カプなし、カプ未定、他キャラ
海外遠征をひかえた10月半ば。
まだ秋とはいえ、山の中にある合宿所の気温は冬の寒さに等しいと言っても過言ではない。まだ吐く息は白くならないが、それも海外遠征から帰ってくれば現実になっているだろう。
「月光さん、今から散歩ですか? 一緒してもええです?」
「……あぁ、構わない」
「ほんなら上取ってくるんでちょっと待っといてください」
支給された半袖シャツで過ごしていた毛利が、ベッドに放り投げたままにしていたジャージを身に着けていくのを越知はじっと見下ろしている。
これが毛利以外の相手であれば、急かされていると勘違いしてしまいそうな視線。しかし、実際には慌てずに支度しろ、という意味合いの視線であることを毛利はしっかりと理解していた。
「おまたせしました。今日はどこまで行かはるんです?」
「特に決めていない。……早めに切りあげるか」
「いやいや。俺が好きでついていくんやから、月光さんの好きにしらんせーね。どんだけ歩くことになっても、月光さんと一緒ならぜんぜんべっちょないわ」
「……そうか」
ポケットに何かを突っ込んで越知は部屋のドアを開ける。その後ろをついて行きながら、毛利はニコニコと楽しそうに笑っていた。
「今日の練習もきつかったですね。柘植コーチほんま鬼ですわ。しかもなんや休憩しよったらサボっとるんちゃうかってめっちゃにらんでくるし。ちゃんとメニュー終わらせてから休んでるっちゅうねん」
「最近はサボらずに練習に出られているようだな」
「はい。これも月光さんのおかげやね。俺一人やったら絶対に朝練とか遅刻してもうてますもん。今日の朝も起こしてもろて、ほんまありがとうございました」
「あぁ」
二人並んで、ゆっくりと合宿所の敷地内を歩く。会話の内容は今日の練習のことだとか、レストランで食べた食事のことだとか、あるいは他愛ない話の数々だ。
練習の愚痴をこぼせば、サボらずに参加できていることを褒められる。
お礼を言えば、言葉少なに受け取ってもらえる。
短く味気ない返答の数々でも、打てば響くように越知は言葉を返してくれる。それがなんだかくすぐったいような、とても嬉しい事のような気がして毛利は顔を赤くしてはにかんだ。
ふと夜空を見上げればいくつか小さな星と、大きな半欠けの月が浮かんでいた。
一般的には月を見るなら満月、といったイメージがあるが、毛利には欠けて完全ではないこの月こそがそこらの星よりもきれいなものに思えた。
「月がきれいですねぇ」
「……そうだな」
少し、長すぎる間があったが越知はしっかりと頷いた。その目が月を見上げている様を見上げていた毛利の頭の中に、ひらめきに似た光がはじける。
「あ! 今の、昔の人の告白っぽかったんちゃいます?! ほら、誰やっけ、お札にのっとるえらい人。えっと、確か一万円札の人やったんやなかったっけ?」
「それは福沢諭吉だ。I love you を 月がきれいですね に訳したのは夏目漱石だと言われている」
「あ、そうそう! その人です! でも、愛してるんならそう言えばええのに。いきなり月がきれいですね、とか言われても愛の告白かなんてわからんもんやと思いますけど」
「昔は、そういったことは直接的に言わない方がいいとされていたからな。その影響が出ているのだろう」
へー、そういうもんなんやねぇ。
どこか納得のいかなさそうに頭の後ろで手を組んでいる毛利を見下ろして、越知はしっかりとファスナーをあげた首元に手を当てた。半欠けの月をきれいだと言ったその言葉が、耳の中でこだましている。
満月ではなく今宵の月をきれいだと言った毛利の声に、なぜか体の力が抜けそうだった。
よくわからないじんわりとした温かさを噛みしめていると、いつの間にか隣から前に移動していた毛利がじっと下から顔を覗き込んでくる。
「月光さんは、どっちの方がええです?」
「…………何がだ」
「月がきれいですねって言われんのと、好きです愛してますって言われんの。どっちがええですか?」
答えに窮して押し黙った越知を、毛利は真剣な顔で見上げている。試合以外でここまでのプレッシャーを感じたのは、初めてかもしれない。越知はそんなことを考えながら、どう答えるべきかもわからない問いを頭の中で走り回らせる。
「……お前は、どちらがいいんだ」
「俺です? 俺はそら、はっきり言われた方がええですね。月がきれいですね、とか言われても告白されとるとかわからんやろうし。後で気づいて改めて聞くのもなんか、アカン感じするやないですか」
嫌な顔一つせずに答えられ、次はそちらの番ですと言わんばかりの顔をされて。
越知は少しだけ口をへの字に曲げた。
「……どちらでも、かまわない。好意を抱き、それを伝えてくれるならば感謝をもって受け取るだけだ」
「なんかそれ、めっちゃ月光さんらしいわ」
「そうだろうか」
「そうです。月光さんはほんま、優しくてええ人やねぇ」
眩しくキラキラと光る瞳から目をそらしかけて、きつく自制する。口を閉ざして歩きはじめた越知の隣で、毛利はまた頭の後ろで手を組んだままついていく。
優しくていい人。
いつまで自分は毛利のその言葉通りでいられるのか。
越知は一抹の不安を抱きながらも、それを心の奥深くに押し込めた。
そこからは今日の練習の反省を語り合いながら歩いた。しばらくそうしていれば、自販機の並ぶ一画にたどり着く。越知はポケットから財布を取り出すと、少し体をかがめて小銭を入れていく。
自販機よりも背が高い越知が体を折り曲げて飲み物を買う。そんな、どこか現実離れした冗談のような光景が、毛利は好きだった。うまく言えないが、好きなのだ。
あえてなぜ、を追求せずに眺めている間に越知は二本の缶を持って戻ってくる。
「お、ありがとうございます、って、熱っ!?」
無言で差し出されたそれを受け取って、その熱さに少し鼻白んだ。これは絶対に中身も熱い。絶対に。
せっかく越知に貰った物を今ここで飲まないのは失礼な気がしつつも、しかし猫舌な毛利にはこれを早く飲み切ることは至難の業だった。
なによりも散歩の途中だというのに、足を止めさせるのも悪い。今までも温かいものを差し入れてもらって、そのまま散歩を止めさせてしまったことが何回もあった。
今日こそは、月光さんの散歩途中で止めてまわんようにしな。
そう思って、一息に飲み干そうとした毛利の手をやんわりと越知が止める。
「ゆっくり飲めばいい」
「え。で、でも」
「火傷されては困るからな」
「う……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
適当なベンチに深く座って長期戦の構えを取った越知に習うように、毛利も浅く腰掛けてまだまだ熱い缶を両手で包み込んだ。冷えた手を当てれば少しでも早く冷めるのではないか、という祈りにも似た何かだった。
息を吹きかけながら、時折チロチロと舌を出して温度を確認してはまた息を吹きかける。
隣で幼子のように可愛らしい動作で温度を確認しては熱を冷まそうとしている毛利を眺め、越知は緩やかに目を細めた。
毛利が猫舌であることは、越知も知っている。日ごろの食事風景などを見ている間に何となくわかってきたことだ。本人からそう申告されたことはないため、あくまでも越知の予測だがこの光景を見る限り間違ってはいないだろう。
越知はすべてを知っていて、その上で熱いものをすぐに飲むように圧をかけた。その行動の理由を知ったら、毛利はどんな顔をするのか。
笑うのか、怒るのか。
唖然とするのか、失望するのか。
チリチリと焦がされているような心を癒すように、越知はじっと未だ熱いココアと格闘している毛利を見つめる。
(熱いものの温度を確かめながら飲んでいる様子が好きだ、などと)
わけのわからない好きだ。
理屈では説明のつかない、つけたくない好きが、火で焼かれている胸の奥に流れ込んでくる。小さく息をついて、コクコクとココアを飲み始めた毛利の喉の動きを見守っていた。
中身が空になった缶をゴミ箱に捨てて、再び歩き出した二人はテニスコートを抜けてランニングコースに来ていた。
「ほんまにすいません。冷えてもうたんとちゃいます?」
「歩いていれば、温まるだろう」
「そんならええですけど。あ、月光さん手出してください」
言われるがままに手を出せば、毛利の温かい手に握られる。わずかに息をつめた越知を見上げる顔は屈託なく笑っていた。
「へへ、びっくりしました? さっきまであっつい缶持ってたから、まだ手がホカホカなんです」
「あぁ」
注意して見なければわからないくらいに小さく、越知が笑う。
「お前の手は、あたたかいな」
「月光さんの手なら、なんぼでもあたためたります!」
冷えた手にぬくもりが伝わって、温まった手が冷たさを引き受けて。
毛利が普通に飲める温度にまでぬるくなったそれを分かち合いながら、二人は紅葉した並木道を歩いていく。
寮に戻るまで、その手が離れることはなかった。
(もうちょいこのままおりたいな。月光さんも手握ったまま離さんし、ええよな)
(こうすることが好きなのも、あの光景が好きなのも、毛利だからなのだろうな)
まだ秋とはいえ、山の中にある合宿所の気温は冬の寒さに等しいと言っても過言ではない。まだ吐く息は白くならないが、それも海外遠征から帰ってくれば現実になっているだろう。
「月光さん、今から散歩ですか? 一緒してもええです?」
「……あぁ、構わない」
「ほんなら上取ってくるんでちょっと待っといてください」
支給された半袖シャツで過ごしていた毛利が、ベッドに放り投げたままにしていたジャージを身に着けていくのを越知はじっと見下ろしている。
これが毛利以外の相手であれば、急かされていると勘違いしてしまいそうな視線。しかし、実際には慌てずに支度しろ、という意味合いの視線であることを毛利はしっかりと理解していた。
「おまたせしました。今日はどこまで行かはるんです?」
「特に決めていない。……早めに切りあげるか」
「いやいや。俺が好きでついていくんやから、月光さんの好きにしらんせーね。どんだけ歩くことになっても、月光さんと一緒ならぜんぜんべっちょないわ」
「……そうか」
ポケットに何かを突っ込んで越知は部屋のドアを開ける。その後ろをついて行きながら、毛利はニコニコと楽しそうに笑っていた。
「今日の練習もきつかったですね。柘植コーチほんま鬼ですわ。しかもなんや休憩しよったらサボっとるんちゃうかってめっちゃにらんでくるし。ちゃんとメニュー終わらせてから休んでるっちゅうねん」
「最近はサボらずに練習に出られているようだな」
「はい。これも月光さんのおかげやね。俺一人やったら絶対に朝練とか遅刻してもうてますもん。今日の朝も起こしてもろて、ほんまありがとうございました」
「あぁ」
二人並んで、ゆっくりと合宿所の敷地内を歩く。会話の内容は今日の練習のことだとか、レストランで食べた食事のことだとか、あるいは他愛ない話の数々だ。
練習の愚痴をこぼせば、サボらずに参加できていることを褒められる。
お礼を言えば、言葉少なに受け取ってもらえる。
短く味気ない返答の数々でも、打てば響くように越知は言葉を返してくれる。それがなんだかくすぐったいような、とても嬉しい事のような気がして毛利は顔を赤くしてはにかんだ。
ふと夜空を見上げればいくつか小さな星と、大きな半欠けの月が浮かんでいた。
一般的には月を見るなら満月、といったイメージがあるが、毛利には欠けて完全ではないこの月こそがそこらの星よりもきれいなものに思えた。
「月がきれいですねぇ」
「……そうだな」
少し、長すぎる間があったが越知はしっかりと頷いた。その目が月を見上げている様を見上げていた毛利の頭の中に、ひらめきに似た光がはじける。
「あ! 今の、昔の人の告白っぽかったんちゃいます?! ほら、誰やっけ、お札にのっとるえらい人。えっと、確か一万円札の人やったんやなかったっけ?」
「それは福沢諭吉だ。I love you を 月がきれいですね に訳したのは夏目漱石だと言われている」
「あ、そうそう! その人です! でも、愛してるんならそう言えばええのに。いきなり月がきれいですね、とか言われても愛の告白かなんてわからんもんやと思いますけど」
「昔は、そういったことは直接的に言わない方がいいとされていたからな。その影響が出ているのだろう」
へー、そういうもんなんやねぇ。
どこか納得のいかなさそうに頭の後ろで手を組んでいる毛利を見下ろして、越知はしっかりとファスナーをあげた首元に手を当てた。半欠けの月をきれいだと言ったその言葉が、耳の中でこだましている。
満月ではなく今宵の月をきれいだと言った毛利の声に、なぜか体の力が抜けそうだった。
よくわからないじんわりとした温かさを噛みしめていると、いつの間にか隣から前に移動していた毛利がじっと下から顔を覗き込んでくる。
「月光さんは、どっちの方がええです?」
「…………何がだ」
「月がきれいですねって言われんのと、好きです愛してますって言われんの。どっちがええですか?」
答えに窮して押し黙った越知を、毛利は真剣な顔で見上げている。試合以外でここまでのプレッシャーを感じたのは、初めてかもしれない。越知はそんなことを考えながら、どう答えるべきかもわからない問いを頭の中で走り回らせる。
「……お前は、どちらがいいんだ」
「俺です? 俺はそら、はっきり言われた方がええですね。月がきれいですね、とか言われても告白されとるとかわからんやろうし。後で気づいて改めて聞くのもなんか、アカン感じするやないですか」
嫌な顔一つせずに答えられ、次はそちらの番ですと言わんばかりの顔をされて。
越知は少しだけ口をへの字に曲げた。
「……どちらでも、かまわない。好意を抱き、それを伝えてくれるならば感謝をもって受け取るだけだ」
「なんかそれ、めっちゃ月光さんらしいわ」
「そうだろうか」
「そうです。月光さんはほんま、優しくてええ人やねぇ」
眩しくキラキラと光る瞳から目をそらしかけて、きつく自制する。口を閉ざして歩きはじめた越知の隣で、毛利はまた頭の後ろで手を組んだままついていく。
優しくていい人。
いつまで自分は毛利のその言葉通りでいられるのか。
越知は一抹の不安を抱きながらも、それを心の奥深くに押し込めた。
そこからは今日の練習の反省を語り合いながら歩いた。しばらくそうしていれば、自販機の並ぶ一画にたどり着く。越知はポケットから財布を取り出すと、少し体をかがめて小銭を入れていく。
自販機よりも背が高い越知が体を折り曲げて飲み物を買う。そんな、どこか現実離れした冗談のような光景が、毛利は好きだった。うまく言えないが、好きなのだ。
あえてなぜ、を追求せずに眺めている間に越知は二本の缶を持って戻ってくる。
「お、ありがとうございます、って、熱っ!?」
無言で差し出されたそれを受け取って、その熱さに少し鼻白んだ。これは絶対に中身も熱い。絶対に。
せっかく越知に貰った物を今ここで飲まないのは失礼な気がしつつも、しかし猫舌な毛利にはこれを早く飲み切ることは至難の業だった。
なによりも散歩の途中だというのに、足を止めさせるのも悪い。今までも温かいものを差し入れてもらって、そのまま散歩を止めさせてしまったことが何回もあった。
今日こそは、月光さんの散歩途中で止めてまわんようにしな。
そう思って、一息に飲み干そうとした毛利の手をやんわりと越知が止める。
「ゆっくり飲めばいい」
「え。で、でも」
「火傷されては困るからな」
「う……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
適当なベンチに深く座って長期戦の構えを取った越知に習うように、毛利も浅く腰掛けてまだまだ熱い缶を両手で包み込んだ。冷えた手を当てれば少しでも早く冷めるのではないか、という祈りにも似た何かだった。
息を吹きかけながら、時折チロチロと舌を出して温度を確認してはまた息を吹きかける。
隣で幼子のように可愛らしい動作で温度を確認しては熱を冷まそうとしている毛利を眺め、越知は緩やかに目を細めた。
毛利が猫舌であることは、越知も知っている。日ごろの食事風景などを見ている間に何となくわかってきたことだ。本人からそう申告されたことはないため、あくまでも越知の予測だがこの光景を見る限り間違ってはいないだろう。
越知はすべてを知っていて、その上で熱いものをすぐに飲むように圧をかけた。その行動の理由を知ったら、毛利はどんな顔をするのか。
笑うのか、怒るのか。
唖然とするのか、失望するのか。
チリチリと焦がされているような心を癒すように、越知はじっと未だ熱いココアと格闘している毛利を見つめる。
(熱いものの温度を確かめながら飲んでいる様子が好きだ、などと)
わけのわからない好きだ。
理屈では説明のつかない、つけたくない好きが、火で焼かれている胸の奥に流れ込んでくる。小さく息をついて、コクコクとココアを飲み始めた毛利の喉の動きを見守っていた。
中身が空になった缶をゴミ箱に捨てて、再び歩き出した二人はテニスコートを抜けてランニングコースに来ていた。
「ほんまにすいません。冷えてもうたんとちゃいます?」
「歩いていれば、温まるだろう」
「そんならええですけど。あ、月光さん手出してください」
言われるがままに手を出せば、毛利の温かい手に握られる。わずかに息をつめた越知を見上げる顔は屈託なく笑っていた。
「へへ、びっくりしました? さっきまであっつい缶持ってたから、まだ手がホカホカなんです」
「あぁ」
注意して見なければわからないくらいに小さく、越知が笑う。
「お前の手は、あたたかいな」
「月光さんの手なら、なんぼでもあたためたります!」
冷えた手にぬくもりが伝わって、温まった手が冷たさを引き受けて。
毛利が普通に飲める温度にまでぬるくなったそれを分かち合いながら、二人は紅葉した並木道を歩いていく。
寮に戻るまで、その手が離れることはなかった。
(もうちょいこのままおりたいな。月光さんも手握ったまま離さんし、ええよな)
(こうすることが好きなのも、あの光景が好きなのも、毛利だからなのだろうな)