背中の距離

「起きてる?」

 低く掠れた声。
 暗がりを縫うように届くその声は、まるで日奈子の耳朶に直接吹き込まれているかのようで。
 返事をするよりも早く、背中にぴたりと密着した体温が更に強く伝わる。
 身体を強張らせた日奈子の心情を知ってか知らずか、陸は彼女の耳元に唇を寄せてきた。

「……昨日みたいに、してくれないの」

 ぞくりとするほど甘い囁きが落ちる。
 内容も言葉選びも挑発的だが、記憶のない日奈子は何も答えられない。
 背中越しに伝わる体温と、耳元にかかる息の温度だけで思考が麻痺してしまう。

「……あの……」

 狼狽する声は蚊の鳴くように弱々しい。
 陸の表情は見えないが、その声音に込められた切実な思いは、充分すぎるほど理解できた。
 そう。陸が今、何を求めているのか――本能的な要求であり、それでいて残酷な試練のようにも感じられる。

 陸がぐっと身を寄せてきた。
 彼の鼻先が日奈子の首筋に埋まり、微かに上下する吐息が皮膚を焼く。

「嫌なら言え」

 何についてなのか、敢えて口にしない。
 それを尋ねれば始まってしまう、そんな直感があった。
 しばらくの静寂の後、陸の低く、掠れた声が闇を這う。

「……ひなの匂い、落ち着く」
「り、陸……あの、近い……」
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