募る想いは果てしなく
「わ、すごいっ! ねえ見て、雪積もってるよ」
居酒屋の暖簾をくぐった時、視界いっぱいに広がる銀世界に目を見張った。
吐く息が白く染まり、冷えた空気も肌を刺す。体の底まで浸み通る寒さも、けれど今は気にならない。
本格的に冬を迎えた12月。街中には多くの人で賑わっている。それもそのはずだ。この時期だけの風物詩、華やかな都心の景観を目的に訪れている人も多いはず。
「もうすぐクリスマスだね」
大通りを行き交う人達に交じり歩き出す。周囲は赤と緑のクリスマスカラーに彩られている。日本最大のイベントが、今年もやってくるのだと実感する。
店の装いも華やかな演出に凝っていて、目映い程のイルミネーションを前に、スマホを構えて連写する人も多い。この場にいる誰もがみな、聖なる夜を目前にして胸を踊らせていた。
なのに。
「……寒すぎ。無理。早く帰ろう」
無粋な一言を放つ人物がひとり。
隣を歩く男の姿に、私は視線を向けた。
ナチュラルショートの前髪がふわりと揺れる。身長は私より頭ひとつ分高い。普段は背筋を伸ばして颯爽と歩くのに、この寒さのせいか、今は少しだけ猫背気味。
彼は同じ店舗で働く同僚のひとり。店長代理を務める私の補佐役として、サブマネージャーという役職に身を置いている。
女の子っぽい名前を少しだけ気にしてるみたい。
「あ、また降ってきた」
私の声が夜空に解ける。細やかな粉雪が舞い落ちてきた。深い闇夜に溶ける結晶、辺りは煌めくイルミネーション。幻想的な光景につい声も弾んでしまう。
「ホワイトクリスマスになるかな?」
「さあ」
「今年はどっちだと思う?」
「どっちでもいい。寒い」
ピシャリと会話を打ち切られ、一気に気分が降下する。
「もう。ムードってもんがないよ早坂クンは」
むうっと頬を膨らませる。早坂から反論の声はない。コートのポケットに両手を突っ込んだまま、静かに吐息を漏らしていた。
早坂は北海道生まれの雪国育ち。物心ついた頃から雪なんて見慣れている。だから珍しくも何ともないのだろう。対して雪とは無縁な環境にいた人間だっている。私がそうだ。
だからついはしゃいでしまったけれど、そんな私とは裏腹に早坂は冷めた反応しか返してくれない。この温度差が虚しい。
呆れつつも彼の服装に視線を落とす。ロング丈のチェスターコートを上品に着こなす姿は清潔感に溢れている。クールな表情は端正な顔立ち。俗にいうイケメンの部類に入る、と思う。
不意に悪戯心が湧く。薄情な横顔を崩してみたくて。思いっきり彼の腕にしがみついてみた。抗議の目を向ける早坂に、とびきりの笑顔を返す。
「だめ?」
「……別にいいけど。寒いしな」
妙な納得の仕方をしてそっぽを向く。ぶっきらぼうな態度が可愛くて、私は口元を緩ませた。
腕を組みながら歩を進める。ぴたりと寄り添う私達の姿は、周りの目からどう映るんだろう。そんなことをふと考える。やっぱり恋人同士に見えるんだろうか。
――まあ、全然違うんだけどね。
早坂はただの同僚。
兼、気の合う男友達。
居酒屋で仕事の愚痴を零す飲み仲間。
そんなところ。
こんな過剰なスキンシップも、ただのノリだ。
「早坂、もう一杯飲みに行こうよ」
「駄目だ。もう遅いし帰るぞ」
「え」
「マンションまで送るから」
拒否の反応が返ってきて脱力する。
「えぇ……萎えた。飲み足りないのに」
「……ていうか」
「なにさ」
「今日、ペース早かったな。何かあった?」
その問いかけに顔が強張る。早坂の探るような視線が痛い。この男に下手な嘘は通用しないから、どう答えようか一瞬迷った。
北欧インテリア好きが講じて、高卒後に今の店舗――北欧雑貨のセレクトショップで働き始めて8年。オープニングスタッフとして入社し、3年目でサブマネへと昇進、今の地位に至る。
早坂が異動してきたのは4年前。つまり彼とはもう4年の付き合いになる。今では気心の知れた親友のような関係。それだけに、私の異変も彼にはお見通しだったようで。
「なんだよ。言えよ」
「別に。何かあったって言うなら、売上の数字しか見ない本部にストレス溜まってることくらい」
「本部がいい加減なのはいつもの事だろ。で、どうした?」
気心知れた友人というのも、時に厄介だ。誤魔化したくても誤魔化されてくれないから。本部への不満を言い訳にしようとしたけど、案の定早坂には通じなかった。
そう。早坂ってこういう人だ。目の前で困っている人間を絶対に見捨てない。その素晴らしい長所は、こんな時にもいかんなく発揮される。
親身になってくれるのはありがたいと思ってる。ただ私としては、できれば誤魔化されてほしかったのだけど。
……仕方ないな。
「早坂、やっぱ飲み直そ。私の部屋で」
「はいはい……、え?」
不自然に動きを止めた早坂の腕を強く引っ張る。辿り着いたのはタクシー乗り場。目の前で停車した車の後部座席に、困惑している早坂を無理やり奥へと押し込んだ。
・・・
「ちょっ、待てって七瀬」
マンションに着いてからというものの、背中越しに本日何度目かの制止の声が掛かる。
ちなみに七瀬というのは私の名前だ。
「なに?」
「なにじゃねーよ。俺帰るからな」
「私の部屋で飲み直そうって言ったじゃん」
「七瀬が勝手に言ったんだろ。おい引っ張んな」
がっしりと腕を絡ませて、独身男性を部屋に引きずり込もうとする喪女とは私の事か。もちろん普段はこんな事しないし、誰彼構わず部屋に誘わない。仲のいい早坂ですら、部屋に招き入れたことはない。今日が初めてだ。
早坂は基本優しいし、私に甘い。どんなワガママも付き合ってくれる。だから宅飲みも承諾してくれると思ってた。こんなに拒絶されるなんて思わなくて、少なからずショックを受ける。
私の部屋で飲むのがそんなに嫌なのかな。
「なんでそんなに嫌がるの?」
「別に嫌じゃないけど」
「じゃあ付き合ってよ。今日はとことん飲み明かしたい気分なんだから」
「だめだって」
「なんで」
「……七瀬、男いるだろ」
はっ? と素っ頓狂な声が出た。ぱちぱちと目を瞬かせる。早坂は苦虫を噛み潰したような険しい表情を浮かべている。
「彼氏持ちの女の部屋には入れない」
というのが早坂の言い分だった。
早坂は真面目で誠実を絵に描いたような人だ。頼り甲斐のある彼を慕う人間も多い。もちろん男性としても魅力的。彼に好意を抱いているお客さんもいるくらい。
そんな早坂だから、宅飲みを拒否する理由も、やっぱり彼らしい誠実な理由だったことに納得する。
ただ少々、誤解が生じている。
「彼氏なんていませんが」
「青木って男と付き合ってるだろ」
「……早坂の口からその名前は聞きたくなかった」
「は?」
「もう別れてる。私の中では」
そう。あくまでも『私の中では』だ。つまり相手にとってはそうじゃないわけで。それが最近の頭痛の種になっている。
「……訳ありか?」
曖昧な物言いに何かを察したのか、訝しむように早坂は私を見つめてきた。
「うん、まあ」
「今日様子が変だったのも、ソイツのせい?」
「ソイツ」
「……話聞いたら帰るからな」
ほらね、こうなっちゃう。
本当に、どこまでも優しい奴なんだから。
そんな彼に私は今日も甘えてしまう。早坂の隣は本当に居心地がいい。
いずれ彼と付き合うであろう、未来の彼女に思いを馳せる。正直、羨ましいと思った。だって早坂なら絶対に、彼女一筋で誠実な付き合い方をしてくれそうだから。そういう普通の恋愛がしたい。したかった。
……なんせ、私の彼氏はとんでもなく酷い人だったから。
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