募る想いは果てしなく
「……あのね、喋ってもいい?」
考えなんて何もまとまっていない。でも、なにか喋りたくて。早坂の腕の中で、ゆっくり言葉を紡いでいく。
「私ね、小2からずっと学級委員やってたの」
「へえ」
「中学と高校は生徒会役員でね」
「すげーじゃん。頼られてたんだな」
控えめに頷く。昔から成績は悪くなかった。それに私は人見知りしない性格だったから、誰とでも仲良くなれたし、友達や教師からも頼られることも多かった。
だからかな。学年が上がる度に、重要ポジションに就くことが増えた。当然、周りから期待される機会も増えてくる。
それが苦しかったわけじゃない。頼られるのは嬉しかった。自分の存在価値を認められたような気がしたから。
「嬉しかったなあ、みんなから頼られるの。その期待に応えようとするとね、みんな喜んでくれるの。すごく褒めてくれるんだよ」
けれど良いことばかりじゃなかった。
いつも人から頼られて、相談に乗ってあげて。愚痴を聞いてあげて、励ましてあげて。感謝されて褒められて、そんな風に頼られている自分に酔いしれて、
そこから、抜け出せなくなった。
人に弱点を見せられなくなった。
弱音を吐けなくなった。
言ったら相手を困らせる、そんな気がして。
そればかりか、格好悪いとすら思ってしまった。
部下に対して強く言えないのも、叱れないのも。結局はそれが原因で、みんなに嫌われるのが怖いから。ただそれだけだった。
「だから言ったの。人の為に正論を貫ける早坂の方が、臆病な私よりも上司に向いてるって」
青木さんのことだってそう。誰かに頼るべきだって、早坂に言われて納得してた。
でもそれは出来ない。不倫してたなんて知られたくない。だって私の印象が穢れてしまう。幻滅されてしまったら、今まで培ってきた信頼や期待が全部壊れてしまうことを恐れたんだ。
「……私ね。あの時、安心したの」
「……いつ?」
「1人で青木さんに会いに行くって言った時。かなえちゃんなら絶対反対してくれるってわかってた。わかってて、1人で行くなんて言ったの」
「……鈴原は本気で心配してた」
「うん、わかってる。嬉しかった」
「……」
「早坂も止めてくれると思ってた」
でも何も言わないから。
不安を感じずにはいられなくて。
「だって、私……私ね」
「……」
「ただ心配してほしかっただけなの」
人に弱いところを見せたくないから。
無理に笑って誤魔化そうとする。
人に素直に甘えられないから。
心配してもらうことで安心を補おうとする。
自分は優秀な人間だと見せたいから。
だから全部、私ひとりで完結させようとした。
私はそういう人間なんだ。かなえちゃんが憧れるような人間じゃない。自尊心が低いくせにプラドだけは高くて、誰かに依存しないと生きていられない。そんな小さい存在なんだ。
「いるだけで迷惑だよね、こんな奴」
「……大袈裟すぎ」
「……え」
静かな室内に、早坂の低音が響く。
「人なんて生きてるだけで誰かに迷惑かけてる。それでいいんだよ」
「……そうかな」
「俺にしとけば?」
「……何が?」
「弱音を吐ける存在なんて1人で十分だろ」
「……」
「俺にしとけばいいだろ」
ぐ、と身体を寄せられて鼓動が速まる。早坂にしては珍しく強気な発言だった。服越しに聞こえてくる心音は、少しだけ早い速度で一定のリズムを刻んでいて、その鼓動と温もりが、頑なだった心を解かす。包み込まれるような安堵感が全身に行き渡る。
早坂はいつも私と一緒にいてくれた。
これからも一緒にいてくれるという。
1人で頑張らなくてもいいと言ってくれた。
自分だけに弱さを見せてほしい、とも。
私のしたいこと。私の考え。
奥底に隠した汚い感情。
それらを全て肯定してくれる早坂に、これ以上自分を強く見せる必要なんて、ないんじゃないのかな。
それにもう、正直疲れた。
ひとりで全部抱える辛さより、頼れる相手が傍にいてくれる心地よさを知ってしまった。
そうしてやっと、好きな人に甘えてみたい弱さが、私の中で生まれた。
「……早坂」
「……ん?」
「……助けてほしい」
初めて本音を吐露した時、心の枷が外れたように重苦しさが無くなった。
責任という重い鉛に繋がれていた心が、桎梏から逃れられた解放感で満たされていく。
「……はー……、やっと聞けたわ」
長い間溜めていたものを吐き出すように、早坂は安堵した表情で深く息を吐いた。私が助けを求めてくることを、ずっと待っていてくれた。
じわりと涙が溢れてくる。静かに肩を震わせる私の背中に、早坂の手のひらが何度も優しく行き来する。
――……ああ、落ち着く。
早坂の声も、匂いも。
体温も仕草も全部が好き。
好きな人に想われている、守られていることをちゃんと実感できる。
「ごめん……ごめんね、もう無理……っ」
「いーよ。もう諦めて楽になれ」
「……っ」
耐えきれず零れた涙が頬を伝う。いつだって早坂の言葉は私を救ってくれる。広い胸に顔を埋めながら鼻をすすれば、ふ、と小さく笑う気配を感じた。
私の嗚咽だけが狭い室内に響く。耳障りな雑音も聞こえない。唯一拾う音といえば、時を刻む長針だけ。
でも重苦しい空気じゃない。どれだけ沈黙が続いても、ちっとも苦痛なんかじゃなかった。
もう1人で不安にならなくてもいい。
1人で責任を負わなくてもいい。
この人が傍にいてくれる。
私の過ちも醜さも全部認めて、全てを受け入れてくれている。守ってくれようとしてくれる。その溢れんばかりの包容力に、私は何度、心を救われてきたんだろう。
早坂の腕の中で身じろぎする。
すると彼は何を思ったのか、私の身体を殊更強く抱きすくめてきた。
「……なに離れようとしてんだよ」
急に不機嫌そうな声音。力強い抱擁は、逃したくないという意思の表れ。これ以上ない幸福感が心を満たす。
「……してないよ」
「いま動いたじゃん」
「違うってば。もっとくっつきたかったの」
両腕を伸ばして広い背中に回す。すり……と胸に頬を寄せれば、柔らかく抱き締め返してくれる。
ふわふわとした夢心地な時間。まるで波間をゆったりたゆたうような感覚に浸る。
幸せだった。
これ以上ないくらい。
……でも、私ってやっぱり欲張りだ。
想われているのは自覚してる。心もすごく満たされてる。でも目に見えない想いだけじゃ足りなくて、言葉や行動を望んでしまう。愛されているという、確かな実感が欲しくなる。
どうしてこんな欲求に駆られるんだろう。好きと明確に伝えていないから? 伝えたいのに伝えられない、そのもどかしさが、より強い欲求へと駆り立てるのかな。
早坂が私に抱いている感情を、もっと近くで感じてみたい。
「……ねえ」
「……今度はどうした?」
「抱き締めるだけでいいの?」
からかうような口ぶりで尋ねる。早坂は一瞬言葉を詰まらせた。小さく喉を鳴らし、動揺を隠すように、か細い息をゆっくりと吐き出す。
「……煽るなよ」
やりきれなさを滲ませた悪態に胸が疼く。艶気を含んだ声に、体の芯がとろとろに煮崩れするような、抗えない甘い余韻が下肢に広がっていくように感じた。
それは意図せず生まれた官能の火種。全身がじわりと火照りだす。
「ねえ、いいの?」
「……だから、そういうこと言うなって」
蕩けるような低い声音。まるで甘い睦言を囁かれているような。
早坂と過ごした4年間、こんなに悩ましげな彼の声を聞いたことはない。だからかな。貪欲な私が顔を出す。もっと聞きたくなってしまう。
……そう、聞きたくなった。知りたくなった。魔が差したと言ってもいい。生真面目で誠実で、女の口説き方も知らないような、男女の営みなんてちっとも興味がなさそうな、硬派なイメージしかない早坂が、どんな風に女に触れるのか。どんな顔で、どんな声で愛を囁くのか。知りたい。
ゆっくりと身を捩る。顔を上げれば目が合った。溶けそうな媚を含んだ眼差しが注がれる。
「……ね、抱き締めるだけで満足したの?」
小首を傾げながら尋ねる。何度も同じ問いを繰り返した。しつこいと咎められても、それでも私は知りたかった。
私が知らない、早坂の男の顔を見てみたい。この人からの愛情を一番近くで感じたい。だから。
「……早坂」
「……っ、満足、するわけないだろ」
絞り出すように紡がれた声は、苦悩交じりな響きを放っていて。憂いを湛えた瞳の奥に、剣呑な光が掠めた瞬間を私は見逃さなかった。
けれど、すぐに視線を逸らされる。一瞬だけ覗かせた熱情を、早坂は慌てて打ち消すかのように頭を振った。ずっと耐え続けていたものが不意に溢れ出そうになって、困惑している様子が見て取れる。
ますます胸が熱くなる。
その熱情を、もう一度引き出したくて。
言葉だけでは物足りなくて。
それほどまでに好きになってしまったんだ。
この人が好きで。
どうしようもなく好きで。
膨れ上がっていく想いを、込み上げてくる衝動を、自分の意思では抑えきれそうもなくて。
「……こっちだって、必死で理性にしがみついて耐えてんだよ。だから――……っ」
衝動に突き動かされて身を乗り出す。
その先は言わせないと、早坂の唇を唇で塞いだ。