募る想いは果てしなく
七瀬と触れ合った夜から2週間以上が経った。
彼女と青木の状況は、あれから一向に進展していない。連絡は毎日来るし、執拗なメールも頻繁に届く。やってることはストーカー行為に近いが、あの男が俺達の前に、姿を現すことはなかった。
封筒の件以来、店に不審物が届いたこともない。その点に関しては安堵している。スタッフにまで接触してくるんじゃないかと、七瀬が一番気に病んでいた部分だったから。
その七瀬は最近、スマホを1台購入した。今は新規の方をメインに使っているが、もちろん青木には知らせていない。
今まで使用していたスマホは、まだ手元にある。実は解約すらしていない。青木と繋がっているのは、この古いスマホの方だ。
もし解約してしまえば、話し合いの場を設ける為の日時の相談ができなくなる。七瀬と連絡が取れなくなった青木が、今度はどんな暴挙に出るかわからない。それらを考慮しての判断だった。
解約しなければ当然支払いも続く。つまり毎月、2台分の請求がくる。金銭的に七瀬の負担が増えるのは避けられないが、それでも青木との繋がりを一時的に断てるなら。七瀬自身がそう決断した。それ程ストレスを溜め込んでいたのだろう。
「……『君と別れるくらいなら死ぬ』、だそうだ」
「それ何度目? 絶対死ぬ気ないじゃないですか」
冷ややかな声の主は鈴原のもの。閉店作業中、事務所で彼女と作業してた最中。例の如く、青木からのメッセージを受信した。
「……よくもまあ、毎日懲りずに送ってくるよな」
それだけの気力があるなら、その頑張りを他に使い回せばいいのにとすら思う。
七瀬から預かったスマホをポケットに仕舞う。その古い機種は、今は俺の手中にある。青木がどんなメッセージを送ろうとも、それらは1文字も七瀬の元には届かない。
メールの内容は日を追うごとに過激化している。七瀬本人は気味悪がって見ようとはしない。俺自身も見せるつもりはない。まさか青木も、俺に内容を見られているなんて思いもしていないだろう。
「自己アピ必死すぎなんですよ。エリート社員って暇なんですか? それで稼げてるんだから人生楽しそうですよね~」
これ以上ないくらいの嫌味。だが、まあ同意見だ。この男の熱心ぶりには感心するものがある。もちろんこれも嫌味だ。
メールの内容も散々なものだ。七瀬に対しての愚痴、不満、交際の催促。滞在先の探りなど様々。
似通ったメールを一通り送りつけた後は、今度は自殺をほのめかすような文章を送ってくる。もちろん虚偽の報告なのは、火を見るより明らかだ。
これがこの男――青木 忍の本性だ。
あれは七瀬が思ってるほど大人でもない。紳士的な振る舞いが出来る男でもない。ましてや心が病んでいるわけでもない。精神年齢の低い、ただのガキだ。
七瀬の前では立派な優男を演じていたようだが、別れを告げられたことで化けの皮が剥がれてしまった、というべきか。七瀬に拒まれたからムキになって、衝動的に暴力を振るい、挙句の果てに大怪我までさせて。
なのに自分は悪くないと嘯き、謝罪の言葉もなし。そればかりか、脅迫めいたメールを一方的に送りつけ、カッターの刃を混入した封筒を勤務先に届け、七瀬の気を引こうとした。俺に恐怖を植え付ける目的もあったのかもしれない。
頭の中が小学生のままで止まってる、鈴原が青木に対してそう毒づいていたが、封筒の件にしてもメールの件にしても、青木のやっていることは子供の悪戯と大差ないレベルだ。
だが、相手が子供なら子供で厄介だ。子供は大人の言うことを聞かないから。
どちらにしてもストーカー行為ではあるし、面倒なことには変わりない。
「そんな調子で七瀬さん、大丈夫なのかな」
「本人は色々吹っ切れたみたいで元気だよ」
そう。ここ最近の七瀬はよく笑う。お得意の作り笑いじゃない、普通の笑い方。無理に強がると不自然に笑う癖が、彼女本来の無邪気な笑顔に戻りつつある。
青木からの連絡を断ったこと、加えて弱音を吐ける場所があることを自覚できたのが良かったのか。メンタルの部分は安定しているようだ。
「ま、元気ならいいんですけど」
「鈴原の平手打ちが効いたんだろ」
「あああぁ……それは言わないで……」
この話題を口に出すと、途端に鈴原はうなだれる。尊敬している人をぶってしまったという罪悪感が、彼女の中で拭いきれていないらしい。
別に気にすることでもないだろうに。七瀬が立ち直るキッカケにもなったんだし。
ちなみに2人は翌日には和解している。
関係は変わらず良好だ。
「私の事はいいんですよ。それより」
「うん?」
「そのDV彼氏ですよ。また話し合うんですよね。今度は早坂さんも一緒についていくんでしょ?」
「あー……、まあ」
俺の曖昧な返答に、鈴原は眉根を寄せた。
「なんですか、そのやる気なさそうな声は」
「いや……ちょっとな」
「?」
「なんでもない。気にすんな」
「え、無理です。気になります」
「大したことじゃないから」
「大したことじゃないなら言えるじゃないですか」
ああ言えばこう言う。俺ははあ、とため息をついた。鈴原は出来のいい後輩だが、妙に口達者だから言い負かされることも多い。19歳の女の子相手に情けない話だが。
「話し合いの場に、七瀬って必要だと思うか?」
「必要でしょ。当事者ですし」
「……まあ、そうだよな」
第三者を交えて話すにしても、別れ話は当事者同士で解決するのが一番望ましい。それはわかってる。円満な形で別れたいと言う七瀬の希望に、俺も出来るだけ寄り添ってやりたかった。
……そのつもりだった。
「……話し合いの場に、七瀬さんを連れて行きたくないってことですか?」
「……そうだな」
「じゃあ早坂さんは何で同行するんですか?」
鈴原がそう疑問を呈するのも当然だった。俺はあくまでも第三者目線で、七瀬と青木が円満に別れられるように働きかける役目。最初はそのつもりだった。
でも今は違う。話し合いの場に、七瀬にいてほしくない。俺が青木と2人で会いたいのは、別の理由がある。その理由こそが、七瀬に来てほしくない事情に繋がっている。
「なんか、釈然としないっていうか……いつもの早坂さんらしくないですね」
「……かもな」
「七瀬さんに来てほしくない理由を、早坂さんがちゃんと説明しなきゃ納得してくれないと思いますけど」
鈴原の言うことは最もだ。
が、言えない事情があるから困っている。
「それで?」
「ん?」
「なんで七瀬さんに来てほしくないんですか?」
「それは言えない」
「私には教えてくれてもいいじゃないですか」
「話したくない」
「えぇ、あんなに協力したのに。恩を仇で返す所業ですよ」
「悪いな」
「悪いと思ってるなら教えてくださいよ」
「教えるわけないだろ」
これ以上踏み込んだ詮索は必要ない。不満そうに口を尖らせている鈴原を無視し、キーボードを打ち込んでいく。
今日の売上分のデータを本部に送信すれば、あとはもう帰宅するだけだ。
「せめてヒントだけでも」
なかなか引き下がらない。確かに納得はできないだろうけど。やれやれと言わんばかりに、重い口を開く。
「……あの日さ。七瀬が青木から殴られた日」
「……」
「俺はてっきり、青木は"部屋の外で"、七瀬の帰りを待っていたんだと思ってた」
「……え、違うんですか?」
鈴原は意外そうに目を丸くした。彼女もそう思い込んでいたんだろう。
けれど七瀬は言ってた。青木は"部屋の中で"待っていた、と。
「合鍵使って入ったんですか?」
「いや、合鍵は渡してないって言ってた。七瀬んとこ、賃貸マンションだからな。鍵を複製するのは基本的に禁止なんだよ」
「……まさかピッキング?」
「そんな技量持った奴がそうそういるとは思わないけどな」
七瀬の部屋はディンプルキーだった。防犯目的の鍵のことだ。ピッキングの手口とは相性が悪すぎる。合鍵を作ること自体難しい。
……いや、作れないわけではない。作成自体は可能だが、まあ時間と手間が掛かる。依頼金額も決して安くはない。鍵の種類によっては認証IDや純正キーが必要になってくるし、管理会社や大家の許可も必要だ。手続きが面倒だったりする。
実際には、賃貸でも合鍵を作る人は多い。1個だけでは不便な時もある。ただ部屋の主でもない他人に、合鍵が作れるはずがない、のだけど。
「じゃあ窓から侵入したとか?」
「無理だ。窓も玄関も施錠してたらしい」
「でも窓が難しいなら、やっぱり玄関から入るしかありませんよ」
「じゃあ七瀬がいない部屋の中に、アイツはどうやって入ったと思う?」
「……」
そこで鈴原は言葉を切った。横目で見れば、眉間に皺をがっつり寄せている。不快感丸出しの顔でつい笑ってしまった。
鈴原は賢いし頭の回転も早い。今の会話の流れで全てを理解したのだろう。俺が青木に会いに行く本当の理由も。七瀬に来て欲しくない理由も。
「……嫌な感じ」
「だから話したくないって言っただろ」
男の俺ですら気持ち悪いと思うんだ。彼女に内緒で男が合鍵を作っていた、その使用目的は何かと考えたら恐怖でしかない。それに相手の信用問題にも関わってくる。
更に言えば青木のしたことは不法侵入で、立派な犯罪行為だ。
「もし合鍵で部屋に入ったとして……それって、いつ作ったんですか?」
「それも問題なんだ」
青木に別れを告げた後は直接アイツと会っていない……という七瀬の言い分を信じるなら。青木が合鍵を作ったのは、交際していた期間中だ。
多分、青木は合鍵を隠し持っている。なぜ隠れて合鍵を作ったのか。部屋の主でもない他人にそれが可能なのか。調べてみなければ真実は見えてこない。
自力で調べてみるかと重い腰を上げたのは、青木に対しての不信感が、俺の中で人一倍強かったからだ。アイツは何かを隠している、そんな気がしてた。
直感というのは大抵当たる。いい事も、悪い事も。調べていくうちに明るみになっていく、青木が重ねていたいくつもの罪。アイツは確かに隠し事を持っていた――七瀬への裏切りという形で。
けど七瀬は何も知らない。青木の本当の裏切りに気づいていない。けど、知らせるつもりはない。知らなくてもいいことだ。知ってしまったらきっと傷つく。泣かせてしまうのがわかっていて、わざわざ告げる勇気はない。
けれど話し合いの場に七瀬が来れば、嫌でも知ってしまうことになる。頭の痛い問題だ。
「早坂さん」
様々な葛藤に悩む俺に、鈴原の凛とした声が届く。
「たとえ修羅場が待っていたとしても、早坂さんが七瀬さんの手を離さなければ、どんな困難だってきっと乗り越えられますよ」
19歳らしかぬ大人なフォローをされた。
励ますように鼓舞されて、俺は苦笑するしかない。
「その根拠は?」
「勘?」
「それは……頼りになるな」
「なんですかその間は」
青木には必ず会わなければならない。本当に合鍵を作ったのか、もし作ったのなら、返却してもらわないといけない。それも、できるだけ七瀬に知られない方法で。
青木には他にも問い詰めたい事がある。
個人的に話したい事もある。
さて……どうするよ。