募る想いは果てしなく

プライドとエゴイスト(前)



 ――七瀬の表情が苦痛に歪んでいく。その様子を横目で見て、もう限界だと感じた。2人の無意味なやり取りを見るのも、七瀬が傷付いていく姿を見守ることしかできない、この状況にも。
 この男を七瀬から引き離す必要がある。そう判断して席を立った。もともとこの男とは、2人だけで話をしたかったんだ。好都合だ。

 けれど正直、気が重い。
 いくら相手が恋敵であっても、だ。
 2人の仲を引き裂くような真似が、この場において正しいことだとは思えなくて。

 今から自分のする事は、人の道から外れている。けれど、正解なんてどこにもない気がする。なら自分がすべき事を優先する。
 体裁もプライドもかなぐり捨てて、助けてほしいと俺に縋ってくれた七瀬に応えるために。

 喫茶店を先に出た俺の後に、青木が続く。その足取りは実に堂々としていて、悪びれている様子は一切ない。
 悪事の数々を暴かれておきながら、コイツの神経どんだけ図太いんだと感心すら抱く。

 でも見習いたいとは思わない。
 それよりも心配なのは、残してきた七瀬の方だ。

 ――この場に七瀬を呼びたくなかった理由。それは彼女に聞かせたくない話があったから。
 そのうちのひとつが青木の結婚事情。
 この男の本当の結婚時期を教えれば、それはおのずと残酷な事実に辿り着いてしまう。

 この男は七瀬と仲を深めておきながら、同時進行で違う女とも愛を育んでいたんだ。
 その結果が相手の妊娠だ。
 青木との結婚と子供を夢見ていた七瀬にとって、これほどショックなことはないだろう。

 ……真実を打ち明けている時の、七瀬の泣きそうな顔が何度も脳裏に蘇る。

 胸にチリチリとした痛みが走る。
 本当はあんな顔させたくなかった。
 もう泣かせたくなかったのに。
 可能であれば、七瀬の言う"綺麗で円満な別れ"に近い形で終わらせてあげたかった。
 だったらあんな話を、わざわざあの場で……いや、彼女の前で明かさなくても良かったんじゃないかと疑念を抱く。

 けれど、こうするしかなかった。
 2人の離別を決定打にする為に必要だった。
 男の素性と悪事を白日の下に晒すこと。裏切り行為を自認させて、二度と七瀬に近づかないように誓わせる――
 相手の弱味を握る形にはなるが、七瀬がこいつにされたことに比べたら可愛いものだろう。

 ……他の"聞かせたくない話"は、これからだ。

「……こんなところまで連れ出して何の用?」

 喫茶店からやや離れた場所。
 着いて早々、青木は俺を咎める口振りで突っかかってきた。

「大体、なんでお前がここにいる。これは俺と遥の問題だ。他人がしゃしゃり出てくるなよ。不愉快なんだけど」

 饒舌な口調で喋り始めるから笑ってしまう。七瀬の前だと大人しいのに。彼女がいないと随分と荒い気性を出す。
 なんともわかりやすい奴だ。
 本人も自覚していたから、七瀬の前では優しい男を演じてきたんだろう。

 俺が4年間、七瀬を想い続けてきたように、この男も4年間、七瀬と一緒の時を過ごしてきた。あれだけ他人と揉め事を起こしてきたこの男が、七瀬と交際している期間だけは、一度たりとも不祥事を起こしていない。
 交際の途中で他の女と結婚する羽目になるが、親から勧められた縁談を断れなかっただけだ。それでも七瀬から離れられなかった、という事だ。

 だから。同じ男として、どうしても言いたいことがある。

「……どうして大事にしてやれなかったんだ」
「……あ?」
「七瀬のことだ。どうしてもっと誠実に向き合わなかったんだ。七瀬を本気で想っていたなら、本気で更生する覚悟もできたはずだろ」

 政治家の息子、エリート一家。優秀な長男、そして、でき損ないの次男。その特殊な環境下で、この男がどんな闇を抱えていたのかはわからない。
 けれど、こいつは七瀬と出会えた。七瀬といる間、青木の精神は安定してた。鬱屈した感情を持て余すこともなかった。空虚だった心の隙間を、彼女が愛情で満たしてくれたからだろう。

「お前に同情はしないけど、七瀬を好きな気持ちはわかるよ。七瀬の傍は居心地いいよな」

 七瀬は男を立てるのが上手い。褒め上手だし、家庭的で奉仕系だ。心許した男には何でも尽くしてあげたい女性がいるらしいが、七瀬もそんなタイプだろう。
 居心地のいい空間を作ってくれて。
 自分の存在をとことん肯定してくれる。
 そんな彼女に癒されていたんだ。
 俺も、こいつも。

「自らの過ちを認めて、自分を変える努力を怠らなければ、こんな泥沼な事態にもならなかった。七瀬も理解を示してくれたはずだ」
「……」
「縁談だって、青木新一……いや、父親と話し合えば破談にできたはず、」
「何も知らないくせに勝手なこと言うなッ!」

 狂ったように、青木は声を強く張り上げた。
 感情を抑え込んでいた男の突然の豹変。父親が地雷なのか、安易に名前を出したのがマズかったのか。どうやら逆鱗に触れたらしい。
 怒りを露にした表情で詰め寄ってくる。
 荒々しく胸ぐらを掴まれた。

「……低俗の分際で偉そうに説教するな。何が『七瀬の傍は居心地いいよな』だ。人のものに横から手出しておいて、一丁前に彼氏面して語るとか寒いんだよ」

 放り投げるように突き飛ばされる。
 体勢を崩してよろめいた俺の腹部に、青木の容赦ない蹴りが入った。

「……ッ!」

 鳩尾に強い痛みが走る。危うくその場に倒れかけた。咄嗟に後ろ手をついて体重を支える。
 内心、舌打ちする。人目につく場所なら手を出してこないだろうと高を括っていたけど甘かった。キレたら周りが見えなくなるタイプは、場所がどこだろうと関係ねぇのかよ。
 痛みを堪えながら顔を見上げた時、もう一度胸ぐらを掴まれた。無理やり体を引き上げられ、憎々しげに睨み付けられる。

「お前さえいなければ、いずれは上手くいってた。遥が俺から離れることもなかった。お前さえ……ッ」
「……それは違うだろ」
「違わないね」

 怒りを鎮めるように、青木はふーっと息を吐く。口元を歪め、下卑た笑みを浮かべた。

「抱いた?」
「……は? 何の話」
「勿体ぶらなくていいよ。もう抱いたんでしょ?」
「……」

 何言ってんだこいつ。

「遥はベッドの中でも素直な子だからさ、快感に蕩けた顔でヨガる姿なんて本当に可愛いんだ。ほら教えてよ。どこまでヤッた?」
「……やめろ。そんな話したいわけじゃない」

 不快に眉をひそめても、青木の喋りは止まらない。

「まさか最後までヤってないの? お前下手なの? それは可哀想に。早く抱いてあげなよ。遥はセックスも上手だから、うまくリードしてくれると思うよ」
「だからやめろって」

 これ以上は聞きたくないと男の手を払う。距離をとり、真正面から青木を見据えた。

「まあ、遥にセックスの良さを教えたのは俺だけどね」

 それは一体何の優越感なのか。
 青木は得意気に語り始めた。

「知ってた? 俺が初めて遥を抱いたとき、遥はまだ処女だったんだ。初々しい反応が本当に可愛くてさ。お前にも見せてやりたいくらいだよ」
「……」
「まだ誰にも開発されてない遥のカラダを、俺好みに仕上げる過程は楽しかったな。残念だったね? お前が今すぐ抱きたい子、俺のお下がりになるわけだけど。それでも良ければどうぞ」

 馬鹿にしたように鼻を鳴らす。どこまでも余裕な態度を崩さない。俺よりも自分の方が優勢だと、そう誇示することで必死に体裁を守ろうとしてる。
 そんな姿は惨めなだけなのに、はっきり言って痛々しい。
 それを本人が自覚していないのなら、もう何を言っても無駄なのだと悟った。

「……アホらし」
「はぁ?」
「お前いくつだよ。くだらない見栄張ってないで現実に目を向けろ。もうわかってんだろ、七瀬の心が完全にお前から離れてることくらい」

 そう告げれば、忌々しげに舌打ちをする。あんな風に煽れば、俺がムキになって突っかかってくると睨んでたんだろうけど。
 やり方も考え方も幼稚すぎる。
 本当に俺らより年上なのか、コイツ。

「あと誤解してるようだから言っとく。七瀬は浮気してない。俺は相談を受けていただけだ。彼女はいつもお前ばかり見ていて、俺には全然見向きもしてくれなかったから」
「……へえ」
「おい、その憐れみの目で見るのやめろ。腹立つ」

 しかめっ面のまま呼吸を整える。
 馬鹿と話してると疲れるな、本当に。

「七瀬がお前と別れたいのは、浮気してたからじゃない。お前に4年間騙され続けていたことに嫌気がさしたんだ。自業自得なんだっていい加減に気づけ」
「……ッ」
「つーかさ、マジで七瀬と別れてくんない? お前のせいで、俺ずっと待ちぼうけされてんだけど」

 青木の眉間に皺が寄る。お前のことなんか知るかと言いたげな顔だ。
 だが待ちの体勢でいるしかない俺としては大問題だ。

「さっきの"お下がり"発言、女性を卑下した言い方で腹立つけど。俺に七瀬を譲るって意味で捉えてもいいんだよな? どうぞって言われたし」
「はぁ? そんなこと言ってない」

 いや言ってたから。
 なに無かったことにしてるんだ。

「ていうか、わざわざお前から譲り受けなくても、勝手に奪うし、普通に抱くから。お前が先にツバつけたとかそんなもん知るか」

 そんなことを気にするほど狭量じゃない。先を越された、なんて気にする方が馬鹿らしい。
 ……まあ、初めての相手がコイツだと七瀬から聞いた時はモヤッとしたけど。それはともかく。

「そういうわけだから、お前は諦めて身を引け。二度と七瀬の前に現れるな。以上。じゃあ俺帰るから」

 口を挟む暇も与えずに略奪宣言してやった。
 これが言いたかった。スッキリした。
 呆然としている青木に背を向ける。もう用は済んだとばかりに身を翻して、喫茶店へと戻ろうとした――が。

「……あ。肝心なこと忘れてた」

 最大の目的を忘れるところだった。
 略奪宣言をする為に連れ出したんじゃない。
 振り返り、俺は青木に向かって手を差し出した。
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