2,港の異変

 夕暮れのシートレスの街は、昼間とはまた違った顔を見せていた。賑やかなのは変わらないがこれから訪れる夜に向けて浮き足立っているというか。もう既に出来上がりはじめている人もいれば、家路を急ぐ子供連れであったり、制服を着込んだ警備隊が巡回していたり。様々な層が入り交じって喧騒を作り出している。そういう人間観察をしているだけでも足取りがどんどん軽くなるのを感じた。
 しかし、飛び出してきたはいいものの、どこから見たものか。夜になったら酒場へ行くつもりだから食べ物は後。怪しい薬って言うくらいだから薬屋を調べるのがいいのか……その前にアイテムを見に行くか。行先を変えてユールは石畳の道をどんどん進んで行く。
 地図によるとシートレスには白魔導士ギルドのように本拠地を構える職業ギルドがいくつかと、それとは別に冒険者が依頼を受けたりする冒険ギルドがある。冒険ギルドには冒険に役立つ簡易的なサバイバル用のアイテムも売っているようだ。流石にポーションや武器などは市場や街の専門的な店に行けということだろうけど、ちょっとでも準備ができるのはありがたい。
 冒険者ギルドに登録しておけば併設された宿屋も利用できるようになるし、後々関所などを通るときだって身分証明に困ることもない。さくっとすませるべくカウンターに向かえば、スキンヘッドで髭を生やしたザ・海の男のようないかつい男性が座っていた。

「あん? ギルドに何か用か。見た所何かしら依頼は受けてそうだが……」
「順番が逆になったかもしれないんだが、冒険者ギルドに登録はできるか」
「構わんぞ。なんせ犯罪者じゃなけりゃいつでも誰でも歓迎してるからな! ほれ、ここに記入してくれ」

 使い慣れないはずの羽ペンがまるでボールペンかのようにさらさらと名前を記入するのにも、もはや驚きはしない。

「ほう、ユールか。いい名前にいい面構え。いいんじゃねぇの」
「どうも。えーと、」
「ああ、俺ぁマルコってんだ。このシートレスの冒険ギルドの顔役って所か。依頼が欲しけりゃ言えよ、お前の実力次第で回してやるぜ」
「ありがとう、その時はまた頼らせてくれ」

 気のいいマルコのおかげで登録も素早く済んだため、陳列棚の方にユールは目をやった。テント、ランプ、縄、携帯食。やはり薬系は市場に行かないと、と思っているとギルドのロビーでこそこそと話している冒険者がユールの目に留まる。
 ちらと視線照準を合わせてみると来訪者ではなく、この世界に住む冒険者……つまりNPCだった。新参者のユールに目を合わせないのはよくあることだが、こんなあからさまに背を向けるものだろうか。カウンターのマルコに視線をやれば、彼も目を細めて見ていた。適当な携帯食を手に取ってカウンターに戻り声をかける。

「なぁ、あいつらさ」
「……最近実力を伸ばしてきている奴らなんだが、ちぃと気がかりでな。ペースが早すぎる」
「ふーん。……そうだ、なら怪しいつながりで港に出回る薬って聞いたことあるか」
「そこまで首突っ込むのは……ああ。来訪者か、お前」

 ちらとユールの服の袖から見えた左手の甲の痣で気づいたらしい。彼は合点がいったとでもいうように声を潜めた。会計をするフリをして不審な冒険者たちに視線を向けたまま耳を傾ける。

「一週間ほど前か、冒険者の一人が急に高レベル帯の依頼をこなしてきてな。他の実力者の補助を得てというのは無い話でもねぇから様子見してたんだが」
「……あまり実力者には見えないけど」
「その通り。俺もかなりの冒険者を見ているが実力と気迫が見合ってねぇ。白魔術士ギルドのギルドマスターみたく立ち振る舞いが実力者に見えないっていうのはままあることだがな、それとも違う」

 そこで言葉を切り、顎をしゃくって冒険者たちを指した。眉間には皺が寄っていっそう苦々しげな表情である。

「あいつらの目が澱んでるのがわかるか。ああいうのがここ数日増えてるんだよ」
「目?」

 言われてユールも観察してみると、確かに冒険者の一人の目が黒いインクを垂らした様に澱んでいた。ハイペースで見合わない実力を得ていると言うことと怪しい薬の話を結び付けるなら、マイナスの感情を引き出す代わりに能力を増強するような薬が出回っているということだ。早速糸口を見つけられて幸先がいい。

「アレについて調べてるんなら、この後酒場……そうだな、表通りじゃなくて裏通りの店に行ってみな。成人はしてんだろ?」
「してる。……なぁ、そんなに幼く見えるか?」
「酒場の連中が油断してくれそうなくらいにはな。気を付けろよ、裏通りになると警備隊の巡回ルートからは外れる。荒くれものも多いエリアだ、あんたも油断すんなよ。こいつはオマケだ」

 む、と不貞腐れた顔をするユールにマルコから笑いながら手渡されたのはケアポーションだった。状態異常に効くものである。酔っぱらうのを心配されたのだろうか。ユールが訝し気に目線を向けると、彼はにぃと目を細めていた。
 ……納得がいかない。一応ゲームの設定上は成人をしているのにこうも子供扱いされるというか、年下のように扱われるのが少し不満だった。世界観的に洋風の顔にした方が大人っぽく見えるのはわかっているけれども!
 ふてくされるユールが大股に冒険者ギルドを出たころには、すっかり日も落ちていた。ゴンドラも流石にこの時間になると動いておらず、水路でゆらゆら揺れている。表通りにある屋台はすっかり店じまいがなされていてどこか静かだ。
 だが完全に街が寝静まったわけではない。いくつかの通りを抜けて裏路地に入ってしまえば、酒に浮かされた喧騒と立ち並ぶ店の灯りが出迎えた。自然とユールの背筋が伸びる。ゲームの中においても自分の顔が幼く見えるのを先ほど痛感したユールは舐められないよう気を引き締めた。
 既に出来上がった酔っ払いが寝転ぶような裏路地を歩き、そのなかでもひときわ賑やかで人が入っていそうな店を選ぶ。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中というわけだ。
 「いらっしゃいませぇ」と明るい声の看板娘にビールを頼み、カウンター席を陣取ってぐるりと店内を見渡す。ガチャガチャとグラスがたてる音、どれくらいの酒を飲んだのかどんどん大きくなる話し声や笑い声。一日の終わりに乾杯をするにはうってつけの場所であったが、その隅に一際怪しいテーブルがあった。
 冒険者と……もう一人は警備隊だろうか。眼鏡をかけた神経質そうな顔をしている。ディオのように目立つ紺のジャケットは着ていないが、昼間噴水広場で巡回していた中に同じ顔がいたような。酒を酌み交わすくらい仲が良いだけなら問題は無いけれど、冒険者の目が先程見たように黒く澱んでいるのが気にかかる。
 どれだけそうしていたのだろう。ユールがもっと観察したくてじぃ、と目を凝らしている所に、軽やかな声が割り込んできた。

「お待たせしましたぁ。こちらビールと、それから小海老のフリットよ」
「え、それは頼んでな……うん?」
 
 目の前には二つのジョッキに注がれた泡のたつビールと、衣がからりときつね色に揚げられたフリットがのった皿。頼んだ覚えもないツマミに異を唱えようと看板娘に向きなおろうとしたユールの視界が遮られる。誰だと視線をやれば、そこにいたのは前髪を下ろしたディオだった。
 制服を脱いだラフな服装の彼は現実でも居そうな若い兄ちゃん……いや嘘、こんな鍛えていて顔のいい奴がその辺にいてたまるか。
 ユールが訝しげな顔をしているのを無視し、隣に座ったディオは看板娘と軽く一言二言交わして手を振っていた。
 なんだ、昼間は好青年みたいな顔して、夜はこうして女の子に声かけてるのかこいつ。へぇ。へーぇ。NPCを動かすAIの人間臭いところというか、裏側っぽいのを見てむず痒くなる。公式を見てないから知らないが、もしかしてチャラめのキャラなのか?
 ちょっとしたもやもやを抱えつつ、会話が終わった頃を見計らってユールは彼に向き直った。彼は眉を下げて肩を竦めている。

「なんでここにいるのさ」
「兄貴に言われてな。ここの酒が美味いから行ってこいってよ」
「へぇ? わざわざ総長直々に」
「つまりは仕事だよ。あーあ、酔えねぇ酒なんて楽しくもねぇのによぉ」

 それもそうだ、とユールは思わず苦笑いした。ディオは不貞腐れた顔でジョッキを煽り、頬杖を着いてこっちを見た。さっきは逆立っていた赤髪が下りて目元にかかっている彼は完全にオフの姿というか、昼間とは違う雰囲気でなんだか違和感がある。違和感も何も、まだ出会ったばかりではあるのだけれど。
 ユールはちらと視線を逸らし、改めてさっきの冒険者たちの方を見た。変わらず冒険者の目は黒く澱んでいる。一方の警備隊らしき男の顔を見てみると、おかしな事に気がついた。
 眼鏡の奥の目が澱むどころか、真っ黒に染まっているのである。
 ディオに聞いてみるかと口を開きかけた所で、しぃ、と声に出すのを阻むように耳打ちされる。
 カモフラージュとはいえもう少しなんかあるのでは!? そう思うくらい距離が近く、心臓がばくばくと鳴っているのが今にも聞こえてきそうだ。ユールは来たビールにほとんど口をつけていないというのに顔が赤くなるのを感じた。
 びくりとユールの肩がすくんだのを落ち着かせるように手を添えながら、ディオは口を開く。

「そのまま聞け。あいつはうちの上官だ。けどシートレスのため兄貴に忠誠を誓ってるわけでもなく、権力を笠に着るただの馬鹿」
「な、るほど?」
「なーんか最近キナ臭ぇ噂があるから張ってんだよ。こりゃあいよいよ黒っぽいな……もう少し確証は欲しいとこだが」

 近い! 思わず悲鳴が漏れてしまいそうなのを必死におさえる。顔が良いから許されるのであって、現実だったらドン引かれるんだからな! などとゲームの登場人物に言ってもしょうがないことを心のなかで叫びながらなんとか言葉を絞り出した。
 
「なら、冒険者の方からあたるとか」
「それもあり。まぁじっくり様子見ようぜ」

 身体が離れ、ぽい、と彼の口元にフリットが放り込まれるのを見送る。な、なんなんだいったい。
 熱を持った気がする耳を落ち着かせながら、ユールは気をそらすようにジョッキに口をつけて冒険者たちの会話へ意識を向けた。

《あの、本当に大丈夫なんでしょうか? 金は入るようになったけど、バレたら……》
《もしそうだとしても、お前の聴取に俺があたればどうってことはない。仕入先だってバレる訳がないのだから》
《それは、そうだけど……》
《そうだけど、何だ? 何か問題でも? 誰のおかげで底辺の冒険者のお前が飯を食えてると思ってる。 わかったら次の仕事もキッチリこなしてもらうからな》

 ……うーん。黒どころじゃないな。真っ黒。
 ディオも聞こえていたようで渋い顔をしている。しかしもう少し決定打が欲しい。上官の去り際、何やら液体の入った小瓶がテーブルに置かれたのを見て、ユールとディオはジョッキを片手に顔を見合わせた。

「さぁ、どうする」
「俺としては……ぶっちゃけ警備隊のことはまだよく分からないし、そっちはディオに頼みたい」
「まぁそれが賢明だろうな。だが今日出来ることはやっちまおうぜ」
「あの瓶も気になることだしな」

 冒険者は一人になったとたん頼りなさげにまわりを見渡すと、小瓶をポケットに押し込んでジョッキを煽る。そして青いんだか赤いんだかわからない顔をしてそそくさと酒場を出ていった。
 酒場はたかが一人いなくなったことを気にすることはなく、変わらず盛り上がっている。気がつけば目の前の皿は空っぽになっていたし、ユールのジョッキも空になっていた。ディオのジョッキもいわずもがなである。
 手早く会計を済ませ二人で喧騒を抜け出し、足早に冒険者を追いかけた。さて、冒険者はどこに向かったのだろうとユールが思案するまでもなく、ディオがすいすいと迷いなく路地裏を進んでいく。先程の賑やかさとは打って変わっていっそ寒々しいほどの静けさに響く石畳を踏む足音。空を見上げてみれば星はあまり見えず、夜空を雲が覆い隠していた。

「ずいぶん迷いなく行くんだな。……なにか心当たりでもあるのか」
「……あの冒険者、市場の魚屋の次男坊なんだよ」
「魚屋って……あ、シートレス焼きの」
「ん? なんだ知ってんのか。あそこの家は親父さんと長男で漁に出て、奥さんが屋台を切り盛りしてんだ。次男は漁に向いてないってんでとりあえず冒険者を始めたとは聞いてたんだがな」
「うまく行ってない、ってことか」

 ディオは頷いた。心なしか歩幅が大きくなった気がする。
 しかし、街の巡回をする警備隊とはいえそこまで覚えているものなのだろうか。もしかしたら、警備隊というか街のお巡りさんみたいな立ち位置なのかと少し腑に落ちたところで、目の前の大きな背中が足を止めた。赤い髪から覗く目は鋭く尖っている。
 曲がり角を死角に使い覗き込むと、行き止まりで冒険者がうずくまっていた。だが何か様子がおかしい。ユールが目を凝らすと、暗闇に紛れて冒険者のまわりに黒いもやのようなものが立ち上っているのがわかった。

「なんだあれ……」
「最近人が急に暴れだしたって通報が増えてんだ。昼間の巡回が増えてるのもその影響なんだが、だいたい共通点があってな」

 もやに覆われた冒険者は、いよいよ身体を震わせた。こちらにも歯が鳴る音が聞こえそうなほど大きく震え、ぶつぶつと何かを呟いているその姿は不気味であり、不安定に見える。

「暴れだした奴らは全員、黒いもやに覆われてたって話だ」
 
 ディオは舌打ちをして懐から木製の武器を取り出し素早く組み立てた。棍のような長い棒状のそれに刃は見当たらず、彼が血を流したい訳ではないことを想起させた。ちら、とこちらを向く彼は視線で聞いてきた。――行けるな?
 このIoUの世界ではじめての戦闘だ。やってやろうじゃないか。
 ユールは頷き、指を鳴らして両手杖を呼び出す。
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