募る想いは果てしなく

男女の友情は成立するか



 記録的な積雪となった東京。
 けれど一晩で、はかなくも雪は溶けきった。
 澄み切った青空の下、目的地まで歩く。剥き出しになったアスファルトに、ブーツの音が高らかに鳴り響く。

 寒空に冷える午前9時。従業員用の扉を開け、店内に足を踏み入れる。タイムレコーダーにICカードをかざした時、華やかな談笑が遠くから聞こえてきた。
 活気の向かう先にはロッカー室。早番メンバーの子達だろう。開店準備前の雑談タイムといったところか。今日も皆が楽しそうで何より。
 塗装の剥がれが目立ってきたロッカー室の扉を開ければ、その場は既に人だかりが出来ていた。

「みんな早いね」
「あ、おはよう七瀬さん」
「おはよーサブマネ」

 思い思いの呼び名で挨拶をしてくれる。役職呼称に関しては特に統一性はない。人によって様々だ。

「すごい盛り上がってたね。何の話してたの?」
「七瀬さん、男女の友情って成立すると思います?」

 集団の中から、小柄な体がぴょんと飛び出す。真剣な眼差しで私に詰め寄るのは、ショートボブがよく似合う背丈の低い女の子。鈴原かなえちゃん19歳。

 入社してまだ半年の彼女。物怖じしない性格で、皆に可愛がられている。真面目だし、ハキハキとした声も好印象。でもこの子の魅力は他にもあって。

 どんな仕事に対しても、真摯に取り組む姿が印象的なかなえちゃん。ただ、物覚えが異常に早い。1度教えれば大抵の業務は出来てしまう。
 頭の回転が速いだけじゃない。無意識に記憶のインプットとアウトプットを素早くこなしているのだと思う。なかなか出来ることじゃない。ある種の才能かもしれない。

 もし今のメンバーから次期サブマネ最優力候補を選ぶとしたら、私だったら間違いなくこの子を選ぶ。この若さでこの出来具合だ。この才能を埋もれさせてはいけない。

 そんなかなえちゃんも、やっぱり女の子らしい一面を持ってるんだなあ、と改めて思う。キラキラした眼差しで私を見上げる瞳。ガールズトーク好きな女子のそれだ。

「男女の友情かあ」

 男女の友情は成立するか否か。人生で1度は問われる古典的なテーマ。
 女子ってこういう話題好きだよね。

「私、男女の友情は成立する派なんだよね」

 正直言うと、この手の話は興味ない。でも楽しげな雰囲気を壊すのも悪いし、とりあえず会話に乗ってみる。えー、と周りがざわつく中、かなえちゃんが更に私に詰め寄った。

「そうなんですか? じゃあ七瀬さんと早坂さんって、恋人にはならないんですか?」
「へ?」

 さすがの私も一瞬固まる。それは恐らく、誰もが突っ込みたくても言えなかった事。でもかなえちゃんは違った。何の躊躇いもなく、直球でぶつけてきた。

 確かに私と早坂は仲がいい。立場上、一緒にいる時間も多い。就業後に飲みに行ってることも、スタッフ全員が知っている。
 だからって別にやましい事なんてない。それは彼女達もわかってる。私と早坂の色恋なんて、誰も本気で思っていない。むしろ何かがあってほしい、それが本音だろう。
 その証拠に、「かなえちゃん攻めすぎ!」なんて言いながら、むしろ「もっとやれ」的な態度で、彼女達は場を盛り上げようとしてる。

「逆に聞くけど、かなえちゃんは早坂マネのこと、どう思ってるの?」

 私だってやられっぱなしではない。ひやかしの対処法くらいわかってる。自分にされた質問を相手に返す、それだけの簡単なお仕事だ。

「えっ? わ、私ですか!?」

 ほら。急にネタを振られたかなえちゃんは、案の定動揺してる。

「かなえちゃんくらいの年齢だったら、早坂マネージャーみたいな大人な男性は、やっぱり魅力的に見えるんじゃない?」
「まあ……早坂さん格好いいし、頼りになるけど」
「お? 結構気になってる感じだね?」
「ええっ!?」

 あからさまな狼狽っぷりだ。場がにわかに色めき立つ。アワアワと焦り始めるかなえちゃんを庇ってあげる優しいスタッフは、残念ながらこの場に1人もいないのだ。私も含めて。

「え、ちょっとかなえちゃん?」
「そうだったの?」

 お陰で皆の関心事は、私から彼女へと移る。

「違いますよ! わ、わたしは、ダメンズが好きなんです! 早坂さんみたいな完璧な人は、理想とは真逆のタイプっていうか……!」
「とか言って本当は?」
「もうっ、七瀬さん! からかわないでください!」

 皆の笑い声が室内に響き渡る。ひやかしの対象になってしまった後輩の慌てふためく姿は、見ていて楽しいし可愛いものだけど、開店時間は刻一刻と迫っている。
 そろそろ仕事モードに頭を切り替えないと。
 依然として賑わう彼女達の輪からそっと離れ、私は事務所へと足を向けた。

 ネームプレートを首に掛けて事務所に入る。そこには既に早坂の姿があった。PCに向き合ったまま視線だけをこちらに向ける。よっ、と軽く片手を挙げれば、早坂も同じように応えてくれた。

「2度目ましてだね」
「ん。朝早く起こしちまって悪いな」
「あんなに急いで帰らなくてもよかったのに。朝ご飯くらい用意できたよ?」

 まだ日が昇り切らない時間帯、タクシーでさっさと帰宅してしまった早坂の背中を思い出す。

「マンションに戻りたかったし。着替えとか」
「ああ、そっか」
「あとロッカー室の会話、丸聞こえだったんだけど」
「あら」

 ロッカー室と事務所の距離は近い。騒げば耳に入ってしまう。私がかなえちゃんをからかった内容まで、早坂には筒抜けだったようで。

「かなえちゃんどうですか。いい子ですよ」
「鈴原はいい女すぎて、俺にはもったいねえわ」

 口元に微かな笑みを浮かべながら、早坂は淡々とキーボードを打ち込んでいる。会話内容を気にしている風には見えない。
 少しだけ罪悪感が湧く。女性が大半の職場で、唯一の男性社員である早坂が話題のネタにされやすいのは、仕方のない事かもしれないけれど。
 そう割り切っても、本人にとってはいい気分じゃないだろう。

「控えるように言っとく?」
「いいよ別に。営業中だけ声抑えてくれれば」
「……わかった。本部からメールきてる?」

 早坂の横からPCを覗き込む。画面にはメールフォルダが表示されていた。
 本部と菅原マネからの受信メールが数件。
 最初に目についた件名を読み上げる。

「商品回収の件について?」
「新商品で入荷したコンパクトミラーがあっただろ。あれの回収指示」
「なんで回収になったの?」
「パッケージの文字が商品に付着してたらしい」
「ああ、なるほど。アウトだね」

 顧客の中には神経質な人も多い。そして今はSNS時代だ。ネット媒体で誰もが情報交換をする。商品の些細な汚れや色褪せはクレームに繋がりやすく、口コミやSNSで拡散されやすい。
 悪い噂が立った店はすぐに潰される。
 ネットの声は驚異的で、影響力は絶大だ。

「もう売場から全部回収しておいたから」
「さすが早坂、仕事早い。ありがとう」
「他にも指示きてるから、俺やっとくわ」
「うん。発注PCとiPadのマスター更新は私がやっておく……ん?」

 そこで気付いた。ポケットの中のスマホが震えていることに。社用スマホじゃない、私の方。手に取ってタップすれば、1件のショートメールを受信している。
 ……嫌な予感がした。

 画面を睨みつけること数秒。
 見て見ぬ振りをするわけにもいかず、恐る恐るスワイプする。

【遥、ちゃんと会って話し合おう。
今日、仕事終わったら部屋に行くから】

「……またか」

 一気に気分が沈む。それは青木さんからの一方的なメッセージ。電話番号も変更するべきだったと後悔する。

 彼のLINEはブロック済み。相手の連絡先も消去した。でも青木さんは私の連絡先も、住んでいるマンションも勤務先も把握してる。彼との繋がりを、完全に断ち切れていないんだ。
 着信拒否すれば絶対に会いに来る。完全に連絡断ちするのは気が引けた。話し合うなら、電話の方がまだ精神的負担は軽い。あの人の顔を見ずに済むから。

 スマホ越しに何度も思いは伝えたのに。青木さんの家庭を壊す覚悟がない、奥さんと子供を大事にしてほしい、もう関わりたくない、ただ別れて欲しいと。
 本当は電話だってしたくなかった。声だって聞きたくない。でも必要なことだから耐えたのに。それを相手が理解してくれない。ここまで懲りないとなると、もう電話での話し合いは無理かもしれない。

 直接会うしかないのかな。面倒だな……そう思っていた時。七瀬、と低い声が耳に届いた。
 ハッとして我に返る。椅子に腰かけたまま、早坂の瞳が私を見据える。

「ごめん、何の話してたっけ? あ、思い出した。マスター更新は私がやっておくね!」
「……」
「早坂、聞いてる?」
「……あの男から連絡きたのか?」

 ……こういうとこ鋭いんだよなあ。

「うん、きちゃった」
「なんて?」
「ちゃんと会って話し合おう、ってさ。モテる女は辛いわ」
「……大丈夫か?」
「全然大丈夫よ。余裕余裕。ぶいっ」

 笑顔でVサインなんてかましてみる。本当は余裕なんてない。でも強がっていないと平常心を保てない。無理に虚勢を張ることで、胸に巣食う不安を必死で追い払おうとする。
 私も今年で26歳。交際が続けば将来の事だって考える。好きな男の子供が欲しいと願うのは女の本能だ。
 なのに結婚を考えていた相手は別の女と結婚してた。夢見ていた子供も別の女と育んでいた。それを本人から知らされた時の衝撃といったらない。自分だけが何も知らずにいた、そんな羞恥と絶望と、相手に対する憤りが心を支配しようとする。

 人間不信に陥りそうだ。信じていた人に裏切られて、誰の事も信用できなくなりそうで怖い。でも、そこまで堕ちたくなかった。

 真実を知った時はすごく傷ついたし、仕事から帰ってきては毎日泣いてていたけれど。でも時間が経てば、心の傷は癒えてくる。前向きな考えもできるようになってきた。

 これから何十年と続く長い人生。青木さんと一緒の時間を過ごしたのは、そのうちの、たった4年だけ。この僅か4年ぼっちに、これからの人生まで振り回される必要なんてない。そう思えるようになった。

 彼に別れを告げてから、もう半年が経つ。
 私だっていい加減、前に進みたい。新しい人と出会いたい。新しい恋に踏み出したい。今度こそ、結婚を視野に入れた交際をしてみたい。
 その為には彼との関係を断ち切らなきゃいけなくて、なのにあの人は、いまだに私と別れるのが嫌だと言う。まだ繋がっていたいとか。離れたくないとか。馬鹿げたことをぬかすんだ。

 どの口が言うんだと腹が立つけど、仕事場に私情を持ち込むわけにはいかない。部下への示しがつかなくなる。
 だから笑ってこの場をやり過ごそうとしたのに、早坂はそれを良しとはしなかった。

「今まで青木とどのくらい話し合いした?」
「あー……10回くらい?」
「10回も? 電話で?」
「う、うん」

 しどろもどろに答えれば、早坂の顔が険しいものに変わる。

「……あのさ、余計なお世話かもしれないけど。話し合う努力もしてるのに、半年掛かっても別れられない状況なら、もう2人で解決するとか無理じゃないか? 直接会って話し合うにも、立会人がいた方がよくないか?」

 う、と息が詰まる。早坂の言ってることは最もだ。私は別れたくて、でも相手は別れたくなくて、互いに主張を曲げられないまま話は拮抗している。どちらかが折れない限り、会話は平行線のままだ。

 冷静に話し合える場を設けてくれて、客観的な意見をくれる、第三者の理解者。
 そんな人が周りにいるだろうか。
 そもそも誰にも話していないのに。

「俺が立ち会うか?」
「いやいやダメ、それは絶対ダメ」

 確かに早坂がいてくれたら心強いけど、不倫相手との話し合いの場に男を連れてくるのは、さすがにマズイ気がする。

「早坂は心配しすぎ! そんなに気にしなくても大丈夫だよ。お話するだけだから」
「……」
「ほら、もしかしたら青木さんも、そろそろ潮時かなって思ってるかもしれないし」
「……俺は、そうは思えないけど。本当に潮時だと思ってくれてるなら、頻繁に連絡なんかしないだろ」

 だよね。私もそう思います。

「連絡がしつこいって昨日言ってたじゃん。それってさ、相手も余裕がないって事じゃないのか? だとしたら、2人だけで会うのはやめた方がいいと思う。切羽詰まった人間ほど、何をするかわからないぞ」

 はたりと瞬きを落とす。早坂は私の身を案じてくれてるみたい。
 でも、相手はあの青木さんだ。温和と優しさをセットで装備しているような人だ。女に危害を加えるような人だとは到底思えない。

「……まあ、肝に命じとく」
「で、どーすんだよ。会うのか?」
「そうだね……このままじゃ埒が明かないし。あーあ、なんで不倫に気付けなかったんだろう」

 本当にね。
 なんでこの時、不倫なんて言葉を軽々しく口にしちゃったんだろう。
 この時の私は気づけなかった。ロッカー室の喧騒が止んでいることに。誰かが聞き耳を立てている可能性に。本当に切羽詰まっていたのは私の方かもしれない。

「……えっ」

 背後から、戸惑いに震えた声が聞こえた。
 私と早坂が驚いて振り向く。視線の先には見知ったあの子の姿。私達を交互に見やる、その大きな瞳に驚きの色を浮かべて立ち尽くしていた。

「な、七瀬さん……不倫って何……え?」
「……あらま」
「……」

 隣で早坂が頭を抱えてる。
 あの場から逃亡を図ったらしいかなえちゃんに、会話の内容を全部知られてしまったみたいだ。
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