募る想いは果てしなく
「うわあ、昭和的なやり方すぎて引く」
閉店間際の事務所。これは例の封筒を見たかなえちゃんの一言。もちろん早坂の姿もある。私と違って、2人とも一切動揺していない。
「2人とも落ち着いてるね……」
「だってこんなの、いい年した大人がやることじゃないですよ。頭んなか小学生のままで止まってるんじゃないですか?」
「同感だな。靴の中に画鋲入れて笑ってるガキと同じだろ」
呆れ返った様子で早坂は封筒を捨てた。カッターの刃は危険だから、前もって私が処分したけど。先に確認しておいてよかった。
「でも、今の青木さんは普通じゃない。何をするかわからないよ」
無抵抗の女に手を上げる暴力性と、カッターの刃を封筒に仕込む残虐さを目の当りにした今、いつまでもあの人から逃げ続けるわけにはいかなくなった。
早く私からアクションを起こさないと、痺れを切らした彼が何をしでかすかわからない。いくら私と別れたくないからといって、こんな脅しが許されていいはずがないんだ。
「あのね。私、青木さんに会ってくる」
「……え!?」
驚愕の声を上げたのはかなえちゃんだ。
「本気ですか!?」
「このままだとあの人、何をするかわからないし」
こんな危険なものを、わざわざ名指しで直接渡しに来るような人だ。今度はどんな行動に出るかわからない。
「ただの悪戯かもしれないのに」
「悪戯でここまで手の込んだことするかな?」
「……でも」
「何かあってからじゃ遅いもの。動くなら早いにこしたことはないよ」
そう主張しても、かなえちゃんは納得いってないようだ。不服そうに早坂を見つめ返す。
でも早坂は何も言わなかった。壁に寄りかかったまま、私達の会話に耳を傾けるだけ。何も語ろうとはしない。変化のないその表情から、彼の心の内を読み解くことは叶わない。
「まさか七瀬さん、1人で行く気ですか……?」
「うん、ひとりで会いに行く」
「そんな、危ないですよ! この封筒だって、ただの脅しかもしれないのに。そこまで七瀬さんが1人で責任負う必要あるんですか?」
「……」
かなえちゃんの言い分もわかる。確かに単なる脅しかもしれない。でも、こんな事態にまで発展させてしまった責任は私にある。あの人から逃げ続けて、話し合う機会を放棄した私に責任がないはずがない。
全部、自分で蒔いた種だ。
「じゃあ、私も一緒に行きます!」
「ダメ。危ないよ」
「でもっ、またあんな目に遭ったら」
「……」
……あの日の事を思うと胸が痛い。青木さんに対する恐怖と同じくらい、かなえちゃんに対しての罪悪感も残ってる。あんなに惨い場面を彼女に見せてしまった。この罪悪感が消えることはきっとない。
「心配しないで。今度はちゃんと、人のいる場所で落ち合うつもり。2人きりにならないように気を付けるから。大丈夫だよ」
それは咄嗟についた嘘。恐らく彼と2人きりで会うことになるだろうとは思ってる。誰に聞かれるかもわからない場所での話し合いを、青木さんが承諾してくれるとは思えなかったから。
それが危険なことだってわかってるけど、私にはどうすることもできない。下手に逆らったら、また痛い目に遭わせると。周りの人間すら傷つけるつもりだと、この封筒は私達にそう思わせるためのもの。私にそう思わせた時点で、青木さんの思惑に嵌まってる。もう彼に逆らうことは許されないのだと。
でも、それをかなえちゃんに伝えるわけにはいかない。だから嘘をついた。
「……七瀬さんはさっき、何かあってからじゃ遅いって言いましたよね」
「……うん」
「その言葉、そっくり返します」
「……」
「何かあってからじゃ……遅いんですよ」
苦痛に顔を歪ませるかなえちゃんの表情は、あの日、私を助けられなかった後悔の念を滲ませている。
でも、かなえちゃんがそこまで悔やむ理由はない。あの暴力だって元はと言えば、2人の忠告を聞かずに青木さんに歯向かった私が招いた事故なんだから。自業自得だ。
「心配してくれてありがとう。でも本当に大丈夫だから」
「七瀬さん……っ」
恐怖を押し殺して明るく振る舞う。
これ以上、この話を長引かせたくなくて。
「それにほら! もしかなえちゃんに来て貰って、あの人が逆上したらそれこそ危険だし。痛い思いをするのは私ひとりで十分、」
ハッとして言葉を止める。かなえちゃんの表情が凍り付いていく。今のは完全に失言だ。純粋に私を心配してくれているかなえちゃんに、「また暴力を受けるのは私だけでいい」なんて無神経な言葉を放ってしまった。
謝らなきゃ。
咄嗟にそう思ったけれど。
――パシンッ。
左頬に走った痛みで思考が停止した。
一瞬何が起こったのかわからなくて、唖然としながらかなえちゃんを見つめ返す。瞳に涙をいっぱい溜めて、私を睨みつけていて。振りかざした手のひらは、怒りで小さく震えていた。
「……そんなこと、言ってほしくないです」
狭い空間に彼女の呟きが消えていく。はらりと落ちる彼女の涙。怒りに満ちた双眸が私を見据えている。
「……私ひとりでいいってなんですか」
「……」
「じゃあ私達は、何の痛みも感じていないって言いたいんですか? そんなはずないじゃないですか。私も早坂さんも同じくらい辛いですよ。大好きな人を守れなかった後悔と罪悪感で、死ぬほど辛いのに。なんでわかってくれないんですか」
一筋の涙が、かなえちゃんの頬を濡らす。怒り、哀しみ、失望。様々な感情を含んだ叫びが私の胸を締め付ける。
「もう、好きな人達が傷つく姿は見たくないのに」
「……かなえちゃん」
「なんで、何度もこんな思いを何度もしきゃいけないんですか……ッ」
そう言ってしゃくり上げる。子供のように泣きじゃくり、大粒の涙が床にこぼれ落ちていく。かなえちゃんの涙を見て、今更自分の愚かさを痛感した。
青木さんから暴行を受けたのは私ひとり。でも被害を被ったのは私だけじゃない。かなえちゃんと早坂の心にも、拭いきれない傷ができた。その事実を真正面から突きつけられた気がした。
結局私は自分の事しか見えてなくて、2人の気持ちに寄り添わなかった。だからこそ、かなえちゃんの想いが痛いほどに伝わってくる。どれほど私の身を案じてくれていたのかも。
「……ごめんね」
しゃがみこんで、同じ高さに目線を合わす。そっと頭を撫でれば、かなえちゃんは顔を上げた。
大きな目も、鼻も頬も、すっかり真っ赤に染まっている。いつも笑顔なかなえちゃんが、こんなに顔をくしゃくしゃにしながら泣く姿が愛しくて、胸の中に温かな感情が広がっていく。
「ごめんね、かなえちゃん」
「っ、ふぇ……っ」
「ありがとう」
しゃくりあげる小さな背中に手を這わす。よしよしとあやすように無でれば、少しずつ落ち着きを取り戻してくれた。
こんなに泣き虫な彼女を見るのは初めてで。感情表現が激しいのはいつものことだけど、ここまで剥き出しになるなんて。
よっぽど堪えていたんだろう。
本当にごめんね、ありがとう。
彼女を宥めながら、何度も心の中で呟いた。