1話

 彼は一歩一歩段を下りてくる。間近に迫ったところで目が合った。何もかも見透かされてしまいそうなクールな眼差しに思わず怯む。

 彼が一瞬気まずそうな表情をしたので、私はさっと道を譲った。すみません、と低い声が耳に届く。すれ違った際に、ふわっと香水の匂いが漂った。……多分、フレグランス系のやつ。いい匂い。
 恋人の部屋に泊まった帰りなのかもしれないけど、そんな背景を感じさせないぐらい、この人の佇まいは洗練されていた。

 大人だあ……素敵すぎる。

 ほんの一瞬の邂逅。なのに、ハートを鷲掴みにされた感覚だった。大人な彼の存在感は、子供の私には圧倒的で。今まで遊んできた同年代の子達とは全然物腰が違う。この人と出会ってしまった衝撃で、さっきまで悩んでいたことが全部吹き飛んだ。

 ―――抱かれてみたい。あの人に。

 一瞬で芽生えた欲望。何が何でも彼と一夜を共にしてみたい。あの人はどんな風に女を抱くのか、どんな顔で、どんな声で女を啼かせるのか見てみたい。あのクールそうな眼差しを熱っぽく蕩けさせて、私だけを強く求めてくれたら、他のことはどうでも良くなっちゃう。
 理性が働かないほど強い衝動に突き動かされるなんて初めての経験だった。でもすぐに冷静になる。追いかけたところでなんて声を掛けたらいいのかわからない。話しかけたところで変人に見られるのがオチだ。

 悶々としながら、私は去っていく彼の背中を見つめる。階段を降り切った彼は一度もこちらを振り返ることなく、朝焼けに染まる街へ溶け込んでいった。
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