2,港の異変

 金の髪をゆらしながら、カルロは地面にへたりこんでいるユールの元へ駆け寄ってくる。彼が最後に見たユールは追いかけられて小屋から離れていく姿で、さらに轟音がしていたとなれば心配になるのも当然だろう。
 ユールがおずおずと頭を撫でてやると、彼はムッと唇を尖らせた。

「いくら来訪者だからって無茶はするなよ……! その、あんた達はそれでいいのかもしれないけど、こっちはずっと心配して……、捕まっておいて何言ってんだって思うかもしれないけど」
「いや、こっちも心配かけてごめんな。カルロもラモンも無事で良かったよ」

 彼は口をぱくぱくして、それから唸り声をあげている。父であるラモンは息子のその様子に大笑いしていた。しばらくカルロはユールのそばにいたがったのだが、白魔術士ギルドの職員に呼ばれそちらへと向かって行った。
 彼らを見送り、ディオの手を借りてユールはようやっと立ち上がる。なんか、どっと疲れたな。ふう、と大きく息を吐く。
 戦いの終わった港の広場は穴だらけでボロボロであった。そんな広場のあちこちで、キリサメであったりガレオンホープの残党や下っ端たちが警備隊や白魔術士ギルドの人間に捕縛されていた。
 あちこちへと指示を飛ばしていたエルウィンがこちらへと心配そうに走ってくる。

「ユールくん! 無事ですか、大きな怪我は?」
「平気だよ。ディオもいたし」
「そうですか……ならよかった」

 眉を下げてへらりと笑った彼は、すぐ居住まいを正し表情を厳しいものへと切り替えた。

「キリサメやガレオンホープの構成員については首領も含めあらかた捕縛できましたが、ベールナルドには逃げられました」
「うわっ。あの中を逃げたのか」
「あんの野郎……。結局、自分の利になることしかしねぇやつだ。きっとあいつらだって捨て駒ってことなんだろうよ」

 言いながらディオは捕縛されている下っ端たちを見やる。その視線には憐れみの色が混じっていた。エルウィンも苦々しげに眉を寄せて頷いている。
 ふと、ざわめく喧騒の中から、賊の一人が警備隊に付き添われて近寄ってきた。エルウィンは首を傾げる。

「ユールくん、この人物に見覚えは?」
「えー……と……あっ、お前さっきの!」
「覚えてたかァ。感謝するぜェ冒険者サンよォ」

 忘れるもんか。ユールは苦々しげにもうとっくに傷の無い左腕へ視線を落とした。
 ヒヒ、と笑う彼は、カルロが捕らえられていた小屋で襲ってきたガレオンホープの構成員のはず。いったい何の用だろう。彼は黄色の刺青が入った目元を三日月に細めて歩き出した。
 ユールたちは首を傾げながらもついて行く。エンリコと名乗る彼が解放された手をぷらぷら振りながら向かった先は、先程襲撃してきた小屋の裏手にある建物だ。おもむろに止まり、扉に向かって顎でしゃくる。

「鍵は持ってんだろ。好きに使え」
「お、おう……にしてもお前、なんで急に」

 ユールの声に、エンリコは腕を組んで遠くを見やった。諦めの混じったような、そんなため息を吐いてから肩をすくめる。

「もう俺にゃここにしがみつく理由が無くなっちまったからなァ」
「理由?」
「まぁ有り体に言やァ、役目が終わったのよオジサンは」

 ほれ、と促され、ユールはアイテム欄から鍵束を取り出す。中はちょっとした事務所のようになっていた。中央にあるテーブルに雑多な書類が積まれ、部屋の片隅にある木箱には薬の空き瓶がたくさん。エルウィンは眉を釣り上げスタスタと部屋に踏み入った。その後にディオが慌てて続き、ユールとエンリコでゆっくり後を追う。エンリコは飄々と入口から声を投げた。

「別にギルドや警備隊の連中が手を入れても構わねェさ。好きにやってくれや」
「……なら、遠慮なく失礼します。ディオくん、ベールナルドとシェミハザとやらについて徹底的に洗いますよ」
「お、おう」

 彼らが箱を開けたり書類に目を通す中、ユールはエンリコと並んで立っていた。そろそろと見上げるとこちらを見ていた彼と目が合い、ユールの肩がびくりと揺れる。

「なんだァ、あれだけ戦闘で大暴れした冒険者の癖して案外小心者かァ?」
「んなっ……! べ、別に!」
「ヒヒッ、そういうことにしといてやらァ。……しっかし、こうもあっさり終わるもんだ」

 ディオが書類をぶちまけたらしい。やんややんやと騒がしい声を聞きながら、彼がぼそりと呟く。目の下にある黄色い入れ墨が歪んだ気がした。彼の顔に刻まれた皺を見るに、青年というには年嵩の、それこそ赤髭の農園で出会ったディーンと同じくらいだろう。

「なぁ、役目ってなんだ?」
「あん? ああ……そもそもだ、今のガレオンホープは二代目が取っ捕まって纏め役がいねェ状態だったのは知ってるか」
「えーと……たしか、奴隷貿易で逮捕されたんだっけ」

 眉間の皺を揉むように目を閉じて彼は頷いた。

「もともと私掠船としてガレオンホープは存在してた。よその奴らに俺らの海を好き勝手させるかってなァ。だが年月が経つにつれて隣国との関係もよくなって稼ぎは減った。そんな時に二代目は頭を引き継いだんだが、焦ったんだろうよ。ベールナルドに唆されて薬に手を出し、奴隷貿易に手を出したあげくハメられちまったのさ」
「へぇ~? ちょっとそこについて詳しく聞きたいんですけど」
「その紙の山漁ればあの野郎の痕跡が嫌ってほど出てくらァ。それとも、丘の上の坊っちゃんは片づいてねェと紙ペラ一枚も探せねェのか?」

 エルウィンは揶揄うエンリコを一睨みしてから眼鏡の奥を光らせ資料整理に戻る。魔力を使い操っているのか書類がひとりでに空中へ浮かんで列を成す中、ディオは戦力外通告でも受けたのかしょぼしょぼとしながら木箱を運び出していた。さっきの勇猛果敢な姿とは反対である。
 その姿を見てくふ、と笑い声が漏らしたユールを見下ろしながら、エンリコは腕を組み直してゆったりと続けた。

「お頭の……初代の息子だからって周りはどうも口が出せねェ。だから俺ァ船番として、あの人が遺してった場所だけは取っておきたかったんだがなァ」
「……それは、得体の知れない奴の力を借りてでも?」

 ユールの問いかけに、彼は草臥れて乾いた笑いを溢した。口から息が漏れてしまったかのような、そんな軽い音だった。

「そうまでしても守りたい、下らねェ希望、ささやかな願いだったわけさ。けど今日でそれも終わりだ! 船の荷も下りたってもんよ」
「ふーん……。その割には、寂しそうだけど」
「ガキ。そういうのは言わねェもんだぜェ」
「いった!」

 ユールはべちんっと叩かれた頭をさする。その頃にはエルウィン達もあらかた終わったらしい。いくつかの書類と木箱を持ってこちらを待っていた。
 エルウィンとエンリコがやり取りをしている間、手持ち無沙汰になったユールはディオの方へ近寄る。事務仕事が苦手らしい彼は相変わらず眉をへにょりと下げていた。

「ディオお前っ、はは、顔がすごいことになってる!」
「笑うなよ……。だいたい、こういう細々したことは苦手なんだ」
「部隊長なのに?」
「いいんだよオレは荒事専門だから!」

 ひそひそ笑いあっているとエルウィンから声がかかる。そろそろシートレスに戻るらしい。
 警備隊の人間と共に移動するエンリコとはここでお別れだ。彼にはこの後然るべき判断が下るとのこと。話を聞いて多少の情は湧いたけれど、彼らが一般市民にしたことは褒められたものではない。仕方の無いことだ。

「じゃあな冒険者サン。せいぜいくたばるなよ」

 フン、と鼻を鳴らしたエルウィンは唇を尖らせてエンリコ達を見送っている。彼はひらりと軽く手を振り去っていった。

「……擁護する訳じゃありませんけど。彼だけで言えば多少は軽くなると思いますよ〜。何せこれが大きい」

 手にした書類に目を落としながらエルウィンはぼそりとつぶやく。ユールはぱっと顔をそちらへ向けた。
 
「本当か! あっ、や、えーっと」
「フフ、君は優しいですねぇ。まぁ向こうがどう受け取ってその後どうするか、にもよりますが……」
「ありがとう、エルウィン」

 ユールの礼に、彼は困ったように眉を下げて笑う。
 どこかぴんと張っていた糸を緩ませるような風が吹いて、ユール達もシートレスへ帰るのだった。


 ■ ■ ■


 時刻は夜九時。街に夜の帳が落ちる頃。それは砂の都ビィセンドの下層にあるスラム街でも、上層にある王宮でも同じこと。月は等しく街をぼんやりと照らしている。
 きゃらきゃらはしゃいでいる子供の頭を撫でながら、ゆっくりと寝物語は紡がれた。
 
 ——満月が天に白く輝く夜。月の影に紛れて、その人はまちのみんなのためにやってくる。たとえば、悪い貴族をこらしめたり。たとえば、おなかがすいたこどもにご飯をくれたり。泣いているだれかのところに、きっとかならずやってくる。

「ライラにいちゃん、その人、わたしのところにもくる? ねぇきてくれる?」
「んー? そうだなぁ……きっとモナの所にも来てくれるよ。月影つきかげはこの街に住むひとたちのことが大好きだからな!」
「へへ、やったあ!」

 モナは表情をぱっと輝かせる。
 蜂蜜のように甘ったるい声が日常に溶け込むようになったのは、いつからだったか。スラムの子供たちが夜に部屋を訪れるようになったのも、確かその頃からで。いつの間にかすっかり日常に溶け込んでしまったと気づき、何とも言えない感覚になる。
 ビカシュは思わず舌打ちしそうになったのを抑えて目を閉じ、寝物語を聞き流していた。
 話も半ば頃、くあ、と欠伸をし始めたモナにライラが薄い布をかけるとあっという間に寝息が聞こえてくる。くすくすと彼は笑っていた。

「やっぱ月影の話は人気だよなぁ〜。子供たちみーんな好きだもん。あっという間に寝ちゃうけど」
「……そうかよ。つーかここで寝かせてどうすんだ」

 口を大きく開けて間抜け面をするライラを横目に、白い虎耳がぴくりと後ろへ動く。そんなことだろうと思った。のそりとベッドから身を起こし部屋の隅に投げておいたストールを巻き付ける。

「あー……ビカシュごめん……その辺考えてなかった」
「毎度のことだろ。つーか、俺の部屋はいつから託児所になったんだろうなぁ?」
「ほんとにごめんってば〜! 明日ダンジョンでも何でも付き合うから、なっ?」

 ぺたりと蜂蜜色の耳を倒し、手を合わせて頼み込んでくるライラをじとりと睨みつけた。これもいつものことだ。
 身支度を終え、モナを背負う。彼女の家はここから近い。起こさずに保護者の元へ帰せるだろう。

「言ったな。覚悟しとけ。まずは飯な」
「それいつもじゃん! 別にご飯作るくらいはいいんだけどさぁ……えーとお芋採れたからそれと……」

 メニューを考えているのか、指折り数えはじめたライラを軽く小突いてビカシュは部屋を出た。「いってらっしゃい!」と慌てた声が聞こえた気がする。
 屋根へぐっと反動をつけて飛び上がり、いくつかの屋根を飛び越えてしまえばモナの家はすぐそこだ。家の外には老婆がいるあたり、きっと想定のうちだったのだろう。慌てる様子もなく、腰の曲がった彼女はこちらを見上げた。音を立てず屋根から降りることなど造作もない。ビカシュはするりと着地し、錆びた音の鳴る扉をくぐる。

「いつも悪いね、アタシも迎えなり動けたらいいんだけど」
「無茶すんなよババア。ここでいいな」
「ああ。全くこの子にも困ったものだよ、寂しいのはわかるんだけどねぇ……」

 薄い敷き布に寝かせたモナは、寒空の下運んだにも関わらずぐっすり眠っている。
 彼女に限らず、スラムの子供たちの両親はもう亡くなっているか、上層なり他の国なりに働きに出て帰ってきていないか。とにかく親世代が家に居ない家庭が大半だ。若い働き手もいるにはいるが、飢えを凌ぐだけで精一杯のところも多い。
 ビィセンドの主産業はダンジョンや鉱山での採掘だ。下層の人間が主に従事しているが、危険度に対して国からの保証はほとんど無いのが現状である。

「ったく国も国だよ。これじゃ新しい世代が育ちゃしない」
「採掘で大金を狙おうにも命懸け。それでも少しでもいい未来を描きたくて足掻くんだから上手くできてる」
「すべてが生まれで決まっちまうのがこの街のさだめ。しかしあまりにも……」

 そこで彼女は口を噤む。この街を長く見た生き証人だ。今まで見てきたそれがそうさせたのだろう。
 二人はしばらく黙り込んで、それからビカシュは別れを告げモナの家を出た。
 屋根や壁を伝い、スラム街のてっぺんへと向かう。スラムの建物は足りなければ無理に増築する違法建築ばかりだ。箱がガチャガチャと組み上げられた塔の上に着地する。びゅうびゅうと風が吹きすさぶ中、彼はストールに埋めていた顔を上げた。
 今日も月が街を見下ろしている。ここが一番、下層で月に近い場所だった。ビカシュは尻尾を左右に揺らし、鼻を鳴らす。
 上も下もあるか。さだめなんぞそんなもん、クソ喰らえ。
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