夜の静けさと湯気の向こう

 もし、あの夜の全てを思い出したら、彼女は怯えて逃げ出してしまうのではないか。
 内気で、いつも周囲の顔色を窺って無理をしてきた彼女を、これ以上追い詰めるような真似はしたくない。
 だけど、あの壊れそうなほど華奢な身体を、他の誰の目にも触れさせたくもない。

 ずっと一人で孤独を抱えて生きてきた彼女の『聖域』に自分だけが入り込み、そのすべてを過保護的に甘やかして独占したいという衝動が、どうしても抑えきれなかった。

「……ひな」

 誰もいないリビングで、彼女の愛称を零してみる。
 やがて水音が止まり、静寂が戻ってきた。
 服を着ていればずいぶん大人しそうに見える彼女が、シャワーを浴びてどんな顔で戻ってくるのか。

 陸は濡れた前髪を再び乱暴にかき上げて、冷淡な切れ長の瞳の奥に、じわじわと抗えない熱を帯びさせていった。
13/13ページ
スキ