2,港の異変

 走り出したユールは、自分の動きがなんだかさっきと段違いな感覚がした。
 前を走るディオの後ろに付き、黒いフードの人物、牛頭のような巨体の魔物、その全員が魔法の範囲内に収まるように陣取る。攻撃も回復も両方できる、ヒーラーの基本的な位置取りだ。

「こっちは準備オッケー!」
「っし! 《強化エンハンス》、からの《的確スポット》!」

 ユールの合図に頷いたディオはバフを自身にかけていく。何度か見た赤のエフェクトが彼のハルバードに付与され、そして彼自身の目元にもキラリと光が宿った。なるほど、今まで使ってたのはそういうスキルか。
 武器を構え勢いよく牛頭へと駆け出し攻撃し始めるディオを横目に、ユールはフードの人物を視界に捉える。
 まずは手始めの《水弾アクア・グロブス》から。リキャストが戻っては撃つことを繰り返し、さっきまでの鬱憤を張らすかのようにとにかく連射。攻撃してもHPが減らないって地味にストレスだったし。的こそ牛頭が相手の時みたく大きくはないが、なかなか攻撃させてくれなかった恨み辛みをたっぷり込める。
 魔物を請け負ってくれているディオの方をちらと気にすると、順調に削ってくれているようだ。彼の方から打撃音の応酬が止まらない。
 だが向こうだっておとなしく攻撃させてくれる訳ではなかった。ユールの放つ弾幕を弾いたかと思うと、ふわりと空高く浮き上がる。そして手を掲げ、黒いもやをギュッと圧縮したような玉を上空へ曼荼羅のように並べ始めた。その数はおよそ五個。上空に行っても影って顔の見えない黒いフードから、くつくつと笑い声が零れ出る。

「では、こちらも反撃といきましょう」

 そう言って手を掲げれば、黒い玉で創られた曼荼羅も上昇し輪の直径を広げていく。その範囲はだんだんと広がっていき、ディオもユールもその範囲内へと収まる広さにまで大きくなっていた。一瞬の静寂。黒いローブの袖から、握りしめられた白い拳が顔を出す。

「アン、」

 病的なまでに細い指の、親指がゆっくりと立ち上がる。
 ユールは嫌な予感がした。ぞわ、と背筋を這う悪寒を振り払いながら声を張り上げる。この状態で二人とも大ダメージ喰らったらまずい!
 
「ディオ、離れろ! でかいの来るぞ!」
「そうは言っても、よォ、っ! くっそこんのデカブツ……ッ!」

 ガキン! とハルバードと牛の角の擦れあう音が鈍く響いた。彼を一旦離すため、ユールも魔物へ何発か魔法を撃ち込む。二人ががりの攻撃に、魔物はぐらぐらとふらつき後退した。もしかしたら半分以上削れているのかもしれないが、今は油断できる状態じゃない。ユールとディオは視線を合わせ、今のうちとばかりに駆け出した。その間にもカウントは進んでいく。

「ほらほら走らないと、どうなっても知りませんよ? ドゥ、」

 ほっそりとした人差し指がまた時間をかけてゆっくりと立ち上がった。ちらと上空をみると、黒い玉は次第にほの暗い光を帯びている。カウン卜的に残り一秒、曼荼羅の外に出られるかはギリギリ!

「トロワ!」

 楽しげに立てられた中指が時間を告げる。そしてそれは文字通りユールたちに降り注いだ。

「――《黒珠の雨ぺルノワール・プルヴォワール》。さぁ、踊ってくださいね!」

 チュドン! と轟音を伴って曼荼羅から黒いレーザーが発射される。魔物のパンチのように地面に穴が空くわけではないが、身体の横を通りすぎる熱からその威力が想像できた。
 右からきたのを避けたかと思えば次は正面から、はたまた背後から。上からスポットライトがぐるぐる回っているかのようにあちこちから降り注ぐ様は、確かに端から見たら雨の様だろう。 レーザーは一個の玉から一本ずつ発射されていたのが、気がつけば二個の玉から、三個の玉からと順番に増えながら発射されている。
 いや待て、これ最終的に五本分一気に避けろってこと!? あの牛っぽい奴の攻撃も避けながら!? 走りながらユールは身震いした。同じ考えに思い至ったのであろうディオも顔を青ざめさせている。

「いやいやいや無茶だろ!!」
「つべこべ言わずに走れ意地でも避けろ! 喰らっても《治癒クーラ》なりで回復するけど限度がある!!」
「わかってるっての! つーかそのためにはあの牛野郎をどうにかしねぇと……っどぅおわ!」

 言っているそばからレーザーの隙間を縫って魔物が直進してくる。いや縫うと言うより、あたっても気にしていないのかもしれない。あるいは魔物視点だと味方の攻撃だから効果がなく弾いているのか。ユールたちは、砂煙を巻き上げながらブルドーザーのように突き進んでくるのを横っ飛びで避けた。いつのまにか発射する玉は四個ずつ。ピチュンチュインチュンチュドォンという音の中、背中合わせであがった息を整える。

「おいユール、どうすんだあれ」
「どうするもなにも……あっ」

 突っ込んでくる牛頭を見て、ユールはふと気づいた。あれ、こいつレーザー弾くんじゃん。だったら、こいつを壁にすればいいのでは?
 それはまさに天啓だった。突進をまた避けてからディオにも急いで伝えれば、彼は一瞬ぽかんとした後大声で笑いだす。こちらはいたって真剣だというのに。彼はひとしきり大笑いした後、大きく息を吐く。

「ふははははっ、面白いこと思い付くのなお前! オーケーオーケー、それで行こうぜ」
「いいのか、そっちの負担がでかくなるけど……」
「今さらだろ。それに、警備隊なんざ街や住民のために身体張るのが仕事だ!」

 自信満々に、そして凛々しく笑う彼は心強い。それにこっちだって負けてられない。
 エメラルドグリーンの目と視線が合う。シートレスの海の色。カルロやラモン、マルコたちが暮らし、セルソやエルウィン、そしてディオが守る街。ユールにとっては出会ったばかりだけど、居心地の良さを感じている街。それらを象徴する色でもある。その美しさが黒に脅かされそうなのであれば、弾き返せばいいのだ。
 HPは満タン、MPも問題なし。ついに五個の玉全てがレーザーを発射する中、力を込めて杖を握りしめる。
 構えるユールの姿を見て、ディオは顎でしゃくった。

「次あの牛野郎が突っ込んできたらチャンスだ」
「ああ。――やるぞ!」
「おうよ!」

 黒いフードの人物は上空でこてりと首をかしげる。あくまでその動きは軽くて、こちらのことを気にもとめていない様を隠さない。

「お話は終わりましたか? では、最後の仕上げといきましょう!」

 ばっ、と白い手が振り下ろされ、五個の玉からあちこちへと発射されるレーザー。黒い光の雨が降る中、《軽減イーズ》をかけてハルバードを構えたディオが勢いよく前に出た。よく通る声が牛頭を殴り付ける。

「《開戦エンゲージ》! そら来いよ牛野郎! 根比べしようぜ!」

 ディオの身体をオレンジの衝撃波が覆う。牛頭の視線がぐるん! とディオの方を向いた。
 《開戦》、敵を挑発しヘイトを稼いで攻撃を一手に引き受けるスキルだ。魔物は唸り声をあげながら牛のくせに猪突猛進の勢いでタックルを仕掛けてくる。交通事故にあうようなものなのに、向き合う彼の瞳孔はいっそ楽しげに開いていた。その表情をよく見る間もなくユールも走り出す。せっかくディオが稼いでくれている時間を無駄にはできない。変わらずあちこちからレーザーが飛び交う中、右へ左へ走りながら突進してくる牛頭の方へとユールも突っ込んでいく。
 はじめは牛頭のパンチが来ることすらちょっと怖かったのに、今は臆せず向かっていくのだから面白いなと思う。少なくとも現実なら絶対いやだ。一人だったら絶対に無理。
 ぐあ、と腕が振りかぶられたのを横目にスピードをあげる。よーく見て……今だ!

「おや……あはっ、そう来ますか!」

 ユールは勢いよくスライディングしてビルの二階ほどある巨体の股下へと滑り込む。耳に捉えた笑い声と背後で鳴っている地鳴りは気にせず体勢を建て直した。ヘイトがディオに向かっているから牛頭は足元のユールに見向きもしない。そして牛頭の身体に当たったレーザーは跳ね返されているからこっちにダメージも来ない! 作戦が上手くいったことに内心ガッツポーズをしながら敵へ杖を向ける。

「大人しくくたばれ! 《水弾アクア・グロブス》!」

 ありったけを込めて水の球を黒いフードの人物に向かって撃ち込む。それは的確に彼に直撃し、その勢いで顔を隠していた黒のフードを剥がした。水に濡れた灰色の髪が彼の肩にぱさりとかかる。彼は顔に貼りついた髪を鬱陶しげに払ってユールを一瞥した。その瞳は血の様に赤くどす黒い。
 ぱちん、と彼が指を鳴らす。すると先ほどまで大暴れしていた頭上の牛頭はポリゴン状になって霧散し、猛威を振るっていた黒い球体も消え去った。ディオの困惑の声が聞こえる。

「なっ、消えた!?」
「やれやれ、今日は顔を出すつもりは無かったんですが。まぁ面白いものを見せてくださったご褒美にでもしておきましょうか」

 ユールを見下ろす彼の赤い目は、冷たい声色の割に楽しそうに細められている。そういえば、ゲームの始まりに会った黒の守護者ルーキフェルの目もこんな赤色だったような。ふとそんなことを思い出した。
 彼は空中にいながらすっと片足を斜めに引き、優雅に一礼する。戦闘前はキリサメたちに任せてだんまりだったのが嘘のように、ゆったりと仕草で余裕を語っているみたいだった。

「改めてご挨拶をしましょうか。私はシェミハザ。ルーキフェルに連なる使徒、アンフェルの一角を担っております」
「へぇ、やっぱり関係者なんだ。なら理想郷を探すのにも関係してたりするのか?」

 問かければちっちっち、と白い指が振られる。いちいち癪だなこいつ。ユールは眉をひそめた。隣に並ぶディオも訝しげな顔をしている。彼からしてみれば創世記に伝わる人物に連なる者と名乗るやつが急に現れたのだ。無理もない。

「全部答えてしまっては面白くないでしょう? 主はもちろんのこと、我々も楽しいことを好みます。そうでなければやっていられませんから」
「答えになってるようでなってない……」
「まどろっこしい奴だな」
 
 ユールやディオの言葉にくすくすと笑うシェミハザは、あくまで楽しむ姿勢を崩さない。
 しびれを切らしたディオがハルバードを構えようとした時、バタバタと足音が聞こえてきた。と、同時に頭が切り替わる感じがする。どうやらここで戦闘は終わりらしい。気をそらしたつかの間、シェミハザの足元から黒いもやに覆われ消えていく。

「報酬ついでに。薬の効果は時間経過で抜けますのでご心配なく。まぁマイナスの感情に引っ張られて成したことは消えませんからそこはそちらで処分してください」
「引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいて……」

 ユールの呟きに首までもやで覆われた彼は表情を消した。その佇まいは先程の悠々としたものと一変して人間味がすとんと抜け落ち、ぞくりとさせる。

「感情ごときに左右させられるのが人間だからしかたないでしょう。我々はそこにちょっと油をさしただけです。そもそも、実行に移したのは彼らなんですから。……嗚呼、もう時間ですね」

 また会いましょう、と最後に一言添えて彼は姿を消した。
 なんだかどっと疲れた気がして、ユールは地面に座り込む。ディオが肩を支えてくれている感覚はあるのだが、気にかけるでもなく空をぼんやりと見上げていた。レベルアップもしたし、使えるスキルも増えたと思う。しかし今は確認する気になれなかった。
「やってみたいことがある」といって理想郷を探せというワールドクエストをはじめたエルシロスの黒の守護者、ルーキフェル。感情を揺さぶりながらもごときという扱いをするシェミハザ。
 ユールは感情を理由に行動へ移すことができるのが人間だと思っている。だからこそ、ルーキフェルの人間臭さと部下であるシェミハザのちぐはぐ具合が妙に気になっていた。
 システムウィンドウを開いてちらと横目に覗くと、下の方にワールドクエスト『理想郷二辿リ着クベシ』が変わらずある。進捗率は五パーセント。
 ……増えてる。なんで?
 首をかしげても答えなどわかるはずもない。シェミハザとの会話がなにかのトリガーになっているのか、それともストーリーが進んだことでクエストも進行したのか。

「おいユール、ユール! どっか痛めたのか」
「や、平気……。ちょっと疲れただけ」

 考え事に飛ばしていた意識がようやっと地面に足をつけた。ディオの顔を見ると、ほ、と息を吐いている。そういえば、彼が《転生リスタート》に対して何かを感じているのを度々見かけたのが気になっていた。けれど、今すぐに聞かなくてはいけないこともないだろう。とりあえず一難は去ったのだ。
 摘発にきたエルウィンや、彼らに救助されたらしいラモンやカルロが駆け寄ってくるのを見ながら、ユールは身体の力を抜いたのだった。
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