を包み込まれる。
ほんの少し離れていただけだが、兼続の逞しい腕に抱かれ、その香りに包まれると身体の緊張がほぐれ、またこうして無事に触れ合えることに喜びを感じた。
「君が無事でよかった」
首元に兼続の息遣いを感じ、七緒は身をふるわせる。いつまでもこうしていたい気持ちに駆られるが、今自分は風邪をひいている身。兼続にうつしてしまっては申し訳ないと、そっと彼の胸を押し返し、身体を離した。兼続もその意図に気付いたのだろう。名残惜しそうに身を引く。
「おかえりなさい、兼続さん。少し早かったんですね」
「君のことが心配で今日は早く引き上げてきた。もちろん、やらねばならないことはちゃーんと終わらせてきたぜ」
「さすがです。また今日会ったことを聞かせてくださいね」
しばしの間、そうやって言葉を交わす。
そんな時間が愛おしくてたまらない。
「それから、お医者様を呼んでいただいてありがとうございます」
「そんなことは当然だ。それより君、今朝からあまり食べ物を口にしていないそうじゃないか」
ぎくっ。確かに兼続の言う通りだった。
朝餉はもちろん、昼に特別に用意してくれた握り飯もほとんど喉を通っていない。
「・・・それは」
「あやめから聞いた。喉が痛むんだろ」
こくり、と頷く。
「ごめんなさい、せっかく皆さんが頑張って作ってくださったお米なのに。このあときちんと食べますから」
「無理はしなくていい。君が気になるというのならば俺が食べよう。だが、栄養を取らないと治るものも治らなくなる」
「・・・その通りです」
兼続の言うことはもっともである。申し訳なさに七緒は俯いた。しかし、そんな七緒に兼続は一転、明るく告げる。
「見てくれ、これが何かわかるかい?」
そこには細かくすり潰され、果汁が甘酸っぱく香ってくるものがあった。
「もしかして、林檎ですか?」
令和の世で、風邪をひいた時よく兄が食べさせてくれたもの。慣れ親しんだものだ。だが、それをここで見ることになるとは思わなかった。
「景勝さまからいただいてすり潰してみたんだ。以前、君の世界では風邪をひいた時林檎をすり潰して食べるのだと聞いた気がして。食べられるかい?」
「覚えていてくれたんですね」
「君から聞いた話を忘れるはずないだろう。ほら、口を開けて」
兼続は匙にほんの少しだけ林檎を掬い、七緒の口元まで運んだ。七緒は気恥しさから少しだけ戸惑ったものの、口を開き、それを受け入れる。
「・・・甘い」
懐かしい味がする。
「甘くて、美味しいです。・・・・・・兼続さん、ありがとう」
懐かしくて優しい味。
「よかった。少しずつで構わないからできるだけ食べてくれ」
やはりまだ少し喉は痛むけれどていねいにすり潰された林檎は食べやすい。
遠い世界での思い出と、目の前にいる兼続の優しさに一度に包み込まれ、堪えきれず七緒はポロリと涙を零した。
「兼続さん、本当に、本当にありがとうございます」
そんな七緒を兼続は優しく抱きしめる。
「君、ここの所ずっと気を張っていただろう」
「それは・・・。私なんてまだまだです。兼続さんや、景勝様、それに毎日田畑を耕して下さっている民の方たちと比べると私なんて…」
まだこちらの世界の文字や習わしですら完璧ではなく、何も出来ていないのに・・・とつぶやく七緒を兼続は優しく抱きしめ、幼子にするように優しく背をたたく。
「君が俺たちのために頑張ってくれていることは十分すぎるほど伝わっている」
「・・・でも」
「君が焦る気持ちはわかる。だが、あまり焦るんじゃない。俺もあやめも、君のそばにいる。米沢の民も君のことを見守っている。ゆっくりでいいんだ」
君は十分頑張っている。
「だから、たまには肩の力を抜いて思いっきり泣いたって構わない」
「・・・兼続・・・さん」
じわりと堰をきったように涙がとめどなく流れ出す。そんな彼女の涙が止まるまで、兼続は優しく彼女の背を抱きしめ続けた。
ゆっくりでいい。
少しずつでいい。
共にこれからの人生を歩んでいこう。
君が俺に希望をくれたように。
俺は君にこれからたくさんの幸せを与えていきたい。
いつか、この地上で。
連理の枝とならんその日まで。