あなたの音
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カラカラ…
不意打ちとばかりに真夜中の店の前を自転車を走らせる音が聞こえてくる。
彼女に違いない!
私は慌ただしい店内を余所に大喜びで外を見た。いつもの自転車が坂道のせいか低速で進み、いつもの見慣れたその姿があった。
ああ彼女だ、よかった、また彼女を見る事が出来た。
安堵感に胸を撫で下ろしていると、いつもなら自転車を押しているはずの彼女は坂の地点から既に漕いでいる事に気が付いた。少しだけ辛そうに息を荒くさせている所からして帰宅が遅くなってしまったのであろう、坂道も漕いで来たのだと思った矢先だった。
何かを踏んだのか多少の衝撃と共に、自転車の操縦が効かず蛇行しながら倒れていく自転車と彼女の姿をしっかりと目の当たりにした。
「…ったい…!」
外から聞こえた小さな声は苦痛に顔を歪めうずくまっている。不謹慎ながらも初めて彼女の声を聞けたことに感動し、思わず笑顔になってしまうが、ややあって目の前で彼女が怪我をしている事に焦りを感じ始めた。
どうする?声をかけるのか?彼女が痛がってるなら手当てを、だけどこんな所で出て行って怖がられたらどうしよう、嫌われたくはない
膝と手から転倒したのであろう。いつも見ていた細い手足に血が滲んでいるのがこちらからでもはっきりと分かる。痛みに驚いているのか手首を捻ったのか、未だ地面に座り込んでうずくまっている彼女を見て、ごちゃごちゃとした考えは吹っ飛んでいった。
とにかく人の格好で…昔の姿に戻るのは久しぶりで、そういえばこんな人であったな等とうろ覚えで給仕服の人姿へと形を変えた。他のスタッフが知らなかったと声をあげたりもしているが、連日の行動を知ってかニヤニヤしながらも行ってこいと背中を押される。不本意だがお言葉に甘え、絶対にこちらへ出てこない様にと念を押し、深呼吸をしてドアノブへと手をかけた。外に出るのはいつぶりなのだろう、無いはずの心臓が脈打つのを感じる、月の光がまぶしい。
緊張しながら歩いていくと、苦痛に涙を溜めた瞳でうずくまる彼女がいた。膝からは深くはないが擦り傷、手首を押さえているのは捻ったからであろう、痛々しい姿に胸が、高鳴った。
「ひっ…」
そういえば声も掛けずに凝視していたのだ、気配もなく人がいるはず無い場所で自分より大きな男が覗き込んでいたら、この反応は当然と言えるだろう。失態だ。彼女は潤んだ瞳を大きく見開き、声にならない声を挙げ、私をしっかりと見つめた。
ああ綺麗な目だ、月がよく映るほどだ、こんなに近くで見れるなんて、髪が綺麗だ、細い腕がとても痛そうだ、ああそんなに見つめられては声も出ない…!
「ひぃ…」
そうじゃないだろう私は…
無言で近寄ってしまったのは自分なのに、こちらに向けられた視線に当初の目的を忘れてしまっていた。ややあって我に返り、勇気を出して彼女へと手を伸ばした。
「…大丈夫ですか?立てます?」
「え、は…はい」
「さ、お手を」
「いや、えっと…」
確実に不審な目で見られているが、冷静を装って上ずりそうな声をかけた。初めて会話が出来たことに嬉しくて仕方がなかった。
「驚かせてしまい申し訳ありません、わたくしこのレストランの支配人をしておりまして。店内から見ていたら倒れたのでついお声を…」
なるべく優しく声を掛けたつもりなのだが、こちらと店を何度も見比べて本当なのかと警戒を解く様子はない。
「…すみませんね、不気味で」
「へ!?いや、そんなその、全然!ご、ごめんなさい今気が動転してて」
「いいえ、こんな場所で声をかけるのが悪いのです。私が手当てを申し出ても迷惑ですよね…しょんぼり…」
実に卑怯な手だ。
「わー!そんなことないです!ほんと、そのえっと」
「そうでしたか!よかったよかった!ではお手をどうぞ、中で手当てしますから」
「…お、お願いします…」
だが実に効果的な作戦である。
こういうのはあまり使いたくなかった手なのだが、彼女を一刻も早く手当てするためなら手段は選んでいられない。そっと手を差し出すと、少しびくびくしながら挫いていない腕を伸ばし手をとってくれた。
「あ、あの?」
ああ温かい!柔らかい!小さい手だ!とても、とても温かい…!
「いえ、なんでも。とにかく手当てしましょう、痛々しい」
にやけそうになる口元を手で必死に押さえた。
荷物を持つとまだ少し戸惑っている彼女を引っ張りあげるとよろよろと立ち上がった。
「ほんとにレストランなんですか?どうみても、その…」
「ええ、レストランですとも。そして私は支配人のギャルソンと申します」
「…支配人なのに?」
「…そう!支配人なのに、です」
「…ふふっ」
冗談だと受け取ったのか何なのか、涙目のまま少し笑みを浮かべたその表情に、頭がくらくらする。
「私は…ナマエ、苗字ナマエ、ただの自転車パンクで自爆した上知らない人に助けてもらってるダメダメな女です」
困ったような、でも少しだけ私を信頼したように笑う、そんな笑顔が可愛くて可愛くて、名を教えてくれた事が嬉しすぎて歩みを止めてしまっていた。
「ああ、それから当店の名前を伝えそびれました」
少し大袈裟に手を広げ、店を指差した。
「ようこそ、怪談レストランへ」
嬉しい。その暗闇の日常に芽生えた喜びをもっと伝えたい。
「かいだん、れすとらん?」
さあ入って、手当てをしたらもう貴女は私のお客様です。もっと話をしましょう?もう窓越しに見つめるのは終わり。これからはこんなにも近くで見ることが出来るのだから。
「いらっしゃいませ、もう貴女は私のお客様です」
さあ教えてください、貴女は何故そんなに私を惹きつけたのですか?
既に答えであるこの不思議そうなこの顔に、新しい毎日がやってきたのだと確信をした。
fin.
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