募る想いは果てしなく

あの時の言葉



「いただきまーす!」

 早坂宅で開かれた焼肉パーティー。目の前には、厚切りの極上ジンギスカン。実家がある北海道から送られてきたものらしい。
 そして、この場にお呼ばれしたかなえちゃん。豪快に肉をかっさらい、道産子の羊肉を口いっぱいに頬張りながら、極上の味わいを堪能している。

「おいしい! ジンギスカン初めて食べました!」
「え、マジか」

 驚く早坂を前に、かなえちゃんは上機嫌で頷いた。

「北海道にいれば、こんな美味しい肉をいつでも食べられるんですね」
「俺が実家にいた頃は、週2くらいで食べてたな」
「いいなあ、羨ましい」

 隣合わせに並んで箸をつつく早坂と、ご飯の上にお肉を乗せてる、かなえちゃんの姿。まるで兄妹みたいな2人だなと思う。
 和気あいあいと盛り上がる光景を眺めながら、私はコップ一杯のハイボールで喉を潤した。



 ――あれから2週間が経った。
 クリスマスもあっという間に過ぎ、今日は元旦。店舗も今日ばかりはお休みだ。明日からは通常営業になる。そして私が職場復帰する日でもあった。
 本来であれば既に復帰しているはずだった。けれど菅原エリアの配慮で、もう1週間、休暇が追加された。というのも、これには理由がある。早坂が菅原さんに「七瀬の状態が芳しくない」と伝えてくれたことで、休みが延長になったらしい。

「骨折のせいで高熱が出ている」
「痛みが酷いらしくて動けない」

 まあ、細々と報告してくれたようだけど。
 もちろん全部嘘だ。
 実際には、順調に回復へ向かっている。腕も上がるようになったし、重い物だって持てる。痛みは完全になくなったわけじゃないけど、普通に生活する分には不便なことはない。
 ただ、全治2ヶ月と診断された怪我に対して、1週間しか休養を与えない本部に対して不満を抱いていたのは、早坂の方みたいだ。

 虚偽報告なんて褒められたものじゃない。
 でも、早坂の嘘で救われたのも、また事実だ。 

「それにしても。かなえちゃん、やっぱり気づいてたんだね。私が早坂のところでお世話になってること」

 先日、病院の駐車場で交わした会話を思い出す。あの時は咄嗟に嘘をついたけど。かなえちゃんはふふ、と笑みを深くした。

「だって早坂さん、明らかに様子がおかしかったし」
「早坂、誤魔化すの下手だもんね」
「うるさい」

 本人は不機嫌そうに私を睨む。その傍らで、かなえちゃんは含みを持たせた視線を送ってきた。

「それだけじゃないんですよ。最近は退勤時間になると、すごくソワソワし始めるんですよ、早坂さんって。これは絶対お家で何かがあるとしか、いたッ!」
「もう黙れマジで」

 かなえちゃんの頭を早坂が小突く。無邪気なやり取りに、私は胸を撫で下ろした。
 かなえちゃんは鋭い。少しずつ変わり始めている私達の関係に、恐らく彼女は気づいてると思う。でも、かなえちゃんは何も言わない。黙って見守ろうとしてくれている。本当に出来すぎた後輩だと思う。
 ……それに比べて、私の不甲斐なさといったらない。



「七瀬は、誰にも頼らないよな」

 それは先日、早坂から告げられた言葉。
 彼から告白を受けたあの夜。お互いに向かい合わせになって、温かい食事を共にした。
 私お手製の、半熟卵のふわとろ親子丼。我ながら上手く出来たと自画自賛している料理に舌鼓を打ちつつ、早坂の言い分に耳を傾ける。

「泣き言も言わないし、愚痴も吐かない。全部ひとりで抱え込もうとする」

 確かに私はスタッフの前では、愚痴も弱音も吐かないようにしてる。上司が部下の前で不満を漏らせば、嫌な空気を生むからだ。スタッフにとってマイナスになるようなことは、私はしてはいけない立場にある。
 けれど口に出せない分、早坂には愚痴や不満を吐き出しているつもりだけど。そう伝えれば、早坂は静かに首を振った。

「そうじゃない。仕事外で何かあっても、苦しいこととか辛いこととか、そういうの全部、内側に溜め込んでるんじゃないか?」

 早坂の手が、皿の上に箸を置いた。そして豆腐のお味噌汁を啜る。私の手作り料理を堪能してくれてるようで何より。ぼんやりと眺めつつ、私は早坂の質問に答えた。

「溜め込んでるつもりはないんだけど……」

 ただ、そういう悩みって、結局は自分で解決するしかないわけだから。人に話しても仕方ない、そう思ってる部分はある。

「私って、そんなに1人で色々やろうとしてる?」
「してる。頼むから自覚してくれ。見ていて危なっかしいんだよ。今回の事だって、七瀬が周りに頼るなり相談なりしていれば、もしかしたら回避できた被害だったかもしれないだろ」

 早坂の言う通り、自治体の相談窓口や支援センターを利用していれば、青木さんとこんなに揉めることもなかったかもしれない。

「自分都合で人に頼るなんて、相手に迷惑をかけるだけだって思ってるんだろうけど。実際のところ、一人で突っ走った結果、逆に迷惑かけてるし」
「……その通り過ぎて何も言えない」
「それから」
「まだあるの?」
「ある」
「もう私のライフがゼロなんだけど」

 容赦がない。知ってたけど。

「七瀬はもう少し危機管理を持った方がいい。自分に対して無防備すぎる。意識を持って改善していかないと、次に何かあっても庇えなくなる。自業自得だって突き放されて、誰も助けてくれなくなるぞ」

 相変わらず早坂の論破は耳に痛い。でも、全て正論だ。私が間違ってることはちゃんと指摘してくれる。
 自分にも他人にも厳しい面を持っている早坂は、その人のためにならないと判断すれば、中途半端な優しさは与えない。間違ってることは間違っていると、はっきりと口にできる人だ。
 それは、私には持ち得ない早坂の魅力。部下に対して強く叱れない、という私の欠点をカバーしてくれる。だから同僚としても、人としても信頼できる。スタッフの事も、早坂だから安心して任せられる。

「私より早坂の方が上司向きだよね」
「統率力は七瀬の方が優れてるよ。俺はそこまでリーダーシップを発揮できないから」
「そうかなあ」
「で、ここからは俺個人の話になるけど」

 急に流れが変わった。
 はた、と私は箸を止める。

「今までの話は何だったの?」
「今までのは、社会人の立場としての意見」
「なるほど。俺個人の話って?」
「もうアイツと2人きりで会わせない。俺が隣で支えるから、少しは頼ってほしい。あと言い忘れてたけど、もし付き合えるなら結婚前提で付き合いたいと思ってる。それと前に七瀬の部屋に泊まった時に寝込み襲った。ごめん。反省は微妙にしてる」

 捲し立てるように言われてご飯を噴出した。
 10粒くらい口から飛び出したよね。

「おい、顔にご飯粒かかったんだけど」
「いや待って。なに今の。急に暴露するじゃん」
「話したい事はたくさんあるけど長くなるから、言いたい事だけまとめて喋ったらこうなった」
「詰めすぎだよ」

 以前、早坂を部屋に泊めたあの日。
 この男は人が寝てる間に、あらぬ事をしてくれたらしい。

「……一応聞くけど、何したの?」
「キスした」
「は、うそ、どこに」
「……おでこ」
「おでこ?」

 思わず目を丸くする。
 寝込みを襲った、なんて言うから身構えていたのに、返ってきた返答は何とも可愛らしいものだった。おでこにキスって。

「かわいいね」
「うるさい」
「でも反省はしてるんだね」
「……彼氏以外の男に触れられるの、七瀬は嫌だろ」

 それは当然だ。恋人以外の男から触れられるなんて気分のいいものじゃない。
 でもその相手が早坂なら……嫌じゃないかも。どうなんだろう。

「でも、言っとくけど七瀬も悪いからな。どうなってもおかしくない状況で、男を部屋に泊めるなよ」
「早坂に限って変なことはしないって思ってたの」
「俺も男なんだって」
「ふーん」
「……ニヤニヤすんな」
「ふふ」

 どうなってもおかしくない状況と言えば、早坂の部屋に寝泊まりしてるこの状況でも同じことが言えるんだけど……とは、口が裂けても言えない。
 私はあくまでも匿ってもらっている身。感謝はしても、揚げ足を取るつもりはない。

「……無理って言ってた意味は?」

 あの言葉の真意を一番知りたかった。想いを知られてしまった以上、今まで通りに接するのは無理だと。あの時言われた言葉が未だに尾を引きずっている。
 友人関係を続けたい。そう主張した私に拒絶の意志を示した早坂。でも私が考えていたものとは、どうやら違うようで。

「あの日のこと、俺はずっと後悔してるんだ」
「……あの日って?」
「青木と一悶着あった日」
「……」

 途端、気まずい沈黙が室内を覆う。
 思い出す度に、たまらない憂鬱が心に迫ってくる。

「七瀬に知ってほしかったんだ。もっと頼ってほしいと思ってる奴がここにいるから、1人で全部背負う必要なんかない、って」
「……早坂」
「今まで通りに接するのは無理だって言ったのは、青木の事で悩んでる七瀬を俺は知っていたのに、もう部外者面して何もしないのは嫌だって意味だから」

 ああ、そうか……と納得する。あの言葉、私は恋愛軸に考えていたけれど。早坂は違う方向を見ていたんだ。
 今までは私の意思を尊重して、動向を見守ってくれていたけれど、それで失敗したから。だから今度は助ける――あの言葉の意味は、援助。

「俺は部外者だし、本人達の問題だから……って距離を置かなければ、絶対にあんな目には遭わせなかった。だからもう、他人の振りは俺には出来ないって言いたかったんだ。ごめん、わかりづらかったよな」
「……ううん」
「あと」

 そこで言葉を切った早坂は。
 静かに息を吸い込んで、再び口を開いた。

「好きな人を自分の手で守りたいと思うのは、男の性だと思う」
「……え?」

 突然の告白に箸を落としそうになった。

「俺がそこまで考えてる理由も、七瀬を自分の部屋に匿ってまで助けたい理由も、同僚として心配だからじゃない。そこまでお人好じゃない」

 いつもぶっきらぼうな早坂が、今だけは真顔で。彼が本気だと言うことが、それだけでわかってしまう。

「他人事だと思ってるなら、俺もここまで関わらない。ここまで必死に守ろうとするのは理由があって、そこをちゃんと説明しないと駄目だと思ったから告白しようって決めた。ご理解頂けましたか」
「え、あ……ハイ」

 分かりやす過ぎるほど直球で言い表されて、心臓がバクバクと音を立てて跳ね上がり始めた。
 心拍数がどんどん高まっていく。それが手に取るようにわかって顔が火照る。テーブルを挟んでいるから早坂との距離は離れているのに、私の心音が筒抜けなんじゃないかってくらい、大きな音を立てていて。

「正直、もう諦めるつもりでいたんだけど」
「……え」

 諦める、そう告げた早坂の覚悟に心臓が冷えたのは一瞬のこと。

「……そのつもりだったけど、その矢先に青木と別れてたって知ったから。不謹慎だけど、かなりテンション上がったわ」

 淡々と答える早坂から、歓喜の色は見て取れない。ほかほかの親子丼を、静かに口へと運んでいる。何の焦りも見せない様は、これまでの彼となんら変わりないように見えるのに。私と視線を合わそうとしないのは、照れ隠しかもしれない。その不器用な態度が可愛くて、くすぐったい気持ちに駆られた。

 自然と頬が緩んでしまう。同時に胸に込み上げる、愛しいと思う気持ち。ここまで思い悩んでやっと、自分の気持ちの変化を素直に受け入れることができた。ああ、この人に惹かれているんだな、って。

 あの日以降はいたって普通の日常だった。私は治療に専念し、早坂は多忙に追われていた。年末の業務過多で疲れきっているはずなのに、私の前ではそれを態度に出すことはない。そして夕飯の時間だけは、一緒にいてくれる。

 休憩時間に電話をくれたこともあった。私の具合をいつも気遣ってくれた。早坂にとって今の私は負担にしかなっていないのに、それを微塵も感じさせないよう振る舞うところが本当に大人だと思う。

 日を追うごとに、早坂への想いが好意へと傾いていく。

 恋愛かどうかわからない、とか。
 一時的な熱かもしれない、とか。
 そんな誤魔化しはもうきかない。
 この感情は間違いなく、恋だった。

 だから強く思う。
 早く、早坂の気持ちに応えたい。
 誠実な彼に誠実でありたい。
 その為にも、まずは青木さんの問題を解決させなきゃいけない……けれど。



「それで、どうするんですか? 彼氏さんのこと」
「ん……どうしようね」

 つい言い淀んでしまう。
 実は困った事態が発生している。
 あの日以来、青木さんからの連絡がぱったりと途絶えてしまった。
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