募る想いは果てしなく
――七瀬がこの場を去った直後、後部座席から、鋭い視線が突き刺さる。やれやれ、と力なく笑い返した。
「……あのな鈴原。俺を睨んで何になる」
「だって……」
その煮え切らない様子に苦笑い。何を言いたいのかなんて嫌でもわかるけど。こればかりはどうしようもない。
「仕方ないだろ。七瀬が自分達で話し合うって決めたんだから」
もし七瀬が「助けてほしい」と、俺にそう縋ってくれたなら。多少強引でも、2人の間に割り込んで戒めるのに。
でも七瀬はそうしなかった。他人を巻き込みたくないのだろう。責任感が強いのは昔から知ってるし、尊敬してる部分でもあるけれど、今回ばかりはいささか、七瀬が無理し過ぎている気がしなくもない。
やっぱり引き止めようか。
本当は、何度もそう思ったけど。
所詮、俺は部外者に過ぎない。そしてこれは当事者達の問題だ。その本人達が2人で解決すると決めた以上、部外者が無神経に介入できる立場にない。注意を促すことはできても、止めることはできない。
自分なりに考えて導き出した結論。それが正しい判断だったのかはわからない。それでも、出来うる限りの助言や忠告はしたつもりだ。
けれど鈴原はいい顔をしなかった。
「もっと格好いいこと言って引き止めてくださいよ……。これが漫画なら、『そんな男やめろよ。俺がなんとかしてやる』って決めるところですよ」
「幻想と現実をごちゃ混ぜにすんなよ」
「だって彼氏がクズすぎる……七瀬さんは騙されてたんですよ。早坂さんが奪っても、誰も文句なんて言いませんよ」
それが出来るならとうにやってる。
そう言いたい気持ちを抑え込む。
年齢的にも精神的もまだ若かったなら、あるいは自分の本能のままに行動していたかもしれない。
奪いたいが故に、あの手この手で画策して。七瀬の隣のポジションを確保しつつ、弱っている彼女を励まして、弱味につけこんで。そんな風に、やり方が汚くても努力していたかもしれない。
けれど26歳を迎えた今、物事を俯瞰的に捉えることが出来るようになった。後先のことを考えて行動するようになった。感情より、理性を優先してしまう。
それらは決して悪いことではないが、臆病になったと言われれば否定はできない。
なんにせよ、俺が介入すれば泥沼になる予感、そうなれば七瀬の身が危うくなる可能性があるならば、もう少し様子を見た方がいいと判断してしまうのも致し方なかった。
「彼氏、今から来るんですよね」
「多分な。うまく話し合いが進めばいいけど」
「早坂さん、七瀬さんが彼氏と別れたらどうするんですか?」
「……どうするって?」
「告白! しますよね?」
「……まあ、するよ」
俺の返答に、鈴原は黄色い声を上げた。ぱっと表情が輝いて、素直に喜ぶ姿が微笑ましい。七瀬達がこの子を可愛がる理由がよくわかる。
鈴原自身も七瀬のことをよく慕っている。七瀬が自分の理想だと、事あるごとに、そう口にしている事も知ってる。
「鈴原は本当に七瀬が好きだな」
「憧れの人ですから。それに早坂さんも」
「……俺?」
それは初耳なんだが。
「私、3つ上の兄がいるんです」
「お兄さん?」
「はい。その兄がよく言ってました。恋愛でも仕事でも、互いに切磋琢磨できるパートナーが出来たら幸福ものだって。そんな相手はそうそう出来るものじゃないって」
「……」
「だから七瀬さんは私の憧れだし、七瀬さんと早坂さんは理想の姿」
「……それは有難いな」
「後輩にここまで言わせたんですから、私の理想、ちゃんと叶えてくださいね?」
「ああ、努力はする」
後輩から恋愛の応援をされるのも、なかなか気恥ずかしいものがあるが。すっかりにやけている鈴原をミラー越しに見届けて、エンジンをかけた。
「そろそろ帰るか。鈴原、家どこだっけ?」
「……え!?」
「え、じゃない。ずっと此処にいるわけにもいかないだろ」
「いや、そうじゃなくて!」
焦ったような彼女の声に眉を寄せる。もう一度ミラーに視線を戻せば、車窓にべったり額をくっつけている鈴原の姿がある。その視線の先は、七瀬の住むマンションだ。
「何してんだよ」
「七瀬さんのお部屋って、2階の階段上がって一番奥ですよね?」
「そうだけど」
「今、窓に人影映ったんですけど。2人」
「は?」
その発言の意味を想像して背筋が冷えた。
「……ホラーかよ。やめろ。俺そっち系は苦手なんだよ」
「違いますってば。あっ、ほらまた! 七瀬さんのお部屋にもう1人いますよ。彼氏じゃないですか?」
「……え?」
ハンドルを握る指先に力が籠る。鈴原の視線を追うようにマンションに目を向けた。
七瀬の部屋は既に電気が点いている。カーテン越しに2人分の影は映っていない。けど鈴原が嘘をつくとは思えないし、だとしたら、青木が先に部屋の前で待っていたんだろう。
七瀬の部屋の入室を許された男が俺以外にもいる、その事実を目の当たりにして複雑な気持ちになる。
まあ、青木だと確定したわけじゃないが。
「彼氏って、これから来るって話でしたよね?」
「早めに着いたから待ってたんじゃないのか?」
「だったら連絡くらいすればいいのに」
「まあ彼氏じゃない可能性もあるけど。友達とか」
「えぇ……気になる……」
「誰でもいいだろ。ほら帰るぞ」
「えっ、気にならないんですか!?」
そんなの、めちゃくちゃ気になるに決まってる。でも、だからってどうしろというのか。部屋に乗り込むわけにもいかないし、そもそも青木だという確証もない。
スマホに視線を移す。七瀬からはさっきメッセージを貰った。以降は何の連絡も来ていない。本人も話し合いが終わったら連絡すると言ってくれたし、何かしら進展があれば、報告くらいはしてくれるだろう。
が、ここで想定外の事態が起きた。
「私、ちょっと様子を見てきます」
「……え」
「すぐ戻ってきますから!」
「は!? ちょっ、戻ってこい鈴原!」
慌てて呼び止めたが遅かった。勢いよくドアを開け、鈴原は颯爽と飛び出していく。そのエネルギーは一体どこから来るのか。遠ざかっていく背中を見て、また重いため息が漏れた。
背もたれに体重をかけ、疲れを吐き出すように吐息を漏らす。最近、ため息をつく回数が増えた気がする。あまり良くない傾向かもしれない。精神的にもう若くないんだな、と実感する。
最近になって気付いたことがある。それは俺自身の変化。好みや嗜好が変わってきたように思う。
服の好みが変わった、お金の使い方が変わった。衝動買いをやめた、物の考え方が広がった。それこそ挙げればキリがない。様々な経験を積み、人間性に深みが増したのかもしれない。
あと、もうひとつ。
結婚願望が出てきた。
10代、20代前半の頃には無かった願望だ。
結婚をして、ひとつの家庭を持つこと。数年前までは考えもしなかった思想。そういうものに縛られたくない、まだ若いのだから遊びたい。当時はそう思っていたし、その主張が許される年齢だった。
けれど最近は違う。仕事や将来のことを考えてしまう。若い頃は遊びが最優先だったが、年齢を重ねるとともに優先順位が移り変わっていく。
好きな人と結婚して、落ち着くべきところに落ち着きたい。
そんな思いが生まれ始めている。
家庭を持つ友人が増えて、周りの変化に影響されたのかもしれない。
自分を支えてくれる奥さんがいて、共に育てて成長を見守っていく子供がいて。毎日共に飯食って、休日は家族で出掛けたりして。平凡な暮らしでもいい、そんな家族団らんな光景に憧れを抱くようになった。そういう幸せのカタチもありなのかと。
……その相手が、七瀬だったらよかったのに。
3年が経って諦めようとした想いは、結局熱が冷めることなく4年が過ぎた。長年の片想いというのは精神的な疲弊を伴う。26にはなかなかキツすぎる現実だ。
やっぱり歳か、なんて考えていた時。
スマホの着信が鳴った。
「……え、七瀬?」
意外と早く連絡がきたことに驚く。
車載ホルダーからスマホを外し、通話ボタンを押した。
「……あれ、切れた」
耳に押し当てても、通話の切れた虚しい機械音だけが響いている。かけ直そうとして、ふと思い止まった。鈴原が部屋に到着したのだろうか。だから一度通話を切ったのかもしれない。
だとしたら、また七瀬から着信が入るだろう。何かあれば鈴原からも連絡が来るだろうし。
もう少し待つか。
そう判断してスマホを助手席に置き、瞳を閉じた。
「……坂さん! 早坂さんってばッ! 起きてッ!」
突然の怒声にビクッと体が跳ねた。
謎の打撃音がすぐ傍で聞こえる。
驚いて目を見開けば、車窓をバンバン叩いている鈴原の姿があった。
一瞬、目を白黒させる。車用時計を見れば5分が経過していた。いつの間にかうたた寝していたらしい。窓を開ければ、鈴原は勢いよく身を乗り出してきた。
「悪い。ちょっと寝てた、」
「いいから早く来て!!」
切羽詰まった様子に眉をひそめる。俺の言葉を遮ってまで息巻く表情は、数分前に車から飛び出していった表情とはまるで違っていて。
「おい、どうした」
「お願い部屋に来て! 助けて!!」
……その一言に、不穏な胸騒ぎを覚えた。
「鈴原、落ち着け。何があった」
この子がこんなにも取り乱している姿は初めて見る。今にも泣き出しそうなほど目が充血していて、血の気が引いたように顔が真っ青だ。
明らかに何かに怯えているような表情。既に涙声だ。
マンションから一目散に逃げてきたのか、肩で息をしていて呼吸も荒い。尋常ではないその様子に、動悸が激しく鳴る。
「……ッはぁ、へ、部屋が」
「七瀬の部屋か?」
「はっ、い……鍵、開いてて」
「部屋の中に入ったんだな?」
鈴原が苦し気に頷く。
乱れた呼吸を静めながら、更に口を開いた。
「入ったら七瀬さん、た、倒れてて……ッ、ち、血がいっぱいっ……、へ、変な男もいた……っ!」
―――バンッ!!
乱暴にドアを開け放ち、マンションへと走り出す。考えるよりも先に体が動いていた。
エレベータ―を待つのも煩わしくて、階段を勢いよく駆け上がる。頭の中はただ、七瀬の無事を願う思いと後悔の念で埋め尽くされていた。
――何かあったら連絡しろ。
そう伝えたのは、俺なのに。
だから七瀬は電話をくれたのに。
「……くそっ」
最後の最後で、俺は判断を誤ってしまった。