背中の距離

「……そうか」

 日奈子の頬を包んでいた手が離れる。
 密着していた体温が遠ざかり、重い身体が横に沈む。陸が隣に横たわったのだ。
 天井を向いたまま、彼は腕を枕に組み替える。
 その仕草があっけないほど自然で、日奈子の混乱だけが取り残された。
 彼がいなくなった場所が、急に寒くなったように感じる。

「わかった」

 短く言ったきり陸は黙った。
 ごろりと横を向き、日奈子の姿を視界に収める。
 暗闇の中でさえ、彼女が息を詰めているのがわかった。

「心の準備ができたら言え」

 諦めたわけではない。
 ただ今夜は引くという判断をしただけだ。完全な敗北宣言ではない。
 陸の空いた手が伸びてきて、日奈子の髪を一房掬い上げた。
 細い指に絡めた髪がサラサラと零れ落ちる。
 その感触を確かめるように弄びながら、陸がぽつりと言った。

「待つのは得意じゃない。……けど、ひななら待てる」

 日奈子が小さく息を呑む気配がする。
 彼女の耳朶が暗闇でも判別できるほど、赤くなっているのに気づいた陸が、満足そうに目を閉じた。

「寝ろ。明日、飯作る」

 ぶっきらぼうな声音。
 しかし彼の手は布団の中に戻らない。
 日奈子が完全に眠りに落ちるまで、その髪を指先で梳き続ける。
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