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はちみつ色の心に口づけを


 都内の某テレビ局。 その一角にある芸能人専用の控え室に、例の如く、それこそルーティンのように、TRIGGERは、これから収録予定の歌番組のスタッフに案内される形となった。
 マネージャーである姉鷺カオルはあとで合流する形となっている。
 あの人は今、膨大な量の仕事を処理するという作業に追われている。 それはそのまま、TRIGGERの仕事がそれだけ新たに増えてるということだ。
 勝ち気というか、強気な性格は思うところがないわけでもないが、あの人の手腕は本物だし、そこは本当に感謝している。
 あの人がいなければ、ここまでTRIGGERに仕事の依頼が来ることもなかったのだろうから。 ーーだから、その難ある性格は、だからともなくとして。
「お前、人のこと言えんのかよ。 ステージ上と今のお前じゃ全然性格違うじゃねえか」
「楽、またそういうことを! 天は天で考えがあって仕事してるんだから、そうやってケンカふっかけるのやめろって!」
 …僕の考えに対して、あの二人が今この場にいたなら、恐らくこんな会話をしているんだろう。 会話というか、口論に近いものがあるけど。
 それまた、ルーティンのひとつだ。
 でも、今はそんな会話はない。
 会話はない。 というより、同じTRIGGERのメンバーである八乙女楽も十龍之介も、いない。
 龍のほうは、音楽番組のスタッフに呼ばれてすぐに控え室を出ていき、楽のほうはスマホの画面を見て眉間に皺を寄せたかと思う言葉少なめに「ちょっと出る。 すぐに戻る」とだけ僕に言い残し、やはり控え室から出て行ってしまった。

 ーー楽のあの様子からすると、またぞろ社長絡みのことだろうか……。

 そう思いながら、ふと楽屋に設置された時計を見る。
 TRIGGER全員での収録予定時間まで、まだ余裕はあるけどーー
「龍はともかく、楽は私情を挟みすぎ」
 誰もいない、一人だと広く感じる控え室でぽつりとそんなことを呟く。
 それは極々小さな声なはずなのに、なぜか反響して聞こえたような気がしてーー
「……くだらない」
 浮かびかけた自身の言葉に、自嘲する。
 そんなものは捨てたはずだ。 そんな思いを、自分は捨てたはずだ。
 だって自分は家族を、あの子を捨てたのだから……。

 眩しいくらい純粋な笑顔を浮かべる、自分の片割れのことを思い出しかけた時ーー不意に控え室のドアがノックされる音が聞こえた。
「はい」
 楽や龍が帰って来たのかとも思ったが、共演者が挨拶回りに来た可能性も考慮して、ソファから立ち上がると、ドアの方へ向かい、来客者を迎えようとした、が。
 その来客者は、僕が予想していたどの人物とも違った。
「あっ、く、九条さん……っ!」
「……なんでここに来たの?」
 そこにいたのは、なぜか動揺した様子の小柄な女の子。
 別事務所のマネージメント業をしている、小鳥遊紡の姿があった。
「……とりあえず入って。 ここでずっと立ってたら他の人たちに迷惑だから」
 僕が出たことがよほど予想外だったのか、小鳥遊さんはいまだにオドオドした様子で……そんな彼女を追い返すのも気が引ける、というか追い返す理由もないので、一応、そのまま中へと招き入れた。
「で、本当になんの用事で来たの? 今日の番組でIDOLiSH7との共演はないはずだけど?」
「あ、はい。 IDOLiSH7は別番組の収録なので、TRIGGERさんとの共演はありません。 なので、これは私個人の用事でして……」
「仕事現場にプライベートを挟むのはどうかと思うけど?」
「す、すみません……」
 事実を指摘すれば、小鳥遊さんはハッとした顔をしたあと、素直に謝った。
 けれど、少し落ち込んでいる様子もあって、ここで泣かれても困るので、僕は話を軌道修正する。
「それで?」
「あ、はい。 以前……その、ラビチャではちみつが発作の時に良いと教えていただいたいて、そのお礼にと思いまして」
 言葉を選びながらと言った感じで、そう言った小鳥遊さんが差し出したのは、有名なドーナツ店の箱だった。
「この前お邪魔させていただいたリハーサルの差し入れ、九条さんにすごく喜んでいただけたので」
 そこまで話を聞いて、だったら僕が控え室のドアを開けたのは小鳥遊さんにとって幸いだったのではないだろうか。
 楽や龍が出たならともかく、用事のある張本人である僕が目の前に現れたのだから、あそこまでオドオドする必要はないのでは?
 ……という疑問符を抱きつつ、けれどそこは敢えて突っ込まないことにした。
 ラビチャの時も思ったが、この子は僕に対しては固くなりすぎている。 それを思うと、さっきの反応も判らなくもない。
 ーー判らなくもない、というだけで、別に納得したわけじゃないけど。
「それ、脚色しすぎじゃない? というか、別にお礼とかいいんだけど。 そういうつもりで教えたわけじゃないし」
 けれど、せっかくの好意を無下にするわけにもいかないので、小鳥遊さんから差し出されたドーナツの箱を、僕は一応受け取った。
「いえ、九条さんに教えてもらって、本当にありがたかったので! ……あ、いえ。 本当は発作を起こす頻度を極力減らすことなんですが一番なんですが」
 そういう言った小鳥遊さんの表情は、自分の不甲斐さなに落ち込んでいるように見えた。
 そんな彼女を責める気にはさすがになれない。
 勿論、芸能事務所のマネージャーとして、自分が抱えてるタレントのことをサポートするのは当たり前だ。
 けれど、それでも。
 呼吸器系の持病を抱えながら、それでもアイドルになろうとしたのはあの子自身の意思だ。 あの子自身にも責任がある。
 だから、そこに関してはあまり追求すべきではないだろう。
「……これ、一緒に食べてく?」
「えっ?!」
 室内の空気を変えようと、僕は、小鳥遊さんから受け取ったドーナツの箱に視線を移してそう尋ねた。
 すると彼女は、さっきドアを開けた僕を見た時よりも動揺した様子で頭を振る。
「そ、そんな、恐れ多いこと……!!」
「前もケーキ食べて行ったし、今更でしょ。 それに楽に分けてあげるのも癪だし」
 まぁ、龍には分けてあげないこともないけどね。 といえば、狼狽えた様子だった小鳥遊さんが、そこでようやく笑った。 とても、可愛らしい声を出して。
 きっとこういうところに、惹かれるのだろう。
「あ、そう言えば、楽さんと十さんは……?」
「二人とも用事があって席を空けてる。 だから今は僕一人」
「そうなんですか」
 端的にそう伝えれば、小鳥遊さんは短く相槌を打つだけだった。
 そんな彼女の様子を見て、思う。
 少し緊張が解けたせいもあるのだろうが、だけど、それでも、

 ーーさっきはあんなに動揺してたのに、僕しかいないことに対して、この子はなんとも思わないのだろうか?

「ねぇ、小鳥遊さん」
「は、はいっ」
 彼女のたったそれだけの反応で、途端に自分の中で沸々と生まれてくる感情に忠実に従うように、僕は、このあとなにが起こるのか知らない目の前の女の子に一歩一歩近づいていく。
「キミって、警戒心があるの? ないの?」
「えっ、えっと……それはどういう……」
 不穏な空気を感じ取ったのか、彼女は今度は不安げな表情を浮かべる。
 そんな彼女に対して更に加虐心を煽られてーー自分でも知らない自分自身の黒い感情に、けれど抵抗するどころかそのまま感情の流れに任せて、静かな音を立てて彼女との距離を確実に詰めていく。
「えっ、く、九条さ……っ」
 動揺はしているが小鳥遊さんは逃げようとしない。
 それをいいことに、僕はひたすら黙って彼女に近く。
「…………っ」
 互いの身体がくっつきそうなくらいまで、僕は、彼女に近づく。 その間も小鳥遊さんは身体を強張らせてはいるものの、逃げる様子も抵抗する様子も見せなかった。
 ーー薔薇色の大きな瞳と視線がぶつかる。
 あと、もう少し距離を詰めれば、その薄紅の唇に触れるだろう。
 互いの息づかいが判るほどの、目眩を起こしてしまいそうなほどの距離まできてーー僕は、その身を引いた。
「えっ……」
「なに、キスでもされると思ったの?」
 彼女の判りやすい表情を見てそう言えば、彼女は白い頬をみるみる赤く染めていった。
「するわけないでしょ。 こんな場所で」
 先ほどの自身の中で沸き上がった感情を揉み消すように、僕は、そんな風に頬を赤らめる彼女から離れて、化粧台付近の方に立つ。
 それはこの女の子に、僕の心情を悟られないための行動だった。
「ただキミがあまりに無防備だから教えてあげようとしただけだよ」
「教えるって……」
「楽はチキンだし、龍もヘタレだし……IDOLiSH7のことはよく知らないけど、でもみんな、キミのこと溺愛してそうだからーーだから男に対して警戒心が薄れてるキミに、いくら仕事場だからといって、女の子が一人で男のいる一室にホイホイ入っていったらなにが起きるか判らないってことを教えてあげたんだよ」
「私は、そんなつもりは……」
「キミにその気がなくても、そういう奴が少なからずいる」
 それ自体は偽りのないーー限りない真実だ。
 ただ、本来ならそれを言えるだけの資格は、今の僕にはない。
 いや、言える資格がないからこそ、だからこそ、その一線は越えてはならないと、次第に芽生えはじめる罪悪感にさらなる理由づけをした。
「でも、今のはあくまで教えるためであって、実際に僕はそんなことしないよ。 応援し続けてくれてるファンを悲しませることも、僕たちを信頼して支えてくれてる大勢のスタッフたちを失望させることも、一緒にステージに立ち続ける楽と龍を裏切ることも、僕はしない」
 それは宣戦布告で、自分を律するための言葉。
 でもそれは同時に、自分で自分を縛るための言葉でもあった。
 間違っても、目の前の女の子をーー小鳥遊紡に対して恋慕の思いを抱かないための、言うなれば予防線。
「……九条さんが周りの方たちを大事にしてるの、すごく伝わりました」
 僕の話にひたすら耳を傾けた彼女が最初に言ったのは、そんな言葉だった。
 戸惑っているようにも、怖がっているようにも見える彼女の眼差しは、しかし、どこまでもひたすらにまっすぐだった。
「先ほどのことも、私を思って、わざとそうしたんだってことも判りました。 ありがとうございました」
 そう言って、彼女は律儀にもその場で頭を下げた。
 そんな彼女の姿を見てチクリと心が痛んだのを、僕は気づかぬリフをして、自分自身を騙した。

 思い返せば、その行動がーー自分がどれほど愚かなことをしていたのか。 それは歴然だった。
 それでも彼女はそれを真摯に受け止めた。 そんな彼女のことを思い、またひとつ罪悪感が生まれる。
 なぜなら、後に僕は、この時自分が引いた予防線を無視することになるからだ。

 飢えていた願いがはちみつ色に満たされて、あの時触れられなかった彼女に心に口づけたい、と。



 それが、大切な者たちに対する最大の裏切り行為だと知りながら。
天紡SS。別名で活動している支部から転載した作品となります。

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